in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

怒り爆発!

2005年05月31日 | Weblog
朝一で、技術職員R呼び出し、いくつかの現場の写真を見せながら、説明を求める。
私「ここの柱がないんやけど」
R「あ、それは盗まれました」
私「は?」
R「先週までは、あったのですが、同じ敷地内の避難所で暮らす被災者に盗まれました」

確かに資材置き場で資材が盗難されるケースは、これまで何回かあったが、建てた家の柱を抜き取るとは考えられない。それに、梁に柱との接合跡がないこともチェックしていたので、Rのミスには違いない。正直に答えれば、一緒に対策を考えようと思っていたが、そんな態度に出るなら容赦しない。

私「1棟だけではなく、何十棟も柱がなかったが、すべて盗まれたというのか?」
R「そうです」
私「床の仕上げをする前に気が付かなかったのか?」
R「自分がいない間に業者が勝手に進めました」
私「他にも図面との相違点がいくつか見られるが、その理由は?」
R「・・・。図面そのものが間違っていたので変えました。すべてはP(=P師匠)のミスです」
私「(プチンッ)では、なぜこれらを報告しなかったのか」
R「する必要がないと思っていました」
私「どこが間違っているか説明してくれ」
R「あの、その。。。。。 (うにゃ、うにゃ、うにゃ)」
私「話にならん。お前なんか、Engineerちゃうわ!」
と、そのままCチーフの元に向かう。Cチーフの指示で、Rに文章による回答を求め、適切な回答が得られなければ首にするということになった。

昼に同僚らと中華料理を食べに行く。普段は昼食を食べに行く時間がないが、今日は気分転換に出かける。「さっき、えらい怒ってたなぁ」と聞かれたので、理由を話すと共感された。Rは雇用契約時にも都合のよい嘘をついていたらしい。

午後から気を取り直して作業をしていると、大工養成学校の現場で開村式が明日行われることに急に決まり、電気工事の段取りを頼まれる。急な工事なので多少の増額は仕方ないが業者の示された工事金額があまりにも高かったので、R親方に電話すると明日に間に合わせるためには条件をのむしかないとのこと。しかし、現場のS君はそんな金額はありえないと抗議電話してくる。決断を迫られるが、事務所には技術的なことを相談できる人が誰もいないので、どうしようもなくKatmanduのP師匠に国際電話する。が、奥さんが出てこられて、外出中のこと。う-ん、とうなっていると開村式が来週に延期との連絡が入った。

放心状態で机に座っていると、R姉御に、「最近、働きすぎじゃないの? 私生活も楽しみなさい」と肩を叩かれたので、「そんなこと言われても・・・・」と、国際機関で働く難しさをつい愚痴ってしまう。「私も最初(?0年前)はそうだったけど、時期に慣れるわよ」とあっさりしたもの。でも、そんな会話の表面的な軽さ(実際に意味するものは重い)が、自分にそんなものかなと思えるきっかけを与えてくれる。

仕事にキリがついたので、先ほどお騒がせしたお詫びをとP師匠宅に再度電話する。「急ぎでお聞きしたいことがあったので、申し訳ないとは思いながら日中にお電話したのですが、無事に解決しました」と伝えると「そうか、そうか、電話してきてくれてありがとう」といつもの調子。それ以上の仕事の話はしないつもりであったが、私の置かれている環境を一番わかってくださるP師匠についつい話が長くなる。「そんなことになるだろうとはわかっていたよ。でもな、Things will get better, soon.」と聞き慣れていたコメントを久しぶりに聞いて、なんだかホッとした。近況を尋ねたところ、数年ぶりの自宅暮らしを楽しみ、ガーデニングをはじめたとのことであった。電話の向こうから、小学生の娘さんの歌声が聞こえていた。

