勝福寺 Gikoohの日替わり法話

山寺の住職、Gikoohが日々感じたことを綴っております。
(プロフィール用の落款は天野こうゆう僧正さま彫刻)

NIPPON MARU

2011-12-26 22:36:42 | Weblog
4日ぶりの日替わりになった。2010年12月20日のブログで、客船NIPPON MARU(にっぽん丸)を取り上げて、船旅への憧憬について書いたことがある。ずっと先の夢になるだろうと思っていたけれど、何と乗船する機縁に恵まれた。近年は大地や気象といった自然界の著しい変化、世界経済のこと、人の心の在り方など、各分野全体が大きな岐路に立たされている。何が起こるか分からない時代だからこそ、一期一会の好機が訪れれば見逃さず可能な範囲で大事にせねばと考えている。

「親孝行したい時に親はなし」という諺があるが、Gikoohは両家の父をなくした後、健在している両家の母を大事にせねばという思いが一層深まった。NIPPON MARUへ家族全員が乗船するなど夢にも思っていなかったけれど、所縁が幾重にも重なり合って実現してしまった。忙しさを理由にすれば何も出来なくなってしまうし、運気を掴み難くなろう。でも時間だけは刻々と流れているので、一瞬でも大事にすることを心得ねばならない。

NIPPON MARU。人生初となる1泊2日の船旅はまさに感動の連続だった。紹介したいことばかりなのだけれど、船の7階に4畳半の「吉野」という茶室があって、そこが特に気に入った。ここは桂離宮の茶室「松琴亭」をモチーフにして作られたそうだが、窓からの景色が洋上というのが斬新で惹かれた。もし将来、世界1周の船旅が実現するならば、Gikoohは選りすぐりの茶道具を一式積み込んで、同船の客人に御抹茶を振舞ってみたいと思った。日替わり読者様からリクエストがあれば、見聞記でupするかも知れない。

その他、他寺院様の助法で出掛けたり、Gikoohがかつて勤務させて頂いてた智辯学園当時の生徒さんから12年ぶりにメールを頂いたりと色々な出来事があった。学校勤務の経験はわずか2年だったけれど、未だにこうして思い出してくれることは本当に有難い。そして今のGikoohがあるのは智辯学園のお蔭でもあり、辯天宗のお蔭でもあり、その恩を忘れることはない。

さて、写真は夏用タイヤから冬用タイヤへの交換作業風景。勝福寺で冬用タイヤを履いているのはこの「SAMBAR」Onlyで、これからの季節の大切な役目を担ってくれる。
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香合シリーズ(5)

2011-12-22 21:59:28 | Weblog
如常の1日。勝福寺ではようやく大掃除を始め、今日は窓拭きをした。少しずつ少しずつ、正月を迎える準備をせねば。

さて、また香合の話を。これは林鶴山さんの作で素材は欅だ。手轆轤ならではの風合いが感じとれる。備前焼の巨匠、故・金重陶陽氏も機械式轆轤は使わず手轆轤に固執されたとうが、手作りならではの温かさがある。
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自然が作り出す美の姿

2011-12-20 21:51:22 | Weblog
朝、寺務関係の手続きの為、宗務支所のお寺を訪ねた。早朝からお伺いしたにも関わらず、温かく出迎えて頂きとても有難かった。その後は茶道の稽古、午後からは如常の1日。

Gikoohはこうして小さな花器に一厘とか二、三厘の草木を入れることが好きだ。この花器は備前焼だが、かつては漁具のおもりとして使われていたものだ。両方の穴のうち、片方に蓋をして水が漏らないようにしている。今日は椿を挿してみたが、花弁の色、葉の色、自然が作り出す美の姿は本当に美しい。
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平和の象徴?

2011-12-18 22:22:22 | Weblog
今日、法事が終わって寺へ帰山する際にご当家より祭り寿司を頂いた。あまりに美味しそうなので、お気に入りの器へ盛り写真を撮った。

近年、総社市のような田舎でも葬儀は自宅葬から会館葬へ、法事は自宅で営む場合が多いが、その後のお斎(会食)が自宅から料理店へと変わりつつある。

自宅での会食は、本膳はパック膳ながらお寿司は家庭で作られ、その味付けを仕切るのはその地域の母的なご婦人方で、味も家ごとに絶妙に違うのが良かった。

お寿司は日本人の平和の象徴の1つだと伺ったことがある。手巻き寿司はまた話が少し変わるのだが、郷土岡山の祭り寿司というものは最高の季節のネタを厳選して作られる。レンコン、筍は是非入れる、人参は見た目が目的であって人参の味が分かるほど大きく切ってはならない、鰆は綺麗な白色、青物は必ず、シイタケはしっかりした味付け等々、拘りはそれぞれながら素材の良し悪しは見た目も味も大きく左右する。

