勝福寺 Gikoohの日替わり法話

山寺の住職、Gikoohが日々感じたことを綴っております。
(プロフィール用の落款は天野こうゆう僧正さま彫刻)

毎月28日はお不動さまの縁日

2024-02-28 22:12:42 | Weblog

 

青空耀く2月28日、朝9時よりご参拝者さまと護摩供を勤修。護摩の所作は毎回同じでも浄火は毎回異なった表情を見せるもので、今回は諸条件が調和したのだろう、上昇気流に誘われるように安定した一座となった。有難い。

11時から石像(お地蔵さま、観音さま)にお性根を戻す開眼供養を行った。仏さまはこれでようやく安心していただけると思う。その後はひたすら本堂掃除。夜には元の状態に戻したので、これでまたいつでも次の行法ができる。堂内からは、サンシュユの黄色が見事だった。

 

 

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石像の傾きを直す工事(後編)

2024-02-27 21:54:32 | Weblog

午前中は(大人)茶道のお稽古があった。お点前は精神修養に繋がるので有難いひと時。

さて、境内では昨日に続き石像の傾きを直す工事が行われ今日は2時間ほどで無事に完工した。明日28日はお不動様の縁日で護摩供があるけれど、日柄も良いので石像のお地蔵さまや観音さまの開眼も行ないたいと思う。

 

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石像の傾きを直す(全編)

2024-02-26 21:57:22 | Weblog

連休明けの26日、午前中は寺で上げ法事があった。昨晩本堂と客殿を掃除していたので、清らかな気持ちでご先祖供養に専念いただけたら有難い。

さて、勝福寺の境内には観音さまやお地蔵さまなど12尊の石像や銅像をお祀りしているけれど、そのうち2尊が少し傾いたまま時が過ぎ去っていた。Gikoohは頭のどこかで度々気になりつつも、特に支障もないので、まぁ、そのうちにきっと…、考えてばかりいたら20年以上の歳月が流れてしまっていた。ところがつい先日「このままではいけない、今やらねば」と思い立ち、そして今日、この日を迎えることが出来た。感謝。

前方向に傾斜していたので、土台の下に石を挟んだところ。

衝立のような大岩と石仏の観音像、どちら倒壊まではいかないもののかなり前方向に傾斜していたので起すのが大変そう。

こちら実はは一昨年末、山門の改築が終わった際に、この付近に(家庭用)郵便受けを設置する予定だったけれど、ようやく工場に着手することが出来た。

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3連休終わる

2024-02-25 22:29:55 | Weblog

今日は「そうじゃ吉備路マラソン」の日。昨晩降り続いた雨も朝9時頃には上がり、無事にマラソン大会が開催された。Gikoohは参加していないけれども、お檀家の中にはランナーとして出場される人、或いはボランティアとして大会の運営を支える人等、お話を聞く機会もよくあるので、間接的ながら楽しい気持ちにさせていただいている。本当に素晴らしい行事だと思う。

さて、3連休が終わった。皆さまはいかがお過ごしだっただろうか。Gikoohは檀務や仏教講話で多用だったけれど、こうして元気でいられるので有難い。

週明けはまた何かと行事続きなので、頑張ろう。皆さまもお元気でお過ごしを。

イラスト:冨永ひろしさん

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毎月21日は弘法大師御影供

2024-02-21 22:33:57 | Weblog

毎月21日は弘法大師(お大師さま)が高野山に御入定された聖日で、これを御影供と称し、御尊像の前で供養の法会を行う日。

朝本堂に入堂し、燈明を点けて香煙がくゆる堂内というのは誠に厳かで有難い気分になる。これは各家庭のお仏壇でも同じようなことがいえるのではなかろうか。お大師さまと対峙して、世の情勢を憂うと同時に安寧を祈った。蝋燭の蝋も少しずつ伸びている。何とも摩訶不思議な光景だと思う。

さて今日も来客の続く1日になった。今春は5年ぶりに山寺の文化祭「勝福寺寳燈展」を開催したいので、そろそろ集中して準備に着手したいところだけど、なかなか。

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松くい虫にやられた松を伐採

2024-02-20 22:17:05 | Weblog

今朝も能登半島地震で犠牲になられた方々の満中陰法要を勤修、3日間にわたってすべての御霊が極楽往生出来るように拝んできたけれど、一旦明日から平素の行法に戻る。しかし明日21日は弘法大師の御聖日(御影供)だし、能登半島はむろん、天災の多い日本においては今なお様々な影響を受けて心の傷が癒えない人も大勢だから引き続き拝みたいと思う。

ところで、勝福寺境内の東側の山林にある1本の赤松が昨秋、松くい虫にやられてしまった。本格的な春が来るまでに切り倒して処分しておいた方が良いらしく、それで今日植木屋さんに伐採いただいた。有難い。

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雨水(二十四節気)

2024-02-19 22:37:43 | Weblog

昨朝に続き、今朝も能登半島地震で犠牲になられた方々の満中陰法要を勤修させていただいた。すべての御霊が極楽浄土に導かれることを心から祈っている。

2月19日。CASIOの電子辞書(EX-word)によれば、二十四節気の「雨水」。雨水がぬるみ草木が芽ぐむころの意。

それにしても、この異様な温かさが気になる。昨日の法事でお家の人が、(例えば岡山県)奥地で雪が降らないと平地でも夏場の水不足が懸念されると仰られていたけれど、誠に今現在起こっている現象が後々に様々な影響を及ぼさなければ良いのだが…。