Negomboにうちの機関が200戸近い仮設住宅を建設することが正式に決まった。

バスに乗ったで。

2005年05月30日 | Weblog
Galleの役所でK先生とその学生と待ち合わせて、仮設住宅担当課に向かう。Galle周辺の住宅の全壊、半壊件数のデータ、およびGalle周辺のGIS地図データを入手することが目的だが、閲覧させてくれるのか半信半疑のまま、話を進めていく。Galle県内の市町およびさらにその下の区単位でこれらのデータが入手できることとなった。紹介されるまま、Galle県知事にもお会いする。やはり、上に立つ人は品格があるなあと実感する。

ぎりぎりの時間まで付き添った後、K先生と別れて、役所の車でMataraまで送ってもらう。現場事務所では、まずP所長に挨拶すると、よく来てくれたと出前(カレー)をとってもらい、お互いに食事をしながら、Mataraの近況を聞く。4週間前に数日(5/3-5)滞在しただけなのだが、現地職員の人らも覚えていてくれて歓迎される。やっぱり、ここの雰囲気はいいなあと思う。

現場職員L君の案内で、現場の確認をする。Mataraでは、ほとんどの場合被災者の所有地に一戸ずつ建てている。しかしながら、海岸線より100m圏内の建築規制がかかっている場所に住んでいた住民や、敷地が狭くて仮設を建てると恒久住宅を建てられない住民のために、寺院の境内に建てている現場(写真)があり、そこの進行具合を見る。ところどころ、柱がなかったり、床の仕上げが粗末であったり(体重をかけるとひびが入る)、かなりひどいため、L君に通訳してもらいながら下請け業者に注意する。どうも図面が読めないらしく、ため息が出る。担当の技術職員R(注:R親方とは別人)は何をしてきたのか、不信感がつのる。

Mataraの役所で担当課のW氏に、頼まれていた集会所の図面を渡す。「建てたいんだけど、予算がなくてねぇ」とW氏。それって、うちで建ててほしいってことですか?と確認しそうになってやめる。「そうしてくれるかなぁ」って言われるのは目にみえているので、上の人ら同士の会合時の案件になるまで保留しておく。役所では、以前、お会いした韓国人設計士のP氏にも再会した。明日から、Colomboに来られるとのことで、こちらの連絡先を渡す。

現場事務所に戻り、P所長に現場の不具合を報告すると、心を痛めておられた。Matara事務所は地元業者とうまく仕事をこなしてきていたのに、Colombo事務所のある人物が紹介した業者と技術職員Rが原因でこのようなことになり、自分としても残念である。Colomboに戻って対策を練ることを約束した。

一泊してから帰ろうか迷ったが、明後日からCチーフが休暇に入るので、今日中にColomboに戻ることにする。夜8時発の路線バスでMataraからColomboまで帰る。猛スピードで走るため、よく揺れる。そのたびに窓に頭をぶつけて目が覚めては、寝ての繰り返し。3時間半ほどで家に着いた。長い一日だった。

電車に乗ったよ。

2005年05月29日 | Weblog
仮設住宅の建設目標期限が今月末なので、仕事が何かと立てこんでいる。朝から現場事務所からのメールの返事を書いたり、記録用のための図面の訂正をしたりする。

明朝、Galle役所でK先生と待ち合わせしているので、今日中にGalleに入ることにする。普段は、会社の車で送ってもらうが、電車に乗ってみたかったので、ColomboのFort駅(写真)から16時の電車で向かうことにする。所要時間は約3時間、海岸線沿いを走る。今日は、あいにくの雨であったが、ガタゴトと心地よいゆれとともに車窓を楽しんだ。片道36ルピー(約36円)なり。

車中にて、海軍で訓練中というR君に話しかけられ、1時間ほど世間話をする。どうやら、英語の練習がしたかったようで、名前は?、歳は?、職業は?というレッスン1から始まり、将来設計を問うレッスン6(?)ぐらいまで、話が進んだ。こちらの意図が伝わらない場合は、同じ内容のことを別の言い回しで話す必要があり、私も勉強になった。

