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in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

ハイチ支援国会合

2010年03月31日 | Haiti
ハイチ支援国会合がニューヨークの国連本部で行われた。

日本国から参加した岡田外相は以下のように演説している。

ハイチ支援国会合における岡田大臣ステートメント (外務省Website)

これまで既に7,000万ドル(約63億円)の支援を表明している日本は、さらに3,000万ドル(約28億円)を追加する運びとなり、これで計1億ドルをハイチの復興に支援すると表明した。

これは日本の人口が1億人としたら、1人あたり1ドルとなる。日本国民全員がハイチのために約1ドル寄付していると考えたら、すごいことだ。

日本国民の方は、この事実を強く誇りに感じて欲しい。

通常営業中

2010年03月29日 | Weblog
5週間ぶりのコロンボ事務所。

ハイチでの怒涛の日々に比べてスリランカでの物足らなさを感じたり、ハイチではなかった秩序がコロンボ事務所では保たれていて、ほっとしたりするうちに1日が終わった。

家に帰る前にもう一仕事

2010年03月24日 | Weblog
早朝の便でスリランカの国際空港に着き、家による暇もなく、そのままニゴンボのホテルで行われている事務所内の会議・研修に参加する。

同僚らとの丸1ヶ月ぶりの再会に、自分が不在だった期間(1ヶ月)以上の壁を感じる。ハイチで過ごした環境とあまりにも違いすぎて、うまく現実に馴染めない。

そのまま3日間、26日夕方まで、ホテルに缶詰。久しぶりにきちんとした環境で食事と睡眠をとることができた。ハイチからの荷物もそのままで、あまり汚れていない服を選んで着ていた。

ドバイ空港

2010年03月23日 | Architecture
出張はまだ終わらない。NYからの16時間のフライトを終えてドバイの空港に着いてすぐに、これからハイチに向かうスリランカ事務所スタッフと打ち合わせ。本当はコロンボ事務所で時間をかけてするはずが、私の滞在予定が延びてこんな形に。お互いの1ヶ月分の仕事を補って、約3時間の申し送り。それが終わってやっと一息。

コロンボ行きの便に乗り遅れないようにと搭乗ゲートを探すと、目に入ったのが大阪行き便の搭乗ゲート。あー、これに乗れたらどんなにいいだろうと、一瞬の現実逃避。

ドバイ空港の案内表示デザインは、どうも病院のそれに思えて仕方がない(写真)。自分の中の薬局のイメージと近いのだろうか。さらに、空港の補助員(車いす利用者を補助する人など)の制服が真っ白で、病院の理学療法師を連想させるので尚のことなのだ。

NY事務所訪問

2010年03月22日 | United States
サント・ドミンゴからニューヨークに着いたのが21日未明。荷物の不備があって、ダウンタウンのホテルに着いたのが深夜2時過ぎ。同日午後1時からのニューヨーク事務所でのプレゼン資料に手を入れていたら明け方になった。1ヶ月ぶりにちゃんとしたベットでしっかり寝られるはずが・・・。

少しだけ仮眠を取って、ニューヨーク事務所に向かう。雨が降っていたが、せっかくなので事務所まで30分ほどの道のりを歩いてみる。タイムズ・スクエアを抜けて、中央駅の前を通り、クライスラー・ビルの斜め向かいのビルの16階に事務所があった。昨日の朝までハイチに居たこととのギャップが激しい。

まず事務所の代表L氏に挨拶した後、昼食に日本食レストランに連れて行ってもらう。これが予想以上に旨くて、会話も上の空になるほど真剣に食べてしまって、周囲の笑いを誘う。

事務所に戻って、L代表をはじめニューヨーク事務所の職員らに、ハイチの仮設住宅事業の進行状況を、パワーポイントを使って40分ほど行う。わかりやすさを第一に、現場で苦労したこと、今後予想される課題などを説明する。ダメ出しをしたL氏も、仮設住宅の修正デザインにご満足の様子で、プレゼンも無事に終わった。

今月末のニューヨークでのハイチ復興会議に向けて、いい流れで成果と情報を提供することができた。夜の便で慌しくコロンボにドバイ経由で戻る。

谷口吉生氏設計のMOMA新館だけ夕方に観光することができた。

ピンチ

2010年03月21日 | Dominican Republic
ポルトープランスから国境を越えドミニカ共和国のサント・ドミンゴ空港まで、夕方4時半の便に間に合うように車で向かう。英語の通じる運転手をリクエストしていたのだが、出発してからいろいろ話してみると挨拶以外はほとんど通じないことが判明。引き返しても、日曜日ということもあり、代わりの運転手がすぐに見つかるわけもなく、まあ何とかなるだろうと、そのまま目的地へ向かう。

