in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

はじめに(3)

2016年12月31日 | Weblog
海外(=日本国外)生活が通算12年間を超えました。メールや手紙のやり取りの代わりに始めた、ごくわずかの知り合いにしか教えていなかったブログですが、いつのまにかその他の(私を直接知らない)方々も日々訪れてくださっているようです。現在は10年ぶりに電気・水道・交通に不自由ない環境の元で、災害(自然災害・人災両方)復興の後方支援をしています。

尚、このブログは筆者の主観的なコメントですので、所属機関の意向を示すものではありません。

はじめに(2)

2014年12月31日 | Weblog
海外(=日本国外)生活が通算10年間を超えました。メールや手紙のやり取りの代わりに始めた、ごくわずかの知り合いにしか教えていないブログですが、いつのまにか日々訪れる方々の数が3桁に増えていました。今年(2014年)はもう少し頻繁に更新できるよう努力します。

尚、このブログは筆者の主観的なコメントですので、所属機関の意向を示すものではありません。

スリランカからのお土産

2014年04月21日 | Weblog
スリランカの実家でスリランカ正月を休暇で過ごしたスタッフからお土産をもらう(写真)。

チョコレートの入った缶々なのだが、そのパッケージのコラージュがとても非常によくできている。スリランカと聞いて思い出す風景(もちろん象さん、茶畑、一本釣り、ハスの花、シギリア・ロック等等)が、のきなみ並んでいて、懐かしい前赴任地を強く思い出した。

台風ハイヤン

2013年11月12日 | Weblog
フィリピンのレイテ島周辺が、巨大台風により大被害を受けたニュースは、今日のハイチ新聞の一面になっていた(写真)。

この日曜日にマニラ事務所から「出張で来れないか」との連絡があったのだけれど、担当している事業が山場を迎えていて、ハイチの大ボスが首を立てに振らない。その判断も理解できる。今は、自分に与えられたことをしっかりやれ、そういうことなのだろう。

カブール職員殉職

2013年06月20日 | Weblog
カブール事務所が襲われた時に、重傷を負っていたイタリア人Bさんが今日入院先のドイツの病院で亡くなった。知らせを聞いたとき、声を失った。銃撃戦が始まった時に、運悪く屋外に居たのが他の職員との運(生死)の分かれ目だったらしい。

昨日ソマリアで国連施設が襲われたが、うちの組織も同じ敷地に間借りしている(た)。うちの職員は大きな怪我にはならなかったようだが、他の国連職員や民間人が20名強も死傷した。これも紙一重なのか。

カブール事務所復活

2013年05月31日 | Weblog
襲撃事件があった日から1週間もたたないうちに、アフガニスタンのカブール事務所が事業を再開した。某欧州出身のスタッフが大やけどし、病院に入院している以外にはスタッフの状態についてはニュースが入ってこないので、大丈夫なのだろう。

事件は、うちの事務所やスタッフが直接標的にされたのではなく、特定の人物をめぐって、約6時間の銃撃戦が繰り広げられたらしい。どんな状況だったのか想像に難くない。その攻防戦の中で、うちのスタッフを守ろうとアフガニスタン人警察官が殉職した。

事務所を再開するにあたっては、内部でいろんな議論があったことだろうが、ここでテロに屈してはいけない、という判断だろう。現地のスタッフに敬意を払うと共に、殉死した警察官遺族への募金に協力する。

カブール事務所攻撃

2013年05月24日 | Weblog
うちのカブール事務所(アフガニスタン)が攻撃されたと、昼休みにのぞいたBBC(英国放送協会)サイトのトップニュースになっていて、言葉に表せないほどの衝撃を受けた。

スリランカ事務所や駐日事務所からの知人4名がその事務所で働いているので、彼らの無事が懸念された。追って、本部人事部長からの全スタッフへのメールが来て、負傷したスタッフは出たが、死亡者はいないとのこと。それでも事務所が狙い撃ちされるとは、大変なことになった。

一緒に昼食を取ろうとしていた友人R(スリランカ時代からの親友)が食事も喉を通らないほどの影響を受けている横で、それでも食べて昼からの仕事に備えないとと平穏を装う自分がいた。

夜、一人になって、ふとこの業界で仕事を続ける不安が出てきた。

海水浴

2011年09月25日 | Weblog
車で片道3時間ほどかけて、Port au Princeから西の海へ。透明度が高く、昼飯の魚も旨くて大満足だった。ハイチ在住の日本人10名と丸一日行動を共にして、久しぶりに日本語だけの時間を満喫。