in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

コンゴ危機

2012年11月23日 | Democratic Republic of the Congo
先々週からニュースでも騒がれはじめたが、DRコンゴ東部の主要都市ゴマが、反政府武装勢力に制圧された。今年前半からいろいろ噂されていたのだが、とうとうきたかという感じ。うちのゴマ事務所は今週から閉鎖され、スタッフは自宅待機。

BBCのニュースでの写真は、出張時に毎日通っていた道。ユニセフの発表では、何百という子供が親と離れ離れになってしまい、反政府軍にさらわれる(=反政府軍として訓練させられる)可能性が大きいとの事。あいつらも大丈夫かな。

まとめ

2012年06月07日 | Democratic Republic of the Congo
午前中はDRコンゴ事務所代表のM氏と、私の出張の総括と今後の課題について話す。

今回は以前のケニヤ(2009年)ハイチ(2010年)でのShelterを作る出張と目的が違ったので、やりにくかったが、まあ目的は達成したように思う。内容については触れられないが、アフリカで活動する難しさを短期間ながらまじまじと見せ付けられた。

昨晩会ったMさんの事務所にお昼を兼ねてお邪魔し、うちの社長へのお土産を頂戴する。夕方、ユネスコ本部に勤めるLさんと落ち合って空港に向かう。アフリカ担当ということで、DRコンゴを含め他の近隣5カ国の状況について話を伺う。DRコンゴについて『内戦でゴリラが殺されるとニュースになるが、内戦で人が殺されてもニュースにならない国』とLさんは表現する。そんな海外メディアの取り上げ方に疑問しつつも、内戦が当たり前すぎて記事にならないことも確かだ。

キンシャサ空港(写真)での手続きが素人にはとてもややこしくて(なんだかんだとお金を公式にせびろうとする)、見送りに来てくれたうちのスタッフM君と出国手続きをしてからはLさんに本当にお世話になる。空港棟で荷物検査をしているのに、搭乗口(正確には、機体に上がる階段の前の屋外広場)でAir France職員によって再度荷物検査が行われる。そのおかしなシステムに、もう何回もDRコンゴに来ているLさんは、『Air Franceは空港職員を全く信用していないから、搭乗口前での荷物検査は自衛の策だ』と教えてくれる。なんて国だ。

ほぼ時間通りにキンシャサからパリへ機体が飛び立った。今回の出張でもいろんな人に会い、貴重な経験をした。エジプト海軍のH氏らと大統領選挙を見たのもその一つ。

首都キンシャサ

2012年06月06日 | Democratic Republic of the Congo
朝スイス人のM氏がホテルまで迎えに来てくれた。朝7時50分に待ち合わせをしていたので、一応時刻どおりにロビーに下りていくと、時間きっかりにM氏が現れた。さすが時計の国スイス出身。

某大使館へ挨拶がてら表敬訪問。大使は震災直後にハイチに応援で入ったことがあるらしく、DRコンゴでの活動に加えて、ハイチの復興状況についても説明させて頂いた。

夜は同僚Cさんに連れられて、彼女の友人の送別会にまぎれて参加。初対面なのに皆とても感じが良い。仏語ができない私を気遣って、「今日は英語で」って誰かが提案したら、皆英語でずっと会話してくれてた。仏語圏ではまずあり得ない現象。まあ、人の良いCさんの知り合いの人々だからか、類は友を呼ぶって言うし。主賓の人はコンゴで6年働いていたらしい。以前コンゴで働いていたうちの社長(当時は別機関所属)と旧知の方に会い、当時のエピソードを伺う。また別の人が、明晩同じ飛行機でパリに向かうことが判明し、ご一緒させてもらうことにする。

国内大移動

2012年06月05日 | Democratic Republic of the Congo
15連泊したホテルをチェックアウト。首都のKinshasaを目指し、コンゴ国内を大移動。前日、貨物機(といっても政府軍兵士が乗っていたらしい)がGoma空港の滑走路で事故ったため、「飛行機が今朝になっても飛ぶかわからないが、とりあえず来て下さい」と言われて、飛行場にやってきた。見送りに着てくれたお世話になったD所長に厚くお礼する。

結局、3時間ほど待って、滑走路が使えないので、ヘリで移動。どこ行きとも告げられないまま、BukavuというKivu湖沿いの空港に着く。結構うるさかったが、乗り心地はよかった。



次の飛行機がいつ発つかもわからないまま、漠然と待っているとハイチで一緒に働いていたコロンビア人のBが後ろから「よう!」と声をかけてきた。今年初旬からKinshasaで働いていたのは知っていたが、直前に連絡が取れず会えずじまいかと思っていたら、こんなところで。Gomaへの出張途中だと言う。昔話(といっても去年や一昨年の話)や近況を話していると係員から呼ばれて、Bukavuを発つ。



機内壁にベージュのカーペットのような内装が使われていて、型はかなり古いが007の映画に出てきそうな飛行機で、Kisanganiという町に到着。この時点ですでに、午後3時半。明日10時に大事な約束があるのに、今日中に着けるかな、焦ってもどうしおうもないなと思っていると、待ち時間1時間ほどで、次の都市に向かう。





ようやくKinshasa空港に到着。時差が1時間あって、DRコンゴの首都Kinshasaまだ夕方5時過ぎ。が、誰も迎えに来てくれていないので、途方にくれていると、ちょっと遅れてうちの会社の運転手がやってきて一安心。「渋滞で遅れた」と言うので、また口実かと思っていると、空港から事務所までの道のりに結局3時間半もかかってうんざり。風景を見ていると、ハイチに戻ってきたようだ。目の前を、JAFのシールがついたトヨタのRav4が走っていたので、昔よくお世話になった知人や当時のことを思い出す。



事務所で到着を待っていてくれたスタッフと軽く打ち合わせをした後、事務所代表のスイス人M氏とベルギー人の同僚Cさんと中華料理屋へ。後ろのテーブルが日本人グループだったので、久しぶりに日本語を耳にした。

記憶に残る長い1日だった。

強制執行

2012年06月04日 | Democratic Republic of the Congo
明日はGomaから移動するので、事務所でのrecap。2週間はあっという間に過ぎた。

最後に気になっていた事務所近くの建物(写真)に何が起こったか聞いてみると、道路拡張工事に応じない持ち主に、行政が痺れを切らして拡張範囲に存在する部分をショベルカーで切り取ったとのこと。いわゆる強制執行ってやつか。

行政が何もしない国よりは、積極的なその姿勢にある程度の好感は持てる。が、一緒に仕事をするとなると、その強引さに苦労するだろうなあと想像する。

地球があんまり荒れる日には

2012年06月03日 | Democratic Republic of the Congo
DRコンゴに来ていることを知らない関係者から、コートジボアール(象牙海岸)にシェルターを作りに来ないかと連絡があった。声をかけてもらえるのは嬉しいが、ハイチ勤務のすぐ後にコートジボアールで大統領選挙後(2010年12月)の内紛で家を失った人々のシェルターをつくる、その気力が湧いてこない。

コートジボアールといえば前日本国大使の岡村善文氏が綴っておられたコートジボアール日誌。選挙後の内紛が激しくなってしばらく休止されて居られたが、最近エピローグを付記されておられる。2011年4月に大使公邸からの脱出劇は、震災直後の日本ではほとんど報道されなかったのではないかと想像する。

谷川俊太郎氏の詩集『二十億光年の孤独』の中に「地球があんまり荒れる日には」という作品があって、その中に以下のようなくだりがある。

“月がみている
 全く冷静な第三者として”

今晩は、そんな月夜だった。自分がするような仕事が必要のない、穏やかな日が地球にやってくると良い。

日曜日2

2012年06月03日 | Democratic Republic of the Congo
ホテル併設のジムで汗を流して軽く泳いだ後に、対岸のルワンダ湖岸で泳ぐ家族連れを眺めていると、ゴマ事務所長のD氏から電話がかかってきて、自宅でのBBQランチに招待される。

前菜とかサラダとかも凝ってないのに旨い。ハイチでも感じるがフランス人の食への探求と言うかおいしさのこだわりは半端じゃないように思う(もちろん個人差ありで)。日本人も食文化には日々の生活の中で、他国の人々に比べてかなり重きを置いていると思うが、精神論やしきたりがかなりの部分を占めてるんじゃないかと感じる。

食後にこれまた旨いコーヒーを頂いて、日の暮れないうちに退散する。

Rubaya

2012年06月02日 | Democratic Republic of the Congo
別の現場へ行く途中に、まるで映画のセットのような(映画のセットが本物を真似ているわけだが)鉱山の町Rubayaを通る。そばを流れる川も滝も土の色をしている。採掘された金などの鉱物はいったいどのルートで市場に出るのだろうか。

土曜日やし、お昼にゆっくりBBQをと行きしに頼んでおいたら、現場からの帰り道にわりとすぐに(それでも30分ぐらい待った)、新鮮な串焼き(シシケバブ)が出てきた。それは朝見かけた店の前につながれていたヤギだった。

国境警察

2012年06月01日 | Democratic Republic of the Congo
外務省の海外安全へームページではDRコンゴの南・北キヴ州ともに「退避勧告」が出ているが、ゴマ市内はいたって平穏。行ったことはないが軽井沢のような感じ(気候とか)で、周辺で戦闘が繰り広げられているのが嘘のよう。

午前中は事務作業をして、午後からは以前日本政府支援で行った国境警察関連施設を訪問する。国境にはImmigration、税関等々あり、不法出入国や密輸などを防ぐために、警察機能をこうした国境で起こりうる犯罪や揉め事に特化させたのが、国境警察ということらしい。日本からわざわざやって来たと、うちのスタッフが大げさに言ったのだろう、熱烈に歓迎してもらった。写真を見ると、随分日焼けしたつもりだが、一人だけ白い。

夜は、金曜日ということで同僚やその友人らと、レンガの釜戸で焼くピザ屋へ。ベルギーの植民地だったからか、ビールもうまかった。深夜1時に帰宅(ホテル)。