Galle駅前に降り立つと、客引きのおじさんに誘われるまま、今日泊まれそうな宿に案内される。ひどかったり高かったりしたら断ろうと思ったが、まあまあだったので値段を確認して交渉成立。一休みした後、夜の旧市街を歩く。ここは、4/30の昼間にも来たことがあり、好きな町のひとつ。道幅は4mほどで、両脇に平屋もしくは2階建ての建物が並ぶ。玄関や窓が開放され、家の中の話し声やテレビの音が聞こえてくる、平和そのものの空間を体験する。

嬉×喜×幸

2005年05月28日 | Weblog
出勤前に某ホテルのロビーで、日本から調査で来られたK先生にご挨拶する。週末の調査に同行する予定であったが、現場の都合でやむを得ずお断りする。私の持っている情報提供およびGalle役所との会談の日時調整をさせて頂く。

今週から電気をつけていた現場の様子を見に行く。すでに、住民により色が塗られて、見栄えが断然よくなったものがあり驚く。そうこうしていると、開所式が始まるから出席してくれと避難所リーダー(役場担当者)が言う。うちの機関としては、何も聞いていなかったので、Cチーフに連絡するがBill(クリントン氏)と会っているらしく連絡がつかず。他の先輩にも連絡するが、出張中とのことで、私が出席することになる。県知事の横に座り、式典を見守るが、何が話されているのか全く見当がつかず。”Tsunami”だけは聞き取れた。同席したS君によると、「津波によって、私たちは大きな被害を受けたけれど、今日こうして仮設住宅を手に入れることができました。感謝して、新しい生活を始めましょう」という内容であったらしい。その後で、被災者の人たちから、お祝い事用の食事が振舞われた。さらに、建設前にいろいろ不満をぶつけてきた被災者の方から、握手を求められたことが、式典以上に感慨深かった。

昼から、集会所が建てられている現場に様子を見に行く。P師匠のかいた住宅図面を参考に、自分なりにアレンジしただけのものであるが、描いたものが形になる喜びを実感する。80%近く完成していて、すでに子供らが中で遊んでいた。

事務所に帰ってきて作業をしていると、Cチーフの家に夕食をよばれることになる。R姉御とベラリュースのO君と三人でCチーフの家に行く。車をおりると、目の前には20階建の高層マンション。日本でいうところの六本木ヒルズとでも言えようか、感嘆するばかりであった。家にあがると、君は興味があるだろうからとCチーフが自ら各部屋の隅々まで見せてくれる。調子に乗って「避難経路は確保されてますか」と聞くと、「さすが、専門家は視点がちがうねぇ」と好印象。R姉御の手料理パスタを囲んで、会話を楽しむ。今日までCチーフには苦手意識を持っていたが、口下手な自分を彼なりに理解してくれようとする配慮に気がつき、それがとても嬉しかった。

嬉しいことばかりが続いた一日。楽しいことがあれば、昨日までの苦労は消えてしまうのだから不思議なものだ。

いす取りゲーム

2005年05月27日 | Weblog
午前中は、Colombo事務所の所員が集い、某ホテルの会議室で輪になってミーティング。50人ほど集まった(写真)。現場事務所の職員を合わせると、120人を超えるであろう大所帯だが、技術職員は6人(Colombo勤務は3人)で、肩身が狭い。うちの職場では、仮設住宅建設のほかに、救援物資の輸送、生計をたてるための職業訓練、カウンセリングなども行っている。

今回のミーティングは、各プロジェクトの進捗状況の報告がメインであった。仮設住宅の話題のときに、恒久住宅(復興住宅)についての質問が出て、思わず「仮設住宅を建設することは重要だが、そろそろ建設数を増やすことより、恒久住宅について考えていかないと、数年後の問題(仮設住宅に被災者が定住する、グランドや校庭が使えないままとなる)を先送りしているだけではないか」と意見する。途中でドモってしまい、どこまで伝わったかわからないが、ミーティングの後、賛成といってくれる同僚がいて嬉しく思った。大ボスには、恒久住宅建設は、土地や予算、被災者の選別などクリアすべき問題が多すぎて、現時点での参入は考えられないと却下された。

