勝福寺 Gikoohの日替わり法話

山寺の住職、Gikoohが日々感じたことを綴っております。
(プロフィール用の落款は天野こうゆう僧正さま彫刻)

煎茶で法話

2008-01-31 17:42:13 | Weblog
昨日同様、ゆっくりと充実した1日だった。こんな日が2~3日続けば大分と休養出来る。

今日は何々、明日は何々…と多用な生活が続くと俗化しがちになるので、なるべくなら山寺の和尚らしい日常を心掛けたいと思っている。俗化と言えば、(聞いた話によれば)十何年も前に東京の著名人が来岡された際に、県の重役が県南のお寺で庭を見ながら食事が愉しめる処を探していた。県南には名刹、古刹も多く何寺かピックアップされたが、多くが観光化していたり、有名過ぎたり、住職が(理由に関係なく)頻繁に外出する人だったり、法要や布教に長けていても文化の趣味がなかったりで困ったという話を聞いたことがある。

つまりは俗化しているお寺があまりに多いという理由だったようだ。国のtopの世界の人達の考え方の一つに、お寺は綺麗に整備されていても、人集めが上手でも、掃除が行き届いていても、住職本人に文化全般の教養がなければ「俗化」と見なされる傾向にあるようだ。

これは余談だが、住職共に俗化していない寺としてGikoohの生家「安楽院」の岩坊庭が候補にあがったらしいが、推薦関係者が同寺の身内にいるという理由から敬遠された。この話はそこまでで、(いい加減だが)最終的にはどうなったのか知らない。

Gikoohは正月から煎茶のことを時々書いているが、上記の話は「住職が宝瓶(取っ手のない小さな急須)で煎茶を飲んでいるかどうか」も判断基準になったらしい。抹茶は正当な文化、煎茶は日常の文化、両方に精通することが望ましいが、朝から夜までに何度も淹れる煎茶は生活そのもので、その中に人間性とか何とかすべて含まれるらしく、上手く表現出来ないが「煎茶を飲む人は日常生活の間合いのとり方が自然」らしい。根拠はないが、長年の歴史は物語る。石川丈山、伊藤博文、橋本関雪、名前をあげるときりがない。今のGikoohはただのお茶好きなので難しいことは分からないけれど、文人を「真似る」ことが「学ぶ」ことに繋がるので、将来は和尚らしくなれるやも知れない。因みにGikooh自身が宝瓶で煎茶を飲みだしてから11年になる。
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ゆっくりと

2008-01-30 21:47:37 | Weblog
午前中に来客があった他はゆっくりとした時間が流れ、お世話になった人へ手紙を書いたり掃除をしたり平素の1日になった。

昨年、新しい庫裡の新築工事を行った際に「寺務所」兼「納経所」兼「応接室」も新築した。(現在当webのtopページで使っている写真がそう)広さは和室の4,5畳とこじんまりとしているのだけれど、完成度の高い造りとなっている。茶室でも6畳ともなれば広間というし空間の考え方は面白い。Gikoohは3畳とか4,5畳の狭い空間が好きなのだけど、これは勝福寺を訪ねられるお客さんにも意外と好評で、以前に比べお客さんの滞在時間は随分長くなったように思う。一服の煎茶は日本人の心を落ち着かせるのかな。

写真は「瓶掛」で椎茸を焼いているところ。これに酢醤油をつけて食べならがの煎茶もよく合う。
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檀務のあとで

2008-01-29 20:01:37 | Weblog
朝起きて見ると一面の銀世界。冬らしさに何だか安心してしまった。暖かいに越したことはないけれど、寒い時節には寒いほうがよい。

今日は葬儀があった。檀家さんの最後を見送るのは住職の大事な職責なので、毎々故人の菩提を祈りながら緊張して努めている。Gikoohは父親を亡くしているから遺族の気持は切ないほどに分かる。これは感覚とか想像の問題ではなく、体験した本人にしか分からない。勿論、親を亡くす前からいつも真剣だったが「導師」としての作法と気持のあり方は今のほうが格段に冴えるようになった。今日も滞りなく式を終えた。

