日本じゃなくてハイチの話。3人目の候補者でせっかく決まったコニーユ(Conille)首相が就任4ヶ月で辞任表明。震災復興の方針で大統領や議会と対立したとかメディアには書かれているけど、政治経験のない大統領と国を統括していくにはかなりの忍耐と技量が問われたのではないかと想像する。
いずれにせよ、これでまた復興が遅れていく。。。。
『もだえ続けるハイチ』(時事通信)
いずれにせよ、これでまた復興が遅れていく。。。。
『もだえ続けるハイチ』(時事通信)
お世話になった記者さんから記事の現物が送られてきた(写真)。これらを含めて20紙以上に掲載されたらしい。
デーリー東北(青森)、 2011年11月23日掲載
中国新聞(広島)、 2011年11月24日(夕刊)
山陽新聞(岡山)、 2011年11月28日(夕刊)
西日本新聞(福岡)、2011年11月30日(夕刊)
新潟日報、 2011年12月03日(夕刊)
河北新報、 2011年12月03日(夕刊)
山口新聞、 2011年12月06日
愛媛新聞、 2011年12月14日
日本海新聞(鳥取)、2011年12月16日
高知新聞、 2011年12月21日
中部経済新聞、 2011年12月29日
京都新聞、 2012年01月11日(夕刊)
Websiteにも掲載された。期間限定でリンクしときます。まさか、シリーズものだったとは。
http://www.47news.jp/47topics/e/171203.php
デーリー東北(青森)、 2011年11月23日掲載
中国新聞(広島)、 2011年11月24日(夕刊)
山陽新聞(岡山)、 2011年11月28日(夕刊)
西日本新聞(福岡)、2011年11月30日(夕刊)
新潟日報、 2011年12月03日(夕刊)
河北新報、 2011年12月03日(夕刊)
山口新聞、 2011年12月06日
愛媛新聞、 2011年12月14日
日本海新聞(鳥取)、2011年12月16日
高知新聞、 2011年12月21日
中部経済新聞、 2011年12月29日
京都新聞、 2012年01月11日(夕刊)
Websiteにも掲載された。期間限定でリンクしときます。まさか、シリーズものだったとは。
http://www.47news.jp/47topics/e/171203.php
もうカーニバルの話はしないと言っていたが、Jacmelというカーニバルで有名な町に出張したついでに、マラカスを入手してきた(写真)。しばらく事務所に置いといて、後で今年度(3月末)に定年退職されるYさんへのお土産とする。
2週間後に迫ったカナバル(カーニバルの仏語読み)に向けて、先月末からハイチ国民は浮き足立っている。仕事中にもその話をしているので、「ちょっとそわそわしすぎちゃうん?」と言うと、「そうかなあ」とその場で踊りだすハイチ人職員。彼らの前でカナバルの話題を持ち出さないことにする。
震災2周年を過ぎた日から、毎週末の夕方は公道のあちこちで楽器や旗を持った人々が行進していたり、音響機材を載せたトラック(山車)がのろのろと動いていたりして、いたるところで渋滞を起こしている。今日は自宅に帰る途中、幅5メートル長さ10メートルほどの山車が坂を上ってきた(写真)。たいがいのことでは驚かないと思っていたが、これには驚いた。
震災2周年を過ぎた日から、毎週末の夕方は公道のあちこちで楽器や旗を持った人々が行進していたり、音響機材を載せたトラック(山車)がのろのろと動いていたりして、いたるところで渋滞を起こしている。今日は自宅に帰る途中、幅5メートル長さ10メートルほどの山車が坂を上ってきた(写真)。たいがいのことでは驚かないと思っていたが、これには驚いた。
普段の週末の夜に出かけることは、めっきり減っていたのだけれど、友人に誘われたのと、家に居ても気が塞ぎがちになるので、土曜夜にバンド演奏を聞かせるレストランに出向く。いつ始まるともわからないバンドの支度をのんびり待ちながらのラム・サワー。酔いが適度に回ったところで、演奏開始。思った以上に演奏が洗練されていて、聞かせてくれる。数少ない英語の演目の中で"Stand by me"が、すっと心に入ってきた。
今週は一緒に1年以上働いてた同僚・友人らが、南スーダン、キルギスタン、ローマへとそれぞれ旅立った。さらに一人はPort au PrinceからLeoganeの地方事務所に異動になった。2週間前には1人がスリランカへ戻っているので、あんだけ賑やかだったShelter Unitの事務所ががらんとしている。
辛い時も楽しい時も、この異国の地で家族のように出来事を共有してきたので、そんな彼らが居なくなったとことに心積もりをしていたとはいえ寂しい。彼らが日本人やったら、いつか日本で会おうって言えるのだけど、もう二度と会えないかもしれないと思うと、寂しさがさらに強まる。あー、こう言っとけば良かったと思っても、もう遅い。これからもメールやカメラ電話でもちろん連絡できるのだけど、直接のニュアンスは伝えられない。たとえば、今日の夕焼けがどんなやったかとか。
辛い時も楽しい時も、この異国の地で家族のように出来事を共有してきたので、そんな彼らが居なくなったとことに心積もりをしていたとはいえ寂しい。彼らが日本人やったら、いつか日本で会おうって言えるのだけど、もう二度と会えないかもしれないと思うと、寂しさがさらに強まる。あー、こう言っとけば良かったと思っても、もう遅い。これからもメールやカメラ電話でもちろん連絡できるのだけど、直接のニュアンスは伝えられない。たとえば、今日の夕焼けがどんなやったかとか。