勝福寺 Gikoohの日替わり法話

山寺の住職、Gikoohが日々感じたことを綴っております。
(プロフィール用の落款は天野こうゆう僧正さま彫刻)

世の雰囲気が変わってきた

2020-02-27 21:11:52 | Weblog
道(い)ふことなかれこの華今年発(ひら)くと
まさに知るべし往歳種因を下すことを
因縁相関して枝幹聳(しかんそび)ゆ
何にいわんや近日早春に遇うをや (拾遺雑集七)

【大意】この花は今年にわかに咲いたのだと思ってはならない。往年に種が撒かれたからこそ、今、花をつけていることを知らねばならない。過去の因縁が密接に関わりあって枝幹が伸び、この春に咲いているのである。

これは弘法大師(お大師様)のお言葉。とても意味が深く、今、起こっている様々な現象の因縁を考えさせられるものである。

新型コロナウイルスの本格的な蔓延が懸念されている。政府はここ1~2週間が正念場というが、改善に向かうことを切に願っている。

今日の話題は時折触れているけれど、1人でも多くの読者様に知って頂きたいのでまた書こうと思う。お大師様在世の弘仁9年(818)は、全国的に大干ばつが起こり、京の都を中心に伝染病(腸チブス?)が発生、次第に蔓延し多くの生命が犠牲になった。時の帝、嵯峨天皇はお大師様を宮中に召されてご相談された。相当緊迫した空気が流れていたと推察される。

お大師様は帝に般若心経の写経をお勧めになり、帝は一字三礼の誠を尽くして紺紙金泥で般若心経一巻を写経をされた。一方お大師様は、護摩を焚かれて御祈祷をされた。やがて、猛威を振るった伝染病は鎮静し、暗澹たる世に再び活気が戻ったという史実がある。

皆様はどうお感じになるだろうか…。世が平穏な時はさほど何も感じないかも知れないが、今のような現実が発生すると、少しは関心を寄せて頂けるかも知れない。

般若心経の霊験を実証された嵯峨天皇は、お大師様に内容の講釈を求められた。

この尊像は「秘鍵大師」といって、お大師様が宮中において般若心経の中身を深くお話されている最中に、お大師様が文殊菩薩と一体化するという不思議な場面を伝えたものだ。般若心経の内容を説くには文殊菩薩、そして般若菩薩の両菩薩のことに触れねばならないが、長くなるのでここでは割愛する。お大師様の説かれた般若心経の講釈は、「般若心経秘鍵」として現在に伝わっている。

今、日本国中で起こっている現象は当時と似ている部分もある。仕方ないが、政府の翻弄感は否めず、識者の「知恵」のみに頼り解決策を模索している。Gikoohは思う。宗教の「智慧」、そして真言行者と呼ばれる拝む力を持した僧侶の真言加持力に委ねることも一方法なのではなかろうかと。諸現象が手遅れになってしまう前に、一手を打って欲しいと思う。

しかしまずは、菩提寺の住職として檀家様の無事、Gikoohによる星供の御祈祷をお受けになられた方々、当寺と有縁の子供から大人までの皆様の無事、そして地域の無事を祈りたい。いずれにしても時間との勝負になろう。勝福寺は、福が勝つ寺だから。
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梅を愛でる

2020-02-25 08:48:32 | Weblog
昨日は穏やかな晴天に恵まれた。午後から母を誘い、小田郡矢掛町にある「観照寺」様へ梅見に行ってきた。この写真は「臥龍梅」といういって、推定樹齢は230年もあるそうだ。

禅語に「一点梅花の蘂(ずい)、三千世界香し」という文句がある。

四君子の1つでもある梅という花は、立春を迎えて一番に咲く草木。梅花は君子として称えらるほど高潔な植物だ。一年の間、暑い寒いの自然を耐えて花を咲かせる頃には誠に清らかな芳香を世界に放ち、周辺の空気までも浄化させるような節操がある。これは梅に限ったことはないけれど、自然界の姿から学ぶことは実に多く、自身もまた人生の山や谷の艱難辛苦を越えていかなければ資生豊かな情緒を育むことは出来ないと戒めたい。

観照寺様の境内において、各種の清浄な梅の樹木を愛でながら、この禅語が頭を過り、自身も頑張らないとと思った。
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倉敷ケーブルテレビの番組「あっぱれ」ご来寺!

