勝福寺 Gikoohの日替わり法話

山寺の住職、Gikoohが日々感じたことを綴っております。
(プロフィール用の落款は天野こうゆう僧正さま彫刻)

大粒の雨

2019-07-18 22:25:04 | Weblog
如常の1日。夜は中学3年生の茶道の稽古があった。座談で進路話になって、勝福寺にお茶を習い始めに来た頃は男女ともに小学3.4年生だったのに、今は目標とする高校の話になっている。Gikoohはどのような進路に進もうと、将来は智慧の眼を開いて、慈悲の心を忘れず、社会や人の為に精進して欲しいし、更なる理想はその分野のエキスパートになって欲しいと思う。

僧侶の道とて、入口は十人十色。高校入学時の早い段階から専門の進路を選択する人、大学までは一般の進路を専攻し、その後、短期間の修行で僧侶になる人など様々だ。

真言宗の僧侶であるならば、神仏へ畏敬の念は勿論のこと、毎日の行法、宗祖・弘法大師を如何にお慕いしているかが鍵の一つとなる。そして、お大師様の著作である「三教指帰」、「秘蔵宝鑰」など沢山あるけれど、お大師様の思想を知らずして布教などあり得ない。

といいながら、Gikoohもまだまだ精進を積まねばならない。茶道の稽古ながら思わぬ座談になったけど、子供達の成長を感じた。

今は、夜10時過ぎ。久代は大粒の雨が降り続いている。無事に梅雨が明けて欲しい。
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本堂からの眺め

2019-07-17 22:03:19 | Weblog
午前中は護摩供があった。願事が書かれた護摩札を1枚1枚丁寧に加持させて頂きながら、炉中に投じた。そして、終れば直ちに道場の掃除をするのが常で、境内の樹木が生い茂るのを見て、命の勢いを感じた。

お不動様の御前で護摩を焚きながらふと、次第に地震の到来が近づいているのでは、とも思った。お大師様のお師匠様である恵果和尚様は、懐を裕福にすることなく私財は殆どを法具類や弟子の育成、寺の運営に充てていたと聞く。Gikoohには到底真似は出来ないものの、頂戴した浄財は、身の丈に合った範囲で寺の為に運用している。最近では、両部曼荼羅や八祖大師等々。

近い将来に発生するかも知れない大地震や自然災害、その他の突発的な出来事に備えて、Gikoohは毎日祈る。曼荼羅の諸尊や、8人の高僧達が地域を護る上に威力を発揮してくれることを願っている。
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今月の護摩供は17日に

2019-07-16 21:09:17 | Weblog
午前中は大人の茶道、夜は中学生の子供茶道と、それぞれお稽古があった。合間には寺務や来客など、毎日用事は多い。

7月後半から棚経が始まるので、日程変更して明日、護摩供を厳修させて頂く。

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幕末の三舟、山岡鉄舟

2019-07-15 22:26:31 | Weblog
今日は「幕末の三舟」(勝海舟、高橋泥舟、山岡鉄舟)と呼ばれた1人、幕末から明治初期に活躍した山岡鉄舟の名言を紹介したいと思う。15歳の鉄舟が自身を戒める為に課した人生訓というが、的を射た考えにGikoohは背筋が伸びる思いがする。

現代の社会は、物質文明で物は豊富になったが、精神文化は次第に衰え、個人主義の考えが蔓延する世の中になっている。しかし、国民の多くがこのような志で生活をすれば、世は必ず立ち直るのではかなろうか。

