in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

またいつか

2007年06月29日 | Weblog
2007年の上半期が終わり、外国人スタッフがまた二人職場から去った。一人は、自分の赴任先より前に来ていた広報担当のM嬢で、ずっとこれまで一緒に職場の中心となってやってきていた。その彼女がここを去ることは、赴任当時の思い出話や自分の残りの赴任期間を含めて、いろいろ考えさせられた。彼女は、しばらくは休職して、故郷のデンマークで休暇を楽しんでから、どこかの国のプロジェクトに復帰するらしい。

とうとう(3)

2007年06月25日 | Weblog
Trincomaleeに出張する。例の友人の事故の件があって今回の出張は断りたかったが、事業の進行との兼ね合いで出向くことにする。現地入りした後、まずはUNのセキュリティ管理事務所で治安状況の説明を受ける。元軍人という担当者に淡々と話を聞いた後、友人の事件の真相を尋ねてみる。

「ハイ・セキュリティ・ゾーン近くを歩いていて、海軍兵からの再三の呼びかけにも反応せず、撃たれたのは仕方がない。しかし、弾はこめかみをかすめただけで、打ちどころがよく、彼はラッキーだった」、そんな返答だった。警告には、ヘッドフォンをつけていて本人はわからなかったが、ホテル従業員はその警告を聞いていたらしい。多くの国際機関職員の理解も似たような感じで、彼の不注意な行為がもたらした結果という印象を受けた。

たとえ誤発砲であったとしても政府軍が公に謝罪するはずはなく、今回も外国人(兵士は友人をスリランカ人と見間違えたらしいが)が被害にあったから、ニュースになっただけであって、市民が犠牲になっている例はたくさんあるのだろうと思われる。これは戦争の周りで起こる、戦争という行為に含まれる日常の出来事なのだろう。

達成感(2)

2007年06月23日 | Weblog
(下記の文章に少々追加)

赴任当初は、仮設住宅が完成するだけで嬉しかった。被災者の喜ぶ顔が見られたら、なおさらの満足感があった。今も、担当している物件が完成したときの喜びはあるのだけれど、戦災で破壊された家々を直していくという事業がはじまり、一種の虚しさを感じるようになってきた。各国の資金(税金)を受け取り、現地職員や業者を雇用し、建築資材を現地で購入し、建設・修繕する。被災者への直接的な支援と周辺地域への経済効果という点で、この国に貢献しているのだけれど、なんともいえない虚しさがある。要は、国が戦争をやめればよいのに。

さらに、仕事内容の大半が緊急支援に移り、さらなるやりがいを感じると共に、要求される迅速性へのプレッシャーと、危険と隣り合わせになっている環境へのストレス、これらを如何とも表現しにくい。まさか自分の任務がこんな風になるとは、来た当初は予想もつかなかった。他機関の職員らは、どうやって割り切っているのか一度聞いてみたい。

達成感

2007年06月22日 | Weblog
仕事のやりがいや達成感は、ひとそれぞれの尺度があるのだろうけど、この業界で何を支えに活動していけばいいのか疑問になる。人道支援といっても、異国で外国人ができることは限られているし、ずっとこの国に住み続けるわけではない。仕事とわりきってやるのが一番なのだろうけど、わりきるには家族や知人から離れて、好きな食べ物や生活スタイルを我慢し続けるには、その代償が大きいように思うようになってきた。

午後にC大ボスの部屋へ打ち合わせに行く。いつもは5分ほどで用件を簡潔に話して終える(終わらされる)のだが、珍しく「お茶でも飲んでいけ」と言われ、1時間近く話しをする。話の流れから、職場での達成感の話となる。彼の経験では、赴任地やプロジェクトの内容によって、得られる達成感は違うらしい。同時に、自分の力ではどうしようもないことが、外交的、政治的、人事的に起こるので、自分で自分を評価しないと潰されやすいことを教わった。

迷惑施設/NIMBY Facilities

2007年06月20日 | Weblog
現在、うちの機関が約12,000米ドルをかけて、屎尿処理施設を津波被害地区のAmparaに建設中である(写真)。Constructed Wetland Systemを採用して、環境にやさしい処理方法を目指している。その処理の方法について説明するのは自分には難しいが、適正な土砂と植物でつくられたWetland(湿地)を3層用意し、段階ごとに糞を分解していく仕組みである。こうした初めての知識を学ぶのは新鮮で楽しい。詳しくはこちらをどうぞ。