ハイチは砂糖のプランテーションで有名で、ドミニカ共和国側でもサトウキビ畑が一面に広がる(写真)。行きしとなんとなく風景が違う気がしつつも、約6時間の予定の車中で居眠りする。

運転手が着いたというので起きてみると、小さな町の空港に着いたようだ(*)。明らかに違う。「ここではなくて、サント・ドミンゴの空港からニュー・ヨークに飛ぶ」となんとか説明すると、「サント・ドミンゴには行ったことがない」と言い出す始末。

周囲の人に道を聞こうにも、皆スペイン語しか話さない。運転手はフランス語かクレオール語、私は英語か日本語と、全く意思疎通がなりたたない。運転手に事務所に電話させようにも、国外で携帯が通じず。こうしている間に飛行機の時間が刻一刻と迫る。さすがに焦る。

(道中のモロモロは省略して)空港には出発時刻の30分前に到着する。明らかに人々であふれ返っている。明日のプレゼンのために、どうにか本日中にニュー・ヨークにたどり着けないか掛け合おうとすると、空港が停電のため搭乗予定の便が約2時間遅れるとのこと、運に恵まれた。

と喜んでいるのもつかの間、地上乗務員が乗客に航空券にを渡すのに、用紙に一人一人の個人情報(パスポート番号など)を手書きしている。空港内は空調も効かず、結局4時間送れの離陸まで待たされる。さすがに様子がおかしいと思われたのか、客室乗務員からビジネスクラスの席が空いているからと勧められ、座ったとたんに爆睡した。


*)後で調べたら、Barahonaという町だった。よく軌道修正できたものだとわれながら感心する。

Day29 Time's up

2010年03月21日 | Haiti
朝一でポルトー・プランスからサント・ドミンゴに移動する前に、昨晩の成果を写真に収める。時間切れで最後まで完成できなかったけれど、あとは残るスタッフに任せる。

ハイチの真の復興が一日でも早く訪れることを切に願って、ハイチを後にする。

Day28 追い込み(2)

2010年03月20日 | Haiti
Purlin(母屋、桁)がのると大分『家』らしくなる(写真)。屋根を仕上げるチーム、壁(ベニヤ板)を張るチーム、床のコンクリを仕上げるチームに分かれて、できるところまで作業する。私の気迫を感じてか、暗くなっても誰も文句を言わず、できるところまで作業を続けた。

夜は仲間内だけで簡単な食事会を食堂でしてもらう。まあ緊急支援という現状もあって、あっさり解散する。今回は、昼はハイチの仕事、夜はスリランカの仕事を掛け持ちしていたので、あまりスタッフと交流する機会もなく、日々が過ぎた。

荷造りは、テント生活だったので中身が散らかること(場所)もなく、十分ほどで終了。食べ切れなかった保存日本食は、友人にあげた。

Day28 追い込み

2010年03月20日 | Haiti
自分が丸一日現場で作業できるのは今日で最後。なんとか仕上げて帰りたい(写真は朝の進捗状況)。申し送りの資料や会議をしつつ、お世話になった同僚らに挨拶しつつ、現場をのぞき続ける。

屋根のトタン材が昼になっても届かないので、車を出してスタッフに業者まで取りに行かせる。ゲージ(厚みの規格)が薄いが、時間がないのでサンプルだと言い聞かせ目をつむる。

明日ハイチを発つというときに限って、建設中の仮設倉庫の現場の不具合を見てくれと頼まれる。技術スタッフだからといって、何でもできると思わんでほしいいのだが、事務スタッフに業者と打ち合わせをさせたら、結局しわ寄せが来る。問題点だけ整理して、解決方法は残りのスタッフで検討するように伝える。思い返すと、今回の出張は仮設住居建設に関すること以外に(ここには詳しく書けないが)とても手を煩わされた。

パナマ事務所に戻っていた元大ボスCからメールが来て、明日からサン・チアゴ(チリ)に震災復興で再び出張だとのこと。スペイン語が堪能なら、お前を連れて行くのだがと言われた。英語でも苦労しているのに・・・。

本日、岡田外務大臣がポルトープランスまで視察に来られた。