勝福寺 Gikoohの日替わり法話

山寺の住職、Gikoohが日々感じたことを綴っております。
(プロフィール用の落款は天野こうゆう僧正さま彫刻)

お大師さまのお念珠を新調

2021-06-29 22:13:03 | Weblog

画像は勝福寺の弘法大師(お大師さま)。江戸時代に造立され、経年に伴う劣化が進んでいたので、平成12年頃に修繕を行った。その時にお持ちになられていた念珠は尺2寸だったので、御体に比べるとお念珠が少し大きいと感じていた。

ずっと気がかりだったお念珠だけれど、この度、御体に見合った寸法で新調させて頂くことが出来た。伝統の形式等あるけれども、当面はこの形でお祀りしたいと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思い新た

2021-06-27 22:01:50 | Weblog

今日は近隣寺院様の助法で岡山市方面に出掛けた。一期一会のご縁を頂いていることを大切に思い、故人様の極楽往生を懇ろにお勤めをさせて頂いた。

境内に鐘の音が響き、精一杯に咲く沙羅双樹を愛でていると、あの有名な『平家物語』第一巻にある「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢の如し。猛き者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ」。を思い出す。

朝咲いて日没には落ち行く刹那に、生命のはかなさを感じるのだが、諸行無常の人生を大切に過ごさねばと戒められる。人間はいつか死ぬものであるからこそ、貴い今日一日を悔いのないように思いを新たにせねばなるまい。それにしても、沙羅。美しい。

ところで、『和漢三才図絵』には、沙羅双樹について次のように記されている。『翻訳名義集』には沙羅とは中国で堅固という意味があり、その樹は檞(かしわ)に類して皮は青白。葉は大変光潤で四樹は特に高く、森林にあって他林から聳え出ている。それで『華厳経音義』に高遠と訳されている。双樹とは林のことをいう。俗に通して沙羅双樹という。

お釈迦様が涅槃に入られた時、四方の双樹は悉く垂れて如来(お釈迦様)を覆い、その樹は燦然として悉く白に変じたという。

Gikoohは花が何とも好きで、一輪二輪と摘んできては、生活空間に生けている。花に語りかけるように心を込めて生けると、花もその気持ちに応えてくれるかのように瑞々しさが増してくるから不思議。

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沙羅双樹

2021-06-22 21:44:43 | Weblog

勝福寺では先週15日の弘法大師降誕会の日に一輪の沙羅双樹(夏椿)が咲いたと思ったら、今日22日は五輪ほど開花した。朝咲いて、日没には落花するのだけど、その周辺には哀愁が漂っている。

午前中は大人茶道のお稽古があり、午後は如常の1日。朝に手折った一輪の沙羅を茶花として掛け花入れに生けた。庭に咲いた自然の姿も美しいけれど、部屋に取り込めば風情が増すというものだ。

そして夕方、宅急便でさくらんぼ(佐藤錦)が届いた。山形の友人からだ。長年ずっと、有難いという言葉では済まないほど感謝い。これをどうやって御供えしようか考えて、この度はこんな感じで盛り付けてみた。小さなlightを照らすと、一層ゴージャスになった。

明日は草取り、草刈り、山掃除、何かせねば。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

つぶやき

2021-06-21 21:54:46 | Weblog

毎月21日は弘法大師御影供。お大師さま御尊像の前で、供養の法会を行う日。

Gikoohが子供の頃は、地域に信仰深い人々も多く、「お大師講」とか「〇〇講」と呼ばれる拝む寄り合いがそこここで見受けられた。お接待があったり、よもやま話に花を咲かせたりと情緒があった。有難いことに勝福寺の周辺では、今なお「お大師講」を行っている地区も多くあり、昔とは形態は変わってきたけれども古き良き慣習が色濃く残っている。

例えばお大師講があれば、お大師様を拝むことは勿論だけど、地区の人々が定期的に顔を合わせることによって互いのコミュニティの深さを実感する。これが、お講もなければ寄り合いもないとくれば、どこに誰が住んでいて、何をしているのかも分からないとくれば、必然的に何でも事務的となりコミュニティは崩壊してくるだろう。今の社会の風潮がそうでなかろうか。

