in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

成長

2008年09月27日 | Weblog
下記のOpening Ceremonyの準備をしていると、会場に子供と母親の家族連れがやってきた(写真)。どこかで会ったことある気がする。考えること数分間、、、

そう、ここから10数キロ離れた別の仮設住宅地で遊んでいた子供たちの一人だった。(リンク先の写真中央の女の子。)

「2年間でおっきくなったなー」と話すと彼女は照れ笑いをしていた。Kalutara事務所が閉鎖されるのを聞き、母親と訪ねてきてくれた。あれから2年間、自分も成長できたかな。

大臣とクリケット

2008年09月27日 | Weblog
Kalutaraの仮設住宅地だったグランドを整備した。M大ボスが緊急支援の関係で北部Vavuniyaに出張しているので、今日行われたOpening Ceremony(開所式?)に事務所代表で参加した。超忙しいサマラシンハ大臣(スリランカ災害管理・人権問題担当)にKalutaraの県知事、市長等々お偉いさんが舞台に並ぶ。警護には、警察官が10数名、陸軍兵が5名ほどに、SP(Security Police;要人警護官?)が10名ほどと、ちょっとものものしい雰囲気。

小一時間ほどの式典には、大臣の横に座ることになり、テロに巻き込まれないか正直どきどきしていた(*)。話題に困るが、大臣が先日来日したことを思い出し、その話で場をつなぐ。

式典が後半に近づくと、皆でクリケットをしようということとなり、大臣自らボールを投げる(写真)。自分が2番打者で立つこととなり、大臣のボールを本気でスイングするが見事に空振り。それを受けて会場がワーッと思いのほか盛り上がる。Kalutara事務所所長には、「さずが場をわきまえて空振りしてくれてありがとう」と本気で感謝されるが、「えー、まぁ」と大臣を打ち負かしてやろうと企んだ事は内緒にしておく。

そんなこんなで式典も無事、和やかな雰囲気で終わった。津波復興が一段落したことで、うちの機関のKalutara事務所が今月末で閉鎖されるので、スタッフらにも記念の行事となった。


* 今年4月6日には、コロンボ郊外でのマラソン大会のスタート直前に自爆テロによる爆発があり、スタートのため旗を振ろうとしていたフェルナンドプレ道路開発大臣をはじめ、10数名が亡くなった。

Happy Birthday to Me

2008年09月26日 | Weblog
朝最初のメールは、Manilaの人事本部からの"Happy Birthday"メールだった。本当は明日なんやけど、明日は休日なので前日に早送り。

スリランカでは、誕生日の本人が職場でケーキを振舞う習慣があり、自分も昨年、一昨年とはその慣わしに従ったが、今年は週末にあたるからええやろうと、何も用意していなかった。実は、気分的に余裕がなかったのが一番の理由だった。

ところが、うちの職員の誰かが気を利かして、職員分のアイスクリームを差し入れてきて、「これは明日誕生日のgitanからです」と皆に振舞ってくれた。思わぬ展開に戸惑ってしまったけど、嬉しかった。

<設計課題 2>

2008年09月25日 | Weblog
約2年前出題した<設計課題>の続編。

趣旨:スリランカにおける紛争地域で自宅を追われ、戦渦に巻き込まれた人々に、一時的な寝泊りできる場所を提供する。

条件:最低床面積 1人当たり約4平方メートル
    総工費   1件当たり約300USドル
         人件費(1人1日あたり約8ドル)含、トイレ/水道設備は含まない
    耐用年数  約半年
    住宅件数  1,000件  
    工期    約1日/件
    気候    年間平均気温 28度(変動少なし)
    資材    大抵の金属は使用不可(*)

* 政府軍の指導により、金属部材は使えない。反政府軍の手に渡ると、再鋳造され武器にされる可能性(本当だろうか?)があるため。

さあ、どうする?

建築業者とのかけひき

2008年09月23日 | 学校建設
いくら人道的支援をしているからといって、仕事を請け負う施工業者も、人道的な対応をしてくれるかと言ったら大間違い。そりゃ、向こうは商売やから利潤をあげなあかんわけやけど、そこまで手抜きするかって、こちらの想像を超えるほどの施工精度と現場監理。

少し注意したぐらいでは何も変わらないし、書面通知したら倍以上の分量で言い訳がつらつらと。よくもそこまで大嘘を並べられるなと、別の意味で感心感心。一方で、そんな非生産的な議論に巻き込まれる空しさを毎回味わう。ちょっと抽象的にしか、ここでは書けんけど、だから人のいい日本人は海外でよく騙されるんや、と納得。

大手といわれる会社の現場でもこんな仕事がまかり通っているようでは、設計監理会社や施主(Client)のモニタリングの技量が問われるし、最終的にはこの国の発展も難しいかと。

セクハラ!?