夕方、総社市内にある行きつけのお茶屋を2件周り、「かりがね(茶葉の種類」)を買った。今夜はこれから子供達をお風呂に入れて、お茶を飲みながらゆっくりと過ごそうと思う。
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香箪笥

2008-01-28 20:26:55 | Weblog
勝福寺のある総社市の久代では昼過ぎから雪が降り始め、夕方には薄っすらと雪化粧をした。この調子で降れば、明朝にはまた先週と同じくらい積もるのでは。雪になると何とも静かな気分になり、お茶が一層美味しく感じられる。晴れ、曇り、雨、雪…それぞれに空気は違うけれど、その自然のなかに入り込んでみると、どれも風情があって楽しい。

さて、朝は雑務をし昼前には友人のお寺を久々に訪ねた。かつて、仁和寺の修行時代に寝食を共にした法友というのは、いつ会っても昨日まで一緒にいたかのような安心感と親近感があって不思議だなと思った。彼のお寺は平成の大修理の真っ最中で、お寺全体に活気があってGikoohもお陰を受けたような気がした。

夕方から、書き物に集中している。仕事前には部屋に香をくゆらせ精神統一してから臨むようにしている。備前焼の巨匠、故・石井不老さんも同じように作陶前には香を焚き心を静めていたという。この話を伊部の年配の方から伺った時に、Gikoohも既に同じようなことをしていたので、とても嬉しかった。職は違うけれども、将来は石井不老さんのようになれればと思う。

写真は、「香箪笥」。昔は小物入れとして使われていたようだが、Gikoohは香道具や香を仕舞っている。100年以上前の物で、捨てられそうになっていたところを譲り受けた。人によっては古道具よりも100均の綺麗な物を使うほうが良いという人もいれば、たとえ古くても誰が使っていたか分からないものでも味のある物が好きな人もいる。感性というのは面白い。
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この1週間

2008-01-25 22:27:08 | Weblog
昨日の日替わりはupした後で、適切な内容ではないと思ったので削除した。あしからず…。

今週は21日「大寒」の初積雪に始まり、22日~23日は高校時代からの友人(岩国在住)と共に和歌山県の「高野山」と「橋本市」へ行っていた。高野山へは亡き父の石塔を作るにあたって、現地の石屋さんと打ち合わせをするためだった。石屋さんとの出逢いについては、現在高野山在住で高校時代からの友人の紹介で素晴らしい縁に恵まれた。Gikoohが何故高野山の石屋さんに拘るかについても理由があるのだが、いずれ触れることがあるかも知れない。今回もその友人の厚意で、車で石屋さんを始め山内を色々と廻ることが出来た。気心知れた友人というのは本当に有難い。
橋本市へは、高校時代の恩師の講演があったのでそれを聞くためと、また別の恩師のお宅へ伺うためだった。2人の恩師に再会することが出来て、とても有難かった。

24日は初華道があった。今日25日は、2件の来客があった他は如常の1日となった。
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総社でも初積雪

2008-01-20 21:51:37 | Weblog
明日21日は「大寒」、寒さの絶頂とされる。温暖ながらも、総社でもこの冬初の積雪となった。今、日替わりを書いているのは夜の9時半頃で境内の積雪は5cmほどある。

雪国の人には申し訳ないと思うけれど、積雪を喜んでいるのは子供のみならず、Gikoohも
庭を見ながら抹茶を点てた。こんな日は風情を愉しむに限る。静かでしとしとと降る雪に極楽を感じた。

写真は、昼間の瓶掛の様子。朝、法事の際に戴いたお餅を早速焼いて食べた。餅が焼けるまでの過ごし方とか、お餅と一緒に飲む煎茶の味は本当に美味しい。火箸で灰をもてあそびながら、色々な考え事をしている。
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生々しい話

