勝福寺 Gikoohの日替わり法話

山寺の住職、Gikoohが日々感じたことを綴っております。
(プロフィール用の落款は天野こうゆう僧正さま彫刻)

除夜の鐘を撞きにきませんか。

2013-12-29 21:51:55 | Weblog
朝から大掃除の1日。昨日は納め不動の護摩供、本堂掃除に仏具磨き、今日は庫裡の掃除と墓地清掃を行った。我が子達が小学校へ就学してからは、大人と近い分量の仕事をしてくれるから楽になったし早くもなった。これは多くの子供達に共通して言えることかも知れないけれど、恐らく大人の仕事を手伝うことは動物の本性とでもいうか、教えたことをよく吸収し楽しいらしい。

明日は餅つきを行う予定だ。あと2日、頑張りたいと思う。

大晦日は午後11時10分頃から除夜の鐘を撞く予定。毎年ご参詣の何方でも撞いて頂いている。108つ以内であれば大丈夫なのでお気軽にどうぞ。そして、Gikooh手作りの甘酒のお接待もさせて頂きたいと思っておる。是非沢山のご参詣を。
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日記

2013-12-27 22:56:02 | Weblog
午前中は地元のクリーンセンターへ行った。紙ごみ、粗大ごみ、不燃物、ペットボトルなどを整理したら凄くすっきりした。

その後、Gikoohが時々訪ねている地鶏卵の販売所へ立ち寄った。勝福寺には烏骨鶏を飼育しているものの品種柄産卵量が少ないため、こうして補っている。この店は赤玉を使われており、とても美味しくて気に入っていたのだけれど、明日28日に経営者様の開店40年を節目として閉店されるのだという。御年80歳だから致し方ないけれど、Gikoohも一消費者として大変お世話になっていたから感謝の気持ちで一杯になった。閉店が巷に広まっているのだろう、Gikoohが訪ねた時は20人ほどの列が出来ていた。馴染みの店がなくなることは本当に寂しく、諸行無常を実感した。

その後は子供達と仏具を磨いり、掃除をしたり、或いは鶏舎の大掃除をしたりと正月を迎える準備が着々と進んでいる。

明日28日は午前10時から納めの不動護摩を厳修する予定だ。ご参詣の方々はくれぐれも暖かい服装でどうぞ。
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師走につき

2013-12-26 22:36:33 | Weblog
如常の1日。今年もいよいよ年末を迎え、何かと気忙しい毎日を過ごしている。新たな人と出逢う機会も多く、有難いことだ。

明日は仏具磨きをする予定。28日には納めの不動護摩があるし、30日には餅つきもある
。気を整えて頑張らねば。
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生活空間に数多く存ずる「境」についてのGikooh考

2013-12-24 22:50:44 | Weblog
真言宗では供養の基本の1つとして「六種供養」が説かれている。六種とは「茶湯」「塗香」「華鬘」「焼香」「飲食」「燈明」のことで、いずれも仏教の実践修行方法としての六波羅蜜に通じている。先日の日替わりで日常生活で生かせる茶道文化を1つ紹介させて頂きたいと書いていたが、前回と今回の文をリンクさせならが読んで頂ければ有難い。

茶湯は、正式には閼伽(あか)といって水のことだが、一般には茶湯で良いとされる。水は生命の根源で、これを供えることは六波羅蜜の第一「布施行」を積むこととなる。布施とは施しのことで、広い意味では他人や社会に尽くし、すべての生命を愛おしむことと解釈して良いだろう。

今回は塗香以降割愛するが、六種供養も六波羅蜜もネットで容易に検索出来ると思われるからそちらに譲りたい。

久代地方は本家普請の家が多くあり、床の間付で二間続きの和室で法事が営まれることが多い。祭壇は床の間に組まれ、御本尊、故人の位牌、お膳、六種の供物に加え、餅、果物、饅頭など数多く祀られる。床の間には必ず床框があり、それを境にして聖なる部分と、俗世に生きる我々とが区切られている。これが今夜のテーマ「境」だ。

聖なる部分に仏様をお祀りし、自然界が作り出す恩恵をお供えしてある光景は何とも素晴らしく、林檎一つみても出生から考えると摩訶不思議な姿だ。数々の供物を通して何かしら感化され学ばなければならないとGikoohは常々思っている。例えば六種供養の華鬘は文字通り花のことだが、花は誰かを喜ばせるために咲いていないはずで、ただただ自らに与えられた使命を精一杯生きている貴い姿だと思う。暑さ寒さにじっと耐え、出番が来たら綺麗に咲く…、花を供えて、花から学ぶことは六種供養の第三「忍辱」(にんにく)の心を養うことに通じる。余談だが、祭壇や墓地に造花を入れているのを見受けることがあるが、これは本来の意味と違ってくるから勧められない。