それはそれとして、お寿司が部屋にあると部屋全体に酢飯の良い香りが広がり、何故か和やかな空気になるから不思議だ。

法事の時に、故人の位牌を置いた祭壇の前でこの空気感は何とも言えず、追善供養を親族と共に行える幸福は日本人の誇りともいっても過言ではなかろう。今は、時代も考え方も住宅事情も変わってきたから仕方ないが、Gikoohは法事の後の会食は自宅を提唱したい。

現在は、表面的な平和はあるけれど、心の平和は音を立てて崩れているような気がしてならない。何かしら世の中全体がぎくしゃくし、時代の流に流されてしまっている人が増加していないだろうか。

毎日適当にご飯を食べるのではなく、たまには贅沢なお寿司でも作って、良い器に盛り、家族や親族一同集まって和やかなひと時を過ごされてはいかがだろうか?

今夜はお寿司を取り上げて、平和の象徴について考えてみた。
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石井不老氏の宝瓶

2011-12-17 23:02:59 | Weblog
午前中は法事があった。今日は大勢の親族が参列されての追善供養だった。他界された後も大切にお祭りされる故人は本当に幸せだと思う。

ところで写真は、Gikoohが愛用している備前焼の宝瓶の1つ。作者は故・石井不老氏で胴体に茶唄が書かれてある。生前の不老氏をよく知る人は、氏は作陶前に部屋で香を焚き、精神統一させてから土と向かい合われていたと言う。この宝瓶もそうやって生み出された物だと推察するが、雰囲気が良くて茶も美味しく淹れることが出来る。
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香合シリーズ(4)

2011-12-15 19:02:57 | Weblog
ここ数日雑務に追われ、日替わりもままならない。と、いいつつもお抹茶や煎茶を飲む時間は如常で、庭先の椿や水仙を花入に挿しては、香を焚き風情を楽しんでいる。

そういえば、最近は続けて法話や講演依頼のお話を頂いている。非常に有難い。非常に有難くはあるけれども、口先ばかりの法話はGikooh自身抵抗があって、ましてそれが例えば医療現場となると、いい加減に向き合うことは出来ないのでもうしばらく研鑽を重ねたいと思っている。例えば、拝むことに重点を置かぬ僧侶から信仰の話をされても心には届かない。部屋に花の一厘も活けない人から風流の生活を勧められても同じだろう。親や祖父母、先祖を大事にしない人が今の幸福を願っても一過性に過ぎないだろう。Gikoohはその場限りの灰汁すくいのような法話には正直違和感がある。

といいつつも、まったく行ないわけではなく、時と場所によりお応えしている。話というのは基本的にその場で感動したとしても、後の生活に役立たねばならないと思っている。

さて、今日は久々に香合シリーズの第4話を。前話は11月6日だったので40日ぶりだ。ご覧のとおり、かつて紹介したことがあるこの香合は香木の沈香製で、龍頭観音という仏様が彫刻されている。かなり以前に求めたのだが、香木というのはただならぬ雰囲気がある。現在は質の高い香木は大変に貴重になりつつあるが、香木というのは僅かであってもよく薫り、精神を安らかな世界へ誘ってくれる。風流を愛する人、色々ある毎日の生活で疲れている人、是非お勧めしたい。香十徳という香の効能が説かれたものがあるけれど、これは本当だと思う。
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精神修養を考える

2011-12-12 19:20:39 | Weblog
午前中は林鶴山さんのお宅を訪ねた。Gikoohは幼少よりここで過ごしてきた時間が人生に大きく影響しており、かげがえのない心の師となっている。林さんとの出逢いがなかったら、感性を伸ばして頂くことはなかったと思う。

そして、そんな林さんを影から支え続ける奥様の存在は途轍もなく慈愛に満ち、本当に凄いご夫妻だと感じることが近頃増えた。

林さんの作品は一般の市場には殆ど出まわっておらず、故に知る人ぞ知る雲の上のような存在となっている。機械を一切使わず手作りに固執したその作品はとても温かく上品で、しかも銘木と言われる最高の材木だけを吟味して制作される為に、内側から溢れる美は息をのむほどである。倉敷市の市立美術館や、岡山の県立美術館等で展示される機会も多々あるので是非、日本の伝統工芸の美に触れて欲しい。
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皆既月食

