in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

病気休暇

2007年10月29日 | Weblog
Sick Leaveが1カ月あたり2日認められているので、この際だからと申請し、自宅療養することにする。

週末に入院していたことを知ったスタッフから、買い物や食事をつくりに自宅に行きますと十件近く連絡があったが、丁重にお断りする。嬉しいのだけど、余計に気を使ってしまうので、元気なときに遊びに来てほしい。ともかく、予想外の反応にびっくりした。皆、親切なのだ。

Bangkokで買ってきた単行本を今日1日かけて1冊読んだ。

退院と開所式欠席

2007年10月28日 | Weblog
48時間近くつけられていた点滴が今朝になってようやくはずされる。点滴を英語で何というのか今まで知らなかったが、点滴静脈注射のことをsaline(英和辞書には、生理食塩水とある)と病院スタッフやスリランカ人同僚がそう呼んでいた。

大ボスMと同僚Gが仮設住宅の開所式の行きがけに見舞いに来てくれた。そういえば、病院に来る日に、その下見に自分は行ったのだということを思い出す。数日前なのに、遠い昔のようだ。

担当医師が昼過ぎにやってきて、「特に問題がないので、今晩退院しましょう」ということになった。今日になって食欲も回復してきた。飲み薬だけ続けて服用することになった。日本大使館に勤める友人K君が退院前に病院に来てくれて、いろいろ助言をもらう。

同僚が車で迎えに来てくれて退院する。入院費用は計約3万円だった(後日、会社の加入している保険で払い戻しされる)が、持ち合わせが足りず、退院手続きを手伝いに来てくれたスリランカ人同僚たちに立替えてもらった。頭が下がる。そのまま家まで送ってもらい、夜7時前に帰宅する。

彼らが帰ると、どっと疲れが出て、ソファに寝転ぶ。ちょっとしてから、下痢まみれで異臭を放っていた洗濯物の中から洗濯できるものだけを洗濯機の中につっこむ。見舞いに来てくれた人々に退院のお知らせをSMSして、横になっていると、Kalutara事務所のスタッフPから、今日の開所式は、大成功だったと電話がかかってきた。

退院時に迎えに来てくれた別のスタッフから、知事や大臣も参加し、うまくいったことは聞いていたのだけれど、「ほうほう」と初耳のように応答する。最後に、「それでも一つだけうまくいかなかったことがある」と他のスタッフから聞いていなかったことをスタッフPが口にするので、心配になって「何があったんや」と聞いてみると、「Gitanが今日の式典に出られなかった」と真剣に答える。そこまで自分のことを慕ってくれているのかと思うと嬉しかったし、式に出られなかったことを改めて悔いた。

細菌性胃腸炎/Bacterial Gastroenteritis

2007年10月27日 | Weblog
熱が引き、朝から病棟の個室に移動する。まだ足下がふらつくので、車いすに乗せられる。新しい病室は静かで窓から、インド洋も見えて気持ちがよい。お見舞いに来てくれた友人に聞いて、自分が6階に居ることを知る。今朝まで居た救急病棟は、80平米ほどの空間にベッドが10床にいろんな器具が置いてあり、安静にできる場所ではなかった。

血液検査、尿検査、検便の結果が出揃い、デング熱や赤痢などの感染症でないことを確認する。病名は、細菌性胃腸炎(Bacterial Gastroenteritis)ということで、今週初めに食べたものにバクテリアが含まれていて、ここ数日の間に増殖(?)したのだろうということであった。再び、手相鑑定士の占い結果があたったということか・・・(『来月(10月)は食生活に十分に気をつけなさい』)。

食欲が(珍しく)全くないので、点滴で栄養が補われる。それを見舞客のほとんどが驚いていた。今日一日で、10名の人が来てくれて嬉しかった。普段の休日でも、個人的にこんなにたくさんの知人に会えることはないので、入院のおかげということだろうか。同業者のYさんが貸してくれたCDプレーヤーにCDを聴きながら、うとうとする。やっぱり音楽聴くのが一番ええなと思う。