昼から、工事契約書を結ぶために、業者の人に来てもらう。途中で計画変更が入り、文章を訂正するのに手間取る。その間に、サインをしてもらうCチーフが会合のために外出してしまう。仕方がないので、業者には一度お引取り願った。段取りの悪さに自己反省。

P師匠がいなくなって、仕事のResponsibilityが増えたのは当然だが、彼のこれまでの指導や引き継いだ資料のおかげで何とかやりこなせている。何が一番変わったかというと、ある技術職員の態度である。雇用形態上、私が上にたつことになったが、どうやらそれが不満らしく、陰でいろいろ言っているらしいことが聞こえてきた。それだけなら、よくある話でさほど気にしないが、現地語しか話せない業者と仕事をするときに、結託されるとどうしようもない。誰を信じてよいかわからなくなる。

夜は、同僚たちに無理やり誘われて中華料理を食べに行った。仕事が残っていて、そんな気分ではなかったが、円卓を囲んで酒を飲みながら、言いたいことを言いあって、気分が楽になった。明日も現場があるので、2件目のバーに行く彼らと別れて帰宅する。こんなとき、内勤の彼らを少し羨ましく感じる。


門出

2005年05月26日 | Weblog
工事契約書の草稿を準備するが、こうした公文書に出てくる英語は、不慣れなもので困る。似たような内容のものを見様見真似で作成し、Cチーフに持っていく。忙しくなさそうな時に持っていくので、「今からお茶でも飲もうと思ってたのに。。。。。まあ、座りなさい」といった感じで添削してもらう。日本語だと「てにをは」や「漢字」をチェックしてもらうレベルなので、恥ずかしいが仕方がない。この任務中に、少しはマシになったと言われてみたい。

R親方が午前中の就職活動の面接から帰ってくる。結果を聞くとバッチリで100%確信を持っている様子。最近、調子のよい発言が目立っているR親方なので、真相の程は定かではないが、求められている人材として適任であろうと感じている。彼がいなくなると、仕事の相談できる相手がますますいなくなる寂しさが頭をよぎるが、彼の成功を心から願う。

S君(写真)が担当している現場は、ほぼ竣工に近いので、彼も今月いっぱいで職場を去り、イギリスに帰ること知り残念に思う。親父さんが建設業を営んでいたので、学校帰りによく手伝ったとのことであった。

昼から現場を回り、例の仮設住宅を貫通していた木(5/12参照)が切られていたことがわかり安心した。

救世主あらわる?/What a relief!

2005年05月25日 | Weblog
職場に見知らぬスリランカ人が訪ねてきた。Ampara勤務の技術職員M氏だった。以前、電話で簡単に話したことがあっただけなので、すぐにはわからなかったが、「君と仮設住宅の技術的なことを話したくて、夜行バスでやってきた」とその言葉だけで涙が出そうなくらい嬉しかった。

昨夜、仕事後にバスに乗り、9時間かけてColomboまでやってきたとのこと。もちろん、そのほかにも用事があったらしいが、半日かけて現場の抱える事情や諸々についての話を一緒に行った。
建材リストの訂正や、柱にシロアリが発生している例が見られるのでその対策を依頼される。P師匠が以前話していた通り、M氏は経験豊富な方でAmpara地域のプロジェクトがうまく進行しているのも彼の力量と察する(写真は、3/30のもの;P師匠撮影)。そのほかに、集会所の設計も見てもらって意見を請う。大方は問題ないとのことで、一安心する。
・内部の柱は、子供らがはしゃぎまわるので、角柱よりも丸パイプのほうがいい。
・屋根の鋼板は暑いので椰子の葉で編んだシートをのせると暑さがやわらぐ。
等の意見を頂いた。

