勝福寺 Gikoohの日替わり法話

山寺の住職、Gikoohが日々感じたことを綴っております。
(プロフィール用の落款は天野こうゆう僧正さま彫刻)

今年最後の日替わりを

2018-12-30 22:04:31 | Weblog
午前中は餅つきをし、午後からは大掃除の1日。今夜も書きたい話題はあったけれど、まだもう少しやらねばならぬことがあるので、この辺で。

いよいよ明日は大晦日。次回の日替わりは年が明けて、少し落ち着いてから書きたいと思う。
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Gikoohの元気なうちは

2018-12-29 22:06:03 | Weblog
大掃除と正月を迎える準備の1日。境内のお地蔵様や、歴代住職の墓地の竹製の花筒を替える為、寺山へ入った。Gikoohの元気なうちは、竹で花筒をこしらえたいと思っていて、今年も無事に行えた。

明日は餅つきだ。早朝から頑張らねば。
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阿部海太郎さんのCD「音楽手帖」を聴きながら

2018-12-28 22:53:36 | Weblog
今日28日は、納め不動の護摩を修行した。Gikoohが護摩供を始めた平成21年2月頃は、祈祷札も3枚~4枚と寂しかったけれど、今では毎月30枚を超える祈願札を加持するようになり本当に有難いと思う。護摩は大小の霊験を得られやすく、思う所のある方は是非縁のある寺へ行かれたい。

その後、本堂の大掃除をした。賑やかなのも良いけれど、どちらかと言えば孤独が好きで音楽好きなGikoohはラジオや音楽を流して作務をすることが多い。今回はピアニスト、阿部海太郎さんの「音楽手帖」を心の共とした。この音楽手帖というアルバムには、NHK・BSプレミアムの番組(世界で一番美しい瞬間)のテーマ曲「楽興の時」や、同局の番組(日曜美術館)等が収録されていて、とても美しいメロディで鏤められている。

いやはや、今年も残り3日になった。明日も早朝から頑張らねば。
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朝日米の御供

2018-12-27 22:33:10 | Weblog
年末は人の出入りも多く、今日もバタバタとした1日になった。

昨日は、お付き合いのある建築家の方からご自身で栽培なされている岡山県を代表するお米の一種「朝日米」の御供を頂戴した。Gikoohもご自宅にお邪魔させて頂いたことがあるのだが、居間から目の前に広がる棚田は絶景で、そこで仕事の合間に栽培されているのだ。

Gikoohはまず米袋のままご本尊様に御供し、翌朝、お仏飯用に焚かせて頂いた。お米を研いでいる時からワクワクソワソワしていたが、炊き上がりはまさに銀シャリで、見た目も香りも見事だった。その後、Gikoohはシンプルな(塩むすび)を握った。あまりの旨さに何度も何度も噛みながら味わった。米は日本民族にとって最も大切な食べ物だと思うけれど、今の時代に化学肥料を一切使わない無農薬栽培の朝日米には、何か神秘的なものすら感じた。

そんな貴重なお米を頂戴したから、Gikoohも建築家の方のお心を精一杯生かしたいと思い、台所のシンクを磨き、釜を火にかけた。

毎年、除夜の鐘の際に、Gikoohは手作り甘酒(約50人分)をお接待させて頂いているが、今年はこの朝日米を使用して、更に、生麹も吟味して作ってみようと思う。勝福寺の寺名に因んで、「かつま酒」と名づけよう。まだ、作るかどうかは未定だが…。
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フィスラーの圧力鍋

2018-12-26 21:23:11 | Weblog
Gikoohが心から慕い、尊敬するお一人に、智辯学園の元理事長で故・藤田照清先生が挙げられる。先生はよく「点の連続は1本の線」とおっしゃられていたが、誠に今の現状は、自身の過去の経験の結果であり、今していることは未来の自分へ繋がるので、いかに今、この瞬間が大切かを物語るものであろう。

人間だから、誰しも山あり谷ありの人生にはなるけれど、生活はちょっとした意識の持ち様で随分変わり得るものだから、心はなるべく明るく持つことを心掛けたい。

さて、Gikoohは多用な日々になっており、正月準備を着々と進めている。そんな中でこんな小噺を。この写真は、Gikoohが大学1回生の頃、料理好きだった先輩の影響を受けて、アルバイトをして求めたフィスラーの圧力鍋だ。以来、欠かせない道具となり25年以上愛用していたのだが、最近徐々に圧力機能の調子が悪くなっていたので修理を依頼していた。ある程度しっかりした物であれば、長年経過してもメンテナンスが可能なことが殆どで、これもそう。そして一昨日の24日、2週間ぶりに戻ってきたので、早速♪で大豆を焚いた。

