in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

結婚記念パーティ

2013年04月28日 | Haiti
普段ケンカばかりしている友人夫婦の結婚2周年記念パーティが某会場で行われた。本気で離婚を考える前に、家族友人の前で、もう一度お互いの愛を誓い合おうというコンセプトらしいが、皆の前で奥さんが旦那さんに説教した感じの印象が否めず(苦笑)。会自体は、余興あり笑いあり涙ありの楽しい会だった。

勝手にしてくれと言い続けているのに、何かあると夫婦両方から個別に愚痴を聞かされる立場になって丸2年。夫婦喧嘩は犬も食わないとはよくいったものだ。

途切れぬ列

2013年04月27日 | Haiti


事務所を朝6時に出発し、26名の職員らとサンマルクという地方都市(町)で行われたSの葬儀に参加した。急死した31歳の好青年の葬儀には、300名を超える人々が参加し、悲しみにくれた。嗚咽というよりも体全体を震わせて泣き叫ぶ女性も多数。

葬式後、教会近くのSの実家へ歩いて移動し(写真)、ご両親に挨拶。涙も枯れ果てた様子のSの母親以上に「わしの息子はー。。。。。云々」と気丈に振舞う父親の姿がとても、とても痛々しかった。

昼前にサンマルクを発ち、途中の公共ビーチで昼食休憩。水着姿の人々が遊ぶ中、正装の自分らはとても浮いていたが、ビールを飲んだり、バナナ・フライをつまんだりする中で、緊張感が少しやわらいだ気がした。

Facebook

2013年04月23日 | Haiti
一応、Facebookのページを5年ほど前から持っている(当時のアシスタントが作ってくれた)のだが、自分ではほとんどアクセスせず、友人達(Friends)のコメントが載ったり写真がタグされて、かろうじて更新されている。それなので、「Facebookにメッセージ残したから見ろ」というメールがたまに来る。メールで内容を書いてくれたらいいのにと思いつつ、チェックしてみた。

送られたメッセージは他愛のないものだったが、Friendsの中に先週15日に現場近くで昼休みに射殺されたスタッフSの笑顔の写真が眼に入った。すると自分の中で押し殺していた感情が、一気に溢れ出てしまい、どうしようもなかった。他のスタッフを気遣う中で、どうやら自分も相当精神的に参っていたようだ。

住めば都

2013年04月20日 | Haiti
ハイチの自宅で5週間ぶりにゆっくり週末を過ごす。午前中を家でゆっくりした後、ジムで体を動かして、スーパーで買い物をして、友人らと夕食をする。戻ってきてほっとしている自分に『住めば都』とはよく言ったものだと実感。

まちで見かけた工事中の建物の床スラブのうすさが気になる。

ご近所さんの国々

2013年04月16日 | Dominican Republic
資金援助団体(ドナー)の企画で、ドミニカ共和国、ハイチ共和国、ジャマイカ、キューバ共和国の4カ国から、お互いの活動について報告しあう。

今回は、『ローコスト住宅におけるハリケーン対応について』ということで、自分が急遽発表することになった。これまで地震後に建ててきた仮設住宅の、設計上の工夫や現場での苦労点といった内容の30分程度の発表だった。

会議の言語はスペイン語だったので、通訳をつけてもらい、無難にこなす。同時通訳ではないので、通訳者が話している間に一息ついて冷静になれる時間があり、自分にはよかったが、時間が倍かかることや真意が伝わったかどうかは疑問が残る。質問を受ける中で、まあまあの出来と判断。どたばたで、上着をハイチに忘れてきてしまったが、他の参加者がわりとカジュアルな服装なので助かった。

ハイチのご近所さん同士で、似たような点もあれば、へぇと思う点もあり、興味深かった。ハイチのようにほとんど全ての材料を輸入材で賄っている国は、工事費が必要以上に高くつく。どんなに立派な設計基準や工法が確立、そして周知されても、建築コストがかさむのでは、なかなか現場で実用されない。これはいわゆる先進国・後進国にかかわらず、根は一緒。ケーススタディとして、いろんな例が発表されたが、一般人がそれを模倣するかは、今後の課題ということで・・・というありがちなまとめが多かった。