この国では、これは画期的な処理方法を備えた施設で、準備に一年以上かけてやってきた。ところがところが、先々週より地元政治家の反対に合い、工事が難航している。「よその地区の屎尿をうちに持ってくるとは何事だ!」という言い分で、地元住民やマスコミも絡んできた。暴力団まがいの輩も登場して、工事を続行すると作業員の安全も保障できない状況である。事前に地元を中心に話し合いも十分済まして、知事のお墨つきまでもらっているのに、足元を救われた感じである。政治力には政治力で対応するべく、保健省やUNICEFを巻き込んで、再び地元対策に乗り出すことにした。

こうしたゴミ処理場、下水処理場、火葬場などいわゆる迷惑施設の建設に、着工前の地元対策が十分に行われていることが事業を進める上での大きなカギとなる。このことは、どこの国においてもそうであろうと思われ、米国ではこういった施設のことをNIMBY (Not In My Back Yard)施設と呼んでいる。うまく表現したものだ。ちなみに糞は、上品にHuman WasteとかFecal Matterと言ったり、簡単にPooと言ったりする。

働きすぎ?

2007年06月19日 | Weblog
私が書いた仕事のメールの発信時間が深夜0時を回っていたことで、C大ボスが自分の職場の部屋まで足を運んでくれた。(C大ボスと自分の職場は、棟違いなので、普段はあまり会わない)。「仕事は適当に切り上げて、もっと自分の時間、生活を大事にしなさい」という助言を頂いた。日本で働いていたら、そんな風に声かけてもらえるだろうか。

とうとう (2)

2007年06月18日 | Weblog
撃たれたA君の話。彼の職場経由で、シンガポールの病院に週末に転送されたことを知る。以前、お目にかかったことのある彼の事務所代表の方にお願いして、連絡先を教えてもらう。教えてもらった番号を頼りに国際電話してみると、何とか病室のA君とつながって、話をすることができた。

相手の声は思いのほか元気そうで、まるでそんな大事件に巻き込まれたのが嘘のよう。週末中、気になって気になって仕方なかったのに、実際に話せるとなると言葉が見つからず、「大変やったなあ」ぐらいしか言えない。逆に向こうから心配される始末。

事務所代表と本人の話を総合すると、あと1週間ぐらいで退院して、マニラの実家でしばらく休養する予定とのこと。医者からは完治3週間で、特に障害も残らないとのこと。当たり所が良いというか(こんな表現あり?)、何とも表現しがたいが、思っていた以上に大丈夫そうだったので安心した。


皆様、ご心配おかけしました。

Cricket Festival

2007年06月16日 | Weblog
Colomboで国際機関対抗クリケット親睦試合が開催される。5団体から8チームが参加してトーナメントが行われた。非公式、つまり遊びだが、スリランカ人達は至って真剣。「ルールのわからない外国人(自分)とか女性も混ぜて楽しくやろうよ」という自分の提案は、同僚らからは即、却下される。結局、うちの職場からは、本気チームと体験チームの2チームが構成される。

本気チームは各現場事務所の精鋭たちが駆けつけて、かなりの真剣モードであった。作戦会議を冷やかしでのぞいたものの、今まで見たことのない真剣さにびびってしまうぐらいであった。一方の体験チームは、男女混合で構成されて和気あいあいとしたものであった。

会場には食べ物や飲み物(ビール含)の屋台、音楽バンドもやってきて、かなりの盛り上がりを見せる。朝の10時前から夕方の6時すぎまで、一日中グランドで過ごす。うちのチームはどちらも決勝戦には進めなかったが、仕事を離れての楽しいひと時を過ごすことができた。

とうとう

2007年06月15日 | Weblog
同業の援助関係者で友人のフィリピン人A君が、13日の夜に東部Trincomaleeのホテル近くのビーチで頭部に銃撃をくらう。撃ったのは政府の海軍らしく、「質問を無視して逃げたため打たれた」とか、「iPodを聞きながらジョギングしていたところを打たれた」と、いろいろな情報が飛び交っている。

彼の職場の同僚に直接聞いたところ、今は面会謝絶の入院中で、命に別状はないらしい。一刻も早く回復してもらうことを祈るばかりである。この業界で数少ないアジア人なので、何となく気があってたまに飯を食いに行ったりしていた。事件のニュースを聞いたときは、しばらく呆然としてしまった。とうとう外国人まで標的にされているのか、とある新聞に書かれていた。

ミズヨウカン

2007年06月14日 | Weblog
建設会社の重役Tさん主催の恒例の飲み会に招待され、お家にお邪魔する。あらゆるお酒が用意されていて、日本食が当たり前のようにでてきて、楽しい日本人の方々と天国のような時間を過ごす。

極めつけは、彼のお手伝いさん自家製の水羊羹(写真)! 甘さ控えめで、実に美味い。そんなに甘党ではないはずの自分も懐かしい味に思わず手が出る。やっぱり日本人だなあと思う瞬間である。