2008年09月22日 | Weblog
週末明けはエンジンがかかりにくい。英語づけの新たな一週間を迎えるにあたり、意識しないと変な英語に戻っている。多分、週末は人とあまり会わないので、もちろん会話も少なく、知らず知らずに日本語で考えごとをしているのだろう。

そんな状況でAlbania出身アメリカ育ちのちゃきちゃきAさんに仕事絡みでちょっとした質問をする。

G「ちょっと、すいません(Excuse me)」

・・・・・・・・

5秒間ほどの空白、そして凍った表情のAさん

・・・・・・・・

A「突然、Kiss meって言うからびっくりしたやん」

G「違います!」

(後で考えたら、「何でだめなんですか(Why not?)」ぐらい軽く返せればよかった。)

ところで、以前お世話になったA姉さんはミャンマー事務に勤務中で、たまにメールのやりとり。そして自分のミャンマー行きは、いろいろあってキャンセルとなった。それでよかったのだと思う。

日光浴

2008年09月21日 | Weblog
昼過ぎに思い立って、海まで自転車で行くことにする。北(Negombo)か南(Panadura)か迷ったが、弱気で一番近場のMt. Laviniaまで30分ちょっとで着いた。ぼーっとしていると、ここんところの疲れが波音に紛れて消えていく感じ。

夕方になって、周辺を散策する。この時間帯は大分涼しくなって、家族連れとか友達同士で楽しんでいるグループをよく見かける。休日のなんとも言えぬ和やかな時間帯。岬の先端に建つホテルが要塞のように見える(写真)。

帰り道さすがに薄暗くなって、危ないかなと思ったが、バスや車の運転手は見ていないようで、こっちに気がついている。問題は、舗装状態が悪い道路上のいたるところにあるくぼみやちょっとした段差。暗くて気がつきません(苦笑)。


折り鶴

2008年09月18日 | Weblog
「雨降って地固まる」とでも言うのだろうか、昨日の件以来、スタッフの存在を身近に感じるようになった。というか、職場での彼らの動きがよくなった。ただごとではないことだけは伝わったようだ。

昨晩いろいろ考えた結果、スタッフと一緒に願いをこめて鶴を折ることにした。「実は、D監督は今大変な状況におかれていて、早くその状況から抜け出せるように願っている」とわりと抽象的に話したのだけれど、皆すでに内情を知っているのか何の質問もなく、ただただ真剣に皆で鶴を折った。

できあがった作品を見ると(写真)、いろんな形があるのだけれど、初めての折り紙と格闘しながら、彼らなりに頑張ってくれたんだな、と思うだけで涙腺が・・・。いかんいかん(苦笑)。

すぐ後で「鶴を折る以外に、D監督のために何か私たちにできることはないか」と彼らが聞いてきたので、彼がいつでも戻ってこられるように、力を合わせて仕事をこなして行こうと伝える。彼らのその気持ちがとても嬉しかった。
ええ奴らだ。

涙の品切れ

2008年09月17日 | Weblog
「涙に品切れがあったらいいのに」とは『太陽の子』灰谷健次郎著の主人公ふうちゃんの言葉だが(友人Yさんに借りたこの文庫本を最近の出張の友にしています)、今日は不覚にも職場で涙を見せてしまった。

この日曜の新聞に、D監督の後任を募集するための空席情報を掲載した。スタッフには、知らないふりをしようかとも思ったが、上司の自分が何の説明もしないわけにはいかないので、スタッフを集めて簡単に話すことにした。

彼の体裁もあり、真実を語るわけにはいかず、思い悩んだ結果「彼は一身上の都合で、この職場を・・・」と言いかけた瞬間、感情をこらえきれず彼らの前で泣いてしまった。「どうか後任が決まるまで、力をあわせてこの状態を乗り切ってほしい」と何とか言い終えて、席を外した。しかし最近泣きすぎだ。