2020-02-19 22:56:02 | Weblog
2月19日(水)。今日は二十四節気の第2番目「雨水」。『大師御法暦』によれば、陽気のため融けた氷水が天に昇り、雨水となって下る頃とされる。朝晩は冷え込んでいるが、日中は温かい1日となった。

さて、今日は倉敷ケーブルテレビの学区探訪「あっぱれ」という番組のロケが勝福寺において行われた。倉敷ケーブルテレビ(通称:KCT)は総社市のとなりまち倉敷市にある地域情報を発信する放送局で、放送エリアは倉敷・総社・玉野・早島・岡山(一部)と結構広い。

2015年から始まっている学区探訪『あっぱれ』は、その地域のあっぱれな魅力と人物を探しながらエリア内の学校を探訪するというユニークな内容だ。知っているようで知らない近隣の様子がよく分かるので、何かと見る機会も多い。番組の進行は、ピンクの眼鏡がよく似合う岡山県住みます芸人の江西あきよしさんと、即興ピアニストの朝田恵利さんのお二人。Gikoohがお二人にお会いするのは実は2015年以降2回目で、この度の再会をお互いに喜び、そして相変わらず爽やかで穏やかな人柄に感動した。

今回は「2019年度総集編」というタイトルのもと各地でロケが行われ、その1つとして勝福寺が候補に挙がったらしい。即興ピアニストの朝田さんは、平素の番組では鍵盤ハーモニカを即興で演奏するスタルなのだが、今回は勝福寺のピアノ(YAMAHA S6A)を演奏(1分ほど)されて総集編という感じだった。

総集編の中の一部なので、1箇所辺りの放送時間は短いと思うけれど、Gikoohは前回ご案内出来なかった本堂と、お茶室へお通しし、一服のお茶を点てさせて頂いた。

ピアノ演奏、本堂での般若心経の読経、お茶室体験など内容満載なので、カットされるかも知れないけれど、一期一会の出逢いを大切に過ごせたと思う。

放送は3月18日(水)からしばらくの期間は繰り返し0.Aの予定だ。KCTが視聴出来る方は是非ご覧を。
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用心せねば

2020-02-18 22:22:19 | Weblog
地味な生活が性分に合っているGikoohは、寺の門外、或いは久代地区から出掛ける機会は少ないかも知れない。勿論、所用がある時は何処へでも向かうが、あまり外へ外へと世界を広げてしまうと、かえって自身の視野を狭めてしまう結果に繋がるので、出来るだけ群れを避ける生活を心得としている。しかし、そんなGikoohでも多くの来客を頂くことは本当に有難いと思う。

今日は午前中に茶道の稽古があった他は如常の1日。どんなに多用であっても、一服の茶を嗜む時間は様々な意味で深い精神修養にもなっている。

さて、次第に全国へと伝染の予兆を感じさせつつある新型コロナウイルス。これだけ人の往来があるのだから、他人事でない現実が近づいているようにさえ感じる。用心せねば。
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2月15日はお釈迦様がお涅槃された日

2020-02-15 22:50:04 | Weblog
お釈迦様との別離を惜しんで悲泣する弟子達に対し、静かに次のような愛情と親和にみちた説法をされた。(百華苑の仏陀より)
「弟子達よ、私の終わりもすでに近づいた。別れることも遠くない。しかしいたずらに悲しんではならぬ。世は無常である。会う者は必ず別れなければならぬのがこの世の約束なのである。」
「私の亡きあと、私の説き残した法と戒律とを受け保ち、これを行え。私の肉親は滅びても、覚りの智恵は永遠に教えと道に生きて滅ぶことはない。」
「弟子達よ、今や私の最後の時が来た。悲しむことをしばらくやめよ。私は今より静かな涅槃の世界に入るであろう。怠らず努力せよ。これが私の最後の言葉である。」

