勝福寺 Gikoohの日替わり法話

山寺の住職、Gikoohが日々感じたことを綴っております。
(プロフィール用の落款は天野こうゆう僧正さま彫刻)

観音旅と松下村塾

2015-08-30 09:03:44 | Weblog
6日ぶりの日替わりになった。お盆は過ぎて随分凌ぎやすくなったが、後半の2週間に檀務が続き、土日はすべて法事に出掛けている。といいながら、先日は旅に出た。

写真は山口県萩市の「松下村塾」。江戸時代末期(幕末)に吉田松陰の伯父、玉木文之進が自宅で私塾を開いたのが始まりで、後に外伯父の久保五郎左衛門が継ぎ、やがて当時27歳だった松陰に継がれた。長州萩城下、松本村の下にあったから松下村塾(しょうかそんじゅく)というのだそうだ。

「松下陋村と雖も、誓ってこの国の幹とならん。」松本村は小さい村だが、必ずこの国の幹となる、という松陰の教えは、やがて日本を主導する逸材を数多く輩出した。松陰の教えをwebで検索してみると沢山出てくるが、2つほど紹介してみよう。

「宜しく先ず一事より一日より始むべし」(吉田松陰)。
「人を観察するのは、その人の目によってするのである。胸の中が正しいか、正しくないかは、瞳がはっきりしているか、暗いかによって分かるものである」(吉田松陰)。

さて、今回の日替わりはこんな書き出しで始まったのだけれども、Gikoohファミリーは26日(水)~27日(木)と1泊2日で、中国33観音巡礼の旅に出掛けきた。

お寺は聖域だから、ひと時でも身心を置けば魂の浄心へ繋がる思いになれる。逆に汚れた場所に身を置けば、どんな人でも次第に染まっていくものだからGikoohは訪ねる場所には常に注意を払っている。

今回は第18番札所「宗隣寺」(山口宇部市)、第19番札所「功山寺」(山口下関市)、第20番札所「大照院」(山口萩市)、第21番札所「観音院」(山口萩市)の4ヶ寺を巡ってきた。Gikooh達が訪ねた宇部市周辺は、24日前後に通過した台風15号の影響がそこここに色濃く残っていた。宗隣寺様の境内も大木の倒木こそ気にならなかったが、看板の倒壊や、枝葉が激しく散る様子に自然現象の恐ろしさ感じた。それでも、平素から浄化されている境内は清々しく、お寺の方の慈悲に接していると心洗われる思いがした。その他のお寺も、何百年という歴史は重く、清々しい雰囲気は一緒で良かった。どんな時代にあっても、様々な時代を見つめてきた寺の存在は地域になくてはならないコミュニテーなんだと、改めて感じた。

一方、Gikooh達の旅は、巡礼がメインでありながら松下村塾を見学したり観光も兼ねている。松下村塾に身を置けたことがGikoohにとっては新鮮で、短い時間に多くのことを感じた。「宜しく先ず一事より一日より始むべし」。人生どの場面においても大切な心構えである。

今、政界で重要審議が行われている「安全保障関連法案」。ここまで世論が反発しているのだから、一度廃案にして練り直すのが本義だと思う。途轍もなく慈悲深い松陰先生ならば、恐らくそうすると思う。物事はもっと深く見ねばならないし、今の人達は「この美しい日本を後世に繋ごう」と深く考えていない傾向が強い。原発にしても、後世のことを考えればあり得ないし、あってはならない。動かさざるを得ず、表面に出来ない理由があるとも見て取れるが、平和主義の智慧ある人が政界を導いて欲しいと切に願う。

それから次回の機会に紹介するが、ある萩焼作家さんを訪ねてきた。昔からの伝統工芸を踏襲した萩焼も好きだが、Gikoohは現代風も好きなので、「え~これが萩焼!?」という萩焼を次回紹介したいと思う。
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地蔵盆

