勝福寺 Gikoohの日替わり法話

山寺の住職、Gikoohが日々感じたことを綴っております。
(プロフィール用の落款は天野こうゆう僧正さま彫刻)

雑学~白無垢~

2021-09-29 21:48:03 | Weblog

現代の結婚事情はよく分からないけれど、昔は花嫁が嫁ぐ時、純白の白無垢という和装で臨むのが一般的だった。白無垢は死装束の意味もあり、生家で一度死んで、婚家で新たに生まれ変わるという意味もある。関心のある人は角隠しについて調べてみても、学ぶことがあると思う。

新たに生まれ変わった花嫁は婚家の先祖様をお祀りし、親族との関係を円満に保つことも大事な役目ともなる。結婚とは現代と違って2人が良ければそれだけで良し、という簡単なことではなかった。

現代は複雑な社会事情も絡み、親とは別居の核家族が流行り、社会全体がそれぞれに分散してしまったから昔の風習など過去のことになりつつある。しかし、世のバランスを崩す一因になっていることは否めない。何でも自由なのは便利だけど、大事なことを放棄してお構いなしに都合よく物事を前へ進めるのは如何なものか。

今日は大人茶道のお稽古があった。心身共にフラットになれるこんな時間が持てることは有難い。午後からは、草刈りや草取りをした。

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変化多き1日

2021-09-28 22:04:24 | Weblog

今日はこの写真から。これは早朝6時前に撮影したもの。鐘楼堂にぶら下がっていたドッジボールほどのスズメバチの巣を駆除して頂いた。作業はいつもシルバー人材センターに依頼しているのだけれど、手際が良くて10分もしないうちに作業終了。これで参拝者の方にも安心して鐘を撞いて頂ける。シルバーさんに感謝。

午前中は護摩供があり、今回の護摩は火焔の中に炎の軸のようなものがしっかりと立ち、まるでお不動さまの宝剣のようだった。炎は龍のような姿になったり毎回異なるのだけれど、この不思議な様子はGikooh以外にも気づいておられた方がいらして、この感覚を共有出来たことを有難く思う。護摩供は人知を超えた何かが、やはり作用していることを実感する一座だった。護摩のあとは本堂掃除。

そして2枚目の写真は、昨日ウランガラス美術展のことを書いたけれど、そこで土産にと買い求めた一輪挿し。ウランガラスは紫外線を当てなければ薄い黄緑色だけど、太陽光や蛍光灯などの紫外線に当てると綺麗な緑色に光る。

 

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妖精の森ガラス美術館へ

2021-09-27 21:08:53 | Weblog

Gikoohはコロナ禍になって、檀務以外で岡山県外へ出掛けることは自粛しているけれど、県内へは気分転換に出掛けることもある。

一昨日の25日、苫田郡鏡野町上齋原にある世界で唯一のウランガラス専門美術館「妖精の森ガラス美術館」、そして「岩井滝」等を訪ねたてみた。このことについては、少し時間に余裕がある時にGikoohの見聞記で紹介出来ればと思っている。

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彼岸明け

2021-09-26 22:02:14 | Weblog

彼岸明けの今日、近隣寺院様のお檀家にご葬儀があり、助法を務めさせて頂いた。伴僧にご指名頂くことは本当に有難く、檀家様との仏縁を感じながら読経に気を高めた。

午後からは勝福寺でお檀家の年忌法要があるなど、多用な1日になった。

明日からの1週間は28日は護摩供があるけれど、一旦平素の日常に戻るのでまた、また日替わりを少しずつupしたいと思う。

画像は御本尊様の御手。来迎印を結んでおられる。

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勝福寺のPA(音響)設備の話

2021-09-21 22:37:00 | Weblog

本日21日はお大師さまの御影供。仲秋の十五夜。そして昨日20日からは秋の彼岸を迎えている。勝福寺境内の日中の気温は28℃と、扇風機だけで過ごせるようになった。写真は少しピンボケしたけど、夜10時過ぎの勝福寺上空。綺麗なお月さま。

さて、今日は前回の日替わりブログで触れていた、ブ゙ルーノート大阪(現在はビルボードライブ大阪)の音響と、勝福寺のライブ音響にまつわるエピドードを書こうと思う。内容的に興味をそそらないかも知れないけれど、若き夢追う人には本物の追求という観点において何らかの参考になれば有難い。

