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in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

Q&Aコーナー

2005年07月23日 | Weblog
Q:スリランカの人口や面積は?
A:人口 約1,930万人(2003年)
  面積 65,607km2(北海道の約0.8倍)
外務省 スリランカ情勢より  

Q:ブログのタイトル「光輝く島にて」の由来は?
A:Sriは、シンハラ語で「光輝く」という意味です。Lankaは「島」で、つまり、in Sri Lankaを訳しました。

Q:いつ書いているの?
A:ネットが職場でしか使えないので、夜に家で書いたものを翌日の空き時間にアップしています。最近は滞ってますが。。。

Q:ブログを始めた理由は?
A:1)お世話になっている方々への近況報告として
    (生存確認場所も兼ねています)
  2)自分の記録として
  3)日本国民の善意により、助かっている被災者がたくさんいることを知ってもらう手段として(日本政府はスマトラ沖地震の被災諸国に、巨額(うちの機関にだけでも、約26億円)の支援金を拠出しています)
    
Q:ブログに書いている内容はすべて事実か?
A:大方、Yesです。100%と言い切れないのは、私という媒体を通していることと、日本語に訳す過程での見落としが多分にあり得ること、が理由です。


どこにいても。 Singapore → Osaka

2005年07月15日 | Singapore
朝の8時にチェックインした後、少し休むつもりが昼過ぎまで本格的に寝てしまう。

まず、昨日連絡の取れなかったAmparaのM氏に部屋から電話連絡し、M先生対応デザインの進み具合を確認し、Cチーフにメールする。MataraのL君からの質問に答えていなかったので、電話で遅くなったことを謝り、詳細はメールするからと伝える。

メールを書きながら、お気に入りのラジオ局KKJZをネット経由で聞く。
http://www.kkjz.org
これは、以前住んでいたアパート近くの大学キャンパスにある放送局で、通勤の車内で毎日よく聞いていた。渋い選曲が多い。地元を離れても、ネット経由で聞けるとわかった時は、とても嬉しかった。

Singaporeに居ても、どこに居ても電話やメールがあれば、ほとんどのことができてしまう。と感心しているうちに、空港へ向かう時間となり、Singaporeの自由時間が終了。「Raffles Hotelでシンガポール・スリングを飲んでみよう」という観光計画も実行されず。ホテルの隣のショッピングモールで中古CDを買っただけ・・・。まあ、久しぶりにゆっくりできたので、よしとしよう。

16日午前1時10分発の大阪行きに乗る。

ワラにもスガル思い。 Colombo → Singapore

2005年07月14日 | Weblog
今日(正確には15日)の深夜便で帰国するため、R親方がお土産にと、紅茶を持ってきてくれた。現場の職員や業者からも、「無事に帰って来いよ」と電話がかかってくる。関係者以外には特に伝えていなかったので、どこで情報を得たのか不思議である。

5/16にも書いたが、254戸を建てた現場では、排水溝に汚水が溜まり、異臭を放し続けている(写真)。雨水用なのだが、被災者らが生ゴミをそこに捨てているため、腐敗して虫もわいている。担当者であった技術職員RとS上司が「何とかする」といったまま、数ヶ月たってしまった。

ほんまにいい加減な奴らだ。と、批判しても始まらないので、対応策を考える。まず、UNICEFに連絡してみるが、「それは大変ですね。お話をお聞きした感じ、いくつかの対応策が考えられます。また何かございましたらご連絡ください。」とつれない返事。

こうした下水技術は、スリランカ国内でもまだまだこれからの分野で、しかも仮設となると大したお金はかけられない。そこで、JICAに連絡をしてみると、日本の自治体で下水担当してこられ、現在スリランカに派遣されているY氏を紹介して頂く。わらにもすがる思いでお願いしてみると、「まずは、現場を見ましょう。案内してもらえますか」と、好意的なご返事を頂く。善は急げと、帰国当日でバタバタしていたが、現場を見てもらう。

「これは大変ですね。私も下水施設の大切さを唱え続けているのですが、この国ではなかなか受け入れてもらえない。よろしければ、一緒に改善していきましょう」と言っていただく。解決への糸口が見えてきた。帰り道、話をしているとCチーフのテニス仲間であることが判明した。

事務所に戻って、帰国前に片付けておくべき書類を整理するが、9時になっても終わらない。帰国をキャンセルすることも頭によぎるが、今回は本当に帰りたい。仕方がないので、途中の状態で、机上に書類とデータを並べ、それぞれに付箋でメモをつけた状態で、事務所を去る。

