in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

いざ、ゴールへ

2005年04月30日 | Weblog
職種が違うため、未だ現場に出たことのないA先輩に誘われて、Galle(Colomboから南へ100km)まで急遽一泊二日で行くことにした。交通手段は、貸切タクシー。なんと贅沢な~と思ったが、途中被災地に寄ったりするので、そのほうが好都合であった。2日で運転手の宿食事代含めて7,000ルピー(約7,000円)ほど。

朝8時に事務所から出発。この1ヶ月休みなしで働いていたA先輩は、まさに知的行動派。私も今週はちょっと疲れていたので気分転換にと思い、その話にのって海へGO! 
南下するほど、海沿いの建物の被害が大きくなってきて、言葉につまる。

途中休憩しながら、車で3時間ほど走ったところで、目的地に到着。城壁都市Galleは、16世紀後半にポルトガルが城壁をつくり、その後占領したオランダがさらに拡張し、港に突き出た街を形成している。城壁のため、城壁内の旧市街には被害が及ばなかったが、周辺部が大きく影響を受けたそうだ。街中を歩いていると、オランダ時代のコロニアルな建物が多く並ぶ中、寺院やモスクがあり、今自分がいる場所が、どこかの国の昔にさかのぼったような感覚におちいった。

宿にチェックインした後、目の前の海で泳ぐ。海水浴に来たのは何年ぶりだろうか。その後、夕飯を食べながら、仕事の話や将来の話をする。Aさんは奥さんと子供を残して、スリランカに来ているので、家族と離れて仕事をするのは問題が多いと語っておられた。仕事と家庭の両立の話になって、私は結婚相手よりも仕事を選ぶと答えたら、それは相手を本気で愛していないからだよ、とサラリと言われた。ふと空を見上げると、澄んだ空から星たちがこぼれそうだった。

工事再開!

2005年04月29日 | Weblog
 すったもんだあったものの、今日から工事再開ということで、他の現場とともに様子を見に行った。例のグランドでは、50人近くが作業していた。図面の雨水溝の位置が、実際と少し違ったらしく、S先輩に指摘を受けて直した。

これから3週間で竣工の予定で、テント生活の住民に完成した仮設住居へ移ってもらう作業と、テントを片付けた後の敷地に仮設住居を建てる作業を平行して行う。入居予定の家族の一覧表があり、現場担当のD君が中心となって避難所リーダーと相談しながら、どの家族からどの家に入居してもらうか決めるらしい。

今日は始終、Rさん(これからR親方と呼ぶことにする)と行動を共にする。施工精度が悪いものや資材の管理が悪い業者には、R親方が現地語で容赦なく喝を入れる。業者側は、なんだかんだと言い訳をしてくる。下請けのそのまた下請けの労働者になると、今まで工具を持ったことがあるのかと疑うくらい出来が良くない。自分も指摘するが、慣れない英語に元からの性格もあり、あまり効果がない。ため息が出る。

その後、Kaluturaの役所に行き地図をもらった後、新しい現場となる寺院の境内を測りに行き、事務所に帰ると夜8時前になった。これから作業しようと机に向かうと、既に帰ったはずのPさん(これからP師匠と呼ぶことにする)から、「今どこにおるねん。予定がないなら、その辺の連中誘って、一緒に飯でも食わへんか」と近くの店で一杯始めている様子。まあ、金曜の夜やしなあと、すぐに片付けてP師匠と合流。

工期が予定通り進んでいないこと、その理由が被災者とはまったく関係のないところにあることに、お互いに心を痛めていたので、ジョッキを片手に始終その話題になる。「2週間ちょっとたち、君もうすうすわかってきていると思うけど・・・・・(以下、略)」と切り出すP師匠。閉店まで居座って、帰宅した。二人とも、かなり飲んだ。

情報交換

2005年04月28日 | Weblog
職場には日本人の職員が2人いる。とても優秀な方々で、何かと教えてもらったりしている。そのうちのC先輩がアフリカ某国に栄転されるため、来週早々に退職されるとのことで、もう1人のA先輩と3人で日本食レストランに行く。メニューは限られているが、畳に座って居酒屋形式なのがいい。話を聞いていると、お二人ともさまざまな経験を持っておられ、国際機関での常識や働き方について助言を頂く。現在の職場の状況なども教えていただき、そういうつながりがあったのか~と、いくつか謎が解けた。C先輩なら、新天地でもバリバリ仕事できることでしょう。おめでとうございます。