東京オリパラ、新型コロナワクチン等々、世の動向が目まぐるしく移り変わって行く。これとて、かつての東京五輪の時とは人の考え方も感じ方も様相が異なるし、ワクチンも少し先急ぎ過ぎているような気がしてならない。お釈迦様が「自灯明」「法灯明」と遺戒されるように、自らを灯として拠り所とし、法(釈迦の教え)を灯として拠り所とし、他を拠り所としてはならないて説かれている。仏法に照らし合わせて何が正しいのかを自分自身が見極めて冷静に行動せねばならない。赤信号、みんなで渡れば怖くない…、今、こんな傾向がなきにしもあらずではなかろうか。

Gikoohは比較的、ポジティブ思考なのだけど、沈着冷静な議論を深めないまま前へ前へ進める世の動向に危惧を感じている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

降誕会を終えて

2021-06-16 09:32:23 | Weblog

6月15日は真言宗をお開きになられた弘法大師(お大師さま)のご生誕日だった。お大師さまの幼少期の御尊像である稚児大師さまをお祀りして、「降誕会」を勤修。

令和5年は弘法大師御生誕1250年祭の慶事を迎える。勝福寺では令和5年の降誕会には、仏師で彫刻家の加藤巍山さんにご制作頂いた稚児大師様の御尊像をお披露目させて頂く予定にしている。

 

昨年の令和2年の降誕会は、コロナ禍のこともあり、Gikooh一人でお勤めしたものをyoutubeでupしているので是非視聴を。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月15日は弘法大師さまがご生誕されたご聖日

2021-06-13 22:25:18 | Weblog

6月15日は真言宗をお開きになられたお大師さま(弘法大師)のご生誕日。お大師さまは宝亀5年(774)6月15日、讃岐国多度郡屏風ヶ浦(香川県善通寺市)において、父君・佐伯田公〈またの御名を善通(よしみち)〉、母君・玉依御前との間にお生まれになられた。幼名を真魚(まお)さまといい、とても聡明なお方で、幼少の遊びといえば草木でお堂をこしらえて、土でこねた仏さまを安置して拝まれるなど信仰深かったという。

お大師さまのご誕生所に現在の善通寺があり、四国霊場第75番札所で、真言宗善通寺派の総本山である。京都の東寺、和歌山の高野山、香川の善通寺は弘法大師の三大霊跡として、古来より霊験あらたかな聖地だ。境内には産湯の井戸があり、とても清浄な雰囲気に包まれている。

因みに勝福寺は吉備四国霊場第75番札所。昔は本場・四国への巡礼は容易ではなかったから、各地方に信仰深い人々が88カ所霊場を整備し、吉備四国もその一霊場であることが想像に難くない。

Gikoohは、勝福寺の札所がお大師さまご誕生所の善通寺様と同じ75番というところから、有難さを感じており、特に幼少期の真魚さまのご性格には深く感心している。余談だが、Gikoohの幼名は(よしみち)といい、お大師さまの父君と同名。これまた不思議なご縁を感じている。(一人で思っているだけだが…)

この御尊像(御影)は当山所蔵のもので、5,6歳時のお姿と伝えられ、一般に「稚児大師」と称されている。幼稚園の年長から小学1年頃に相当する。

後に、お大師さまの書かれた御遺告に、「夫れ以れば、吾れ昔生を得て父母の家に在りし時、生年五六の間、夢に常に八葉蓮華の中に居坐して諸仏と共に語ると見き」。

これを訳せば、昔私が生まれて両親の家に住んでいた時、5,6歳の頃、いつも八葉の蓮華の中に坐って諸々の御仏たちと言葉を交わしている夢を見た」。

この時分に、多くの仏さまに包まれて談話をされる夢を何度もご覧になるとは、何と尊いことだろうか。とても楽しそうな情景が目に浮かぶが、稚児大師さまの御尊像は、この時の清らかな情景を表現したものだ。

