in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

都会っ子

2014年03月25日 | Haiti
1ヶ月ほど前に捻挫した右足首が、ほぼ完治したので久しぶりの現場へ。

捻挫がくせになっている体質に加えて、不自然な段差が多い物理的条件や自分の不注意さにより、ハイチに来て4回目(年1回の割合)。今回は以前よりひどくなかったので、杖生活までには至らなかった。

話を戻して、現場での話。

いつものように子供らが自分のところに寄って来る。住宅密集地なので、都会っ子とでも言えるのだろうか、ちょっとしたグループがそれぞれ男女別にあって、住棟の隙間や通りの脇で遊んでいることに気がついた。

ペットボトルでつくられた車で遊ぶ男子グループ。


携帯電話プリペイド・カード売り子の横で、おしゃべりする女子グループ。


カメラを前にお互いがポーズを取り合うところも、都会っ子らしい(と思う)。

偶然の再会

2014年03月14日 | United States
MOMA(ニュー・ヨーク現代美術館)で展示を見ていると後ろから声をかけられた。振り返ると、2年前までハイチで一緒に働いてた韓国人Kさんとその彼氏が立っていた。今は南スーダンで働いているのだが、先月韓国で結婚して、明日カナダに向かう旦那さんについてきたとのこと。偶然、会えるとはびっくりした。

青天の霹靂

2014年03月12日 | Haiti
スタッフと仕事で話す時は誤解を招かないように、英語の慣用句とかは使わないようにしている。それでも日本語の熟語と同じように、使った方が表現が豊かになるのは事実。自分が響きで好きなのは、out of the blue で「思いがけずに」とか「突然に」と意味がある。

その前にbolt(稲妻)をつけて、 a bolt out of the blueで「青天の霹靂」となる。英語と日本語で同じ色が登場するのが面白い。そういえば、The grass is always greener on the other side of the fence.(隣の芝生は青い。)もそうだ。正確には緑やけど。

さて本題に入ると、会社から人事異動のメールが来て、次は本部(スイス)に行くことになった。普通はポジションごとに公募がかかって、選ばれた者だけが異動していくのだけれど、今回は例外的な処置だろう。まだ正式な日程は決まっていないが、数ヵ月後に引越か。青天の霹靂だ。

日曜の食事会

2014年03月09日 | Haiti
先週のカーニバルにハイチにやってきた親戚(在外ハイチ人)らと食事会をするからと、友人に誘われてある邸宅でのお昼ご飯に参加。前菜からはじまってグラタンや、メインのヤギ肉まで、ワインとともに美味かった。家の住人より、使用人の数の方が多い豪邸だった。

食事の後は、クレオール語の会話で盛り上がっている大人たちを横目に、アメリカン・スクールに通う子供らとテレビ・ゲームで遊ぶ。任天堂Wiiなるもの(初めて触った)で、ダンス対決するも遊びなれている奴らにかなうはずもなく。一方で、途中参戦した親戚らしきおっさん(自分もおっさんだが)は、振り付けも気にせず曲にあわせてクネクネ踊り、周囲を爆笑の渦に。たしかに楽しんだ者勝ちだ。

Zona Colonial, Santo Domingo

2014年03月04日 | Dominican Republic
サントドミンゴの旧市街地はZona Colonial(植民圏)とかCiudad Colonial(植民都市)呼ばれ、趣がある町並みだなと思っていたら、世界遺産に登録されているとのこと。コロンブスによって建造された新大陸(南北アメリカとその近隣の島々を集合的に表す)における最初の植民都市で、16世紀には新世界でこれまた最初の大聖堂や病院、大学などが建てられて、その建物や跡地が残っている。

日中は暑いので日が翳り始めた夕方5時ぐらいから、街を歩くのがお勧め。保存作業が数年前から始まり、メインのコンデ通りにも魅力的な店がちらほら出来始めた。大小あわせて100を超える店が並んでいるのに、以前は入りたいと思う店が1軒もなかった。

通りを2ブロック外れたところで、昔(16-17世紀!?)の住宅6棟を大規模改修かつ増築した集合住宅が売りに出ていて、ひやかしでのぞいて見る(写真)。
La Castilla

歩きながら、最初にこの街を訪れてから丸4年たったことに気がつく。そしてハイチで働き始めたとても大変だった時期、積み上げてきた道程を振り返った。

カーニバル 2014

2014年03月02日 | Dominican Republic
ハイチのカーニバルを避けて、週末にドミニカ共和国(ドミ共)のサント・ドミンゴに来たのだけれど、こちらもカーニバルが行われていた。昼の1時ぐらいから、ドミ共のいろんな地方からの団体が参加し、どんどん出てくる。各団体のテーマは、本来の宗教行事の意味合いから先月27日に独立記念日(1844年にハイチから独立)の祝いや、奴隷時代の風習など、観ていても飽きない。2月は各地方で行われたものがこの日は首都に勢ぞろいしたとのこと。

一応、パレード側と観客側を仕切る柵が設けられ、警官も大量投入され(一緒に楽しんでいるみたいやったけど)、ハイチのそれに比べるととても安全で管理されている。約300の団体が出てきて、夜7時頃までやっていた。運良く曇り空だったので、参加者も関係者も助かったのではないだろうか。