in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

なんとかなるもの/Overcame?

2006年03月30日 | Weblog
本日のBatticaloa出張は、現地のセキュリティの関係で、急遽延期となる。入札の説明会も、自動的に延期になる。

自分の課に米国からのシニアボランティアが今日派遣された。まずは自己紹介から始める。久しぶりに外で昼食を取りながら、現在の復興状況を説明する。こちらが望むことと彼の望むことを照らし合わせながら、これからの数ヶ月間の予定を立てていく。

どうやら難をしのげる見込みが出てきた。


(心配してメッセージをくださった皆様、お心遣い深く感謝します。)

もう、あかんかも/Overloaded?

2006年03月28日 | Weblog
ある人が『困難にぶつかった時、「もう、あかん」と投げ出さず、「これしき」と踏みとどまることで、人間は成長する』と言っていた。

「とにかく荷物をまとめて日本に帰りたい」と思わせる出来事が続く。いずれは振り返れば良い思い出になるのだろうが、今の状況は自分の能力の限界に近い。

明後日から、出張で東部Batticaloaへ。10万米ドル規模の商業施設の工事入札の監督役をする。図面のチェックは終えたが、契約書の準備がまだ済んでいない。

サファリ体験

2006年03月26日 | Weblog
日の出前に宿を立ち、Yala国立公園にて、野生動物たちを見てきた。これまでにも出張途中に、野生のゾウを何度か見てきたが、親子のゾウを見るのは初めて。茂みから現れて、水浴びをして、また茂みに帰っていく、その間10分ほど。ずっと眺めていた。

そのほかに見られた動物は、クジャク、オウム、鷹、鹿、水牛、イノシシ、ワニ、オオトカゲなど。鳥は、鮮やかなものを十種類ぐらい発見したのだけれど、名前がわからず・・・。

海岸沿いの休憩場所に着くと慰霊碑が目に入る。ガイドから、津波のとき(午前9時半頃)に朝ご飯を食べていた日本人15名がなくなったと聞く。日本人も何人か犠牲になったとは聞いていたが、自分がその場所に訪れることになろうとは予期していなかった。慰霊碑に向かい、手を合わせた。

長い一日

2006年03月24日 | Weblog
Jaffnaで泊まった宿が国連職員用だったこともあり、某機関のお偉い方々と偶然にも朝食を共にすることになる。こういうときには、いつも何をしゃべっていいか困る。寝ぼけ眼で、共同プロジェクトの進み具合や日本の時候を簡単に説明する。それにしても、これまで会った国際機関のトップクラスの人は優雅で気さくな人が多い。見習いたい。

Jaffna事務所で、水曜木曜のおさらいと今後の進め方について、1時間ほど話し合う。職員らが、何でもすぐにYesと言っている場合は、わかってないの合図である(経験上)。プロジェクト担当者に決定事項の箇条書きをさせ、一つ一つについてAction Planを練るように指示を出す。

飛行機に間に合わなくなると、スケジュール管理者に急かされながら、午前10時に事務所を後にする。空港へ向かう車中でVavuniyaの所長から急ぎの電話がかかり、離陸ぎりぎりまでColomboと電話であれこれと調整する。

帰路は、JaffnaからColomboまで約1時間の空旅。行きの10何時間という車中が嘘のよう。Colombo空港に降り立つと、次の約束に間に合うように空港に来ているはずの公用車が来ておらず、15分ほど待たされる。疲れがピークに来ていたこともあり、思わず運転手と配車担当者を怒鳴る。話を聞くと、別の公用車が小さな事故を起こしたため、私を迎えに来るはずの運転手がギリギリまで別の仕事をしていたという。

午後2時に事務所に戻り、別件の打ち合わせの後、新規で採用する技術者の面接官を勤める。一息ついた後、Batticaloaから呼び寄せた技術者Rと近々建設する商業施設について、図面の最終確認を行う。細かいミスを調整し終わると、午後9時半。自宅に着替えを交換しに帰った後、明日の坂茂氏設計の住宅見学のために、途中のRatnapuraまで車を走らせる。宿に着いたのが、夜の12時過ぎ。さすがに疲れた。

(写真は、Jaffnaの建設予定地。看板には、タミル語で「建設予定地にゴミを捨てないでください」ということが書いてあるらしい。)

