in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

大統領選挙終わる

2010年01月27日 | Weblog
昨日投票のあった大統領選挙は、その日の午後4時に投票が締め切られた後、即日開票された。投票箱が開票所に移動する時間と帰宅時間が重なってしまい、自宅を目前にして通行制限ですぐにはたどり着けず。タイミングが悪かった。

テレビやラジオで夜通し、各地区の開票速報をやっていたが、本日午後5時頃に現職のラジャパクサ大統領が過半数の57.8%の票を獲得し再選を決めた。その時には、勝利を祝う爆竹と、夕立の雷の音とがちょうどごっちゃになって、一時期とても騒がしかった。

それ以外は臨時の休日で人も車もほとんど通らないとても静かな一日だった。自分も仕事を持参し自宅でおとなしくしていた。

獲得票が全体の40%に留まった対立候補のフォンセカ氏(写真、緑帽*)が滞在していたコロンボ市内の某ホテルでは、今日一日、軍隊が周囲を取り囲み、騒然となっていた。フォンセカ氏が当選した場合は、一騒動も二騒動もあったであろう。

明日から世間は通常通りに戻るが、今週今日までの3日間、この国の都市機能、産業生産はとまったまま。経済的な損失を考えたいところだが、それよりも安全優先ということか。


*)昨年9月のVakarai学校の開会式のときの写真なので、フォンセカ氏は軍服を着ている。

大統領選挙のゆくえ

2010年01月26日 | Weblog
本日は大統領選挙の国民投票日。投票するには、選挙登録してある地域(たいていが本籍地)まで、移動する必要がある。週末からコロンボを離れたスタッフも多く、事務所はとても静かで、投票後の暴動を避け、午後は半休(一応自宅待機)となった。

前回の大統領選挙と比べて、今のところ、そんなにきな臭くはない。それでも選挙活動中に対立候補者を暗殺しようと狙った弾が支援者に当たり死傷者が出るなど、今回も事件は起こっている。明日は一日自宅待機なので、食料を買い込んで自宅に戻る。

(写真は、家の近くの交差点に選挙公示前まであった現大統領の看板。デカイわりに、ちゃちな造りだったので、強風で倒れないか、いつも近くを通るたびに不安になっていた。)

Unawatuna Beach

2010年01月23日 | Weblog
コロンボから南に車で3時間ちょっと行ったGalleから、海岸沿いをさらに東へ数キロ行ったところにあるUnawatuna Beachで週末をすごす。復興活動に追われる平日と休憩する休日の切り替えが大分うまくなった(と思う)。

Vakarai学校 その後

2010年01月22日 | 学校建設
完成したらそれで終わりという事業も多いが、このVakaraiの学校は規模が大きかっただけに、その後のフォローアップも行う。

学校の光熱費の予算がひと月あたり1,000ルピー(約800円)しかないので、電気代だけですでに約15,000円の未納。電力公社に「これ以上滞納すると近々電気を止めますよ」と警告を受ける始末。

話し合いの結果、1,000ルピーという予算も少ないが(私の家で月あたり1,500ルピーぐらい。魚を飼うようになって、電気代が約3割増しになった)、授業以外の目的(地域の集会、講堂での兵士たちのバドミントン、教員宿舎での生活)に使われた電気代が徴収されていないので、そうした活動から収入源を得ることを提案。また、夕方に地元民にコンピューター教室を催し、会費を徴収する等々のアイデアを得た。

国立学校になるという話は?と、教育省の学校施設部長にたずねると、「あー、そんな話もあったね」と他人事なので、現場の状況を詳しく説明すると、「じゃあ来月その学校に行って解決策を考えよう」とのこと。返事だけはいいのだ。有言実行となるか、しばし様子をみることにする。あまり手取り足取りやっては、彼らの将来のためにならんからね。

ハイチ大地震 (2)

2010年01月21日 | Weblog

NHKニュース ハイチ テントが大幅に不足

ハイチ全体で約20万世帯、100万人がテントをすぐに必要と推定された。100万人っていうたら、大阪の吹田市・豊中市・箕面市・池田市をあわせた全人口よりも多い。ものすごい多い。ポルトープランス市内だけでも、自然発生した避難場所が約300ヶ所に散らばっていて、援助の手が届きにくい。

と、現状把握をしながら、C元大ボスとメールのやり取りで、現地用の仮設住宅プランの準備を始めた。

災害復興時に仮設住宅を供給すべきかどうか

2010年01月20日 | Weblog
以前書いた脱仮設住宅;災害復興時に仮設住宅を供給すべきかどうか

ハイチでは、どのような決断が下されるだろうか。復興というよりも元から乏しいインフラを、この際に国大改造で整備してしまうという手もあるだろう。もちろん、世界各国から寄せられる(た)金額にもよるのだが。

(数年前に比べて自分の日本語能力が格段と衰えたことに、ふと気がついた。。。)

ハイチ大地震

2010年01月19日 | Weblog
ハイチ大地震の地震被害は、未曾有の規模に拡大している。日本でも多く報道されているだろうが、元々問題が山積みであった国に大災害が起こっては、どこから手をつけたらいいのかわからないだろう。ハイチにはうちの機関の事務所が8つあり、必然的に緊急支援に応じることとなった。

昔の大ボスC(カナダ人)がこれまでの経験を買われ、現在の赴任先パナマ事務所からハイチに入って、国際機関内のコーディネーション役をすることになった。スリランカ事務所にもその連絡があって、「援助関係者の住むところもないから、余ってるテント持ってこい」との指示に、スリランカから派遣されるうちの同僚G君が荷造りをはじめた。

現場は避難所の確保や救援物資の配給が中心で、技術職員の出番はもう少し現場が落ち着いてからになるだろう。


~大ボスCとの思い出~
達成感
やっぱり英語力
Don't Leave me

自分を信じて

2010年01月17日 | Weblog
先週書いたBritain's Got Talentという番組から、以前のシーズンで優勝したPaul Potts氏のオーディション風景;

Paul Potts; Nes­sun Dor­ma (Turandot)

舞台裏では自信なさげだったPaul氏が、プッチーニの歌劇『トゥーランドット』より”誰も寝てはならぬ”の序奏が始まると別人のようになった。彼の度胸、声のよさ、それを裏付けるこれまで続けてきた練習に敬服する。

彼がなぜ歌手としてこれまでプロの世界で認められなかったのだろう。

演奏家として認めてもらうには、その筋の専門家や評論家などの目に留まる必要がある。そうした機会は非常に少なく、そこでひるんでしまうと、チャンスは他の演奏者に逃げてしまう。実力があってもそのチャンスを逃したり、機会を得ても実力を発揮できなかったり、両者がうまくかみ合うことはまれだ。まして、チャンスを待ち続けること、すなわち諦めないことは自分との闘いであり、それを可能とするためには、技術だけでなく経済的にも精神的にも裏づけがなければならない。

一時は歌い続けることを諦めかけた彼の努力と才能が、この番組を通して花開いたことはとても素晴らしい。そして自分も見習って、もう少し自信をもってみようと思うようになった。