家に戻って、10分で荷造りして家を出る。空港行きの車に乗り、やっとホッとする。空港で、オーストラリアに休暇で帰る他機関のB君にばったり出会い、シンガポールまで一緒に帰る。関空への乗り継ぎ便まで、20時間ほどあったので、航空会社が用意してくれたホテルで眠りにつく。

Assistant探し

2005年07月13日 | Weblog
朝から、大ボスとのメールのやりとりに時間を割く。自分を偽って「わかりました、それでいいです」と言ってしまえば表向きは解決するのだが、こちらの決断は専門知識に基づくもの。ましてや、被災者のことを考えると絶対に譲れない。それにしても、こうした個人攻撃のやり方には閉口する。P師匠がこの職場去った理由がやっとわかった。

Negomboの工事の入札が終わり、受注業者が決まった。数々の業者による露骨な接待の誘いからやっと開放される(もちろんすべて断っている)。受注業者はKalutaraの現場を担当していた業者なので、勝手がわかっていてやりやすい。代替地がないため、避難所のテントをめくっては仮設住宅を建て、めくっては建てるということになる。50戸程度のプロジェクトだが、1ヶ月以上かかるであろう。

1ヶ月以上前から、建築のことがわかる職員を雇ってほしいと依頼していた。今日になって、CチーフがやっとOKしてくれた。以前、新聞の求人欄を使って募集した志願者の履歴書をもとに、電話連絡してみる。短期間、薄給、急募の悪条件に相手の反応はいまひとつだが、電話面接をクリアした2人を確保した。私が帰国中の間に、Cチーフに面接をしてもらう段取りをした。これで、少しは楽になるだろう。

Amparaの職員M氏から、M先生の部下M氏が勝手にうちのデザインを変更して、建設し始めたと報告を受ける。7/10にそんな気配はしていたが、まさか独断で作業するとは。。。先が思いやられる。

Political Capital

2005年07月12日 | Weblog
技術職員Rの契約更新を認めない件(7/6、7/7参照)で、S上司が私の不在中(Ampara出張中)に出た行動は、R親方やSさんの担当現場に突然出向き、「工事に一ヶ月以上もかかっている(実は、土地の交渉で中断していた)」、「トイレのドアが壊れている(実は、住民が壊した)」、「電気工事の仕上げが悪い(実は、再工事連絡済み)」、「雨漏りがしている(実は、一件のみ)」といった報告書を仕上げ、大ボスに提出するというもの。

”Rだけを辞めさせるのはおかしい”という論理の展開を望んでいるようだが、やり方が嫌らしすぎる。S上司は技術系でもなんでもないし、これらのことは、すでにR親方やSさんと話し合っていたので(7/4参照)、特に大騒ぎする必要もないと軽視していたが、大ボスがS上司の報告書を鵜呑みにし、R親方やSさんを呼び出し叱りとばしたらしい。彼らを守るためにもすぐに抗議したいところだが、準備せずに行ったら私の英語力では、しどろもどろになるだけなので、その報告書に目を通してから対策を練ることにする。

報告書の内容について事実確認をするために、昼から現場に出る。その前に、私が昼飯を取っていないことに気づいた守衛さんが、運転手から聞きつけたのか、「今日も昼から出るのなら、昼飯を買ってくるから食べたほうがいい」と席まで持って来てくれた。頭がカーっとなっていたが、その優しさに我に返る。

19時すぎに戻ってきて、一部始終をCチーフに相談する。「S(S上司はCチーフの部下)が騒いでいるのは些細なことだから、そんなことに気を取られず、やるべきことに力を注ぎなさい。R親方もSさんもたくましいから心配する必要はない。大ボスが彼らに対してこれ以上口を出すようなら、私から言うようにする」と、よく部下たちを見ているなあと感じた。その後、事務所内の人事関係や政治力について、この環境における私の振舞い方について、助言を受けた(詳細は書けません)。

席に戻って、大ボスから指示された内容について、メールで返答する。言いたいことを書きつつ、相手の気を損ねないように書こうと思うと、何かと時間がかかる。今日も遅くなってしまった。

You’ve got a friend

2005年07月11日 | Weblog
朝から、不在中の出来事の対応処理に追われる。大学時代の親友N君から、風であおられる屋根の改善策(写真)についてメールが届いていた。言葉で表現できないほど、嬉しかった。