山岡鉄舟の「修身二十則」
1, 嘘を言うべからず
2, 君の御恩忘れるべからず
3, 父母の御恩忘れるべからず
4, 師の御恩忘れるべからず
5, 人の御恩忘れるべからず
6, 神仏ならびに長者を粗末にすべからず
7, 幼者を侮るべからず
8, 己に心よからず事 他人に求めるべからず
9, 腹をたつるは道にあらず
10, 何事も不幸を喜ぶべからず
11, 力の及ぶ限りは善き方に尽くすべし
12, 他を顧みずして自分の善ばかりするべからず
13, 食する度に稼穡(かしょく)の艱難を思うべし。草木土石にても、粗末にすべからず
   ・稼穡 … 農業
14, 殊更に着物を飾り或いは上辺をつくろう者は心濁りあるものと心得べし
15, 礼儀を乱るべからず
16, 何時何人に接するも客人に接するよう心得べし
17, 己の知らざることは何人にても習うべし
18, 名利のため学問技芸すべからず
19, 人にはすべて能不能あり、一概に人を捨て、或いは笑うべからず
20, 己の善行を誇り人に知らしむべからず すべて我心に努むるべし
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弘法大師の智慧と慈悲

2019-07-14 22:32:11 | Weblog
5日ぶりの日替わりになった。総社はしばらく梅雨らしい天候が続いているが、寺の裏山では朝夕に蜩がなき始めている。Gikoohは1度だけ蜩を捕まえて、観察したことがあるのだが、小さなカラタでカナカナカナ~カナカナカナ~という特徴ある声はとても美しく不思議だ。

さて、7月9日にお亡くなりになられたジャニー喜多川さん。ジャニーさんの御尊父は、真言宗米国別院の第3代主監で開教師の喜多川諦道僧正様(和歌山出身)のご子息であることが話題になっている。開教師といえば、この春に特別法話会に講師として一時帰国、ご来寺頂いたのは「真言宗・シアトル高野山」の今中太定僧正様。

今中僧正様と接して感じたのは、弘法大師(お大師様)への熱き信仰心と、人々への深い慈悲心。高い資質と語学力を求められる開教師だが、喜多川諦道僧正様のご苦労も拝察出来る。その父の背中を見て成長したジャニー喜多川さんが、数々の素晴らしい功績を残された背景には、御尊父方やお大師様の智恵と慈悲、仏教の思想がきっと影響しているのではなかろうか。

Gikoohは、学生時代に高野山米国別院へ寄せて頂いたことがある。リトル東京や米国別院の歴史はかなり深いものがあるので、関心のある方は是非調べられたい。当時、米国別院の歴史の片鱗ではあるけれど学ばせて頂いたGikoohは、この度の訃報のニュースを見ながらふと、光と影など様々な情景が頭を過った。衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。

ともあれ、仏教の平和と安寧を願うメッセージを、映像の分野から、音楽の分野から、エンターテイメントなどショービジネスの分野から情報発信することも貴いことだと思う。
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鐘の響きは、世の諸行無常を知らせる音

2019-07-09 22:11:27 | Weblog
3日ぶりの日替わりになった。昨年7月の西日本豪雨から1年が経ち、総社市や倉敷市などGikoohの活動範囲で見たりお聞きしたりする中で、復興状況は本当に様々だけど、元通りの生活まではまだまだ時間が掛かりそうな感じだ。

Gikoohは毎朝の行法で、常々の御祈願以外に、被災地等で傷ついておられる方々が少しでもお元気になられるように念ずることを欠かすことはない。

平家物語の祇園精舎の鐘の声…、鐘の響きを聞いていると、世の中は諸行無常であることを知らされる。良いこともずっとは続かないけれど、悪いことも続かないと思うので、辛い時は状況が良くなる日が来ることを信じて耐えて、日々を過ごされたい。

さて、日替わりだが、今週1週間は法務等で立て込みそうなので、次回の日替わりは来週以降に。
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勝福寺オリジナル「散華」の完成

2019-07-05 22:12:10 | Weblog
寺で法会を修行する時に、「散華」といって花びらを散らす所作がある。その歴史は古く、1200年~1300年前から行われていたらしく、本来は、連弁(蓮の花びら)や生花を用いるものだが、現在は蓮弁に見立てて紙製で代用されることが多い。

