勝福寺 Gikoohの日替わり法話

山寺の住職、Gikoohが日々感じたことを綴っております。
(プロフィール用の落款は天野こうゆう僧正さま彫刻)

毎月28日はお不動様の縁日

2022-02-28 21:26:42 | Weblog

毎月28日はお不動様の縁日で、護摩供を午前中に勤修し、57枚の祈願札をお加持させて頂いた。多様な願いがお不動様に届きますように…。その後は本堂掃除をし、総社では明日3月1日は雨との予報なので外掃除も行った。こうして元気に働けることは本当に有難い。

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世界が平和でありますように

2022-02-27 21:43:00 | Weblog

6日ぶりの日替わりに。Gikooh Familyはお陰様で元気に過ごしているけれど、新型コロナのこと、景気の乱高下、自然環境の変化、そして世界情勢がとても心配される日々だ。

明日28日は月例の護摩供でお不動様を拝むので、如常の所作に加えて平和をご祈念したいと思う。

今日は午後から、矢掛の「観照寺」様へ梅見に行ってきた。写真は看板梅でもある樹齢約230年の臥龍梅だ。この他にも垂れ梅とか様々な梅があり、境内は春の風に乗せてほんのりと甘い香りが心地良かった。この梅見はGikoohの細やかな楽しみで、もう10年以上訪れていると思う。美しいものを観賞すると、魂が洗われる。

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毎月21日は御影供。お大師さまの日。

2022-02-21 22:08:00 | Weblog

本日21日は弘法大師(お大師さま)の御影供。いつもの如く、勝福寺においても御尊像を拝し、供養の法会を勤修した。朝7時より『大師法』という次第に基づいて拝み、世界情勢や新型コロナウイルス感染症のオミクロン株のことなど、様々な懸念が鎮まることをお祈り申し上げた。

さて、4日ぶりの日替わりになった。今週は祝日もあり檀務や来客も続くので、体調を調えておかねば。

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今夜はレプリカの涅槃図も

2022-02-17 22:09:54 | Weblog

今日の画像は、四畳半の寺務所兼客間から。涅槃会のお勤めは一昨日15日に終えているのだけれど、この掛軸はそれとは別の涅槃図で、長谷川等伯の涅槃図のレプリカ版だ。印刷とはいえど、お釈迦さまの御尊顔や周囲に集まる弟子の表情、また動物たちの雰囲気も秀逸なので、ついつい見入ってしまう。

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2月15日は涅槃会(ねはんえ)

2022-02-15 22:06:13 | Weblog

2月15日は仏教をお開きになられたお釈迦さまがご入滅された日。今日は各地で、お釈迦さまの御遺跡を偲ぶ供養の法会が営まれていると思う。

勝福寺においても、質素ではあるけれど涅槃図を掲げて祭壇を設置し、涅槃会を勤修した。この模様は、WEB勝福寺の「Gikoohの見聞記」でもupしたので是非ご覧を。

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2月15日はお釈迦さまがご入滅なされた日

2022-02-14 21:44:04 | Weblog

2月15日は仏教の偉大なる開祖、お釈迦さまがお涅槃された全世界の仏教徒にとって特別な日で、各地で涅槃会(常楽会とも言う)が勤修されることだろう。

今夜は『仏教聖典』より、お釈迦さま最期の場面を引用して、日替わりブログをご覧の皆さまと共にお釈迦さまをお偲びしたいと思う。画像の涅槃図は天明7年(西暦の1787年)というから、235年前に制作されたものだ。明日15日は、午後から勝福寺においても涅槃会を勤修させて頂く予定になっている。

最期の教え

一、釈尊はクシナガラの郊外、シャーラ(沙羅)樹の林の下で最期の教えを説かれた。

弟子たちよ、お前たちは各々、自らを灯火とし、自らをよりどころとせよ。他の教えをたよりとしてはならない。

二、弟子たちよ、お前たちのために私の説いた教えは、常に聞き、常に考え、常に修めて捨ててはならない。もし、教えの通りに行うなら常に幸いに満たされるであろう

教えの要は心を修めることにある。だから、欲を抑えて己に克(か)つことに努めなければならない。身を正し、心を正し、言葉を誠あるものにしなければならない。貪(むさぼ)ることをやめ、怒りをなくし、悪を遠ざけ、常に無常を忘れてはならない。もし、心が邪悪に引かれ、欲にとらわれようとするなら、これをおさえなければならない。心に従わず、心の主となれ。心は人を仏にし、また、畜生にする。迷って鬼となり、悟って仏となるのもみな、この心のしわざである。だから、よく心を正しくし、道に外れないよう努めるがよい。