2008-01-18 22:27:33 | Weblog
ショッキングな出来事があった。勝福寺では鶏を放し飼いにしているのだけれど、そのうちの一羽が狸の親子にやられた。昼間は自由に境内を歩いていて、夕方には小屋に入るのだが今日は昼間に、それもGikoohなわずかな留守の間にやられた。家内は在宅中ではあったけれども、外に出たくても出られない環境にあり間に合わなかったと。

今日は朝から嫌な予感がしていたけど、それが的中して悲しい日になった。こんなことがあると、例え鶏といえども生命の愛おしさを痛感する。でも、多くの人はそんなことは何も感じずに、スーパーなどで平然と鶏肉を買い当たり前に食べている。更には豚肉や牛肉まで…。だから、Gikoohは(まったく食べないことはないが)肉を好まない。自分が鶏や豚や牛の立場だったら、逃げられない環境で人間のために殺されるだなんて怖くてたまらないと思うから。勝福寺便り「徹林」にも書いたのだけど、何も感じずに何でも当たり前になってしまうと心は貧しくなり、それが過剰になれば最近頻繁に起こる人間の所業とは思えない行動に繋がる一因ではないかと感じている。「食育」という言葉は奥が深い。まして、ご飯を平気で残す人、それを平気で許す周囲、これは良くないと思う。人間は感謝と怖さを知らねばならない。

色々なことがある。
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拭き掃除

2008-01-17 21:38:15 | Weblog
如常の1日。午前中は来客もありつつ家中の拭き掃除をした。拭き掃除をすると眼に見えて凄く綺麗になるので気持良い。明日は寺務仕事が中心になりそうかな。
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4日ぶりに

2008-01-16 22:19:02 | Weblog
4日ぶりの日替わりになった。13日に開催されたお寺の役員会も無事に終わり、勝福寺便り『徹林』も無事に発行、ようやく平素の日常生活に戻っている。勝福寺の檀家以外でも勝福寺便り『徹林』を読んでみたいというお方がおられればご一報を。残部は30部ほどです。「心のあり方」について般若心経の視点から考察しています。

ところで、3日~4日前にPCのセキュリティーソフトの期限が切れたためPCを開かずにいた。昨晩ようやく新しいソフトに更新したので、今日から日替わりを復活出来ればと思う。
PCといえば、Gikoohのは4年ほど前に購入したSONYのバイオ(ノート)を使っている。最近物凄く動作が鈍くなり、「古くなったからか?買い替え時か?」と思いつつ、お店に相談したところ「メモリーを増やせば大丈夫」「無駄なファイルを削除するか圧縮して」と言われ、言われるままに512MBを増設して、無駄なファイル類を整理してみた。その後まるで新品!?と思うほどサクサク動いている。買い替えなくて良かったので嬉しい。

今夜は「御香」三昧になっている。香箪笥を眺めていたら、かなり以前に京都から仕入れていた沈香を見つけ出し「こんなのも買っていたのかぁ、懐かしいなぁ」と、早速焚いてみた。何とも言えない甘い香煙が部屋を舞う。ならば次はこれ、次はこれと、次々香りを聞いているうちに夜も更けたので、今夜はこの辺で。
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ぜんざい

2008-01-12 22:44:54 | Weblog
今日は年始参り最終日。雨模様だったけれど、何処のお宅も快く出迎えてくださるので本当に有難い。勝福寺にとって念頭の大切な行事を無事に終えることが出来たので、まずは一安心。

ところで13日にお寺の役員会があって、その前後はバタバタとしている。勝福寺便り『徹林』を何とか間に合わせようと、時間のある時はずっとPCの前にいる。全12ページで内容盛り沢山だ。明朝印刷出来るように今夜は頑張ろうと思う。

写真は、昨日お鏡餅で作った「ぜんざい」。歳神様のお徳を戴き、良い1年でありますように…。
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