2015-08-24 09:08:35 | Weblog
今日は「地蔵盆」。本来は旧暦の7月24日(新暦の9月6日)。お地蔵様の縁日であると共に、子供達の無事成長をお地蔵様に願う日でもある。

この日替わりをご覧の皆様に知られているお地蔵様は、旅の僧の造顕で、右手に錫杖(杖)、左手に宝珠を持たれていると思う。他にもあるが今は一般的なお話を。

お地蔵様はお釈迦様の入滅後、56億7千万年後に弥勒菩薩が出世されるまでの間、衆生(生きとし生けるもの)の救済を委ねられているという。お地蔵様は譬え地獄であっても、どんなところであっても出向いて救済されるという考えがあり、古来より信仰が厚い。

真言宗をお開きになられた弘法大師も、弥勒出生までの間、高野山にて入定留身(にゅうじょうるしん)され、魂をこの世に留めおかれて衆生救済を続けておられるから中間の菩薩と呼ばれている。今年、平成27年、高野山は開創1200年を迎えているが先に行われた大法会(4月2日~5月21日)の50日間には約60万もの人々がお参りをされたという。

さて、お地蔵様といえば一方で子供の守護神を想像される方も多いと思う。これは、お地蔵様は若い姿で現れるという古来の通念からきたもので、賽の河原にしてもその一端といえよう。

他にも、お地蔵様の御性格はとにかく慈悲深いため、様々な霊験が説かれているのも特徴だ。勝福寺には、内外合わせて9体のお地蔵様をお祀りしているが、そのうち1体は縁結び、子授け、安産に霊験があると伝えられており、Gikoohもお加護を頂かれた人を何人か見てきた。

今、世の中は先行き不透明で、大小の不安を抱えて生活をされている人が増加傾向にあるが、人生を心豊かに送る為の第一は「信仰心」だとGikoohは思っている。信仰心があれば次第に心は調い、心が調えば物事に対する姿勢も安定し、それは行動となって表れてくるものだ。

まずは、朝夕仏壇、或いは神棚を拝すことが基本となるだろうか。神棚も仏壇もないという生活環境は感心出来ないから、無いというお宅は菩提寺や宮司さんに相談されてみると良いと思う。
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秋虫の音が心地よい

2015-08-22 22:22:25 | Weblog
午前中は法事があり、午後からは如常の1日。盆が過ぎ、日中の残暑はまだ厳しいものの、木陰に入れば涼しく、朝夕は虫の音と共に風が心地良い季節になった。

今夜は久代内にある曙ブレーキ山陽製造(鉄鋼団地内)で納涼祭があり、最後の打ち上げ花火を楽しませて頂いた。今回は会社の駐車場が満車だったため、少し離れた場所からの見物だったが、とても良かった。ひと夏に一回は花火を見たいと思っていたから、とても有難い。
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お大師さまをお慕いして

2015-08-21 22:55:39 | Weblog
毎月21日は弘法大師の報恩日。

全国の真言寺院の多くでは、毎月21日は「御影供」(みえく)といって、宗祖弘法大師のご遺徳を偲ぶ供養の法要が行われている。真言宗の信徒におかれては、毎月21日にはお大師さまを心に思い描き、平素の生活を自省し、生命を生かせるよう心を清浄にせねばならない。

お大師さまは「虚空尽き 衆生尽き 涅槃尽きなば 我が願いも尽きなん」という御誓願を立てられ、承和2年3月21日に高野山に御入定された。

Gikoohは毎月、拝んでいる際に「ありがたや高野の山の岩かげに 大師はいまだ在しますなる」という比叡山の座主であられた慈鎮和尚様が750年ほど前にお作りになられた和歌が想い起される。お大師さまの偉大さに畏敬の念を感じているが、最近世界も国内も情勢が不安定になりつつあるから、今朝はお大師さまの存在を更に重く感じた。
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1歳の背負い餅

