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in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

援助機関まで襲うハイチの絶望(雑誌記事)

2010年10月29日 | Haiti
(ハイチの)国外に居た方が、国内のことがよくわかる(別の見方ができる)こともあるのだなと、ニューズウィーク日本版の記事をみて納得。

『援助機関まで襲うハイチの絶望』

もっとニュースを読む習慣をつけないと。。。

Out of Haiti

2010年10月24日 | Panama
休暇をもらって国外に出ました。

さてこの街はどこでしょう?


追伸:ハイチで蔓延しつつあるコレラの発生と、私の出国とは全く関係ありません。ハイチの衛生環境が整っていない感染症の発生は、起こるべくして起こったともいえ、今回の惨事が一時的な騒動で終わらずに、継続的な環境改善をめざしてほしいです。

Corail Murder(6) 弔辞/memorial address

2010年10月16日 | Haiti
Dの葬式が約2週間後の今日(10月16日)行われた。姉弟の多いDには、パリやマイアミに住む親戚がいて、彼らの一時帰国を待って式が行われた。朝、ポルトー・プランスにある教会で賛美歌とともに式が行われ、うちの機関代表を含む50名ほどが出席した。

式の後、Dの遺体を埋葬するレオガン地区に車で移動した。埋葬する前に、最後の対面(ふさわしい日本語が思いつかない)が行われた(写真)。事件翌日の悲惨なDの表情とはうって変わり、白いスーツに身を包まれて安らかな表情で眠るDを見て、安堵した。

家族に求められて、弔辞を述べる。フランス語かクレオール語でできればよかったのだが、その場まで準備することさえも思いつかず、ハイチ人スタッフに英語から訳してもらう。Dの仕事振り、人柄、同僚らの悲しみ、Dが遺された家族をどこからか守っていること、などを言葉にした。

帰り際、レオガンにある出先事務所でポルトー・プランスからやってきた25名のスタッフと一緒に昼食をとり、誰が来月の大統領選挙に勝つかなど、わいわい言いながら帰ってきた。

不満の矛先

2010年10月15日 | Haiti
数々の国連機関やうちの事務所が入る敷地のゲート前で、抗議デモが行われた。何台かの車両がスプレーで落書きされた(写真)。 ”国連失せろ、出て行けNGO”とでも訳せるだろうか。本当はもっと汚い言葉らしい。

第三者が『復興支援にたずさわる外国人職員がハイチの復興のためのお金を盗んでいる』と、被災者をあおり彼らの不満の矛先を我々に向わせている。

ハイチの一般人には手の届かない高価な(安全な)車両を乗り回し、高価な(衛生的な)レストランで食事をする行為が、復興のお金を盗んでいると短絡的な発想を駆り立てているらしい。復興支援にたずさわる職員が、支援されるお金がきちんと使われているか監視していることは理解されていない。

復興支援金を効果的に使わない政府を批判せずに、国際機関職員を矛先にするのは、他国でも見られる現象だが、目の当たりにするとガックリする。来月末の大統領選挙に絡んで、きな臭い事件が増えてきた。

学校始まる

2010年10月14日 | Weblog
長い夏休みが終わり、10月4日からハイチの学校が始まる予定だった。が、最初の1週間はいろいろ準備があるようで、あまり子供らを見かけなかった。

今週に入り、制服姿の子供たちを登下校中によく見かけるようになると、この国も少しは機能しだしたのかなと前向きに思える。カメラを向けると、恥ずかしくて目も向けられず、なかったこととして通り過ぎる子供らと、カメラに向かってポーズを撮ってくれる子供ら(写真)と、どちらも愛らしい。

Never satisfied

2010年10月13日 | Haiti
竣工後に訪れた仮設住宅地で、被災者たちに囲まれる(写真)。

屋根と壁の隙間から雨が入る、戸の締りが悪い、窓の留め金がもろい、等々の注文というか不満の嵐。まずは、キャンプに住んでいる人への仮設住宅建設を優先することを理解してもらって、その場を引き上げる。

