in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

地震による死者数

2011年05月31日 | Haiti
ハイチ政府発表による死者数約31万人(25万人から2011年1月に上方修正)が、大げさじゃないかという報告書がまとめられつつある。まだ草案段階らしいが、どう見積もっても8万人ほどだという。

U.S. report: Haiti quake death toll exaggerated (CBS News)

数自体を議論しても、犠牲者や被災者が報われるわけではないのだが、とりあえずこの数にしとけみたいな姿勢が政府側にあったのであれば(経験上大いに考えられる)、彼らが関与した全ての資料や発言に対する信憑性が失われる。被害の規模を大きく報告してより多くの支援を受けようとも考えたのだろう。

さらに、上記の犠牲者数を今まで認めてきたUNや国際機関の姿勢にも問題がないとは言えず、今後しばらく議論されるだろう。

ぐねった/sprained

2011年05月30日 | Haiti
週末に右足をぐねってしまい、UN診療所へ。レントゲン写真も撮ってもらい、骨には異常なしの捻挫だった。かなり腫れて痛みが伴うので、痛み止めの注射をしてもらった。患部付近にするかと思いきや、ズボンを下げてくださいと尻への注射。知り合いが非番で良かった。

事故が起こるときは、たいてい3つ以上の要因が重なるという。挙げてみると、
1)酔っていた
2)階段の段差が不均衡だった
3)初めてに近い(不慣れな)場所だった
4)電灯が停電で消えていた

まあ、不注意と言えばそうなのだが仕方ない。久しぶりの松葉杖生活に、うちのスタッフの手厚いサポート(送り迎え、食糧配給等)を受け、2週間ほどペースダウンの生活を送ることになる。

昔とった杵柄?

2011年05月27日 | Haiti
金曜の夕方ということで、職場の連中らと簡単な飲み会の後、珍しくクラブへ。奥の方にあって前から気になっていたビリヤードを、同僚パキスタン人Wとすることに。久しくやっていなかったが、高校のときに先輩の手ほどきで毎週やっていたので、それなりに思い出してくる。

ルールは日本の『8ボール』と同じようなもので、2チームに分かれて、各々単色(1~7)か縞模様(9~15)をポケットに落とし、最後に黒8を落とした方が勝ちというもの。新参者であったのに、台を囲んでいる強面なハイチ人たちは、とても親切だった。

最後の方は1週間の疲れが出たのか、音楽がガンガンかかっているにもかかわらず、順番を待っている間に寝ていた。

事業延長申請

2011年05月25日 | Haiti
仮設住宅建設事業の進捗状況が遅れ、締切日までの全戸完成が危ういので、ドナー(支援国、支援者)へ事業延長願届を出す、その書簡の下書きをする。

だいたいフォーマットが決まっているので、あまり考えずにぱぱっとやって上に送ると、"No cost extension request(予算額内で実施期間のみ延長願い)"と書くつもりが"No extension request(事業延長なし願い)"となっているとの指摘が。思い切り間違えた。

マスコット

2011年05月23日 | Haiti
ザンビア出身の同僚が、鶏肉はもう飽きた。ヤギ肉が食いたいと、現場の帰りにヤギを買ってきたのが1ヶ月ほど前。彼女はヤギを太らせてからBBQにしようと目論むものの、何人かのスタッフがご飯を上げたり水をやったりするうちに、情が移り、結局このまま敷地内で飼うことに。仕事の合間に動きを観察していると、なかなか面白い。紙を食べるかと思い、やってみたがそっぽを向かれた(写真)。

一生懸命

2011年05月16日 | Haiti
Port au Princeの空港に降り立ったとたん、もあ~っとした熱い空気に包まれ、あーハイチに戻ってきたなあと実感する。例のごとく楽隊が到着者をお出迎え(写真)。震災から1年以上たっても一向に修繕されようとしない空港設備を脇目に、ハイチ一般人の前向きさを見て何だか感心してしまう。

NY散策

2011年05月15日 | United States


乗り換えの都合で、ニュー・ヨークで一泊する。元後輩のNYっ子(New Yorker)に半日案内してもらうと、思いがけずいろんな物が見られて堪能する。写真はCooper Unionの学舎。モーフォシスのThom Mayne氏設計で2009年竣工。未だこんなデザインが熱いのだろうか。

夕食にはもちろん日本食を希望し、East Villageの『横丁』という居酒屋に連れてってもらい、久しぶりの再会を祝う。厨房にも店内にも日本人スタッフが半分以上いて驚く。海外の日本食屋でこんなに日本人率の高いのは初めてだ。NYだからだろうか。



味もよく、今回の旅行の良い締めくくりとなった。

白杖を持った人々と。

2011年05月14日 | Switzerland
昼過ぎのパリの地下鉄のホームで、白杖を持った女性に声をかけられ、応えようとするのだけれど、自分の乏しいフランス語に加えて、地下鉄の路線そのものがわからない。代わりのパリ人を探そうにも、なかなかつかまらず、「ごめんなさい」して、その場を去った。

深夜2時過ぎのジュネーブの街をホテルに向かって歩いていると(プレゼンが無事に終わって飲みに出た)、白状を持った大学生くらいの男性に声をかけられた。フランス語は無理だとわかると会話が英語になって、友達とはぐれて今どこにいるかわからない、という。かなり酔っている。ほっといても、時候がよいので凍死することはないだろうと思いつつも、そいつに自分の腕を持たせて地元の人が居そうな場所を探して歩く。結局、そんな時間に開いてたのは"Cabaret"という名前の店で、その前で客引きをしていたおっちゃんに事情を説明して、呼んでもらったタクシーで帰らせた。

ハイチでも白杖をついた人を見かけるが、自分は必ず車で移動しているので(安全のため)、普段は接する機会がない。

ゆきあたりばったり/Disorganized

2011年05月10日 | France
朝飯をのんびり食って、駅まで歩いて電車に乗って、搭乗時間の1時間半ほど前にシャルル・ドゴール空港に到着。Eチケットをもとに機械でCheck-inするのだが、うまくいかない。おかしいと係員に文句を言うと、

翌日のチケットだった。

午後からGenevaで予定が入っているので、出直しするわけにもいかず、なんとかチケットを変更して、荷物のチェックインもセキュリティ・チェックもこなし、予定(と思い込んでいた)通りの便で移動する。どこでどう間違ったのか、まあ間に合ったからよいが、気をつけないとと反省。

搭乗ゲートのある建物には、冷暖房の送風口がないなあと見ていたら、腰壁に内蔵されていた(写真)。なるほど。