2015-08-20 22:19:31 | Weblog
今日は息子(第3子)が1歳の誕生を迎えたことを祝い、「一升の背負い餅」を行った。昨日餅担ぎと書いたが、背負い餅だそうだ。両家の母やGikoohファミリーが見守る中、無事に行事を終えた。

Gikooh家では「一生円満に長生き出来ますように」、「一生食べ物に困りませにんように」といった願いを込めて、一升(約2kg)の餅を背負ってハイハイし、6m離れた将来の職を示唆する目標物に向かった。陳列した道具は全8種。

途中、餅の重さにコロン、またコロンと何度か身体ごと転がりながら手に掴んだものは、…ヒ・ミ・ツとしておこう。

1歳を無事に迎えられたことに感謝し、後から有難くぜんざいを戴いた。これからも健康であると同時に信仰心が一層深まっていくように見守りたいと思う。
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餅つき

2015-08-19 22:40:53 | Weblog
如常の1日。Gikoohの3人目の子は8月初旬に1歳の誕生日を迎えて、慶事の行事「一升の餅担ぎ」をしたかったのだが、盆の棚経が終わって、少し遅れて20日にすることになった。今日は、餅撞きのため近所のJA内にある調理場で餅を撞かせて頂いた。
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揚げないコロッケ

2015-08-18 22:20:31 | Weblog
午前中は来客や掃除、午後からは寺務をし、夕方は少し空いた時間が出来たので夕飯の支度をした。MenuはGikooh家定番の1つ「揚げないコロッケ2種」(じゃが芋とかぼちゃ)。コロッケは油で揚げた方が美味しいのだけれど、健康を気遣って平素は揚げない。でもその分、下味作りを丁寧にしているので結構美味しい。その1つが玉葱を飴色になるまで弱火で炒めたり、カレーパウダーを入れたり、チーズを入れたり、なかなか面白い。

今夜はこの辺で。
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お盆が明けて

2015-08-17 22:14:06 | Weblog
1週間ぶりの日替わりになった。盆の棚経、15日夜の萬燈会(まんどうえ)も無事に終え、ようやく平素の日常に戻りつつある。とはいえ、この先1か月ほどは既に予定が詰んでおり、多用ではあるが有難いことだと思う。

写真は萬燈会の一場面。今年は15日が土曜日で翌日が日曜日ということもあって、今までにない盛会だったように思う。特に子供さんの姿が目立ち、境内は活気に満ち満ちた。子供は宝というが、まさに仏国浄土の一端を感じた。

さて、供養物の1つである燈明は諸経論にその功徳が説かれるが、萬燈会とは罪障を懺悔して四恩(天地・国王・父母・衆生)に報じ、一萬もの燈明を献ずる法会のことをいう。実際には一萬燈も燈すことは難しいから、多くの燈明と解釈すれば良いと思う。

供物の中で「水」と「火」は大切だが、萬燈会という法会は火の供養に関してはその最高潮の1つといえるだろう。日本では奈良・東大寺において744年に修されたのが起源とされ、高野山では832年に弘法大師により始行されている。

萬燈会は盆の行事とは限らないが、勝福寺では盆の締めくくりとして平成22年より毎年行っている。お盆の「盆」という意味は割愛するが、盆は先祖供養のみならず、すべての世界の精霊、一木一草にまで慈悲の心を配り、供養の誠を尽くすことを本義とする。言い換えれば我欲を省みる、心をニュートラルにする大事な機会でもあるので、萬燈会で一燈を献ずることの意味は小さくない。

今夜はこの辺で。
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夏の棚経

2015-08-10 22:06:59 | Weblog
実に15日ぶりの日替わりになった。暦は夏から秋になっている。Gikoohは先月27日より31日まで郷の寺の棚経を手伝い、8月1日から本日まで勝福寺の棚経で各戸をお参りさせて頂いてきた。初盆を迎えられるお宅以外は、無事に全行程を終えた。今夏は異常気象の影響か猛暑になる日が続いたけれど、体調を崩すこともなく有難かった。とりあえず、今夜はこの辺で。
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