ナイロビでのシティライフを満喫する暇もなく、朝7時前にホテルを出て、ナイロビ空港(写真)から約30分の空旅でEldoretという町に到着。
飛行場には管理棟の建物以外に何もない。不安になって出口へ向かうと、見覚えのある自分の会社のロゴのついた車を発見! 同じくロゴの着いた帽子をかぶったスタッフが迎えに来てくれていた。ほっとした。
飛行場には管理棟の建物以外に何もない。不安になって出口へ向かうと、見覚えのある自分の会社のロゴのついた車を発見! 同じくロゴの着いた帽子をかぶったスタッフが迎えに来てくれていた。ほっとした。
昨日のうちにVavuniyaからColomboに戻る。朝から黄熱病の予防接種を受け、航空券を受け取り、午後は留守中の申し送りをスタッフにしてから、夕方空港に向かう。「車の中では酔うので書類を見ない」と決めていたのに、時間がないためスタッフがドラフトしたレポートを車内でチェックしていると、案の定、気分が悪くなり、道端の店のトイレに駆け込む。
そのまま帰宅したかったが、そんなことが許されるはずもなく、離陸1時間前に空港でかろうじてチェックイン。ナイロビで再会するR姉御へのお土産を免税店で見繕ってほっと一息。この業界で続けていくために、要領がよくない自分は体力勝負だと痛感。
Dohaでの乗り継ぎ時間が9時間ほどあり、航空会社が用意してくれたホテルで仮眠。その途中で見た高層ビル群(写真)は、経済恐慌のあおりをうけているのだろうか。
そのまま帰宅したかったが、そんなことが許されるはずもなく、離陸1時間前に空港でかろうじてチェックイン。ナイロビで再会するR姉御へのお土産を免税店で見繕ってほっと一息。この業界で続けていくために、要領がよくない自分は体力勝負だと痛感。
Dohaでの乗り継ぎ時間が9時間ほどあり、航空会社が用意してくれたホテルで仮眠。その途中で見た高層ビル群(写真)は、経済恐慌のあおりをうけているのだろうか。
キャンプには、生後7日の赤ちゃんまでいる(写真)。一応、病院で分娩したのだが、数日で追い出されたとのこと。Shelter内は暑すぎるが、他の避難民家族の手前上、あまり目立った特別扱いもできない。木のそばのshelterを割り当て、木陰で比較的涼しく生活できるように配慮する。キャンプには衛生上いろいろ問題があり、彼女(赤ちゃん)が病気にかからないことを祈る。
スタッフが建てたシェルターというかテントを見て回っていると、明らかに様子のおかしい老夫婦をみかける(写真)。「病院に行きたいが、誰も相手にしてくれない」と女性。そうなのだ、病院は負傷者であふれ返っているので、ちょっとしたことでは追い返されてしまう。
建物内は暑いし、混雑しているから、外に出ているのだろうが、このままでは衰弱する一方だ。用意される食事は栄養価のあるものではなく、下痢も続いているらしい。どうすればいいのか。
建物内は暑いし、混雑しているから、外に出ているのだろうが、このままでは衰弱する一方だ。用意される食事は栄養価のあるものではなく、下痢も続いているらしい。どうすればいいのか。
国内避難民キャンプで、仮設住宅やトイレなどの建設事業を支援するためにVavuniyaへやってきた。ここ2週間ほどで、学校などの敷地10数箇所に、急遽キャンプが設営されたが、数千人/日という単位で人々が送られてくるので、計画も何もあったものではなく、環境はよくない。現在、3万2千人の避難民が収容キャンプで生活している。
反政府軍関係者が潜んでいると考えられている彼ら避難民に自由は全く無く、外出もできず、既存建物のぎゅうぎゅう詰めで、刑務所以下の扱いを受けているといっても過言ではない。戦禍を命からがら逃げてきたのに、政府からのこの扱いはたまらない。彼らの多くがMullutiveの海岸沿いから船でTrincomaleeに逃げてきたところを、政府軍に保護(?)され、バスで輸送されてきた。食べ物も十分に無く、することもなく、希望のないうつろな目をした人々があふれていて、胸が痛んだ。
彼らの無事を聞いて、他地域から駆けつけてきた家族はキャンプの中に入れず、金網ごしに見つめ合っているだけ(写真)。うちの機関のスタッフや車は、支援するために敷地内は出入り自由なので(写真等は禁止)、そうした家族を乗せて中に入れてあげたい、そんな衝動にかられた。不可能なことだが。
政府側は、数ヶ月間で避難民をチェックして、他の場所に移すと言っているが、そんな政府の計画が見えない段取りがうまくいくわけもなく、人々はこれから劣悪な環境で暮らしていくのだろう。
反政府軍関係者が潜んでいると考えられている彼ら避難民に自由は全く無く、外出もできず、既存建物のぎゅうぎゅう詰めで、刑務所以下の扱いを受けているといっても過言ではない。戦禍を命からがら逃げてきたのに、政府からのこの扱いはたまらない。彼らの多くがMullutiveの海岸沿いから船でTrincomaleeに逃げてきたところを、政府軍に保護(?)され、バスで輸送されてきた。食べ物も十分に無く、することもなく、希望のないうつろな目をした人々があふれていて、胸が痛んだ。
彼らの無事を聞いて、他地域から駆けつけてきた家族はキャンプの中に入れず、金網ごしに見つめ合っているだけ(写真)。うちの機関のスタッフや車は、支援するために敷地内は出入り自由なので(写真等は禁止)、そうした家族を乗せて中に入れてあげたい、そんな衝動にかられた。不可能なことだが。