2月15日は仏教の開祖、お釈迦様がお涅槃なされた日。今回は、勝福寺の涅槃図を拝しながら、青山社の書籍を引用または参照して涅槃会の由来を書きたいと思う。

お釈迦様はヒマラヤのふもとカピラ城にお生まれになり、29歳で出家、35歳で悟りを開かれた。それから四十数年間、ガンジス河流域を中心に、北インドの町から村へと教えを説き歩かれたと伝えられている。すでに80歳を迎えられたお釈迦様は、自らの最期の時が近づいたことを察し、商業都市ヴァイシャーリの町から最後の地クシナガラへ向かうためにガンジス河を渡られた。

やがてクシナガラの近くパーヴァの町に来られたお釈迦様は、そこで鍛冶工のチュンダから茸の供養を受けられた。ところがその後に激しい下痢を伴う重病になられた。それでも苦痛を耐えながら、阿難達の助けを借りてようやくクシナガラに入られたお釈迦様は、マツラ族のウパヴァッタナのサーラの樹林に入られた。

「阿難よ、私のためにサーラ双樹(沙羅双樹)の間に、頭を北に向けて床を敷いておくれ。横になりたいのだ」と床を敷かせ、「この世で常住なるものは何もない。これが世のすがたなのだから、精進して早く生死の苦悩から解脱しなさい」との教えを弟子達に告げられ、右脇を下にし、足を重ねて横になり、禅定に入られたまま、涅槃に入られた。2月15日の夜半だった。
 
付き従う人たちの悲しみと歎きは、いかばかりであったか。仏典には「その時、大地が震動し、人々の身の毛がよだち、天上では哀愁の音楽が響いた」とある。
 
この2月15日を、仏教徒は「涅槃会」または常楽会と称し、4月8日の降誕会(花祭り)、12月8日の成道会と共に三仏忌として、毎年、各寺院で報恩の法要が営まれお釈迦様の偉徳を讃える特別な日だ。
 
この行事には「涅槃図」という掛軸を掲げるが、そこには人間だけでなく、鳥や獣、虫に至るまで涅槃に入られたお釈迦様の回りに集まり、歎き悲しんでいる様子が描かれている。「涅槃」という言葉は梵語の「ニルヴァーナ」の音訳で、元、吹き消すという意味がある。すなわち、迷いや煩悩の炎を吹き消すことで、もはや悩みも苦しみもない世界に入ることをいうのだ。
 
涅槃図について
お釈迦様が涅槃に入られる時の姿を描いたものを涅槃図ということは先に述べた。
この絵像のなかで、立ち並ぶ沙羅樹の半分が枯れているのは、釈尊の入滅に樹も悲しみ殉じたものだと伝えられている。また半分の沙羅樹が枯れずに青々としているのは、母、摩耶夫人が兜率天(天上界)から雲に乗って回生の霊薬をもたらされたが、間に合わないので従者に投下させられた時、樹に引っかかり、その霊気を感じて蘇生したためともいう。
 
沙羅双樹が半分枯れ、半分蘇生した姿を「四枯四栄」といい、右側の4本は幹・葉ともに黄色または白(鶴林ともいう)で、枯れた姿を表し、左側の四本は、幹・葉とも緑色で青々とした生気を表しており、また赤色の場合もあるが、それは栄える意味がある。
 
中央に宝床を設け、お釈迦様が右脇を下にして臥され、それを取りまく弟子や菩薩、諸天善神から鳥獣昆虫に至るまで、一様に歎き悲しむ様子が描かれている。これは三界一切の生き物を表したもので、仏教が人間だけを救いの対象としていないところがよく分かる。
 