Amparaから持って帰ってきたCement BoardをCチーフに手渡したとたん、彼は床に投げつけて怒りをあらわにする。彼の言葉を「あの業者め、ばかにしやがって」とでも訳したらいいのだろうか。一緒になって騒ぎ立てても仕方がないので、「対応策を考えましょう」と話しかけてみるが、逆ギレされそうな雰囲気なので、ほとぼりが冷めるまで席を離れる。既に届いた9,000枚(約900戸分)のBoardの行方はどうなるのだろうか。

Boardの一部を半日、水に浸して実験してみると、懸念していた表面がはがれたりするようなことはなく、雨天時にも対応できそうであった。それをCチーフに報告すると、生き返ったような顔をして喜んでいた。

15日からの一時帰国の航空券を代理店の人が職場に持ってきてくれた。航空券を手にしたとたん、あと数日は頑張れそうな気力がわいてきた。これまで、旅行にしても仕事にしても、帰国する時は、なぜか残念な気分になっていたのに、今回は違う。それだけ現状が厳しいということなのか。。。

感電事故で体調を崩していたS君は、今日から職場復帰した。

攻防戦 Ampara → Colombo

2005年07月10日 | Weblog
今日からようやく外壁用のCement Boardの取り付けが始まる。4’x 8’のCement Boardをどのようにはるか、補強財をどの位置につけるか、どの程度の釘を使うか等々、デザインの攻防戦がはじまる。

私(Cチーフの分身):安全で一番早く完成するデザインで
M氏(Ampara勤務):一番住民が気に入るデザインで
M氏(M先生の部下):木材を隠し、すっきりしたデザインで

半日かけて、時間切れになる。

昼食後にM氏、F氏と共にColomboに向かう。約8時間の車での移動であった。22時過ぎの帰宅、さすがに疲れた。

開けてびっくり in Ampara

2005年07月09日 | Weblog
午前中は、Cement Boardの到着待ちで、待っている間に建築家M先生の部下であるインド人のM氏と話をする。M先生はインド建築界の大御所らしく、M氏がM先生を崇拝しているようすがよくわかった。言葉遣いや振る舞いはとても丁寧なものの、意見を譲らないところが会話の節々に垣間見え、これから先の共同作業が思いやられそう。M氏は、災害復興時の建築的対応について、論文を書いているらしく、今回の仕事もケーススタディとして取り込むらしい。

午後になって、Cement Boardが入ったコンテナ5個分がようやく届き、倉庫に搬入する(写真)。ところがサンプルと違って、軟らかい。錐などを使わずに、直接の釘うちも可能で、施工性は高いが、外壁に適しているか疑問が残る。板というよりも厚紙に近く、特に雨天時の不安が残る。類推しても仕方がないので、明朝より作業に入ることにする。

夜は、ちょっと無理を言って、Arugam Bayの宿に泊まる。波の音を聞きながらの夕食に、Colombo事務所でのストレスが消えていくのを感じる。

嘆願書/Petition in Ampara

2005年07月08日 | Weblog
今回の出張の目的は、M先生が外壁に取り入れようとしているCement Boardの施工方法について、試作することである。硬いため、釘で直接打ち付ける前に、錐で穴を開けるなどの工程が必要となる。

昨日中にCement Board がAmparaに届くという情報を元に、急いでやってきたのだが、今日の朝一で「すまんが、まだColomboの税関を通過していない」とCチーフから連絡が入る。前向きに考えて、Boardが来るまで、他の現場を回ることにする。

Ampara事務所の相変わらず大きな担当地区範囲に驚く。一番北側の現場から南側の現場まで、移動だけで車で2時間以上かかる。これまでに、Ampara事務所だけで、千戸近くの仮設住宅を完成させており、さらに千近く作る予定である。移動途中に、技術職員M氏の家で昼食のカレーをごちそうになる。東側は、西側に比べてそんなに辛くないのが嬉しい。

『(M先生が屋根材としてに取り入れようとしている)Anton sheltaに反対!』と被災者からの嘆願書が届く。これまで使ってきたGIシートに比べて、Anton shelta(写真参照)は熱の吸収率が高く、夜でも熱を放射し続けるために暑いらしい。また、資材の寿命も短く、評判が悪い。しかしながら、もう500戸分の資材を購入しているため、後には引けない。Cチーフに電話したところ、「こちらで対応するが、被災者にAnton sheltaを好きになってもらうように、現場でも、できる限り工夫するように」との指示を得る。好きになるようにって?、営業マン口調で売り込めってことか。

夜はアメリカのM会社に勤務するA君、うちの職員であるオランダ人のF氏と夕食を取りながら、ゆっくり世間話をする。出張中は、仕事に追い立てられないのがよい。