政府側は、数ヶ月間で避難民をチェックして、他の場所に移すと言っているが、そんな政府の計画が見えない段取りがうまくいくわけもなく、人々はこれから劣悪な環境で暮らしていくのだろう。
昨年末あたりから、反政府軍(LTTE)によってコロンボが空爆されるのではないかという憶測が飛び交っていた。最近、あまりテロ騒ぎがないなと思っていたら、今晩起こった。
コロンボ市内は突然の(意図的な)停電になり、屋内に入るようにとSMSで指示が来る。明かりが消されるのは、相手側に標的(大統領官邸とか)の正確な位置がわからないようにするため。屋内に入るように指示がされるのは、政府軍によりやみくもに空中に発射される流れ弾に当たらないようにするため。高層階に住む人は、花火のような光景が見られたらしい。
自分は、今日はちょうど北部Vavuniyaに来たところで、何の影響もなかったが
5分おきぐらいに携帯電話に送られてくる安全情報から緊迫感が伝わってきた。移動に疲れていたので、途中で寝てしまったけど。
反政府軍の飛行機は2機とも墜落した。死亡者は数名出た模様。
コロンボ市内は突然の(意図的な)停電になり、屋内に入るようにとSMSで指示が来る。明かりが消されるのは、相手側に標的(大統領官邸とか)の正確な位置がわからないようにするため。屋内に入るように指示がされるのは、政府軍によりやみくもに空中に発射される流れ弾に当たらないようにするため。高層階に住む人は、花火のような光景が見られたらしい。
自分は、今日はちょうど北部Vavuniyaに来たところで、何の影響もなかったが
5分おきぐらいに携帯電話に送られてくる安全情報から緊迫感が伝わってきた。移動に疲れていたので、途中で寝てしまったけど。
反政府軍の飛行機は2機とも墜落した。死亡者は数名出た模様。
これまで様々な仮設住宅やテントを設営してきた。今回は、北部から戦禍を逃れてきた(くるであろう)20万人規模の対応を国際機関で分担してすることや、援助が少ないことから、予算1万円以下のテントを供給することになった。
現場でいろいろ思索した結果、このようなテントができあがった(写真)。どのくらいの期間もつのか、経過をみていく。
現場でいろいろ思索した結果、このようなテントができあがった(写真)。どのくらいの期間もつのか、経過をみていく。
今日は朝から携帯に頻繁に電話がかかってきた。研修中だったので音が出ないようにして、気がつかなかったのだが、今朝東部のTrincomaleeで邦人が事故で亡くなったニュースを聞いて、いろんなスリランカ人がかけてくれたらしい。
「Mutur行きのフェリーを利用中の日本人NGO職員(実際にはNGOではなかった)が、車ごと水中に転落し死亡」というニュースを聞いたら、確かに自分と思われても仕方ないか・・・。その時自分は、現地から40キロほど離れていないVakaraiにいた。
実際に亡くなった方は、日本の会社の方で調査に短期出張で来られてたとのこと。戦争やテロとは全く関係ない。空調の効いた車内に居るときに、エンジンがかかったままの車が動き出したらしい。いろんな噂が耳に入るが、運転手は何をしていたのか、当人はなぜ車の中にいたのか、疑問に思う。いずれにせよ、同じく亡くなられたフリィピン人の方とお二人のご冥福をお祈りする。
「Mutur行きのフェリーを利用中の日本人NGO職員(実際にはNGOではなかった)が、車ごと水中に転落し死亡」というニュースを聞いたら、確かに自分と思われても仕方ないか・・・。その時自分は、現地から40キロほど離れていないVakaraiにいた。
実際に亡くなった方は、日本の会社の方で調査に短期出張で来られてたとのこと。戦争やテロとは全く関係ない。空調の効いた車内に居るときに、エンジンがかかったままの車が動き出したらしい。いろんな噂が耳に入るが、運転手は何をしていたのか、当人はなぜ車の中にいたのか、疑問に思う。いずれにせよ、同じく亡くなられたフリィピン人の方とお二人のご冥福をお祈りする。
2006年12月のColomboで、2007年8月のKandyでの研修に引き続き、今回で3回目の技術研修(写真)。
招集(招待?)された技術職員は大喜び、呼ばれなかった現場職員は残念そう。建設関係の話をするから、技術系の職員以外はお断りする。
ちょうど国内避難民が何千人と紛争地からVavuniyaに逃れてきたので、当地職員とその支援で計3名が参加できず。仕方がない。お前も来いと言われたが、一応講師兼コーディネーターの役回りなので、ぬけるわけには行かなかった。各事務所からの現場の進捗報告や設計図書の用意の仕方などを扱った。
招集(招待?)された技術職員は大喜び、呼ばれなかった現場職員は残念そう。建設関係の話をするから、技術系の職員以外はお断りする。
ちょうど国内避難民が何千人と紛争地からVavuniyaに逃れてきたので、当地職員とその支援で計3名が参加できず。仕方がない。お前も来いと言われたが、一応講師兼コーディネーターの役回りなので、ぬけるわけには行かなかった。各事務所からの現場の進捗報告や設計図書の用意の仕方などを扱った。