入院/Being Hospitalized

2007年10月26日 | Weblog
昨晩から悪寒(shiver)がしてきたので、昨夜10時過ぎには床に入ったが、深夜過ぎに頭が痛くて目が覚める。熱を測ってみると、摂氏39.7度と尋常ではない。もう一度布団に包まってみるも、頭が割れそうで寝られたどころではない。友人に電話しようかと思ったが、深夜1時近かったのでそれは止めて、とりあえず病院に行って薬をもらおうと決める。タクシーを呼んでみるとすぐに来たので自力で病院に向かう。

ふらふらになりながらD病院の受付に着いて、事情を説明すると「まず登録をすましてから、初診料を支払った後で診断します」と、係員の愛想のない対応で、「そんな手続きをする気力もない」と主張する元気もなかったので、言われるままにあっちこっちと窓口を渡り歩く。誰かに着いてきてもらえばよかったなと後悔する

よくやく宿直の医者に会うことができ、診断の結果、様子をみるためにEmergency Treatment Unitに即入院となった。意識が朦朧とする中、ようやく横になる場所ができてほっとした。

朝になって、「病院にいるから9時からの会議に出られないこと」だけを職場のスタッフに告げて、うとうとしていると別の同僚が心配してやってきた。しゃべることもままならなかったので、手だけあげて返事した(後から聞くと、そうとうやばい状態に見えたらしい)。高熱と頭痛とひどい下痢(Diarrheaまたは Loose motion)が丸1日以上続き、寝て1時間もしないうちに目が覚めて、また寝ての繰り返しでかなりしんどかった。

傍観者

2007年10月25日 | Weblog
週末に、新大ボスMや県知事たちを招いた仮設住宅の開所式が開催される予定なので、その段取り確認と下調べに行く。たいていのことは、Y現場所長とD技術員がスタッフを率いてすでに調整していたので、自分はほんまの確認係。「壁に足跡がついたままやからふき取るように」、「工事中の井戸に子供が落ちそうやから囲い柵をつくるように」といったようなこと。

事務所への帰りに、もう一件の現場に行く。政府からの補助金を得て自分の土地を得た人々は、恒久住宅への資金が支給される前に、仮設住宅地を追い出されて新しい土地に移ってきた。現在は彼らがつくった掘立小屋みたいなところに住んでいるので、恒久住宅が完成するであろう5年、10年後を見越して、新たな仮設住宅、トイレ、井戸をうちの機関で建てることになった。今回はその打ち合わせで、途中から現地語での真剣トークになったので(写真)、一歩引いて様子を見ていた。

Bangkok日本食ツアー

2007年10月16日 | Thailand
日本とスリランカ間の乗り換え時にしか降り立ったことのなかったBangkokで3日間を過ごす。観光というよりも、まさに気分転換の旅だった。大きい街とは聞いていたが、Colomboから来た身にとっては、くらくらするような大都会。欲しいものもすぐに手に入る。

まず日本食と日本語の本を調達した。食べたものは、ラーメン(写真)、うどん、ヤキトリ、豚マン、寿司、うなぎ五目飯、親子丼等々、大満足だった。日本人が何万人と住んでいるだけあって、味も良かった。食材のほかに、文庫本を10冊に建築系雑誌を3冊持って帰るのが重かった。

Solar Power Project/太陽光発電事業

2007年10月12日 | Weblog
Solar Power Projectの請負業者を決める入札作業を終え、最終段階まできた。現地価格で数千万円のこの事業、日本での感覚に直すと数億円近いと思われ、業者の選定には最新の注意が支払われてきた。なんせ、昨年はうちの現地スタッフがぐるになっていることが判明し、数人が即解雇された。

そんなこんなで半年間の空白を経て、「gitan、お前がやれ」と上から指名され、この2ヶ月近く作業してきた。実は臨時代表を勤めるよりもしんどかったこの作業、例えば入札資料が100ページを超えるものとなった(10ページ程度の工事契約書の準備にひぃひぃ言ってた日々がかわいく思える)。この素人にとって尋常じゃない作業には、現地コンサルタントに入ってもらって、大分助かったのだけれど、最終チェックはもちろん自分がせねばならず、深夜作業が続いた。

ここらでちょっと一息ということで、今週末はBangkokまでラーメンを食べに行くことにした。行ってきます。