in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

繰り返される悲劇

2012年11月30日 | Haiti
クリスマス時期を前にPort au Princeの治安が悪化していることについては、以前触れた。昨日、うちのスタッフが銀行帰りに強盗に銃殺された。うちの部署ではなかったのだけれど、隣のWarehouseチームのスタッフ、弱冠21歳。

いろいろ調査中なので、あまり書けないが、2年前1年前の事故と、これで3件目。悲報に多少なりとも動揺している新大ボスに、前回はこうして、あーして、どこどこに連絡したと間髪入れずに応えられる自分もどうかと思ったが、起こったこと自体はどうしようもない。

うちの危機管理体制が甘いのか、母数が多いのか(ハイチで1,000名前後の職員を抱えていること)、考えることはたくさんあるが、どうやっても亡くなった命はもどってこない。平静を保って一日を終えたつもりが、2年前の病院で見たDの無残な姿が夢に出てきて、寝苦しかった。

テンムス in Haiti

2012年11月25日 | Haiti
ハイチに駐屯している自衛隊(PKO部隊)への慰労訪問に、名古屋で活動されている歌手の方が来られた。ハイチ在住の邦人も招待を受けたのでお邪魔する。コンサートの後は、懇親会も設定されていた。

日本語の歌を聞いて、日本語で話をして、日本の食事を堪能する。日本に居てたら、それだけのことなんやけど、地球の反対側でそれができることの幸せをかみしめる。

なんだか

2012年11月24日 | Haiti
今日は同僚の中でも親しいイタリア人Vさんの誕生日昼食会が、山奥の素敵なレストランであるというので、他の同僚ブラジル人Fと待ち合わせをした。待ち合わせ時間の予定時刻12時を30分過ぎても来ないので、時間を間違えたかなと思って電話してみると、遅れているという。

まあ仕方ないなと思って駐車した車内で待っていると、1時すぎになって突然、目の前でデモンストレーションの群集と投石で道がふさがれ、身の危険を感じ始めた。警察官が危ないから場所を離れろというので、動き出すももう一方の道もトラックが道をふさぎ、誰も通れさせない。唯一知っている脇道を通って難を逃れて、やっと来た同僚Fとその友人らと合流し、一息ついてから別の道を通ってレストランを目指す。しかし、別道は4駆でも険しい道で、上っていても車がずり落ちてくる。

そうこしていると3時になってしまい、今から行っても5時過ぎになるなと思い、夕暮れまでに戻って来れなくなるので、既に疲れていることもあり行かないことにした。遅れてきたF君らは、そのまま遅れて昼食会に到着し、深夜まで騒いでいたという。友人のVさんをがっかりさせてしまった。1)奴らが時間通りに来てたら、2)デモンストレーションがなかったら、3)交通の便利な会場だったら、参加できたのにと思うところはあったが、まあ、ここはハイチだからと言い聞かせて、忘れることにする。

コンゴ危機

2012年11月23日 | Democratic Republic of the Congo
先々週からニュースでも騒がれはじめたが、DRコンゴ東部の主要都市ゴマが、反政府武装勢力に制圧された。今年前半からいろいろ噂されていたのだが、とうとうきたかという感じ。うちのゴマ事務所は今週から閉鎖され、スタッフは自宅待機。

BBCのニュースでの写真は、出張時に毎日通っていた道。ユニセフの発表では、何百という子供が親と離れ離れになってしまい、反政府軍にさらわれる(=反政府軍として訓練させられる)可能性が大きいとの事。あいつらも大丈夫かな。

会計監査

2012年11月21日 | Haiti
外部団体による会計監査が自分が担当する事業を対象に先週から入っている。うちの会計部署がほとんど対処してくれて、自分は現物を見せにレオガンの現場へ同行する。

仮設住宅竣工後1年半の訪れた現場は、落ち着いた雰囲気になっていた(写真)。

ハリケーン・サンディ(3)

