in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

敷地見学

2014年09月30日 | Iraq
トルコとの国境近くのDuhok県にやってきた。仮設住宅を建てるために、政府から指定された土地を見に来た(写真)。農業地を簡単に造成して、プレハブをボコボコ立てていく予定。

子供らの笑顔

2014年09月27日 | Iraq
某支援国(日本ではない)の国会議員が視察に来られたので現場対応をする。秘書の方が事前からいろいろ注文・変更してくるので、準備する方は大変だった。15人以上の警備員をつれてキャンプ地を少し回り、被災者の話を聞かれて、ささっと次の場所に行かれた。

一仕事済んだのでほっとして、集まってきていた子供らと言葉が通じないながらもやりとりしていると、持っていたカメラ効果も手伝って押し倒されそうなくらいくっついて来た。彼らに早くきちんとした住処が見つかるようにと奮起を新たに現場を後にした。

避難所訪問

2014年09月26日 | Iraq
アルビルから北(トルコ方面)に1時間ほど車で行ったShaqlawaという町の避難所にドナー(活動資金支援団体)を連れて行った。訪ねた建物は宗教施設と呼ばれていたが、内部のしつらえからすると普段は多目的ホールのような使い方をしていたのではないかと思う。600平米ほどの平屋建に、約30家族(聞く人によって数が異なった)が2ヶ月ほど過ごしている。

今年6月頃からイスラム過激派武装組織ISISがムスールなどを占拠し、国内避難民の数が一気に増えた。訪ねた避難所の人々はカラコシュの町から着の身着のまま逃げてきたそうで、支援団体から支給された生活用品や寝具で日々を暮らしている。

戦火が迫ってくる中、住み慣れた家と土地、そして仕事のある場所を捨て、避難することを決断する瞬間はどういったものか。ここに集まった人々は知り合いの車やタクシーで逃げ出したそうで、足の悪いお年寄りも一緒に逃げられたそうだ。一方、先週会った人は身ごもった妻を一緒に連れて何日も歩くわけには行かず、まずは自分が先に行って解決策を探してから戻ろうとしたものの、既に戦火の広がった場所に戻ることができず、なす術もないと一人で塞ぎこんでいた。

話を聞いていて、スリランカでの内戦終結前後にお会いした人々のことを強烈に思い出した。どんな理由であっても、武力行使は絶対にあかんと思う。

出張3週間目

2014年09月19日 | Iraq
イラクのアルビルに現場事務所の応援で来て2週間がたった。いろんなことがあって、振り返るとあっという間の気がするけど、起こったことを上げていくと濃い2週間だった。書けることだけ、後にupする予定。

『イラクに仕事で行く』と伝えるや否や、『大丈夫?』と日本だけでなくハイチの友人らでさえも心配してくれるのだけれど、一時期、マスコミで騒がれていたほどの治安の悪化は落ち着いている(表面的にか?)。米軍のISISへの攻撃が、直接・間接的に仕事に影響するので、どうか穏便にと願っている。

出発前には、本部の同僚らが資料とか助言とか必要な時はコンタクトして、と言ってくれてたのだけれど、先週からはエボラ熱対応で彼らもそれどころではないらしく、現場のスタッフらと知恵を絞って、170万人を超える国内避難民へのShelter支援を始めている。

約5年半前のスリランカでの出来事に重なる部分が多くあり、経験を積むとはこういうことなのだなと当時の資料を読み返しながら、対策を練る。




シェルター会議(2)

2014年09月03日 | Luxembourg
昨年も参加したシェルター会議に今年も参加する。前回は2年前かと思っていたら、1年前だった。そういえば、その間に特に2013年4月にはいろんなことがあった。

ジュネーブの家を朝7時に出て、午前10時前にルクセンブルグの会場入りと、大阪から上京するような感覚。正確には人が少ないので混雑によるストレスは全くなし。具体的には、家の近くから路線バスで飛行場に向かい、8時20分発のフライト(写真)で9時半にルクセンブルグ空港に着き、バスに乗って会場近くまで到着。

今回は、シェルターの屋根や壁材についての実験がメイン。日本語でいうブルーシートの素材の検討などの項目もあって、仕事に役立つ情報をたくさん得た。

夜は情報交換会という名の食事会。様々な国籍と人がいたのだけれど、どんどんdrinkをふるまって業績につなげたい業者と、話の中心に居たい大学関係者と、中立でいたい役所関係者というような構図が絵に描いたようにできていて、興味深かった。