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能登半島地震の満中陰法要

2024-02-18 20:52:40 | Weblog

2月18日。境内の紅梅は満開。早朝、元旦の能登半島地震で亡くなられた方々の満中陰法要を勝福寺本堂において、塔婆を建てて一人静かに勤修した。或いは明日以降に満中陰をお迎えになる方々もおられると思うので、数日間拝もうと思う。県内の死者は240人超という本当に痛ましく悲しい大惨事になってしまった。テレビやラジオで現地の状況を知るたびに現地のご心労は計り知れないけれど、何とか一日でも早くお元気になられることを心から願う。

今日の勝福寺は、寺の世話人(役員)さん約20名が一堂に会して年に一度の清掃があった。石垣のつる草を取ったり、山裾の草刈りなど、約2時間半もお世話になった。Gikoohは法事があり途中で失礼したけれど、見違えるほど綺麗になり有難かった。

  

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桧香る中で

2024-02-16 22:51:06 | Weblog

昨日は本堂の燈明のことを書いたけれど、今朝もまた昇龍の如く伸びた。何かを伝えようとしているように感じた。

さて、今日は25回忌と50回忌法要の角塔婆(桧)を書いた。この角塔婆、施主さまの手づくりと聞いて思わず感激してしまった。材木は店で購入されたようだが、五輪の部分を上手に刻まれ、また丁寧にやすりがけもされていたので、気持ちよく書かせていただいた。

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2月15日は涅槃会(お釈迦さまがご入滅された日)

2024-02-15 21:28:16 | Weblog

2月15日は仏教をお開きになられた仏陀釈尊(お釈迦さま)がご入滅された日。涅槃像や涅槃図の前でお釈迦さまの最期を哀歎し、報恩謝徳のための法会を奉修する御聖日。

お釈迦さまのご生誕を祝う「灌仏会」、仏陀に成られたことを讃嘆する「成道会」と共に、ご入滅を偲ぶ「涅槃会」(涅槃の四徳である常楽我浄の二字をとって常楽会ともいう)は、三大法会とも称される。

Gikoohも、この涅槃図の大勢の世界に入らせていただき(イメージ)、当時の情景に想いを馳せている。皆さまも絵像に入り「南無釈迦牟尼仏」と手を合わされたい。

では、ここから先は、前にも紹介したことがあるけれど『仏教聖典』を引用させていただき、最期の教えに触れたいと思う。(Gikoohも絵像のなかの1人となって説法を仰ぎたいと思う)

一、釈尊はクシナガラの校外、シャーラ(沙羅)樹の林の下で最期の教えを説かれた。

弟子たちよ、お前たちは各々、自らを灯火とし、自らをよりどころとせよ。他の教えをたよりとしてはならない。

二、弟子たちよ、お前たちのために私の説いた教えは、常に聞き、常に考え、常に修めて捨ててはならない。もし、教えの通りに行うなら常に幸いに満たされるであろう。

教えの要は心を修めることにある。だから、欲を抑えて己に克(か)つことに努めなければならない。身を正し、心を正し、言葉を誠あるものにしなければならない。貪(むさぼ)ることをやめ、怒りをなくし、悪を遠ざけ、常に無常を忘れてはならない。もし、心が邪悪に引かれ、欲にとらわれようとするなら、これをおさえなければならない。心に従わず、心の主となれ。心は人を仏にし、また、畜生にする。迷って鬼となり、悟って仏となるのもみな、この心のしわざである。だから、よく心を正しくし、道に外れないよう努めるがよい。

三、弟子たちよ、お前たちはこの教えのもとに、相い和し、相い敬い、争いを起こしてはならない。水と乳とのように和合せよ。水と油のようにはじきあってはならない。共に私の教えを守り、共に学び、共に修め、励まし合って、道の楽しみを共にせよ。つまらないことに心をつかい、無駄なことに時を費やさず、悟りの花を摘み、道の果実を取るがよい。

四、弟子たちよ、私の終わりはすでに近い。別離も遠いことではない。しかし、いたずらに悲しんではならない。世は無常であり、生まれて死なない者はない。今、私の身が朽ちた車のように壊れるのも、この無常の道理を身を持って示すのである。いたずらに悲しむことをやめて、この無常の道理に気がつき、人の真実の姿に眼を覚まさなければならない。変わるものを変わらせまいとするのは無理な願いである。煩悩の賊は常にお前たちの隙をうかがって倒そうとしている。もし、お前たちの部屋に毒蛇が住んでいるのなら、その毒蛇を追い出さない限り、落ち着いてその部屋で眠ることは出来ないであろう。煩悩の賊は追わなければならない。お前たちは謹んでその心を守るがよい。

五、弟子たちよ、今は私の最期の時である。しかし、この死は肉体の死であることを忘れてはならない。肉体は父母より生まれ、食によって保たれるものであるから、病み、傷つき、壊れることはやむを得ない。仏の本質は肉体ではない、悟りである。肉体はここに滅びても、悟りは永遠に法と道とに生きている。だから、私の肉体を見る者が私を見るのではなく、私の教えを知る者こそ私を見る。私の亡き後は、私の説き遺した法がお前たちの師である。この法を保ち続けて私に仕えるようにするが良い。

弟子たちよ、私はこの人生の後半四十五年間において、説くべきものはすべて説き終わり、為すべきことはすべて為し終わった。私にはもはや秘密はない。内もなく、外もなく、すべてみな完全に説き明かし終わった。

弟子たちよ、今や私の最期である。私は今より涅槃に入るであろう。これが私の最期の教戒である。

『仏教聖典』より引用

今夜は心を静寂にしたい。南無釈迦牟尼仏。南無釈迦牟尼仏。南無釈迦牟尼仏。

勝福寺の今朝は快晴に恵まれ、適度に湿度もあって非常に清浄だった。本堂では数年ぶりに蝋燭の蠟が昇る現象もあり、更にGikooh自身にも不思議な体験があり、何かしら不思議が重なる1日だった。

 

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