今日は「境」をテーマに話が展開しているが、食卓の箸置きについて先日NHKに出演されていた箸メーカーの社長さんが「箸置きの向こうは天地からの授かりもの、こちらは俗世間」という興味深い話をされていた。俗世間の我々が天地からの授かり物を頂くわけだから、心から感謝して戴かねばならないことを物語っている。

茶杓でも竹節があるが、Gikoohは床框や箸置きと同じ意味なのではと思う。日常空間の中には、何気ない境や区切りが数多く存在する。それらについて何か感じる人と感じない人とでは人生に大きな差が出てくる。

茶室の空間に坐すると、特によく感じることが出来る。千利休という人は途轍もなく分厚いお人柄ということが想像に難くない。
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5日ぶりに

2013-12-22 22:33:08 | Weblog
午前中は法事があり、午後からは如常の1日。色々と書きたいことはあるけれど、年末はやはり時間に追われることが多いから、日替わりもまままらない。

先週末、勝福寺で小さな茶会があり、その時の和菓子。写真のピントがぶれてしまったけれど、喰籠に盛られた生菓子はあまりに上品で日本の伝統文化の奥ゆかしさを実感することが出来る。茶会といっても堅苦しい形式にはせず、純真にいっぷくのお抹茶を戴くというものだ。ただし、もともと伝統文化が好きなGikoohは、茶道を嗜むうちに美意識も一層高まり、ビジョンが随分広くなったような気がする。茶道の文化は日常生活においても多種にわたって生かすことが出来るが、時間があればその中から1つお話させて頂きたいと思っている。

明日も早いので今夜はこの辺で。
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多用につき

2013-12-17 21:42:04 | Weblog
3日ぶりの日替わりになった。何かと多用な毎日になっている。また落ち着き次第upしたい。
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日記

2013-12-14 22:20:09 | Weblog
午前中は法事があり、午後からは寺務をした。今年も余白が少なくなり、残すところ2週間と少しで大晦日を迎える。慌ただしく過ぎゆく時のなかで、まだ年末という感覚がないのだが年始参りの日程(地元地区)を組んでいると、少しだけお正月も思い描くようになった。

明日も法事があり、午後からは年始の日程(地区外)を組んだり掃除をしようと思う。

勝福寺では納豆を作っているが、そろそろ大豆が炊き上がるので今夜はこの辺で。炊き上がった柔らかい大豆に納豆菌をぱらぱらっと振り掛け、さらしで蓋をしたら専用のメーカーに。そして45℃に設定してスイッチポン。24時間後にメーカーから取り出し、更に冷蔵庫で一晩ほど寝かしたら出来上がりだ。月曜の朝から食べられるかな。
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平賀石泉氏の茶合

2013-12-13 21:31:16 | Weblog
如常の1日。一昨日の日替わりで平賀石泉氏のことを書いたが、偏刀彫はこのような感じで彫の深さは浅く、しかし、繊細な線で味わい深い。この写真は竹の茶合で一部分を拡大してみた。茶合は茶心壺から茶葉を乗せて量をはかる道具だが、良い茶合を用いると茶葉そのものが引き立って見える。美の世界は奥が深い。
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湖東焼の水滴

2013-12-11 22:43:56 | Weblog
午前中は掃除や雑務をし、午後から倉敷市立美術館で開催中(2013/12/3-2014/1/26)の「コレクション展」~新収蔵作品を中心に~を観覧してきた。先日招待券を頂いていたことと、Gikoohの心の師、林鶴山さんと親交の深かった偏刀彫の名手で故・平賀石泉氏の作品が多数展示されていたので、自身の見識も養っておきたかった。

平賀石泉氏の作品は勝福寺にも何点か収蔵しているので、作風を知って頂く為にも次回紹介したい。同展では「懐石盆」や「茶合」「巾筒」など平賀石泉氏の作品が10点、諏訪五老氏の作品が2点、神崎軒水氏の作品が6点、林鶴山氏の作品が5点など、合計34点の秀逸作品が展示され、十分に見応えがあった。