三、弟子たちよ、お前たちはこの教えのもとに、相い和し、相い敬い、争いを起こしてはならない。水と乳とのように和合せよ。水と油のようにはじきあってはならない。共に私の教えを守り、共に学び、共に修め、励まし合って、道の楽しみを共にせよ。つまらないことに心をつかい、無駄なことに時を費やさず、悟りの花を摘み、道の果実を取るがよい。

四、弟子たちよ、私の終わりはすでに近い。別離も遠いことではない。しかし、いたずらに悲しんではならない。世は無常であり、生まれて死なない者はない。今、私の身が朽ちた車のように壊れるのも、この無常の道理を身を持って示すのである。いたずらに悲しむことをやめて、この無常の道理に気がつき、人の真実の姿に眼を覚まさなければならない。変わるものを変わらせまいとするのは無理な願いである。

煩悩の賊は常にお前たちの隙をうかがって倒そうとしている。もし、お前たちの部屋に毒蛇が住んでいるのなら、その毒蛇を追い出さない限り、落ち着いてその部屋で眠ることは出来ないであろう。煩悩の賊は追わなければならない。お前たちは謹んでその心を守るがよい。

五、弟子たちよ、今は私の最期の時である。しかし、この死は肉体の死であることを忘れてはならない。肉体は父母より生まれ、食によって保たれるものであるから、病み、傷つき、壊れることはやむを得ない。仏の本質は肉体ではない、悟りである。肉体はここに滅びても、悟りは永遠に法と道とに生きている。だから、私の肉体を見る者が私を見るのではなく、私の教えを知る者こそ私を見る。

私の亡き後は、私の説き遺した法がお前たちの師である。この法を保ち続けて私に仕えるようにするが良い。

弟子たちよ、私はこの人生の後半四十五年間において、説くべきものはすべて説き終わり、為すべきことはすべて為し終わった。私にはもはや秘密はない。内もなく、外もなく、すべてみな完全に説き明かし終わった。

弟子たちよ、今や私の最期である。私は今より涅槃に入るであろう。これが私の最期の教戒である。

『仏教聖典』より引用

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弘法大師御生誕1250年 / 勝福寺公式マスコット・イメージキャラクター「真魚」さまが完成!

2022-02-13 22:09:22 | Weblog

今日は、久々に雨模様の1日になった。総社市の最高気温は5℃と寒かったけれど、自然の植物は十分に潤い、空気も澄んで清々しかった。

ところで、勝福寺において来年、令和5年の6月頃に開催したい行事予定の話題を。

令和5年6月15日は真言宗をお開きになられた弘法大師(お大師さま)が御生誕1250年の慶事をお迎えになる。お大師さまがお生まれになられたのは宝亀5年(774)6月15日のこと。

昨年6月に日替わりブログでupしたことがあるけれど、勝福寺は吉備四国第75番の札所。吉備四国は俗に言う写し霊場だ。昔は今と違って四国への巡礼は容易ではなかったから、各地方に写し霊場を整備して、人々の信仰を集めた。

本札所の第75番といえば、香川県の善通寺様でお大師さま御生誕の聖地。そのお大師さまは幼名は「真魚」(まお)さまといい、上京するまでの幼少時代は讃岐の土地でお過ごしになられている。勝福寺では善通寺様に憧景の念を抱き、御誕生の地、そして幼少時代の真魚さまに何かしら肖りたいと思っている。勝福寺の固定電話番号の下四桁の「0615番」も不思議な縁を頂いた一つだ。

勝福寺では、その御生誕1250年の慶事を記念して公式のマスコット・イメージキャラクター「真魚」さまを制作した。真魚さまは稚児大師としても世間に広く知られている。現時点では作家さんの公表は控えさせて頂ければと思う。

お大師さまが著された『御遺告』の一節に、「夫れ以れば、吾れ昔生を得て父母の家に在りし時、生年五六の間、夢に常に八葉蓮華の中に居坐して諸仏と共に語ると見き」とある。