2011-12-10 22:44:00 | Weblog
12月10日は11年ぶりとなる皆既月食。Gikoohは山に籠って修行していた時に、月食や日食など天体の動きが自身の修行内容にも影響してくるので、禅那に精神を集中させたことをよく覚えている。今夜の岡山は快晴だから観察には好条件だ。

今日は午前中に娘が通う保育園の生活発表会があり、参加。舞台に上がった娘は昨年に比べると随分大きくなり、演技も歌も元気一杯で微笑ましく観覧した。子供達は本当に無垢で可愛らしい。少子高齢というが、保育園に身を置くと並々ならぬ力を感じる。健やかに無事に成長して日本の希望となって欲しい。

夜は今年最後の仏教講話があった。お大師様の内容が中心ながら、その御教えがもっと社会に広まれば人々の心は間違いなく再生出来ると思う。

写真は午後10時30分頃。肉眼ではよく見えるけれど、写真では難しいかな。
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洗心

2011-12-07 22:11:36 | Weblog
太陽が黄径255度に達し、雪が深くなる頃とされる「大雪」を迎えたが、とても暖かな1日になった。本来寒い時節に暖かいということは、急激に寒くなることでもあるので、健康管理にはくれぐれもご用心を。

先日、近所に紅葉を見に行ってきた。Gikoohは自然が好きで、土曜日曜でも時間があれば家族と出掛けることがよくある。短い時間であっても、点の連続は1本の線(尊敬する先達がよく言われていた言葉)なので、人間を育てる上において豊かな経験を積ませておきたいと思っている。

総社の紅葉も所によりそろそろ終わろうとしているけれど、自然のなかへ身を置くとその美しさに圧巻される。空の下で簡単な弁当を食べたり、お茶を飲んだりしていると心が洗われるような気がする。

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雑記

2011-12-05 22:18:19 | Weblog
如常の1日。今日は久々に予定がなく、心身ともにゆっくり過ごした。このまま今夜は早く休み、明日に備えたい。

2011/12/05
如常の1日。11月は勝福寺liveに始まり、檀務や来客が連日続き、また県外からまでも相談を受けるなど多用な日々を送っていたけれど、今週・来週は静かな平素に戻れそうだ。

さて、Gikoohは12月から法事の席で「いろは歌」の法話を始めさせて頂いている。

いろはにほへとちりぬるを…、いろは歌「あいうえお」の50文字から重複する47音字を抜いている。人生の諸先輩は懐かしく思われるらしいが、これを漢字交じりで表記すると、

色は匂へど散りぬるを…となる。いろは歌の全文を見られたご婦人はその奥深い内容に驚かれた様子だった。この世の無常を七五調の和歌で見事に表現しているが、一般に弘法大師の御作と伝えられている。他の所説もあるが、涅槃経の無常偈と照らし合わせたり、仮名の制作等を推察する限りお大師様の御作と考えるのが自然のような気がする。

今、世界が、日本が時代の大きな岐路に立たされている。日本もバブルが崩壊してから何かしらの雰囲気が変わり、自然のバランスも変わり、そんな中で生き抜いていかなければならない。経済状態が悪くなれば地域や治安に及ぼす影響も少なくない。円高もいつまで続くのか。そして日本もリーマンショックのようなことがいつ起きてもおかしくない。住宅ローン、家電製品のローン、身丈以上の生活をローンというシステムで支えている人が凄く多いと思うが、もし、環境が一変した時のことをよく考えておかねばならない。

教育にしても、人づくりを真剣に考えているのであれば、それ相応の人材を現場に充てないと無理ではないか。例えば、仏教で説く十善戒の1つ不殺生戒について。生き物を大切にしよう、無益な殺生はいけない、ご飯を食べる前の戴きますは生命を戴きます、というレベルの話では今の世に通用しないと感じている。この戒の意味はそこから先が重要だが、関心のある人はそれぞれ菩提寺に尋ねられたら良いと思う。伝えたいことは、何でも上辺の灰汁すくいでは人は育たないということだ。

今夜は話が思わず白熱してしまった。次回は少しぽわんとしたことを書こうと思う。
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