予想以上にスペイン語圏のドミ共やキューバの発表者はよくしゃべる。そのスタイルにもお国柄がにじみ出ていた。キューバからの参加者は海外旅行経験がめったにないので(最近、国政がかわりつつあるが)、最初から最後まではしゃいでいた(無理もないか)。活動の情報をどこまで他国の参加者と共有しているのかは気になるところであった。

ジャマイカからの参加者とは英語で気軽に意思疎通が出来るので、話が弾む。元イギリス統治国だけあってか『私はコーヒーより紅茶なの』と正装した参加者と話しているとスリランカのことを強く思い出した。

無理してでも、彼らの経験のためにハイチ人スタッフを連れてくればよかった。




小型機

2013年04月15日 | Haiti
1週間ぶりの事務所で所用を片付けて、夕方にサント・ドミンゴへ向けて飛ぶ(写真)。日本でやったら、最終便で上京して2日後の始発便で帰阪するなんて日程は珍しくないけど、ハイチで同じように行動してたら、何をそんなにせかせかしているのかと思わずにはいられない。それにしても、今月はいったい何カ国を訪問するのだろうか。

Barclays Center

2013年04月13日 | Architecture
ニュー・ヨークのトランジットで時間があったので、ブルックリンにできたBarclays Centerという名のスポーツ・アリーナ(写真)をのぞく。建築家フランク・ゲーリーの設計で始まったけど、見積り額がみるみるかさみ、Ellerbe Becketという組織設計事務所が設計を取ってかわったという建物。



エントランスの頭上は、スケート・トラックになっていて中心は空洞。それを囲んでLCDのスクリーンが映像(イベント告知や広告)を映し出すというもの。LCDが建築の外壁を構成する建物をよく見かけるようになった。

価値観それぞれ

2013年04月11日 | Luxembourg
ルクセンブルクに会議参加のためにやってきた。オランダとベルギーと共にベネルクス3国と呼ばれると、たしか中学生の時に習ったけど、自分が訪れるとは思っても見なかった。

いつものごとく、観光に関して準備をする間もなく、着いてから街を少しだけ散策する。4月のヨーロッパは春という勝手なイメージで空港に降り立つも、気温5度。まだまだ寒い。解けていない雪が空港の隅に残っていた。

街はとてもきれいで人々も親切で、『この世界に飢餓や貧困なんて存在しない』と勘違いしてしまうぐらい、衝撃的だった。中心部にしかいなかったけれど、全ての店が午後6時きっかりか、それ以前に閉まってしまい、その後はレストランか飲み屋ぐらいしか空いてない。そんなあくせく働かないで、夕方になったら帰宅して、家族と食事をして夜を過ごす、そんな平穏な日常が成り立っている国なんだろう。

シェルター会議

2013年04月10日 | Luxembourg
ルクセンブルグ赤十字と国際赤十字の企画で、仮設住宅の基礎に関する会議に参加。知っている人いるかなーと思ってたら、参加者80名ほどの中で10名ほど顔見知りだった。主に3年前のハイチで、もしくはどっかの会議かスリランカで。この業界ではよくある話。

スペインから大学教授も来られていて、仮設建築の歴史から構造体の説明まで、久しぶりに中身のある講義を聴けて満足。一方、口だけのコンサルタント系、口八丁手八丁な業者の方々も居て、いろんな立場・経験からの話を聞けた。

現場に居ると、その日ごとのノルマや事業計画に気を取られて、なかなか考え事ができないので、今回の参加はとてもよい経験となった。

会場でインターンとして手伝っていたローザンヌ大学(スイス)の院生君Cは、母親が日本人の日系ルクセンブルグ人。これから人道支援の業界に入って行きたいと熱く語る姿がとてもまぶしかった。フランス語、ルクセンブルグ語に英語と日本語(謙遜していたけど多分ドイツ語もできるのだろう)を操る若者の将来は明るいに違いない。

(写真は会場近くのアパート。ディテールがとても洗練されていて気に入った。)