in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

記念写真

2012年01月28日 | Haiti
週末行事でみかけたハイチ人警備員(写真左)と記念写真。ハリウッド映画から出てきたような格好だが、こんな体格の持ち主がハイチにはゴロゴロいて、ケンカしても(するわけないが)とうていかなわない。

知っておくべきこと

2012年01月27日 | Haiti
セキュリティの理由で、もし何かあったときに駆けつけられるようにと、緊急連絡用に電話番号や住所を記入するのは普通と思うが、地図や住所表示がしっかりしていない国では、GPSコード(北緯何度、西経何度)や位置を記入した衛星写真の提出を人事部から求められる。

コンピューターに不慣れな職員もいる(運転手とか)ので、周りのできる若手職員に手伝ってもらって書類を作成するのだが、あーだこーだと言いながら雑談がうるさい。今日は『自分の家の場所がわからない』という会話が聞こえてきたので、一緒になってからかっていた。よく見ると掘立小屋が密集している地域(写真)で、確かにわかりにくい。うちの仮設住宅よりも彼の家はよくなさそうだ。単に、方向音痴だと思って(それをからかうのも良くないが)、からかっていた自分の無知を恥じた。本人は全く気にした様子は見せなかったが。

スリランカの紅茶の産地で、高原のヌーワラ・エリヤというところに行った時、涼しいので毛糸の帽子とかジャンパーを着ている人が多いのに、足元はゾウリ。何で靴をはかないんやろうとからかっていたら、ずっと後になって、靴はとても高価であることに気がついた。今日、それとまた同じような間違いをした。

震災17年

2012年01月17日 | Haiti
今日で神戸の震災から17年。これまでは、震災と言えば阪神淡路のことを指していたように思うけれど(関西人だから?)、去年の東日本大震災からは、神戸の震災、東北の震災と付け加えるか、それとも後者は、3.11(サン・テン・イチイチ?)で表現されているのだろうか。

神戸と東北の震災は、自分が日本に居ないので想像するに、いろんな現象や制度が比較されているのだろう、「みなし仮設住宅」とか。財源支援だけでなく、地方自治体に権限が譲渡されれば、制度の自由度が高まって被災者のニーズに応えやすいと思うが、東北の市町村ではそこまで強気に出られるのか、気になるところ。

震災16年

震災2周年

2012年01月12日 | Haiti
ハイチの震災から丸2年。昨年と同様、政府が休日と宣言したので、多くのスタッフが家族と亡くなった人々を偲ぶために教会に行った。事務所も外もひっそりとしていた。

今年は溜まった仕事は置いといて、ハイチ人スタッフ3人と外へ繰り出す。いつもの休日よりも静かで、普段1時間はかかるであろう目的地も20分程で到着。どんな様子か見て回る(写真)。震災が起こった2010年の1年間よりも、2011年の1年間の方が目に見える復興が顕著なのは、準備や資金準備に時間がかかったからだろう。

道中の瓦礫の山も、昨年に世銀や米国国際開発庁が大規模な事業をたちあげたこともあって、かなり片付いている。今後のハイチの課題は、失業率の改善。どこかの新聞に70%とか書いてあったが、少なくとも50%は超えているだろう。収入がないと家族を養うために窃盗などの罪を犯さざるを得ない悪循環が起こりやすい。

以下、The Atlanticの写真ブログ。言葉なしでも強烈に訴えかけてくれものがある。
Haiti: 2 Years After the Quakethe, Alan Taylor, In Focus, The Atlantic