日本の涅槃会の起源は、貞観2年(860)に、尾張(愛知県)の寿広律師が奈良の山階寺(後の興福寺)において営んだのが初めと伝えられている。また涅槃像は初め中国で描かれ、後に日本に伝えられ、現存最古の涅槃図は応徳3年(1086)の年記のある高野山金剛峯寺の絵像だ。我が国においても多くの涅槃図が描かれていますが、その構図は時代により多少違いがある。また、中国の涅槃図は月の描かれた絵は殆どないのに比べて、日本のものは大抵、月が描かれているのが特徴とされてる。これは15日の夜半の時の入滅の相を表している。また河が描かれるのは、生死無常の有り様は水の流れる様に似ていることを示しているという。樹木が8本立っていますが、これは沙羅双樹で、沙羅という樹は日本にはない。双樹というのは2本ずつ並んで立っているのでそう言い、西の方の2本はお釈迦様の前にあり、東の方の2本はお釈迦様の後ろに立ち、北の2本は御仏の頭の方、南の2本は御仏の足の方にある。
 
まさに真夜中になって、ひっそりと静まり、お釈迦様が遂に涅槃に入られた時、東西の4本の樹は合わさって1本の樹となり、南北の4本も合わさって1本となり、御仏の頭北面西の寝姿を覆い、その色は変じて鶴のように白くなったので、仏の涅槃を鶴林ともいう。
 
●仏足に涙を落とした老女
涅槃図には、仏の御足のところに老女が一人、御足にとりつき涙を流している姿が描かれている。老女は仏恩を慕い、走り来て涙を流し、その涙がお釈迦様の御足に落ちたといわれている。
 
一方、仏の入滅の時、弟子の摩訶迦葉尊者は遠い地にあり、荼毘(火葬)に駆けつけたが、その時、お棺の外からお別れの敬礼をされた時、御棺の外から仏の御足が金色に輝いて出るという奇瑞が生じた。その御足の先に、金色でない傷のような跡が見られるので、これは何の跡かと摩訶迦葉は不審に思った。その様子を見て阿難尊者は、「それは、老女が落とした涙の跡で、消えずに残っているのです」と知らせた。
 
迦葉尊者は、そのいわれを深く感じられ、仏も老女の志を感じて、御身にお示しになられたのだろうと拝見しおわると、御足を棺の中に引き入れられ、たちまち火光を放ち、香木が盛んに燃え上がり、仏舎利のみが残されたという。

2月15日。この日替わりをご覧になられた人が一人でも多く、涅槃会のことに関心を抱いて頂けると有難い。なお、改めて本文章は青山社の書籍を引用または参照させて頂いていることを添えておく。
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高潔な葬儀

2020-02-14 23:45:35 | Weblog
画像はGikoohが尊崇させて頂いてる興行大師・覚鑁様(真言宗豊山派の始祖)が臨終の際に用いられたという覚鑁臨終曼荼羅。(勝福寺蔵)本記事を書くにあたって、イメージにこの曼荼羅をと思った。

梅の花が清らかに香る新春の今日、高校時代から深い法縁を頂いている先輩の御尊父様の葬儀並びに告別式が厳粛に執り行われ、Gikoohも参列させて頂いてきた。

御尊父様はGikoohが高野山大学在籍中に学長を務められており、碩学な学者として遺された御功績も著しく、一人の僧正様としても非常に尊敬に値する模範的な先生だった。先生との懐かしいエピソードもあるけれども、ここでは割愛したい。

2歳年長の先輩は、様々な分野に対しての鋭い見識力があり、また謙虚で人脈も厚い。前々から先生同様の雰囲気を感じ、今日は総社の自坊から現地のお寺に向かう車中で、今までの出来事に思いを巡らせた。

お寺に着くとすぐ、先生最期の御尊顔を拝謁させて頂くことが叶った。清浄潔白、本当に高潔で、清らかな表情に圧巻された。内面の心の美しさが外へ滲み現れているのを目の当たりにし、Gikoohも最期はこうなりたい、少しでも近づきたいと身の引き締まる思いがした。

葬儀も荘厳も想像以上に凛としており、あるべきところにはあるべき雰囲気ありと感じた。ご家族や檀信徒様、関係者様のご準備も大変だったと思う。そして御導師様を始め、何十人もおられた僧侶方の拝む力も全体的に高いものを感じ、Gikoohもお大師様の一弟子の端くれとして、先生の菩提と感謝を念じつつ拝ませて頂いた。この度は、一期一会の貴重な場面に立ち合わせて頂けたことを本当に有難く思う。