不発弾処理 in Jaffna

2006年03月23日 | Weblog
最北端部Jaffnaの新しい現場で地雷が見つかり、スリランカ陸軍により地雷撤去作業が続いている(昨年10月12日参照)。その後、治安が不安定だったため、作業工程が遅れており、6月末のプロジェクト終了期日に間に合うかどうか微妙になっている。

ということで、現場を見て対応策を練って来いと、C大ボスの指示を受け、現場に出向く。陸軍大尉に現状の説明を伺い、地雷のほかに不発弾が埋まっていることが判明(写真)。地面下1mまでは金属探知機等で安全が確認されており、仮設住宅の基礎を築くのに掘る50cm程度までは大丈夫である。

しかし、井戸を建設するために4~5m掘る必要がある。したがって、1m深く掘るたびに、陸軍に来てもらい探索してもらうことになる。あるいは、地盤が固いため爆薬を使って一度に作業を進めることも可能だとの提案も受ける。その際には、不発弾が誘発しても大丈夫なように、一時避難をする云々・・・。

厳しい状況が続く。




Cement Board in Vavuniya

2006年03月22日 | Weblog
10月にWorkshopを行った後、内戦被災者への仮設住宅プロジェクトも起動にのりつつある。壁材に使ったCement Board(セメント、紙、繊維が含まれる)は、中国から輸入されたもので、4"x8"の大きさ(畳一畳より一まわり大きい)で1枚あたり5米ドルである。

「こんなきれいな素材を見たことがない」と被災者にも好評である(写真)。6月にかけて、700戸ほど建設する。各被災者が政府から支給された土地に、一件一件建てるので、被災者も積極的に建設に参加する。黙ってみていられない、ということかもしれないが・・・。

場合によっては彼らが自費でコンクリートの壁をつくってしまうこともある。担当者に質が落ちないように監視することを強調して、あとは被災者の要求にできるだけあわせる形とする。


日本人のよしみ

2006年03月19日 | Weblog
昨年の後半から、職場に私以外の日本人がいなくなり、日本がらみの交渉ごとは、必然と回ってくる。

特に難しいなあと思うのは、私の上司と一緒に英語で話し合うときは「YES, YES」とおとなしい相手先が、後日私と日本語で話すときに、「そんなつもりで言ってない」と理解されていない状況があること。

日本人のよしみとして力になってあげたいが、職場で私の立場が危うくなることは避けたい。かといって、年長の相手先の意向を無下に断っては、ここの狭い日本人コミュニティに影響が出てしまう。人の噂とは怖いものです。

早く外交力のある日本人が赴任されないかなと。

仮設の解体作業始まる

2006年03月15日 | Weblog
本設の住宅が建ち始めた地域では、仮設の解体作業始まっている。被災者が引越を終えた後、何日以内に解体するかを職場内で議論する。

急ぐわけでもないし「1週間ぐらいかけてもええんちゃうの」と、気楽に考えていたら、「不法占拠を防ぐために48時間以内に撤去すべき」とR姉御の指摘。たしかに、タウンエリアはその可能性が高い。

仮設に住んでいる間は、水も電気も(今のところ)無料で、時おり、ボランティア団体から、差し入れが頂けたりする。それでもって、うちの仮設住宅は、そこそこ質がいい(らしい)ので人気が高いそうだ。

Trincomalee出張 3/07-10

2006年03月10日 | Weblog
7日から10日まで北東部のTrincomaleeに出張する。昨年末からの政情不安定で、遅れていた仮設住宅の建設を今月で終わらせる任務を負って、現場事務所に到着。

一つの現場に行くにも、でこぼこ道を激しく揺られながら片道3時間。行くだけで疲れてしまう(写真は、道中で利用したモーターボート用のエンジンで動く渡し舟)。

安全のため日没以降の移動は禁止されており、活動できる時間は限られる。おまけに、LTTEエリアで働ける職員は人種により限られてしまう(=タミル系以外のスリランカ人職員は活動中に殺害される可能性がある)ため、あくまで慎重に。和平交渉が進んでいても、最前線の現場に平穏な日々が訪れることは、まだ先のようである。

職員間の伝達系統の再確認、建築資材の発注・納品管理、契約書類の整理、施工業者への支払い等々、仕事を済ませて帰ってくる。