Tokyo事務所発行のニュースレターが完成し、自分の書いた文章が載った。両先輩から、お褒めの言葉を頂き、嬉しさ倍増。やはり、自分は単純なのかなと感じる(苦笑)。

今日も現場には行かず、事務所で過ごした。

からいとつらい

2005年04月27日 | Weblog
敷地の変更や確認待ちで、今日も一日内勤であった。事務所にいると平和すぎて、現場で起こっていることが遠いことのように感じる。友人がこの写真を絵葉書みたいに(現実から離れているように)思えると表現したが、それぐらいの温度差があるように感じる。

昼食に近くの持ち帰りの店でカレーを買ったが、今日のカレーも激辛だった。スリランカ人は辛いのが好きと聞いていたが、ここまで辛いとつらいものがある。探せばサンドイッチや日本食もColomboにはあるが、平日にはなかなかそれらを手にいれる余裕がない。毎回、汗でビチョビチョになっている。ちなみに、インド人も辛いと言っていた。辛い(からい)と辛い(つらい)が同じ字であることを身をもって体験する。

 尼崎の事故で100人近くが亡くなったと聞いて唖然としている。同僚たちが、あれだけ技術の進んだ日本でなぜ?と聞いてくるが、数分の遅れでクレームが生じる日本社会に根本的な問題があるように思えて仕方がない。


人間関係

2005年04月26日 | Weblog
今日は一日内勤だった。Tokyo事務所が毎週発行するニュースレター用の原稿を書いたり、図面を直したりする。普段は昼から現場に出るので慌しいが、今日は比較的ゆっくりすごすことができた。
前の職場の方に教わったが、「仕事の良し悪しを決めるのは、人間関係」。まったく、その通りだと実感する出来事が昨日、今日と続いた。
 
昨日から、住んでいる家にセビリア人が仲間入りした。今日は、夫婦で住んでいるマセドニア人の奥さんが夕飯をご馳走してくれた。

さしいれ

2005年04月25日 | Weblog
PさんがAmparaやTrincomaleeなどの東海岸の現地事務所を廻って、事務所に戻ってきた。「一人にさせて悪かったな」と言われると、心配してくれてはったんやなと嬉しい。東側の様子を聞くと、Colombo周辺よりも資材調達や施工業者の確保が難しいながらも、Colombo周辺に比べて順調に進んでいるようであった。何が違うのだろう(ここでは省略)。現地では、さまざまな組織が支援に入っているようで、いったいスリランカ全体でいくつの仮設住宅をつくるのであろうか。仮設よりも恒久住宅をつくったほうがいいのではないかという声があり、一方で、今作っている仮設が(住民が住みついて)恒久住宅になるのではないか、といろいろ言われている。

昼から、役所に確認をもらうための図面をDに渡しにいく。その帰りにいつもの現場による。汗だくになって敷地内を歩いていると女の子がやってきて、もどかしげに一切れのスイカをくれた。嬉しくて食べるのがもったいないと思ったけど、写真を撮ってかぶりつく。カラカラに渇いたのどに甘いスイカが通っていく。この味は忘れないやろうな。
帰りに母親らしき人に御礼を述べると、隣のおばちゃんが「あんたには頑張ってもらわなあかんからね。早く仕上げておくれよ」とのお言葉。なるほど、スイカにはそんな意味がこめられたわけですね。

事務所に戻って一仕事した後、PさんとDと3人で飲みに行った。3人とも工期が遅れている原因をわかっているのだが、自分たちではどうしようもない力がはたらいていて、今は堪えるしかない。できることからしよう、そんな話で終わった。言いたいことをうまく表現できない自分自身にひとり腹が立った。

朝出かける前にテレビを見ていたら、尼崎での脱線事故のニュースが飛び込んできた。

のどかな休日

2005年04月24日 | Weblog
たまった洗濯物を洗うために洗濯機をフル稼働させている間、たまった日記を書いている。窓際に机があるので、座っていても外の様子がよく見える。目前の木々にオウムがとまったり、リスが走り抜けたりする様子を眺めていると、被災地のことが遥かかなたの出来事のよう。窓を全開にして天井のファンを回している。穏やかな風が吹いてくるが、湿度が高いので、じっとりと汗が湧き出てくる。