かつてブルーノート大阪へは学生時代から、社会人に至るまで幾度となく訪れた。ブルーノートでいつも感じていたのは音楽空間を全体的にまとめるPA設備、つまり音響の良さだった。

Gikoohが勝福寺の御本尊さまと仏縁を頂いたのは1999年。この当時は勝福寺LIVEが生まれる前だったけれど、既にミニコンサートを何度か企画した経験もあり、いつかは寺での本格的なライブの開催を夢見てしたいとPA設備の導入を考えていた。

当時は、まさかアメリカの「ジャズの殿堂入り」をされている穐吉敏子さんや、小曽根真さんをゲストとしてお招き出来るなんて夢のまた夢だったけれど、第一線で活躍するビッグネームの方々のご来寺に備えて、勝福寺をブルーノート大阪と同じような音響を提供したいと真剣に考えていた。

ある日、ブルーノート大阪のPA設備を企画設計された、業務用音響機器の会社「HIBINO」さんに電話を掛けた。受話器を握ったあの時の震えるような緊張感は今でも懐かしい。

ヒビノさんはこの業界では特に有名で、とにかく多くのアーティストの音源をサポートするPA業界屈指のレジェンドなのだ。ピポパ、ピポパとダイヤルし…。プルルル…「はい。ヒビノ〇●〇●がお受けします。」

当時20代半ばのGikoohは無我夢中で自分なりの音楽感を伝えた。何故、寺でライブを行いたいのか、何故、音響に拘るのか…。何の実績もないGikoohの夢物語など相手にされなくても仕方ない、と思っていた部分もあるけれど受話器の向こうでは、真剣に耳を傾けて下さる雰囲気が伝わってきていた。その方は何と、ブルーノート大阪のPAを担当された方だった。運命の出会いだった。

勝福寺の客殿は、華美さも飾り気もない昔ながらの民家作り。ましてや音響のことなど考える由もない。これをブルーノート大阪と同じようになんて、現実的に無理は百も承知だったけれど、その後、ヒビノさんによって勝福寺用のPA設備が納品された。

どんなアーティストでも対応出来るPA設備。プレーヤーもオーディエンスも心から音楽に陶酔出来る空間。そんなGikoohの理想の音楽空間が実現した瞬間だった。スピーカーは大阪ブルーノートと同じ、フランスの「NEXO」。音の良さが半端ではない。

それから、しばらくして「勝福寺ザ・スーパーライヴ・シリーズ」が幕を上げることとなった。

音楽を聴く空間としては、コンサートホールでもライブハウスでもない勝福寺は、総合的な設備は整っていない。けれど、仏さま達が醸し出す清浄な空間と、唯一無二のPA設備のお蔭で、素晴らしい音空間になっている。

今はコロナ禍の影響もあり、ライブは行なっていないけれど、闇夜が明けたらライブを再開させたいと願っている。

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桑田佳祐さんのBD「静かな春の戯れ~Live in BlueNote Tokyo~」

2021-09-15 22:00:50 | Weblog

本日、9月15日に発売された桑田佳祐さんのBD「静かな春の戯れ~Live in BlueNote Tokyo~」を鑑賞した。会場はブルーノート東京。Gikoohは学生時代に阪神ブルーノート大阪(現在はビルボードライブ大阪)へ先輩とお店を訪ねて以来、アーティストの息づかいまで感じられそうな絶妙な空間、音響や照明の、ブルーノートに心を鷲掴みにされた。東京と大阪という土地の違いこそあれど、店内の雰囲気はほぼほぼ同じだと思う。それはさておき、桑田さんのブルーノートでの演奏にしびれた。

ライブのクオリティーの高さは特筆すべきものがあり、まさしくJ-POP界の頂点に君臨する巨匠だと思う。桑田さんを熱く愛されているファンの方々にGikoohが感想などを軽々しく述べることは控えたい。

話は変わるけど、ブルーノート大阪の音響と勝福寺LIVEの音響にまつわるエピドードを次回書いてみたいと思う。

さて、今日は苗屋さんとホームセンターで求めたコスモスの苗を8ポット分ほど畑に植えた。今まではオレンヂ色1色だったけど、白・黄・桃・茶など色とりどりにしてみた。無事に大きく生育しますように…。