そしてもう1つ、Gikoohの眼を杭付にさせたのが、同時開催の中村昭夫氏の「水島のおいたち」という写真35点だ。昭和29年~42年にかけて目まぐるしく変わり行く水島の風景が見られるのだが、その中に昭和34年11月に撮影された写真の前で衝撃を受け、しばらく動けなくなった。それはGikoohの郷、倉敷市「呼松」のさびれてゆく呼松漁港の船着場という1枚だった。港の多数の漁船、漁夫達。そこまでは良かった。ところが海を見ると油がたくさん浮き、海面が汚染されているのが生々しく伝わった。

この年代は水島コンビナートが着工され、産業の発展途上にあった。昔の呼松は、松の峰が連なり、眼前には瀬戸内海の広がる絶景だったと聞いている。Gikoohが生まれた昭和48年頃の呼松周辺は環境破壊が進み、既に現在のコンビナート地帯と化していたので今の景色しか知らないが、この度の写真展は大自然の絶景が膨大な土砂で埋め立てられて破壊されていく様子が生々しく記録されているので、初めて見る過去の現実に複雑な感情が湧いた。

今、利便を極めた生活を送ることが出来るのは、こうしたことが土台にあることは分かっているし、感謝もする。けれども、素晴らしい自然の数々を破壊してまでの文明発展はいかがなものか。文明が異常に発達した一方で精神文化は音を立てて崩れ、社会は難しい問題を多数抱えるようになった。昨日も書いた「一時の誉れ」は、目先の欲望、これらは後になって困ることが多い。

勿論、写真展は自然破壊と産業発展の様子だけではなく、懐かしい水島の風景も記録されている。人間は行き着くところまで行かないと、気づかないのかも知れない。

今夜は長くなったが、この写真は湖東焼の水滴。墨を磨る時に、硯に水を入れる容器だ。湖東焼は江戸時代中期の彦根藩で生産が開始された。藩主は幕府の大老を務めた井伊直弼。しかし、安政7年(1860)に桜田門外の変で大老が暗殺された後、急激に衰微し明治中期に途絶した。昭和61年に復興され現在に至る。

井伊直弼が指揮をとっただけに、湖東焼は上品な道具が多い。この水滴は恐らく明治に入って作られたものだと思うけれど、とても良い雰囲気だ。
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Gikoohの思う「心の豊かさ」について

2013-12-10 22:41:59 | Weblog
午前中は茶道の稽古があり、午後からは境内の掃除や雑用をした。今の時期は落葉が多いけれど、赤や黄に色づいた落葉を眺めながら晩秋の名残を楽しんでいる。

写真は一昨昨日に近所の檀家さんから戴いた「干し柿」。眺めても、飾っても、とても絵になり、食べるのがもったいないと思いながら、既に殆ど戴いた。有難い。

今夜は「心の豊かさ」について、今まで見聞してきた経験も参考にしながら書いてみようと思う。Gikoohは人の幸せとは「心の豊かさ」だと思っており、社会の地位とか肩書にはまったく関心がなく、それらは一時の誉れに過ぎない。或いは肩書には興味がなくとも、文明に翻弄されているのも、同じことが言えるのかも知れない。これはあくまで、Gikoohの私見である。

人はどんな生活をしていても、どんな家に住んでいても、周囲から何を言われようとも、その人自身の心が満たされているならば、誠に幸せなことだと思う。Gikoohもこうしてパソコン愛用者で文明社会に翻弄されている1人に過ぎないのだが、文明とは違う風流文化を愛する趣味がある。文化と一口にいってもとても幅広いが、Gikoohの場合は「茶・花・香」が風趣の3本柱となっている。

日中はさすがに風流人でも来山しないかぎり趣味に没頭するような時間は作らないが、夜な夜な部屋に香を焚き、一枝の草木を愛で、火鉢で湯の沸くチンチン…という音を聞きながら煎茶を飲み、好きな道具を観賞しては楽しんでいる。

Gikoohの場合、文明に身を投じている時には心が解放されることはないけれど、精神文化である茶・花・香とその周辺道具に触れている時は、心が凪いで豊かに満ち満ちてる。

人の趣味はそれぞれで、幸せの価値基準もそれぞれだが、地位とか権力とか目先の小っぽけなことに拘っていると、それを失った時に心が不安定になってしまうから、何かしら不動の趣味を持たれることをお勧めしたい。人に何を言われようと本人の心が豊かであることが大切なのだから。

次回は、そんなGikoohの風流趣味から水滴を紹介してみよう。
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