春爛漫、昨日4月8日は仏教を開いたお釈迦さまのご生誕日だった。紀元前566年(衆聖点記説)4月8日、インドはヒマラヤの麓、ルンビニー園でご生誕あそばされた。
古来から4月8日はお花まつり(灌仏会)といって、花御堂に色彩色々のお花を飾って、そこに誕生仏(お釈迦さま)を安置して、甘茶を灌(注)いでお祝いするのが慣例だ。
日本において、今やクリスマスやハロウィンは今や国民行事になっているけれど、お花まつりは知名度が低く、年配の方ならともかく、若い世代の人は知らない人も多い。けれども、かつて聖徳太子が国の安寧を心から願って仏教の御教えで国を統治したように、我が国民にとって仏教はかげがえのない宗教であることを心に留めておいて欲しい。
今日は『高野山真言宗檀信徒必携』の「お花まつりのお話」より引用して、お花まつりに関心を寄せて頂ければ有難いと思う。
「4月8日は、お釈迦さまのお誕生日であります。お釈迦さまは、今から2500年前、花咲き匂うルンビニーの里でお生ま れになりました。
昔から4月8日をお花まつりといって、色とりどりの春の花で飾った花御堂を作り、誕生仏をお祀りして甘茶を注いでお祝いをいたします。小さな国ながら釈迦族を統治するカピラ城の皇太子としてお生まれになったのでありますが、お生まれになるとすぐ、七歩お歩きになり、右手は天を指し、左手は地を指して「天上天下唯我独尊」とお叫びになったと伝えられています。このお言葉は、今もって多くの人たちに誤って使われ、また誤った解釈をされています。「この世の中で自分ほどえらい者はいないんだ。我こそ天下国家を統治する指導者である。」との独り善がりの言葉として使用されていますが、これは全く誤りであります。
天上天下ということは自分の上、自分の下、すなわち全宇宙ということであります。全宇宙のいのちと恵みを一身に受けて、一人の人間として生まれて来た素晴らしさ、尊さをお叫びになったのであります。これはお釈迦さまだけのことではなく、私たち一人ひとりの人間は、人間として唯一無二の心と身体を持って生まれ出たことの喜びの声であったのであります。憐れにも獣として生まれ出たものは、その身体を整えることも、心を律し、言葉を正しくすることも知らないで一生を終えるのであります。
生まれながらにして私たち一人ひとり、尊い身体、言葉、心を持って生まれて来ているのでありますから、生まれながらにして一人の仏として生まれて来ているとの自覚が仏教の基本であります。仏教では仏と人の区別差別をしない、これが仏教であり、その心は東洋の心として総ての東洋思想の根本となっているのであります。
さらに、お釈迦さまが7歩、歩かれたということは、生まれながらにして地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の人の心の迷いというべき六道輪廻の世界をただぐるぐると迷い歩くだけでなく、これを既に一歩踏み出されて、真実の人の人たる道を歩こうとされる心とお姿を表しています。
29歳で、お城を出られたお釈迦さまは六年間、山に籠って人の道、仏の道を求められ35歳の12月8日、遂に仏さまと成られました。4月8日のお花まつりは釈尊の御誕生をお祝いするとともに、人間生命の讃歌を謳う聖日というべきでありましょう」。
さて、勝福寺では御供え頂いた生花で花御堂を飾り、御本尊様や境内のお地蔵様などにも同時に供花させて頂いた。花御堂のアレジメントは家内の担当だけど、これだけ多様な種類があると、内容に深みも増すので本当に有難い。
毎年お花まつりの開催時期は、入学式や新学期が始まっており、参加人数も控えだけど、それでも約30名ほどのお参りを頂いた。お花まつりの流布のために、日曜の開催とか日程の変更も検討したことがあるが、現時点では4月8日のご聖日という方針で結論に至っている。しかし来年は、より多くの方々に足を運んで欲しいので、Gikoohの頭のキャンバスには一つの案を描いている。もし具現化させる時は本ブログで案内させて頂く予定だ。