勝福寺 Gikoohの日替わり法話

山寺の住職、Gikoohが日々感じたことを綴っております。
(プロフィール用の落款は天野こうゆう僧正さま彫刻)

稀なる勝縁

2016-08-31 21:57:27 | Weblog
朝から人の出入り多く、その間には電話対応など多用な1日となった。

写真は、本日施工頂いた本堂西側の簾掛け。かつて本堂の西側には巨木があって、大きな影を作っていたのだが、古木で枯れて以来、西日が直射がとても暑く建具にもシビアな環境となっている。大工さんとGikoohでなるべくシンプルにと考えた末、ご覧のようになった。これだと簾、暖簾、幕など様々に使えると思う。ご本尊様に少しでも快適にお過ごし頂ければ有難い。

さて、先日25日の日替わり続きの話だが、弘法大師は弘仁12年に般若心経を独自の視点から写経されている。それは見れば見るほど鳥肌が立つほど哲学的に捉えられており、数は定かでないが、原本が近畿地方の古刹寺院に伝えられているという。この度その中の1枚が修繕されるのを機に、忠実に複製されることになった。写しとはいえ、今まで一般の人の眼には触れることのなかった貴重なものだ。考え方・捉え方はその人の聲き方によるところが大きいが、今頃になって世に出てくるというのは、次第に混沌としてくる時代において、お大師様が心在る者が心経の真意を伝えて欲しいとの願いからではなかろうかと想像している。

本日、稀なる仏縁を頂き、その写しの第1号が勝福寺へ届いた。文字の霊力など、あまりに畏れ多いから日替わりで紹介する予定は現段階ではないけれど、勝福寺においては仏教講話等でご覧頂き、お大師様の般若心経に対する想いに触れて頂こうと思っている。
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小さな泊り客

2016-08-30 22:14:30 | Weblog
昨夕から家内の姪(小2)が泊まりに来ていて、朝食時の何気ない彼女のツッコミにウケてしまった。

Gikooh「〇〇ちゃんは本を沢山読むから、色々なことを知れて面白いじゃろぅ?あとは勉強なら何が好き?」
姪っ子「歴史やドラエモンの科学も好き。なぁ、雷ってどうやって出来るか知ってる?」
Gikooh即答「うーん、分からん」
姪っ子「すぐ分からん言わずに10秒考えて」

その後、上空の氷と氷がぶつかって云々…という説明を興味深く聞いて、Gikoohも納得。この頃の子は色々なことを知っているし、ツッコミも上手いなと感心した。

今日は近隣寺院の檀家様にご不幸があり、伴僧として務めさせて頂いた。株内、講中、親族が集い、厳粛な葬儀となった。近年は家族葬なる言葉を耳にするようになったけれど、やはり今回のような伝統の形式で、少しでも関係者の集う葬儀が良い。

夜は来客があるなど、多用な1日となった。
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太鼓を修繕に

2016-08-29 22:06:11 | Weblog
8月14日の日替わりで御寄進頂いた八寸の「胴長太鼓」についてお話させて頂いたが、修繕のため、現在その太鼓は石川県のとある工房にお預けしている。明治19年(1886年)に新調されたこの小さな太鼓は130年前のものだ。明治19年頃は、日本に内閣制度が発足して初代内閣総理大臣に伊藤博文が就任した頃で、明治維新を機に文明開化から富国強兵など日本は大日本帝国として激動の変遷を迎える。この100年ほどの間に日清戦争(1894年~1895年)、日露戦争(1904年~1905年)、第一次世界大戦(1914年~1918年)、第二次世界大戦(1939年~1945年)など次々と戦争を行うなど、大変な時代だったことが見て取れる。

当時、この太鼓がどのような理由で新調されたのかは定かではないけれども、御寄進頂いたご当家の格式高い家柄から推察して、当家の護持はもとより、地域や人々の安寧の為に広く祭りごとに使われて重要な役割を果たしてきたのだと思う。

Gikoohは30年前を振り返っても、30年前と今とでは随分と世の風潮が違うが、130年前の日本の様子とは一体どんなのだったのだろうか。この太鼓は、移りゆく日本の歴史と共に生き抜いてきた祖先達の魂の籠った大切なお道具だと認識している。

経年に伴う老朽化で、皮の傷みや虫食いなど、護摩祈願などで本格的に使用を続けるのは難しいので修繕することにした。現在の技術を用いれば、古いものを蘇らせることは比較的容易なことなのだが、Gikoohは太鼓に語りかけ、明治期から昭和の初期頃まで使い込まれて、その音を聴いてきた祖先達の気持ちを思えば、出来る限り当時のままの姿で復元させ、更に今後100年も使用に耐えうる修繕方針に決めた。

太鼓は先週石川県に送り、本日、先方にGikoohの思いを伝えて修繕方法を決めた。全国に太鼓の老舗があるけれども、今回は直観に導かれるまま、ある高度な技術を持つお店とご縁を頂けた。太鼓が勝福寺に戻ってくるのは1か月先か2か月先が未定だが、また戻り次第紹介したいと思う。
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日記

2016-08-28 22:21:11 | Weblog
午前中は法事があり、午後からは如常の1日。法事は、茶道の稽古で常々お世話になっている先生のお身内の年回忌法事で、親族が集う中、厳粛に営まれた。

故人様とはGikooh自身も10年以上のお付き合いがあり、時には共に筍堀に出掛けたり、かつて法事の斎(とき)の際には隣同士でお酒を頂いたり、仏教の話をしたりと思い出が多く、慈悲深い前向きな旦那様だったり。

今夜はこの辺で。
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日記

2016-08-27 21:40:41 | Weblog
雨上がりの朝、そして夜には気温が25℃前後と過ごしやすく、香を焚いての独り煎茶が妙に美味しく感じられる。

今日は如常の1日。
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夕方は久代も激しい大雨に

2016-08-26 21:30:39 | Weblog
午前中の護摩供以外は如常の1日。夕方、勝福寺のある久代も、激しい大雨に見舞われた。その分夜には気温が下がり、部屋の窓を開ければ久々に扇風機もいらないほど涼しい。

今夜は早めに休むとするかな。
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般若心経に思う

2016-08-25 22:31:06 | Weblog
如常の1日。今日はとあることから、弘法大師が嵯峨天皇に御進講された『般若心経秘鍵』について専門分野の方とお話をする機会があり、深い刺激を受ける1日となった。

ここ数日のGikoohは、何かにつけて般若心経の内容を考える毎日だったので、は何かしら目に見えない力の後押しがあったような気がしてならず、Gikooh自身、今日の出来事が今後どのような展開をもたらすのか見えていない。般若心経の教えは、今後起こり得る様々な問題から世を救う1つのキーワードになるのではと予想しているので、真言宗の僧侶として「空」について明確な論を持っておきたいと思う。

ところが般若心経の内容は最勝の経典ながら、「空」という考え1つ見ても見る人聞く人の立場によりまったく解釈の異なったものになる。それを紐解く資料は多く現存しながら、明快に理解している人は少ないのが現状だろう。その資料について、Gikoohは近々貴重な仏縁を頂くこととなり、研究出来ることになった。これを深く学び、やがて世間に流布していければと願う。

さて、今月の護摩は、御縁日の28日が檀務と重なった為、急ながら26日(金)朝9時から修行することになった。
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結集寺院の満中陰法要へ

2016-08-24 22:46:39 | Weblog
今日は、備中下道結集の中本寺(ちゅうほんじ)である寳生院様において、先代の名誉住職様の満中陰法要があり出仕させて頂いた。名誉住職様には、Gikoohが勝福寺へ入山するまでの檀務の代理、入山までの加護、華燭の式典(仏前結婚式)の御戒師、法要など、大変恩義のある尊敬する大僧正様だった。懐が海のように広く、山のように慈悲深い僧正様の存在を常々お慕いさせて頂いていた。幾度とお会いする中で学んだことを、これからも生涯の智慧として檀務に生かしていきたいと思う。

満中陰の法要では、道場の荘厳、祭壇の飾り付け、高貴な沈香の香りなど何とも言えない気品高い空気だったが、それは僧正様のお孫さんにあたる現住職様の心が荘厳に表れていて、ご家族や檀信徒様からの雰囲気からして、名誉住職様の存在がいかに大きく、親しまれていたことが伝わった。

勝福寺に帰山後は、来客があるなど多用な1日となった。
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8月24日は地蔵盆。23日は前夜祭。

2016-08-23 22:54:55 | Weblog
8月24日は「地蔵盆」。中村一先生の『仏教語大辞典』によれば、地蔵菩薩を講讃する地蔵講・地蔵祭りをいい、中世以後疫病を除き、死後の利益を願って、毎月24日、斎(食事)を設けて講が行われた。特に、7月24日、岡山地方は月遅れの8月24日は地蔵盆と称し、おもに児童の祭りとして町々に地蔵尊を安置し、供物、燈明をかかげて祭ったものらしい。

お地蔵様はお釈迦様の死後、弥勒菩薩が世に降臨するまでの無仏時代に現れて、人々を救う菩薩。左手に如意宝珠、右手に錫杖を持つ。鎌倉時代以後は、民間信仰に取り入れられて、賽の河原では童児の救済者として和讃にまで取り入れられて、様々な形に発展してきた。子安地蔵、子育て地蔵、水子地蔵などがそれだ。

Gikoohのふるさと、倉敷・呼松町では8月24日の前夜23日夕方に、お町内3か所で伝統の地蔵祭りが行われており、我が子を連れてお参りに行かせて頂き、お接待のお菓子を沢山頂戴した。子供達にとっても貴重な体験だった。皆様の町ではいかがだろうか?

そして、Gikoohは昨日から1泊2日で家族旅行に出掛けてきた。時間のある時に、今夜の地蔵祭りを含めて久々に見聞記をupしたいと思う。
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厳しい残暑続く

2016-08-22 10:55:27 | Weblog
夕方になれば秋虫の音色が心地良いが、昨晩は深夜になっても気温がほとんど下がらず、今朝の本堂内は気温29℃と今年1番の最高気温を更新。残暑厳しい。

写真は昨夕に境内から撮ったもの。この数十分前は、市街地から勝福寺への道中だったけれど、キノコの形がもっとリアルだった。何だか曇に意思があるみたい。

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