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秋野菜の種まき

2021-09-13 22:18:50 | Weblog

午前中は総社市仏教会の監査のため出掛けてきた。小さなお手伝いしか出来ないけれど、仏教会の発展を心から願いたいと思う。

仏教会の宗旨は様々で、雑談のなかで供養の話になった。仏教は、現世来世の幸せは供養に始まって供養に終わるといっても過言ではないほど供養に重点を置いている。供養については、またの機会に述べるかも知れないけれど、年忌供養を行う家と行わない家では、家の空気が生々しく違うし、核家族で親とは離れて暮らしている人も影響を受けることは珍しくない。御先祖を大切にする家は穢れなく清らかであり、そうでなければ悶々とした何かが付き纏っているものだ。例えば、何かが訴えかけているような感覚になったことはないだろうか。

例えば、お盆の棚経で短いお経を唱えるだけでも御先祖のみならず家全体の空気が軽くなるもの。年忌供養は御先祖の為、餓鬼仏といって可哀想な霊の為、家族や子孫の為、そして自身の為にも怠ってはならない。年忌供養を欠かさない家は、もし家に不運が訪れたとしても御先祖はあなた方を守ろうとされているはず。コロナ禍においては尚更では。

何だか話が脱線してしまった。さて、今日は大根や聖護院蕪、ホーレン草や春菊などの秋野菜の種をまいた。天候不順だけど、ちゃんと芽が出るかな。

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重陽の節句

2021-09-09 21:38:30 | Weblog

9月9日は重陽の節句。菊の節句とも。陽の数である九が重なる吉祥日には、菊を生けたり、菊酒を飲んだり、菊に見立てたものを戴いたりして、無病息災と長寿を祈る日。

勝福寺でも、(本当は赤色も加えたかったけれど)花屋さんにある菊を誂えて、菊の生菓子を御供えし、重陽の節句を楽しんだ。

さて、本堂において感染症対策に留意しながら法要の勉強会を行った。「信は荘厳から」というけれど、近年は年間を通して高野槇を御供え頂く檀家様があり、道場の厳かさが保たれていることを本当に有難く思う。

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Gikoohの弘法大師伝(6)

2021-09-02 21:15:52 | Weblog

◇聞持授法
画像は、『弘法大師行状曼荼羅』(勝福寺蔵)より。

延暦7年に15歳で上京された真魚様は、大足様のもとで3年間学問を勤しまれた。当時の都はまだ奈良にあり、桓武天皇が都を奈良から京都への遷都にあたり、長岡京を仮の都として置くなど時代は大きく変わろうとしていた。

18歳で大学へ入られた真魚様は、「蛍の光」「窓の雪」と歌われる車胤や孫康の青年時代を凌ぐほど勉学に励まれたという。しかし、「我の習うところの上古の俗経は眼前すべて利弼なきおや。真の福田を仰がんにしかず」と思うようになり、心の葛藤は高まっていった。

当事の大学は儒教を教育の元とし、立身出世の為の方便が大手を振るい、虚飾に満ちた環境と体制に納得の行かない真魚様は、本当の幸福を与える仏教の教えを探求したいと思うようになり、周囲の反対を押し切って大学を退学された。

そして、師僧を求めて寺を尋ね歩き、奈良の東南にある岩淵寺で勤操大徳に出会われた。大徳は三論宗の高僧で当事、東大寺の別当職を勤め、既に伝わっていた密教の知識も兼ね備えた碩学だった。

真魚様の純真な資質と求道心を見抜かれた大徳は、すぐに虚空蔵求聞持の法をお授けになられた。求聞持法は精進潔斎をして虚空蔵菩薩の真言を百万遍念誦するという過酷な修行だが、これが密教の世界に触れる端緒となる。

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作務の日々

2021-09-01 21:40:50 | Weblog

この数日、来客や所用の合間には草刈りと7月後半から8月中にかけて大草にしてしまった畑を綺麗にしたり。

日中の気温が30℃を超えると、50歳前のGikoohには少々堪えるけれど、それでも汗をかいて身体を動かすと調子は快調だ。

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