7歳になられた真魚さまは、(当時の政治や社会全般の情勢が不安定だったから)世を憂い、大きくなったら世の為、人の為に役に立ちたい、困っている人をお救いしたいと、小さな胸に大きな願いを秘められるようになられた。幼少期の御尊像からは、初々しさと聡明さ、そしてとてもとても深い深い慈悲心が伝わってくる。お大師さまの御尊像は修行大師、秘鍵大師、日輪大師、御入定大師など幾つものお姿が伝えられているが、稚児大師さまはGikoohが特に大切に思う御尊像の一体でもある。

ところで、お大師さまは令和5年に御生誕1250年の慶事をお迎えになる。勝福寺では慶讃行事の一環として遡ること平成27年に「稚児大師御尊像の造像」を発願した。とは申せ、当時は存じ上げている仏師の方はおらず、何より第一にGikoohが求める稚児大師さまを彫刻頂ける仏師さんとご御縁を頂けるのかが1つ目の大きいテーマだった。

稚児大師さまは恐らく多くの人々が手を合わせる対象となり、純粋な心、初々しさが感じられるような慈愛に満ちた御尊像が好ましい。御尊像を拝した時に、真魚さまの清浄さに触れ、一瞬で救われるような尊いお姿の彫刻…。

更に、良い仏師さんとご縁を得られるかどうかは、日頃のGikoohの行動と信仰心にも必ず反映すると常に思っていたので、精進の生活と思いを温め続けた。

稚児大師さまの造像の発願をして以来、「稚児大師さまが勝福寺の布教活動に必要であるならば、御仏は必ず優れた本物の仏師さんと巡り合わせてくれるはず…」と拝み続けた3年後、平成30年に仏師で彫刻家の加藤巍山さんという技術も人柄も素晴らしいお方とご縁を頂けることになった。因みに加藤巍山さんは、2017年より5都市の美術館を巡回した「驚異の超絶技巧!展」へ参加されるなど、その彫刻技術は特筆すべきものがあり活動の幅も広い。

そして令和3年、遂に念願だった稚児大師さまの御尊像が完成し、6月11日にお納め頂いた。5,6歳という初々しさとあどけなさが見事に表現されていて、聡明な御尊顔の真魚さまをお迎えすることが叶った。稚児大師さまの造像を、仏師・加藤巍山さんに快くお引き受け頂いた好運と、仏縁を賜われたことは本当に有難い。

この真魚さまが、後に世の為、人の為に大きな遺跡を遺されることとなるお大師さまになられるのだ。その幼少期の尊いお姿。御尊像の寸法は坐像で約20cm)台座と後背は別。小振りながらも存在感は圧巻。

この稚児大師さまの御尊像は、今のところ令和5年の「弘法大師御誕生1250年祭・降誕会」にお披露目をさせて頂く予定にしている。恐らくこの御尊像は、久代地区周辺の宝として、後世に長く伝えられると思う。Gikoohの稚児大師さまに込める思いはひとしおなので、今後どのように展開させていくかじっくり模索したい。

なお、この御尊像も稚児大師さま(御影)。6月15日はお大師さまがお生まれになられたご聖日だということを、是非お知り頂ければ有難い。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

規則正しい生活習慣が大切

2021-06-05 22:24:55 | Weblog

4日ぶりの日替わりになった。今日は午前中に小学生の子ども茶道が、夜に中学生の子ども茶道教室があった。午後は、庭木の手入れをするなど多用になった。健康に軽く身体が反応してくれるので有難い。睡眠と食事と規則正しい生活は健全な精神を養う上において、やはり大切だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高野槇の御供え

2021-06-01 21:26:51 | Weblog

5日連続で晴れ。午前中は茶道の稽古。たとえ多用であっても、姿勢を正す文化に触れるひと時は有難いと思う。午後からは溝掃除で出た汚泥の片付け、草刈り、ダンボールや古紙などの資源ごみを出したり、如常の1日。

さて、本日6月1日より、勝福寺では20年来の課題であった山門の修繕工事が始まった。経年の老朽化に伴い、白蟻等の腐食が激しくなり、いよいよ修繕の運びとなった。檀信徒様の深いご理解とご協力、そして清らかな御心に感謝。また、時折工事日誌を書こうと思う。

そして、本堂に高野山の立派な高野槇の御供えを頂いた。近年、年間を通して御供え頂いているが、大変有難い。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする