in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

お宅訪問

2006年04月30日 | Weblog
5月1日はメーデーということで、3連休の週末となった。どこか遠出したい気分だったが、セキュリティの関係で延期するようにと上から忠告される。仕方ないなあと思っていると、スリランカ人の友人Kに家に遊びに来ないかと誘われた。

職場からバスで45分ほどの場所にある彼の家(正確には彼の叔父さんの家)は、Kelaniyaという比較的のどかな地域にあった。水午がのっそりと道を歩いていて、庭では犬が鶏を追いかけている光景を見ていると、同じ国内で戦渦が起こり始めているのが嘘のようであった。

彼は叔父さん宅に下宿しているとのことで、叔父さん夫婦やその兄弟らに歓迎されて、のんびりした時間を過ごすことができた。外国人を家に招いたのは、初めてだそうで自分も光栄であった。夜間の移動は危ないからということで、なりゆきで泊まらせて頂くことになり、一緒に雑魚寝することになった。

井戸の水で行水をした後、蚊帳にもぐって、窓の外の星空や蛍を見上げながら、仕事のことや将来について話した。翌日は、Kelaniyaで有名な寺院に立ち寄る。その昔、お釈迦様が訪れ、すぐ横の川で沐浴をされたといわれのある寺院らしい(実際の出来事ではないそうだが)。建物の美しさと室内の壁画に心を動かされる。カメラを忘れたことが悔やまれる。熱心な信者がたくさん居られる境内で、一緒にお参りをする。思いがけず、いい休日となった。


ジム会員になる。

2006年04月29日 | Weblog
治安の不安定さから、現場での仕事の数が減る傾向にある。その影響で、以前より早めに帰宅できる日が増えてきた。そこで、気分転換のためにも、何か新しいことを始めようと考える。

職場の人と話した結果、ジム通いをすることに決定。
どこのジムがいいか情報を集めていると、R姉御が一言。

「私が持ってる会員権、あげるわよ」

ということで、即決で、その権利を譲り受けることになった。ジムは落ち着いた文教地区にあり、昔のお屋敷を改造したつくりになっている。10ほどの部屋の各室にマシーンが4、5台置いてある。さらに、自分の家から徒歩2分という立地条件で、文句のつけようがない。

R姉御との交渉では、私が代金を支払うかわりに、以下の2点を提供することになった。
1)飲みに行ったときにおごること
2)ジム通いがどんなに良いかを定期的に報告すること
  (それを聞いて、彼女もエクセサイズをした気分になるらしい、笑)

それにしても、太っ腹な彼女だ。
幽霊会員にならないよう、しばらく頑張ってみる。

大丈夫だろうか

2006年04月27日 | Weblog
このところの一連の写真は、昨年10月にTrincomaleeのMutur事務所で出会った近所の子供たち。多分、姉弟なんだろうなと思った。外国人を前に、きらきらした瞳と好奇心いっぱいの表情がとても印象に残っている。彼らは大丈夫だろか。

自爆テロ

2006年04月26日 | Weblog
下記の大使館からメールで送られてきた安全情報にあるように、昨日Colombo市内で陸軍幹部を狙った自爆テロがあった。

その夕方、北東部のTrincomalee事務所の職員から「Colomboの事件を受けて、政府軍がLTTE統治地区を数ヶ所空爆した。あ、今、また爆音が聞こえた」と電話がかかってきた。返す言葉が見つからない。

実のところ、先月から治安が徐々に悪化しており、北部Jaffna、北東部TrincomaleeやBatticaloaなどでは、襲撃事件が頻繁に起こるようになっていた。今月半ばにGenevaで予定されていた2回目の講和会議も、LTTEの一方的な申し出により延期となり、その目処はたっていない。

これら受けて市内は騒然としているが、今のところ市民に被害が出る事態にまではなっていない。軍の関連施設に面する主要道路は閉鎖され、人々は遠回りを余儀なくされている。自分の通勤路も少し回り道をすることになった。

うちの事務所は、Colomboなど西部、南部の事務所は仕事を続けている。数年前までの内戦状態に戻らないことを願うばかりだ。



大使館からのお知らせ (原文転載)

2006年04月25日 | Weblog

《大使館からのお知らせ》

本日(25日)、午後1時35分頃、コロンボ市内のタージサムドラホテル裏にある陸軍病院敷地内において、LTTE要員とみられる自爆テロ要員による爆弾爆破事件が発生しました。死者及び負傷者が出ております。詳細は、後刻ご連絡しますが、事件に巻き込まれないよう以下の点にご注意下さい。

○不要・不急及び夜間の外出は控える。
○政府施設等にはなるべく近づかない。

平成18年4月25日
大使館(領事班・警備班)

ジュネーブ行きの栄冠は!?

2006年04月24日 | Weblog
来月始めにある本部での功労賞授与式への参加者(4/17参照)は、スリランカ人のお局様Sさんに決まった。C大ボスが、候補者2名を本部に推薦したところ、Sさんに白羽の矢が当たったらしい。

それにしても、背後で大きな組織票が動いたとのこと(苦笑)。自分は全然気がつかなかったが、恐るべし人海戦術である。個人的には、Matara現場事務所でお世話になったP所長に行ってもらいたかったなあ。

自分の目指すところ

2006年04月23日 | Weblog
このまま、この職場で任務を続けていくことに疑問を感じ始めてから、将来何がしたいのか考えてみた。ちょうど1年前に数週間暮らしていたホテルのプールサイドに快晴の空を見ながら寝そべってみる。

いつも何となくは考えているが、「何とかせなあかんなあ」ぐらいで、いつも結論は後送り。望んでみたところで、叶わなかった時の失望感を味わいたくないと守りに入ってしまう。また、どの選択肢を選んだところで、任期に振り回されるのは同じ。まあ何とかなるんだろうけど、精神衛生上よくない。

これまで、いくつかの仕事に携わってきた。根底にあるものは「人々の住環境を改善したい」ということだと、このあいだ就職活動用に経歴書を書いていて改めて気がつく。英語の添削を頼んだ米国の親友にも、「お前の言わんとすることはことは、こういうことやろ?」と別人のような経歴書にできあがった。

この地に赴任して、紛争の被害者への住宅支援にまで、自分が関われるとは思っても見なかったが、振り返ってみると、始めからそうなるように、この国にやってきたのかもしれない。インドネシアじゃなくて、スリランカだったから、トップに近い立場で仕事ができたのだと思う。今思えばよい経験になった。

多分、Cボスの推薦を受けて、どこかに転属するんだろう。

30分

2006年04月18日 | Weblog
14日より、時間が30分遅くなった。夏時間とかではなくて、インドの標準時と合わせたらしい。30分、時間が変わるのはまあ良しとしても、国民も本当に変わるのかどうか、数日前までわからなかったようだ。

現地職員に「なんか、もうすぐ時間が30分変わるらしいやん?」と聞いても、「さあ、そう言われてるけど、どうやろう。」とはっきりしない返事。まあ、仕事の用件でも、そんな感じなので驚きはしなかったけど、時間がかわることで多少なりとも混乱しないのかと感じていた。

結局、何事もなかったのように時間が変わって、平常どおり町は動いている。30分ぐらいの時間差はもともとどうってことないのかもしれない。

授与式

2006年04月17日 | Weblog
自分が所属する組織は、実は世界各地に約280の現場事務所がある大規模な組織である。今日知ったのだが、毎年、顕著な活動をした職員や事務所に、本部事務局長より功労賞が送られる。そして、2005年の功労者・事務所として、スリランカ事務所も選ばれた。

来月に本部(スイスのジュネーブ)にて授与式があり、300人近くいるスリランカ事務所の職員の中からも2名が公費で出席できることとなった。C大ボスが「投票で選ぶ」と決断したため、事務所内は「誰が行けるか」の話題で持ちきりである。

多くの現地職員が一生に一度海外に行けるかどうかの機会なので、興奮して当然なわけである。誰が選ばれるのだろうか。

早1年

2006年04月12日 | Weblog
早いものでこちらに来てから、1年が経つ。緊急支援だったので、数ヶ月で帰るつもりが、なんやかんやとズルズルと…。

来た当初は食べ物が合わなくて(とにかく辛い)、よく腹をこわしていたのが、今では嘘のよう。ここでの生活は戸惑うことが多いけど、自分が学ぶことがあるうちは、居ってもええんかなと感じている。

こないだ人に教えてもらったことだが、こうした海外での支援にかかわっている日本人は現時点で世界に約3万人にいるらしい。そう聞くと、自分のような経験をしている人がたくさんいて、自分も置かれた境遇に負けたらあかんなあと思う。