一般論を述べるには時期が早いだろうが、支援してもらって当たり前、納得するまで何度も不満を表わすハイチ人のこうした姿勢は、どこから来たのだろうか。政府や地主らが何もしないから、自分たちのことは自分たちで勝ち取るという気質なのだろうか。

Corail Murder(5) 脅迫

2010年10月12日 | Haiti
Dの奥さんと(通訳を交えて)、今後のこと、お葬式のこと、こちらができること、などを話す。8歳の息子と11歳の娘が、父親(Dのこと)が買ってくるはずのホットドッグを今も待っていると聞くと、胸がしめつけられる。

警察の調査や現場検証がほとんど進んでいない中、Dの奥さんの携帯電話に「次はお前だ」と非通知で電話が度々かかってくるらしい。Security担当者と相談した結果、犯人が遺族にことを荒立たせないようにしているのだろうという推測をする。Dが事件直前に乗っていたバスの乗客は運転手さえも、誰も目撃者として発言しようとしない。復讐を恐れているのか。

Corail Murder(4) Psychosocial Group Session

2010年10月08日 | Haiti
うちの事務所にはPsychosocial Unitがあり、被災者の避難所を毎日回っている。今回の事故を受けて、Shelter Unit関係者(約25名)もグループ・カウンセリングを受けた方がよいとの助言を受け、半日をその活動にあてる。

すぐに討論や悩み相談みたいになるのかと予想していたら、心理学者スタッフの簡単な説明の後、体をほぐすためにストレッチと深呼吸をする。驚いたことに、自分の体がものすごい硬くなっていたこと、浅くしか息をしていなかったことに気がつく。

各10名ほどの 小グループに分かれて、今回の事件についてどう思うか、体調の変化は、などの意見や情報を共有をする。セッションの担当者らが、「悩みを共有することで、重い気持ちは和らいできます」と言うので、つい「そんな教科書的な言葉は慰めにならない」と声を荒げると、「ここでは、どんな発言や言動を取っても、あなたは守られています。思うことがあれば、もっと出してください」と、相手の方が上手だった。言って、ちょっとスッキリした。

その後、亡くなったDに関する絵を各自が描くことになった。参加者の一人として自分も描くことになったが、考えれば考えるほど苦しすぎて何一つ描けない。結局、暖色系の色を全部使って与えられた白紙を塗りつぶした。心理学者に説明を求められて、その場しのぎに夕焼けと応えた。

回りを見渡すと、Dの似顔絵を書く者、工事現場の様子を描く者、想像したした天国を描く者と人それぞれだった。DのCorail現場の同僚ら4名は、やはり辛そうで、紙に向えない者にはPsychosocialスタッフが個別に話をしていた。

各自で描いた後は、各グループで絵をかいた。その成果を各グループ代表が発表し、ときどきツッコミや笑いが入る和らいだ時間が過ぎた。最後にまとめがあって、無事終了した(写真)。うちのスタッフら(自分も含め)は、辛いことがあってもいつかは乗り越えていかなければならないこと、周囲には支えてくれる仲間がいることを認識できたとのではないかと思う。

Corail Murder(3) 現場再起動

2010年10月07日 | Haiti
事務所で悶々としているよりも現場に戻りたい、というスタッフらに後押しされて、Corailの工事現場の監理を再開する。上と相談の結果、しばらくは外国人職員が付き添うことにする。

650戸の仮設住宅をつくるために、業者が雇った労働者は200名近く。その他に資材納入業者が出入りし、トイレや水回りを担当するNGOとその業者など、現場には多くの人々が働いており、彼らを目当てに簡素な店も発生している。

今日自分が付き添った。現場に戻ったうちのスタッフを見ていると、こうした現場の顔見知りと挨拶や冗談を言い合ったり、いい争いをしたりと、事件以前の生活を取り戻すことが、悲しみを一時期でも忘れることのできる方法なのだなあと気がついた。

道中で買った昼食(写真)は、約2米ドル。味は炊き込みご飯とピラフの中間のようで、なかなかいける。この値段でも生活のために昼食を抜くスタッフがいる。近所の子供たちが食べ残しをもらいに来て、一緒に食事をしていたスタッフの真似をして、3分の1ほどをあげた。