Gikooh familyでは、ヨーグルトは勿論、甘酒も納豆も基本は自家製なので、例えば圧力鍋が不調だと納豆の出来も大きく左右するため、手入れは欠かせない。

現在は、多くの道具が使い捨ての風潮がなきにしもあらずだが、1つの道具を大切に使い込んでいくと、生命や物への感謝心が日常的に湧いてくるので物は大切にせねばならない。
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子供茶道の納め稽古

2018-12-22 22:18:40 | Weblog
Gikoohの日替わり法話は、朝方のGikoohが夜に書いていることが多く、思考回路が働きにくい状況でPCに向かっているので読みづらい部分は寛容に願いたい。

昨日、正当な密教絵画を勝福寺に伝えたいと書いていたが、結論は「人々の救済」が究極願いなので、その為の一手として、しかもいい加減な印刷物だどではなくて儀軌に則った手書や刺繍の仏画を今に伝え、後世に残したいと考えている。

さて、今日は子供茶道(小学部)の納め稽古があり、その後、クリスマス会を催した。さすがに家の外から表立ってツリーは見えないけれど、Gikooh自身はグローバル型なので行事も好きだし、置物も拘ったりする方だから、家の中の数日間は結構賑やかも知れない。そこに子供達を招いて、皆でお菓子を食べて飲んで、出し物ゲーム等をして楽しんだ。
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12月21日は納めの大師

2018-12-21 23:07:25 | Weblog
毎月21日は弘法大師の「御影供」。ご尊像や御影をお祀りして供養の法会を行う日だが、今日は今年最後の納めの大師。お大師様を拝しながら、御徳を偲び、様々なことが頭を過った。

今年は水害、台風、地震…と災害続きの大変な1年になった。Gikoohは表立ったことは何も出来ない愚僧だけど、人々の安全、被災地の復旧・復興を祈ることを欠くことはない。

そんな生活を送る一方で、今年は新調された仏画の度重なる寄贈を頂き、それに関する法要も修したりするなど、仏様との縁を深く感じる年にもなった。そして、他の寺院様のことは分からないけれど、「勝福寺は、Gikoohの代に正当な密教絵画を力の及ぶ限り伝えておこう」と考えている。

さて、写真は正月用の若松を生けるところ。生花でも特に仏前化は、生ける時の精神性が大切なので、Gikoohは生け込み前に香を焚き、精神を統一してから生けるようにしている。
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歳月人を待たず

2018-12-20 21:31:52 | Weblog
「歳月人を待たず」。誠に歳月の流れは水の如く、ひと時も待ってはくれない。

日替わりも9日ぶりになった。12月はさすがに多用だなと思いつつ、残すところ10日余り…。健康に留意して、1日1日を過ごそうと思う。
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茶三昧

2018-12-11 21:56:25 | Weblog
6日ぶりの日替わりになった。今年も余白が少なくなりつつあり、何かと気忙しくなってきている。Gikoohはお陰様で風邪を引くこともなく、常如の毎日を過ごしている。

今日は午前中に茶道のお稽古、夜は中学生のお稽古があった。日常の煩雑さから離れて僅かな時間でも、精神世界に身を置いて自分と対峙する時間…、他への心配りを育む時間…、茶道の所作には実に多くの文化が凝縮されていると常々思う。

明日も多用なので、今夜はこの辺で。
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燈明の明かり

2018-12-05 22:08:19 | Weblog
午前中は有志で行っている僧侶の勉強会があった。もう2年くらい前になるだろうか…、ほぼ月一の間隔で、順番にお寺を巡ってお勤めと勉強会をしようと始めた会だが、これがとても意味深いひと時になっている。

写真は今日の本堂内陣。真言宗では「慈悲は心を育むもの、智慧は闇を破るもの」と言われるが、薄暗い堂内で燈明の光をじっと見ていると、まさに燈明は真実の姿を映し出す象徴のように感じる。でも燈明って、何でこんなに美しいんだろう。

そして、お大師様の御教えそのものが智慧の象徴だとすると、自分の心が暗闇の中に置かれた時でも、お大師様の御教えを信じて行動すれば必ず明るい方向への道標が見つるかると思う。
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