goo blog サービス終了のお知らせ 

勝福寺 Gikoohの日替わり法話

山寺の住職、Gikoohが日々感じたことを綴っております。
(プロフィール用の落款は天野こうゆう僧正さま彫刻)

旧暦の初午

2025-03-02 21:47:05 | Weblog

2月も瞬く間に過ぎ去り3月になった。3月になると、学生は進路のことや卒業式、働く人は転勤、転職や定年のことなど人生の岐路に立たれる人も多いと思う。どんな人も「今という時間は二度と戻らない」ので、かけがえのない時間を大切に過ごされたい。

 

さて、今日3月2日は旧暦の「初午」で、勝福寺では裏山の稲荷社において「初午祭」を勤修させていただいた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お不動様のご縁日

2025-02-28 22:24:27 | Weblog

今日28日は護摩供があった。寒さも和らぎ、お参りも多く有難い。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ようやく紅梅が開花

2025-02-27 21:20:48 | Weblog

2月27日、昨年より3週間以上遅れて境内の紅梅がやっと開花した。待ち遠しかった春の兆しに心もほころぶ感じがする。

今日は、車のタイヤを冬用→夏用に履き替えた。まだ少し早いかなとも思ったけれど、履き替えた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地蔵大権現の開眼法要厳修

2025-02-24 22:04:31 | Weblog

本日2月24日、地蔵菩薩のご縁日、参詣者様に見守られる中、修理から無事お戻りになられていた地蔵大権現の開眼法要並びに御開帳を恭しく行わさせていただいた。

このあと御開帳

天正15年(1587)9月、地域の安穏と繁昌を祈念して、彫像された彩色の地蔵大権現(高さ約1尺3寸・約40㎝)だが、老朽化に伴う光背や指などの欠損に現住のGikoohの長年気掛かりの1つだった。

仏師は長助。材は桧の一木造りで、わずかに彩色のあとが見て取れる。木地の亀裂等の傷みに加え色彩の剥がれ、指と光背は欠損し、更に粗末な厨子に納められていたことにも気を揉んでいた。早く修理を施して元のお姿に戻したいと思いながら歳月が過ぎ、昨年ようやく気が熟して修理を依頼することが叶った。

そしてこのほど、晴天に恵まれ無事に開眼の日を迎えることができた。有難い。

地蔵大権現。俗にお地蔵様。大地が一切のものを蔵して育成させるように、この尊は一切の徳をおさめて大衆に利益を与えてくださる偉大な霊験がある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地蔵菩薩修理記念開眼法要の前日

2025-02-23 21:59:35 | Weblog

2月21日。天皇誕生日。国旗を掲げて祝意を表し、御年65歳になられた天皇陛下のご健康とご多幸を心からご祈念させていただいた。

さて、明日24日の地蔵菩薩のご縁日に、修理から戻られたお地蔵さまの修理記念開眼法要並びに御開帳を執り行わせていただく。この時節の本堂は寒いので、参詣者さまにおかれては温かい服装でお出掛けされたい。

写真は、ホットカーペットを運んでいるところ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

法話会(講演会)への道のり(1)

2025-02-19 22:13:18 | Weblog

勝福寺には十界図(じっかいず)という、迷いと悟りの世界を十種に分類して描いた畳1畳ほどの迫力ある額装の絵がある。ところが、設置場所は本堂の狭い裏堂ということもあり人目に触れる機会も少なく、さらに持ち運ぶことが容易でないために気を揉んでいたところ、昨年(令和6)に軸装へ仕立て直す勝縁をいただいた。これを記念し、本年5月25日、客殿に十界図を掲げて、法話会を開催予定だ。

講師の先生はもう少し先で紹介させていただくが、現在法話会のフライヤーの作成にあたり、挨拶文を考えているところだ。これから本番を迎える日まで道のりを時々upしたいと思う。

第1回目の今日は原稿を考えるGikooh。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たまにはこんな1日も

2025-02-18 22:09:35 | Weblog

昨日は草刈りと寺務仕事の1日になり、今日は茶道のお稽古と寺務仕事の1日になった。

朝は心洗われそうな手水の氷柱。春はもう少し先だな。茶道のお稽古の時、御棚に千葉ロッテ時代の佐々木朗希選手のボブルヘッド人形を棚飾りにしてみた。ナイスな景色になった。これは千葉ロッテの熱烈なファンでお檀家の方から「息子さんへ」とお土産に頂戴したもので、以来親子共々大変なお気に入りアイテムになっている。たまにはこんな日も。

夜はGikoohファミリーディナー。HottoMottoの「のり弁当」。総社井出店限定という18日‐20日まで開催中のキャンペーンで、1つ何と200円。かなり久々に食べたけれど、かなり美味しくて感動した。これで明日も頑張れそうだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

感謝

2025-02-16 21:18:50 | Weblog

 

朝8時より寺の役員方(通称世話人さん)と共に清掃奉仕を行った。昨晩は気づかないうちに雨が降ったみたいだけど、朝には有難いことに天気が回復していた。石垣から溢れんばかりの萱やツルや雑草の除去、山裾の草刈り、溝掃除、倒木の片付けなど約3時間にわたり綺麗にしていただいた。