散華は本堂内や境内を花で満たして、諸仏・諸菩薩を供養するための清らかで麗しいものだ。

その図柄も実に豊かで幅広く、記念品として配布や、販売しているお寺も珍しくない。Gikoohもそうだが散華は小さな美術品として、収集するのも面白い。

この写真は、その散華。アクリルの屏風に入っているので多少見づらいが、多分雰囲気は伝わると思う。これは、勝福寺御本尊に関連する諸仏と、理趣経に関連する諸仏の図柄全56種あり、勝福寺の両部曼荼羅を手掛けた絵師達に曼荼羅内の諸仏と同じように描いて頂いた。物凄く有難いことに御寄進による。

近年は天変地異が頻繁に起こる世になったし、更に自然の力は増すかも知れない。Gikoohはその現状をとても憂いており、勝福寺では両部曼荼羅、真言八祖、秘鍵大師等々、多数の仏画を荘厳して、安寧の世を願うための法会を修行したいと考えている。

御祈願は、念ずれば諸仏に届くという安易なものでない。仏具、仏画(絵画)等の荘厳具と作法が揃えて功を奏すように努めたい。

この散華は原画だが、法会の際に記念品として配布出来るように既に和紙に印刷済みだ。現時点で今後の予定は定かではないが、恐らく今秋より活用していくと思う。勝福寺の曼荼羅の、しかも御本尊と由縁の深い諸仏の図柄に限定しているので、散華を手にされた檀家様の利益は少なからずあると思う。
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青年僧の研修会に、中年僧のGikoohも参加

2019-07-04 22:05:37 | Weblog
最近は多方面から来客があり、先日は茶道関連のことで、とある大きな病院の院長先生にご来寺頂いた。Gikoohは毎朝、本堂で行法や御祈願の時、そして瞑想の時に、僧侶として、或いは茶道人として如何に社会の為に役立てれば良いか、心を落ち着けて行動せねばと思う日々だ。

先月20日の日替わりで、京都・大山崎にある国宝の御茶室「待庵」(妙喜庵内)について少し触れたけれど、待庵の内部はわずか2畳という極少空間だ。千利休が建てた待庵の建築理由は割愛するが、激動の武士社会において、利休様も心を落ち着ける時間が必要だったのではと推察される。

Gikoohもそうだが、精神が統一出来る空間というのは、自身が放出する「気」が浮遊することなく適当に打ち返ってこないと、心が芯から落ち着くことはない、利休様が考案した2畳という空間は、抹茶を点てる亭主と、茶を戴く客の最少空間だと思われるけど、これが抜群の空間であり、利休様も一人の時間を過ごす時、この2畳が醸す雰囲気を重宝されたのではなかろうか。

Gikoohが何故、この待庵のことを書くのかについては、またいつか紹介したい。

話がそれてしまった。さて、今日は午後から、倉敷市内にあるお寺様において、岡山御室青年会という真言宗御室派に所属する青年僧の研修会があり、中年僧のGikoohも若い青年僧の皆様に混ぜて頂いて、参加してきた。

今回の講演の内容は、宗教儀礼に欠かせない「御香」について、産地、我が国における歴史の概要や、香木の品種などをお話頂いた。講師は、京都にある老舗の香木店。勝福寺は、現在5社の御香店と取引をさせて頂いているが、この度の御店にも大変深いご縁を頂いている。

お話のなかで、香道の「聞香」体験や、匂い袋作り体験をさせて頂けたことも勉強になった。中年僧になっても、学ぶ機会が与えられるというのは有難い。

最後に、研修会の企画・運営をされた事務局の方、会場のご提供を頂いたお寺様にも感謝。
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雨雲の勢いが鎮まりますように…

2019-07-03 21:47:09 | Weblog
活発な梅雨前線に伴う集中豪雨は、鹿児島や宮崎、熊本など各地に被害が広がっている。もう何処で何が起こるか知れない状況になっている日本国土が心配だ。今は、雨雲の勢いが早く鎮まりますように…。