2012年11月14日 | Haiti
ハリケーン・サンディの爪痕はひどく、ハイチ西部や南部の稲田や農地も多くやられたので、将来(来年以降)の食料不足への危機が騒がれている。

多くのハイチ人が出稼ぎや移住しているニュー・ヨークも大きな被害にあったので、ハイチに住む人々がニュー・ヨークの家族や親戚から見込んでいた仕送りをしばらくはあてにできなくなった。

さらにクリスマス・シーズンが近づき、失業者の多いハイチで金銭を稼ごうと、強盗などの事件が多発してきた。ほんまに悪循環や。

Adoption

2012年11月08日 | Haiti
KinshasaのCさんから、『兄夫婦が(ベルギーから)ハイチに1週間来るから、夕食でも誘ってあげて。よろしく』という1行メールがドミ共に行く前日に届いた。そんな急に言われてもと思いつつ、連絡してみると都合よく今日会うことが出来た。

養子N君をもらいに(事前からやり取りをしていた)孤児院を訪れに来られたそうで、仕事でも観光でもないハイチでの滞在の話を聞いた。ハイチでは会うことのない、地に足の着いた素敵な夫婦(危険地で活動していない人々)にお会いして、ほっとした。

養子をもらうことに関しては、彼らの中でいろんな議論や葛藤があったことと思うからあえて触れず、こちらの仕事の話や先方のブリュッセルで生活の話などで、あっという間に時間が過ぎた。Godmotherになる友人Cより先に私がN君に会ったことに、Cさんは悔しがっていた。クリスマス休暇で存分に遊んでください。

ハリケーン・サンディ(2)

2012年11月06日 | Haiti
ハイチには上陸しなかったハリケーン・サンディだが、長く降り続いた雨は地方(特に西部)で洪水を起こし、ハイチ国内の被害家屋は何万軒にも上るという。

統計の取り方や、家屋の定義(家といっても掘立小屋のようなものも数に入っているらしいので)に問題があり、正確な数は把握し切れていないが、「状況は予想以上にひどかった」ということらしい。

確かに被害が一番ひどい地域からの情報は後から入ってくるのが災害の常だが、国内の祝日が続いていたので、被害状況調査が後回しになった感は否めない。来週から国連が世界各国にハイチ洪水被害への支援を訴えることになった。

空港ターミナル

2012年11月05日 | Haiti
ハイチに戻ってきた。震災の被害を受けた空港ターミナルは、まだ修理中(写真)。

飛行場旅客ターミナル
2010年1月の震災で半壊していたポルトー・プランス飛行場の旅客ターミナルの復旧工事が遅れているとニュースでやっていた。1年10ヶ月後にしてこの状態。来年1月の2周年にはとうてい間...

のど自慢♪(2)

2012年11月03日 | Peru
入院していた友人Lの育ての母親Iさんが退院したので、少しだけお見舞いに訪れる。麻痺が残っているかと予想したが、思った以上に元気そう(と気丈に振舞ってもらっただけかもしれないが)で、日本語の会話を楽しむ。

戦前(第二次世界大戦の前)にペルーのリマで生まれ育ったIさん(日系2世)だが、当時の日本語学校で日本から赴任された先生に厳しく教育を受けたとのことで、自分がこれまで日本で接してきた何十名という80歳代の中でもダントツに美しい日本語を話される。海外在住だからと日本語表現がおろそかになりつつあっても努力しない自分は見習わねば。

夜10時15分になると、「そうそう、のど自慢が始まるのよ」とせかされて、NHK(ケーブル放送だと思う)の日本からの生放送を並んで見る。日本との時差は14時間。今週の放送は、祖母の故郷の愛媛県。西予市とは聞きなれない名前だなと思ったが、雑巾がけで有名な校舎のある宇和町とかが合併した市だそうで、最初の地元紹介をなるほどと見ながら、一緒に遠い日本に思いをはせた。