in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

事務所縮小

2006年06月30日 | Weblog
今月末で津波復興支援の国際機関のFUNDが終了することや、北東部の治安悪化のために事業展開ができないことから、数十名の職員の雇用契約が更新されないこととなった。

事業終了のため、解散する部署に勤めていた有能な職員が去らなければならない一方で、なんでこの職員(自分も含めて)は更新されたの?と疑問を感じせざるを得ない場合もある。世の中、公平ではない。

人事課は現場職員に紙切れ一枚で通達するだけである。それはないやろ、と仕事上親しかった職員らには、電話でではあるが、彼らの苦労をねぎらうとともに、契約更新されないことを自分が伝えることにした。大方の職員は察しがついていたらしく、「そうですかー」と動揺していない様子。「家族と疎開することを迷っていたが、踏ん切りがついた」、「戦禍を逃れて、カナダに移住する」、「再就職探しに推薦状を書いてほしい」等々、みな一生懸命生きている。

同時期に赴任してきた国際職員D君も帰国した。少しずつ寂しくなる。

治安悪化の影響

2006年06月25日 | Weblog
内戦が勃発するかもしれない状況の中で、建設資材や燃料の高騰が続く。北部Jaffnaでのセメント価格は、今月に入ってColomboのそれの倍近くまで達している。輸送しようにも、幹線道路がたびたび閉鎖され、工期が延びに延びている。ヤミ市場経由で購入するも絶対量が足りない。どうしようもない。

小学校調理室の竣工

2006年06月19日 | Weblog
WFP(世界食糧計画)との共同事業により、津波の被害を受けた小学校に初めての調理室が完成した(写真は竣工直前)。30平方mほどの小さな台所で、5名の調理員により、白米に豆カレーといった簡単な食事が、午前10時頃に全校生徒約400名に配られる。

この小学校区は、比較的貧しい家庭が多いため、朝食を食べられずに登校する児童が多い。そこで、以下の2点を目標に、学校給食事業が始められ、うちの組織がその器(建物)を担当した。

1)給食めあてでもよいので、まず児童が学校に来るようにする
2)食事を取ることで、学業に集中できるようにする

この給食が一日一回の食事となる児童もいる。給食がなければ、食べるために働かねばならない。勉強どころではないのだ。学年が上がるにつれ、学校に来なくなる児童が増える。こういった悪循環を改善しようというのがこの事業の狙い。

(恥ずかしながら、建設途中は事業背景まで理解せずに、担当部下に任せっきりにしていた。現場で担当者らの説明を聞き、なかなかいいことしてるやんと感じた。)

ちなみに本事業費は1棟あたり約2,500米ドル(設計監理料含まず)。これで今後数多くの子供たちの未来に貢献できるなら、意味のある事業と胸をはれる。

民間バスがやられた

2006年06月15日 | Weblog
仮設住宅の維持管理について話し合う他団体との会議中に、携帯電話にSMSが入る。さっと目を通した後、議論に戻ろうとすると、「北部で民間バスが地雷にやられたらしい」と他のスタッフも落ち着かない様子である。

会議終了後、他の媒体もチェックするとBBC放送ではトップニュースになっていた。今回の事件は多分日本にも届いていることだろう。

こうして、復興支援の道はさらに険しくなっていく。

World Cup Soccer 日本戦

2006年06月12日 | Weblog
FIFA World Cupが始まった。スリランカではサッカーはメジャーなスポーツではない(スリランカではクリケットが大人気)が、外国人たちにとっては一大事。

職場にもオーストラリア人が3人おり、「今日は負けへんで」と朝から何回会話を交わしただろうか。夕方6時30分のキックオフに間に合うよう、今日は絶対残業はしないと心に決めていたのに、夕方になって部下の雇用契約更新をめぐってのトラブルで、人事課とヒトモメする。

試合開始時刻に遅れたことを恨めしく思いながら職場を後にし、観戦会場のオーストラリア大使館に向かう。うちのプロジェクトのいくつかはオーストラリア政府の支援を受けていることから、観戦のお誘いに断りきれず敵地にて応援することになった。訪ねてみると、意外にも日本人がいっぱいで驚く(写真)。道向かいに建つ日本大使館やJICAの職員方が多く訪れられた模様。日本人大使も来ておられた。

好機やピンチに一喜一憂し、小さな画面に向けて声援を送る。海外で活躍する日本の選手たちを見ると、母国心というか日本というつながりを強く感じぜざるを得ない。試合結果は残念であったが、異国での環境の違い(食事、気候、時差、習慣等等)や母国から受ける重圧を乗り越えてグランドを走る選手たちに元気をもらった。

観光客になる/Being a Tourist

2006年06月10日 | Weblog
6月8-10日は南岸部にあるMatara事務所へ出張だった。最終日はコロンボに帰るのみだったので、宿でゆっくり朝食をとった後、Mataraを少し散策する。

友人I君の案内で津波被災者が製作するMonk BagのNGO事務所に寄って、新作を10点購入する。これらの多くは知人へのお土産になる(だろう)。

I君の紹介でBatik(ろうけつ染め)作家の自宅を訪れ、作製過程を見せてもらう(写真)。生地の色を残したい部分に、解かしたロウをペン先で重ねていく、根気のいる作業だ。写真の作品で、約20日間かかる。黄・赤・黒と染色作業が3回行われ、生地の白色と合わせた4色で作品が仕上がる。

その後、路線バスに乗り、コロンボへ向かう。ふと思い立って途中下車する。その辺のホテルの従業員と交渉して、スノーケルセットと着替え場所を借りて、1時間少し海の中を散策する。海岸沖50mぐらいは、足が着くぐらいの浅瀬であった。

オフシーズンということで、透明度は低かった(らしい)が、青いナンヨウハギ(映画『ニモ』に出てくるドリー)とか、エンゼルフィッシュを間近に見られて大満足であった。また行ってみようと思う。

六角形

2006年06月06日 | Weblog
こちらでの夜の生活に必要なものは、

「蚊取り線香」と「蚊帳」。

常夏の気候のため、蚊が年中生息している。蚊はマラリアやデング熱などの伝染病の媒体になるので、できるだけ咬まれないように気をつけなければならない。

こないだスーパーで、六角形の蚊取り線香を見つけた。日本にもあるのだろうか。

リアル

2006年06月04日 | Weblog
祖母の病室で読みかけていた『となり町戦争』(三崎亜記著/集英社/2005年)を読み終えた。情景描写とか荒削りな部分はあるにせよ、実際に起こっている戦争を実感できない主人公の立場にものずごく共感し、身震いさえ感じた。

自分の話になるが、こちらで持たせれている仕事の携帯電話には、
「B町で地雷が爆発し、兵士数名が重症」
「J町で政府軍と反政府軍の闘争があり、巻き添えとなった民間人数名が死亡」といったSMS(携帯メールのようなもの)が日々送られてきて、それに応じて非常事態対応策を練っている。

しかしながら、Colomboにいる自分自身が死傷者や戦闘を目撃することは、今のところなく、こうしたSMSによる通信や国内メディアによって情報を得ている。そして勤務時間後は、帰宅して飯の用意をしたり、ジムで汗をながしたりと、普段の生活をしている。

何が現実に起こっているのか、戸惑うことが多い。