そうこうしていると、持ってきたラジオから『ケ・セラ・セラ』が流れてきた。まさに、そんな気分。

家探し2

2005年04月23日 | Weblog
午前中に不動産屋と約束をして、物件を見せてもらう。2DKのマンションで家具・電化製品付で50,000ルピー/月(=約5万円/月)、広さは70平米ぐらいだろうか。入り口には24時間守衛がいて大家さんも隣の家に住んでいる。職場へは車で10分ぐらい、徒歩数分に市場もあるという好立地。ここに決めようかと思ったが、一度、職場に戻って同僚に相談する。

「その物件もいいけど、今3人で住んでいる家の2部屋が空いたので、一緒に住まないか」というお誘いを受ける。先週、一度訪れたことがある家で、職場にも近く、おもしろそうなので、その話に乗ることにする。ということで、一人暮らし計画はまたもや延期。昼過ぎにホテルを引き払って、荷物を移動した。

そのまま、職場に戻り月曜に渡す図面の続きをする。作業していると職場のトップが通りかかって、初めて挨拶をする。向こうは何回か私を見かけているとのこと、気がつきませんでした。(汗)


ここはどこ?

2005年04月22日 | Weblog
新しい現場の様子を見に行くことになった。今日の運転手は英語が話せないので、事前に行きたい場所をシンハラ語の話せる先輩に説明してもらい向かった。(地図があればよいのだが、どうもないらしく、運転手が地図を読めるとも限らないらしい。)
現場では、Field Officer(現場担当官?)のDと待ち合わせしていたので、携帯で「着いたよー」と連絡する。Dが15分後に到着するとのことで、それまで敷地内をうろうろする。この場所も学校の運動場にテントが張られている。他の機関がすでに仮設住宅を建設していた。雑貨屋も発生していた。

しばらくしていると、「どこにおるねん」との電話がかかってくる。「だから、さっきから待ってるで」と答えると、「今、青いテントのそばにおるから、早く来い。」と言われてもここには、青いテントなんてない。

え、ここはどこ?

先輩か運転手の勘違いと思われるが、いまさら仕方がない。場所をかえて、Dと待ち合わせすることにしたが、その場所を運転手にうまく伝えられない。自分も道を完全に覚えているわけではないので、結局、わかりやすいKalutaraの大寺院前で待ち合わせする。

無事に落ち合って、新しい現場(廃校跡地)へ行くことができた。
帰りに例の市民グランドにより、避難所責任者の数人に配置図について意見をもらう。トイレに近い住宅の移動を求められた。やはり臭いが気になるとのこと。250戸の住宅に、850名前後の人が2年間生活することになるのだから、ちょっとした村の誕生である。

もう一度、敷地をまわって確認していると、3日前(4/19)に何もなかった場所に仮設の家が建ち始めている。ちょっと、待ってや。作業をしていたのがテントの住民だったので、事情を聞くと、他の組織の支援を受けて、家を建て始めたとのことである。
「来週にも工事に入るから、無計画に家を建てないでほしい」と説得しても、
「もう4ヶ月もたっているし、雨期が近づいているから、待ってられん」と聞く耳を持たない様子。そもそも、英語がほとんど通じていないようで、会話にならない。そうこうしていると、40人、50人とテントから人が集まってくるし、同行したDは、「数日前に担当者会議をしたときには何も聞かされなかった。信じられない」と切れるし、もうどうしようもない。お互いの組織の担当者間で調整をしてもらうことにして、ひとまず引き上げる。

途中、アイスを食いたいというDに付き合って、寄り道する。大分落ち着いた様子で安心した。

図面と格闘

2005年04月21日 | Weblog
一日、図面と格闘する。
トイレは15人に1個ぐらいやったかなと、記憶を掘り起こしたりしながら、書いていると、同じ仮設住宅担当のSさんが、これで勉強しろと”Camp Management Toolkit”という本を貸してくれた。UNやデンマークやノルウェーのRefugee Council(難民協議会?)等による難民キャンプの運営に関する本で、主にアフリカ難民を保護する目的で書かれている。

詳細は、以下のサイトよりダウンロードできる。
http://www.nrc.no/camp