南無大師遍照尊 南無大師遍照尊 南無大師遍照尊
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大日如来とお大師様

2020-02-10 23:14:08 | Weblog
Gikoohは日々の生活を送る中で、今こうして日替わりを考えている間にも、新型コロナウイルスによる肺炎の影響で辛い目に遭遇されている人々が大勢おられることを思うと、とても心配だ。体調を崩されている人々のご回復と、不自由な生活環境を余儀なくされている人々の生活改善と、1日も早くこの事態が収束することを切に願う。

弘仁9年(818)の出来事に、京の都を中心に全国に疫病が流行し、日本国内は暗澹たる空気に包まれた経緯がある。その時日本がどのようにして立ち直ったかについては歴史を紐解けば答えは分かる。

物質文明の只中にある現代は、物のみを追求して精神的な部分を軽視する感を否めない。でも、多くは目に見えない世界に支えられている現実がある。精神社会の最先端にある宗教の世界、神仏の世界は人々を幸せにする中枢であるといっても過言ではない。宗教という言葉を使うと、表面だけで物事を捉える人には様々な反応があるかも知れないけれど、とても重要な意味があるからデジタル機器での検索ではなくて、漢和辞典などを引いてみて欲しい。

さて、このご尊像は弘法大師(お大師様)が生命の御親・大日如来の三昧に入り不二となり、また、天照大神とも同体であるという神仏習合の思想を色濃く感じることの出来る日輪大師(勝福寺蔵)という。

新型コロナウイルスによる肺炎の収束についてGikoohは無力だけれど、日輪大師の秘めた力を仰ぎ、大日如来の五光がやがて白く眩いほど輝き、再び元通りの世になることを祈っている。そして、本件に関わられいる行政や医療関係の要人の人で信仰心篤い人は、現代の思想にはそぐわないかも知れないけれど、祈祷の力に頼られることも一方法なのではとも思う。とにかく良い方向へ進みますように…。
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奉仕清掃

2020-02-09 22:40:45 | Weblog
週末は法事、仏教講話、子ども茶道と行事が続き、今日は晴天の下で午前中は法事があり、同時間帯に勝福寺の役員(通称世話人さん達)による恒例の奉仕清掃が行われた。

朝8時から10時半頃までの作業で、Gikoohも法事でお迎え頂く直前まで石垣の除草に加わった。1人の力は微々たるものでも、20人も集まると作業効率は計り知れず上昇し、ビックリするほど綺麗になった。檀家様の菩提寺に対する求心力が本当に有難く感じる1日だった。
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寒い1日

2020-02-06 22:32:51 | Weblog
総社も一昨日からこの時期らしい気候になり、今朝は境内の一部でも薄らと雪化粧した。

午前中は仏壇の開眼供養のため出掛かけ、その後は久々に落ち着いた1日となった。昨日、京都から老舗の仏具店様がご来寺され近況などを伺った。中でも特に興味深かったのが、近々関東方面の寺院に納入予定という刺繍製「観音菩薩の種字と蓮」の華鬘は目を見張るほどの美しさがあった。仏教美術はまさに芸術だと思った。

明日はまたバタバタした平素の日常になりそうだ。
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立春

2020-02-04 23:31:42 | Weblog
2月4日。立春。この日に合わせるかのように境内の紅梅が開花した。黄経0度の春分から15度おきに二十四の節気があり、立春、立夏、立秋、立冬など大きな気候の節目の前日を節分とうが、いつしか節分といえば立春の前日だけをいうようになったらしい。

冬が去って春来るという言葉の響きだけでも明るい感じがするが、同時に、農家の厄日などはこの立春を基準として考えられているから、色々な意味でとても大切な節目であることが分かる。Gikoohも15日間隔で変わり行く節目を思いながら、1年を有意義に過ごせればと願っている。

今回の話は高野山出版社より発行されている、寺河俊海先生の『節分と星供』を参考にさせて頂いた。
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