in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

引く手あまた

2005年07月28日 | Weblog
うちの機関は津波の前からスリランカで活動している。当時からの主な事業は次の二つ。
1)内戦時(’80~’90年代)の被害を恐れてインドに逃避した人々を合法的に帰国、生活再建を支援する
2)内戦に絡んで兵士となった人々が除隊した後の生活再建を支援する
1)のわかりやすい説明として(日本のK君が助言してくれた)は、数年前に北朝鮮の拉致被害者が日本に帰国できることになった事例をあげたい。その際に、政府や自治体が住む場所、仕事や学校、精神面でのサポートを積極的に協力した(今もしている?)。この時は被害者の数は多くなかったため、自治体が個別に対応できたが、被害者数が数千人という規模になってくると、それなりの支援機関が必要となってくる。このような支援を各国の紛争地域で専門に行っている機関が、私が所属している機関である。

なんでこの話を書いたかというと、そのインドからの帰国者の一時的な生活の場所として、津波被災者用の仮設住宅のデザインを利用できないかという申し出があった。以前からの事業にたずさわる職員と、津波復興事業にたずさわる職員とは、それぞれ事務所も違うため、ほとんど交流がないので、今日は珍しい来客であった。仕事を認められたと喜んでいるうちに、別事業にも組み込まれないか心配。。。

SさんとKalutara地区のすべての現場について、契約書ごとに支払いの書類をつくる。New York下町出身の若い彼女の単刀直入な発言と機敏な行動には好感が持てる。一方で、現地職員からは、その言動が攻撃的に思えるらしく、評判がよくない。一緒に作業をしながら、それとなく態度を少し改めるように話してみた(反論されたのは言うまでもないが)。