R親方と3人で昼飯を食いに行く。M氏は、R親方の大学の5つ後輩ということで、ますます親近感を持つ。話の途中、Colombo本部を離れて、現場事務所勤務の希望を出そうかと考えていると相談すると、本部に留まって現場の技術職員を支援してほしいと頼まれる。相談したいことがたくさんあったが、夕方の夜行バスに乗り、明朝には現場に立つとのことで、16時前に帰られた。

Cチーフに、M氏は一言連絡してから来いと叱られていたが、彼の突然の訪問でもう少し頑張ってみようという気持ちに私はなった。


Vesak(ウェサック祭)

2005年05月24日 | Weblog
米国元大統領クリントン氏が国連大使になって、被災国を回っていて、今週にスリランカにも来るらしい。うちの仮設住宅の現場に来るとか来ないとかで職場内が慌しい。事務所にいると、いったい誰のために仕事をしているのか見失う。

寄り道をして帰ろうと、いつもと違う道を通ると渋滞でまったく動かない。車を降りて、そのまま歩いていると、電光装飾で覆われたオブジェがとびとびに1キロ近く並んでいる。Vesak(ウェサック祭*)の慣習だそうで、こうした装飾を一目見ようと人々が集まっている。歩きながら見ている人、車窓から眺めている人などさまざまで、ルミナリエと七夕祭りをあわせたような印象をもった。

うちが雇っている業者の職人たちもこれぐらい気合入れて作ってくれたらいいのにと思ってしまうのは職業病? 通りすがりに、ハイエースに20人近く乗り込んだり、軽トラの荷台に10人ほど乗って、見ている姿をみるとなぜか、ほほえましく感じた。


* 5月の満月の日は、Vesakと呼ばれ、『地球の歩き方』(ダイヤモンド・ビッグ社)によると“仏陀の生誕、成道、涅槃を記念し祝う”らしい。 

おもてなし隊

2005年05月23日 | Weblog
祝日で職場は休みだが、現場の工事が連休で動いていない間に片付けておきたいことがたくさんあったので出勤する。これまでに変更のあった図面の訂正や、なんやかんやをする。

夕食に職場の大ボスやCチーフが我が家を訪ねてくるということで、同居人たちと夕方から家の庭でBBQの準備をする(写真)。同僚の男性4人(自分含む)で職場のお揃いのTシャツを着てお出迎えする。バルカン半島人たちの焼き方を見ていると、日本のそれと変わらないので、妙に感心してみたり。つまみ食いをしていると、R姉御に叱られたり。最初は緊張していた会話も酔いがまわると何とかなることを実感。

ニゴンボ・ビーチ

2005年05月22日 | Weblog
今日こそは一日休むぞと意気込んでいたのに、昨夜、R親方から「明日9時から、電気業者と打ち合わせするから来てくれ」と電話があり、しぶしぶ了解する。同居人たちにColomboの北約1時間のNegomboにあるビーチに日帰りで行こうと誘われていたので断ると、「午前中に終わるなら、待ってるから一緒に行こう」とのこと、その言葉だけでも嬉しい。

いつものように出勤し、何とか午前中に終わらせようと試みるも、9時の約束が、10時過ぎにやっと業者が来て、打ち合わせ開始。そもそも、先週の大ボスの一声で、仮設住宅に(他の機関ではなく)自らが電気設備をつけることになった。正直なところ、電気の配線図はわからないので、予算で決められた照明のソケット(2ヶ所)とコンセント(1ヶ所)のつけたい場所を示し、業者さんに教えてもらいながら打ち合わせ終了。

昼前に職場まで迎えに来てもらって、ハイエースに無理やり9人乗って、ニゴンボ・ビーチへ行く。波が高く、ライフガードに泳ぐのは危険だからやめたほうがよいといわれ、少しつかって、海水浴は終了。その後は、そばのホテルのプールで泳いだり、昼寝したりして、夕方に帰宅。そのまま、ベッドに直行した。