薄暗い堂内で煌々と輝く燈明。お檀家の法要等で本堂を使用する際には堂内を明るくするのだけれど、Gikooh一人のときは、専ら照明器具ではなく油燈明やローソクが修法の支えとなる。
さて、暑い季節なので、少し涼の世界へ誘いたい。最近、参詣者の方とこんな話題になった。
以前は霊的な話を聞くことがしばしばあった。亡き故人が夢枕に現れるとか、意識が朦朧としているときに三途の川の畔に広がる見事な花畑を見てきたとか、そして、ときには霊障の話に耳を傾けることもあった。Gikoohはどれも本当のことだと捉えてきた。
Gikoohの祖母・常は昭和40年頃まで産婆をしていて、新たに生まれてくる尊い生命に携わる一方で、流産、死産など辛く悲しい経験をした母親とも少なからず接している。いのちに関わる仕事をしていた常は生前、敬虔な仏教徒で霊感もあったことから神仏を想う気持ちは特別なものがあり、折に触れてよく拝んでいたという。Gikoohが生まれたのは昭和48年で、その頃は産婦人科での出産が主流となって久しく、既に産婆の仕事は引退していたのだけれど、常が伝えた霊の世界の様相や位置づけ等、父からよく聞いていた。この類の話は、たとえ僧侶であっても神仏の世界への理解や、拝む力の高低により捉え方に差があると思うが、それは致し方ない。
話を戻して、以前と比べると近年は霊的な話を聞くことが随分と少なくなった。何故か。参詣者の話によると、原因は電化製品の増加が背景にあるのだという。霊は電波や電磁波を出すものに近寄らないのだという。あくまで想像の世界ながら、Gikoohも同調するところだ。
コロナ禍になって、例えばネット環境は一段と利便性を増した。文明社会を競う企業は別としても、寺というアナログの神聖な空間においても、祈りの時間や行事の生配信が安易に出来る時代になった。しかし、祈りの空間に文明の利器は信仰の妨げになる。神仏が一時的でも離れてしまうのならば、元も子もないだろう。
しかしここで、助言をしたい。皆さまが神社仏閣で神仏に手を合わせるとき、祈りの空間に身を委ねているとき、或いは祖先の法要のとき、携帯やスマホ、タブレットは電源をOFFにするか、別の場所に置かれた方が良い。感性の敏感な人ならば、身の回りの電磁波が気になると思うから。
神社仏閣に限らず、コンサート会場、或いは学校の参観日のときでも、大切な時空間には電波や電磁波はない方が良い。ざわついた空気より、透き通った空気の方が気持ち良い。
最後に、生活空間において電化製品は多いほど便利だけど、少ないほど脳と心は解放される。
今夜は少し文章が迷走してしまった。