これを訳せば、私が生まれて両親の屋敷に居住していた5,6歳の時、よく八葉蓮華の中に坐って、諸々の御仏とお言葉を交わしている夢を見ていた」。

このマスコット・イメージキャラクター「真魚」さまは、その頃のお姿をイメージしたもので、稚児大師と検索して頂くと実に多くの尊像や画像が閲覧できると思う。

勝福寺では「弘法大師御生誕祭1250年」に向けて、既に昨年(令和3年)に木彫の稚児大師の御尊像をお迎えしている。御尊像の制作にあたって、勝福寺は裕福な寺とは異なり、予算的に高いハードルがあったけれど、仏師さんの協力も頂いて小振りではあるけれど何とかハードルを乗り越えて見事な稚児大師樣を納めることが叶った。この御尊像の公開は現時点では未定ながら、いずれお披露目させて頂く予定だ。

また、御生誕祭の記念グッスの頒布も企画している。Gikooh的には何点でも制作したいのだけれど、実際は2点ほどの記念グッズを世に出したいと思っている。

それはさておき、今日はこの「真魚」さまが勝福寺の公式イメージキャラクターとして、今後様々な場面に登場すると思うので、是非ご愛好を。

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三寒四温

2022-02-10 22:05:52 | Weblog

三寒四温というけれど、しばらく寒かった総社市も昨日辺りから昼間は日差しが少し温かく感じられ、気分もほころんだ。

午前中は茶道(大人)のお稽古があった。お稽古は自坊の勝福寺に大先生をお迎えして行っており、Gikoohにとってお稽古の前の準備もまた楽しく、掛物やお花などに触れていると心が洗われるような思いがする。

それはさておき、今日は朝から総社市のシルバー人材センターさんに椎茸の菌をおよそ1200菌の植付と、その後は夕方まで雑木の間引きをして頂いた。先月に続き2回目4日目の作業だ。予算の都合もあるので次回の作業は来年以降の予定になると思うけれど、山は神様が宿る神聖な場所なので可能な限り綺麗にしておきたい。

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薄雪化粧

2022-02-06 22:16:27 | Weblog

週末5~6日は寒波の到来で総社も冷え込み、両日共に朝は薄ら雪化粧をした。

今日も様々な行事があったので「何について書こうかな」とPC前に座ったものの、度々眠気の波がくるので、またの機会に。

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立春

2022-02-04 22:51:54 | Weblog

立春は節分の翌日。暦の上では今日から春だ。東北(艮)方向から吹く風が氷を解かし、地中の虫が活動を始める頃とされる。

今日の画像は「猛虎の図」。作者は明治から大正にかけて活躍した日本画家の鈴木松年。

さて、令和4年は十干が「壬」(みずのえ)で、十二支は「寅」の「壬寅」の年。かつて手解きを受けた九星気学の教科書によれば、壬は万物地中において発芽の時を待ち、寅は「演」(すすむ)の意味があり、延べるとか行動力を指すという。また、「虎は千里往って千里還る」、即ち虎は千里を往復するような強い行動力で例えられるのは有名な話だ。

さらに、今年の九星は強烈な変化の気を持つ「五黄土星」の「中宮年」だから、何か大きな出来事が起ころうとしていて穏やかな一年ではなさそうだ。

このように令和4年の象意は、まさしく立春から来年の節分まで影響を及ぼすから、各人の穏やかな時に様々な備えと、心構えを持することが望ましいと思われる。

新型コロナウイルスの新株「オミクロン」が全国に急拡大している。この局面を受けて、政府や自治体の対応力や、或いは社会全般の意識の在り方が問われている。Gikoohは先日、天台宗を開かれた最澄上人の『山家学生式』という著書の一部を拝見した。その中で、「国宝とは何物ぞ。宝とは道心なり。道心ある人を名付けて国宝と為す」と仰せになっている。「最も大切な国の宝とは何か。それは道心だ。道心のある人、つまり仏の道を歩む者こそ、国にとって最も必要な宝である」と訳されていた。

Gikoohは素晴らしいと思った。日本が国難に遭遇した今、我が国の舵を握るトップの人達や、大衆はどう立ち向かえば良いのだろうか?浅はかな人知と、科学の力と、西洋医学だけに頼りすぎて彷徨っていないだろうか。仏の道を歩んでいれば、自ずと光明は射しこんでくることを最澄上人は示唆されている。

今年の干支「壬寅」の象意から恐らく自然界も、人の世も社会全体が大きく動く一年になろう。困難を克服する為の大切なことは、道心を失わないこと、仏の道を歩むことだと思う。社会の流には逆らえないけれど、正しい信仰心があれば、心はいつも明かるく照らされて憂いはない。

 

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