Gikoohの今日は如常の1日。
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継続は力(水行編)

2019-07-01 22:37:22 | Weblog
近年は一度雨が降り始めると、身の安全を心配するほど雨量が多くなる傾向にある。適度な雨は必要だけど、梅雨明けが待ち遠しくもある。この大雨で被害を受けてしまわれた地域の方々にお見舞いを申し上げたい。

Gikoohが自行で毎朝水行をするようになって、本日20年を迎えた。その間、旅行の時も、ギックリ腰の時も、インフルエンザで高熱の時も、時には床を這い、何故そこまでと必至にこなしたこともあるけれど、何とか一遍も滞ることなく継続出来たことは自身の力にもなっている。今夜は水行を続ける理由を書こうと思う。

今夜の日替わりは、もしかしたら読者様の生きる指針に繋がるかも知れないと想い、Gikoohが勝福寺に入寺するまでの経緯を紹介したい。

勝福寺に入寺する3年前、Gikoohは京都市右京区の御室・仁和寺内にある密教学院という僧侶育成の修行道場に1年間在籍して免許を習得した。Gikoohは寺の生まれではあるけれども次男で跡取りではなく、しかし、幼少期より将来は僧侶になりたいという夢があった。

密教学院での修行生活を黙々送る日々を過ごしながら、卒業後の進路を模索していた頃、(本当に有難かったが)、突如母校の高野山大学より推薦頂いて、奈良と和歌山にある智辯学園への就職というご縁を頂いた。今は、学園生活は割愛するが、f.bには当時の教え子さん達も何人もいるので、ブログを読んでもらえれば嬉しいけれど照れくさいかも知れない。

勝福寺に入寺する2年前。Gikoohは学園に就職。和歌山県橋本市の借家に居を構え、新たな生活をスタートさせた。借家には当然本堂もなく、しかい僧侶であるからには日々のお勤めは必要と、部屋の一角に簡易な祭壇を設けて朝晩の勤行を欠かさないようにした。

勝福寺に入寺する1年前。お蔭で仕事は順調。一方で、お給料の中から預金したものを充当して、「密壇」と「仏具」を新調。当時24歳で、漆塗りではなく白木の密壇を求めるのが精一杯だったけれど、この日から最小限の環境が調った。写真の仏具は参考品だが、密壇は当時のものだ。

智辯学園に在籍して2年目の秋、勝福寺入寺の仏縁が内定。在職中故に、もうしばらく教鞭の道か、住職の道かを神仏に問う為、大元である辯天宗の御宗祖様、勝福寺の御本尊様と対峙した。結果、勝福寺への入寺に至ることになった。

勝福寺入寺の年。6月29日~30日に仁和寺で研修会があり、神戸市北区道場町にある鏑射寺様中村公隆先生の講演を拝聴する縁に恵まれた。

その中で先生は、今日という日は一生に一遍しかない、一生に一遍と思って続けられることを何か取り組みなさいとお話頂いた。先生は50年以上、一遍も欠かさずに毎日水行を続けてこられたことに感銘を受けて、Gikoohも日々、一生に一度と、水をかぶることにした。

あれから20年。一生に一遍と思うと、それが後押しとなり一遍も欠かすことなく続けることが出来た。弘法大師(お大師さま)の一弟子として、恐らくGikoohはもっとも愚弟かも知れない。世間の和尚様はきっと、自身の精神を高める修行を何かしら積んでおられると思う。だからこそ、Gikoohは懺悔の気持ちも込めて水行を続けるのかも知れない。ところが継続は力というけれど、この水行が拝む力を培わせてくれたのも現実なので、これからも続けていきたいと思う。

人は様々な職種に就いて人生を送るけれども、せっかくならば、濃い内容でありたい。
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