Gikooh一人の仕事ではなかなか捗らないけれど、人出が多いと景観が見違えるほど美しくなった。

日曜日の今日、世話人さん達も恐らく何かとご多用の中予定を空けてくださり、本当に感謝。Gikoohもまた明日も頑張ろうと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2月15日はお釈迦さまのご入滅日

2025-02-15 21:46:41 | Weblog

2月15日は仏教をお開きになられた仏陀釈尊(お釈迦さま)がご入滅された日。涅槃像や涅槃図の前でお釈迦さまの最期を哀歎し、報恩謝徳のための法会を奉修する御聖日だ。

お釈迦さまのご生誕を祝う「灌仏会」、仏陀に成られたことを讃嘆する「成道会」、そしてご入滅を偲ぶ「涅槃会」(涅槃の四徳である常楽我浄の二字をとって常楽会ともいう)は、三大法会とも称されている。

勝福寺においても、涅槃会の祭壇を荘厳し、静かにお釈迦さまの威徳に感謝の誠を捧げた。

さて、今回もいつもと同じ内容になるけれど、『仏教聖典』から最期の教えを引き、紹介したいと思う。

(手前)護摩壇、(中央)大壇、(奥側)密壇

Gikoohも、(これも)毎年のことながらこの涅槃図の大勢の中にイメージで入らせていただき、当時の情景に想いを巡らせたい。そして、Gikoohもその1人となって説法を仰ぎたいと思う。皆さまも絵像の世界に入り「南無釈迦牟尼仏」と手を合わされたい。

では、参りたい。

一、釈尊はクシナガラの校外、シャーラ(沙羅)樹の林の下で最期の教えを説かれた。

弟子たちよ、お前たちは各々、自らを灯火とし、自らをよりどころとせよ。他の教えをたよりとしてはならない。

二、弟子たちよ、お前たちのために私の説いた教えは、常に聞き、常に考え、常に修めて捨ててはならない。もし、教えの通りに行うなら常に幸いに満たされるであろう。

教えの要は心を修めることにある。だから、欲を抑えて己に克(か)つことに努めなければならない。身を正し、心を正し、言葉を誠あるものにしなければならない。貪(むさぼ)ることをやめ、怒りをなくし、悪を遠ざけ、常に無常を忘れてはならない。もし、心が邪悪に引かれ、欲にとらわれようとするなら、これをおさえなければならない。心に従わず、心の主となれ。心は人を仏にし、また、畜生にする。迷って鬼となり、悟って仏となるのもみな、この心のしわざである。だから、よく心を正しくし、道に外れないよう努めるがよい。

三、弟子たちよ、お前たちはこの教えのもとに、相い和し、相い敬い、争いを起こしてはならない。水と乳とのように和合せよ。水と油のようにはじきあってはならない。共に私の教えを守り、共に学び、共に修め、励まし合って、道の楽しみを共にせよ。つまらないことに心をつかい、無駄なことに時を費やさず、悟りの花を摘み、道の果実を取るがよい。

修法するGikooh

四、弟子たちよ、私の終わりはすでに近い。別離も遠いことではない。しかし、いたずらに悲しんではならない。世は無常であり、生まれて死なない者はない。今、私の身が朽ちた車のように壊れるのも、この無常の道理を身を持って示すのである。いたずらに悲しむことをやめて、この無常の道理に気がつき、人の真実の姿に眼を覚まさなければならない。変わるものを変わらせまいとするのは無理な願いである。煩悩の賊は常にお前たちの隙をうかがって倒そうとしている。もし、お前たちの部屋に毒蛇が住んでいるのなら、その毒蛇を追い出さない限り、落ち着いてその部屋で眠ることは出来ないであろう。煩悩の賊は追わなければならない。お前たちは謹んでその心を守るがよい。

五、弟子たちよ、今は私の最期の時である。しかし、この死は肉体の死であることを忘れてはならない。肉体は父母より生まれ、食によって保たれるものであるから、病み、傷つき、壊れることはやむを得ない。仏の本質は肉体ではない、悟りである。肉体はここに滅びても、悟りは永遠に法と道とに生きている。だから、私の肉体を見る者が私を見るのではなく、私の教えを知る者こそ私を見る。私の亡き後は、私の説き遺した法がお前たちの師である。この法を保ち続けて私に仕えるようにするが良い。

弟子たちよ、私はこの人生の後半四十五年間において、説くべきものはすべて説き終わり、為すべきことはすべて為し終わった。私にはもはや秘密はない。内もなく、外もなく、すべてみな完全に説き明かし終わった。

弟子たちよ、今や私の最期である。私は今より涅槃に入るであろう。これが私の最期の教戒である。

『仏教聖典』より引用

今夜は心を静寂にしたい。南無釈迦牟尼仏。南無釈迦牟尼仏。南無釈迦牟尼仏。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

倉敷茶屋町 / 白龍醤油さんへ

2025-02-14 19:20:37 | Weblog

日々の来客や檀務、そして今月24日(月・祝)の地蔵菩薩の修理完成記念開眼法要など用事は多いのだけど、今日は倉敷市茶屋町の「白龍醤油」という醤油屋さんを半年ぶりに訪ねた。

朝食は納豆で、昼食は麺類のだしで、夜には煮物で醤油を使うことが多いものだから調味料は好みに合ったものがいい。特に薄口醬油はお気に入りで、もう随分長いことお世話になっている。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする