Kオジサンの気の向くまま

日々のあれこれ・・・・・思いつくまま

天使の都バンコクと世界遺産アユタヤ 5日間   第3日 8月31日

2013年08月31日 23時31分47秒 | 海外旅行

第3日です。
この日は観光バスで北部のアユタヤーへ向かいます。
ホテルを出たバスは、まず、高速道路に乗り、そして一般道へ。
朝のバンコク市内は少し混雑していました。


ツアーバスの車内です。
バスはバンコクの北部郊外を快適に走行しています。



バンパイン離宮へ

1時間半ほどでバンパイン離宮に着きました。
アユタヤ王朝の歴代の王様が、夏季の離宮として使ったようです。
今は兵士が警護をしており、王宮の一部として公的な機関が管理しているのでしょう。




広い苑内です。
太い木があり、この離宮の歴史を想像させます。




離宮と言うだけあって、警護の兵士が何人か立っていました。
こちらは、1コ分隊でしょうか。
隊列で行進していました。




池の中に綺麗な建物が浮かんでいます。
これは、Aisawan Dhipaya Asana Pavilonと呼ばれる建物です。





庭園内にトカゲが居ました。
コモドオオトカゲかも知れません。

日本で見かけるトカゲよりもかなり大型です。
こんな、トカゲが徘徊できる。
それも、自然な形でした。





Phra Thinang Wehart Chamrun。
中国様式のお寺です。
靴を脱いで内部に入りました。



建物内部の床。
タイルが貼られていましたが、一枚一枚が手書きで描かれています。



Ho Withun Thasana
展望台。カラフルな灯台みたいな形です。




庭には、象の形に剪定された木が植えられています。




苑内にはカラフルな花が溢れていました。




苑内の見学を終え、レストルームへ戻ってきました。
少し、時間が与えられましたので、アイスクリームを注文しました。
チョコレートのアイスでしたが、ピンボケでした。



日本人村

バスに戻り、アユタヤーに向かいます。
途中、バスが停まったところが日本人村でした。

車窓からの観光でした。
内部はテーマパークのようになっているのでしょう。



ワット・ヤイ・チャイモンコンへ

バスがワット・ヤイ・チャイモンコンに到着しました。
3台のミゼット型タクシーが並んでいます。



ワット・ヤイ・チャイモンコンに入って、最初に向かったのが涅槃佛の場所です。





凛々しい顔の石佛。
肩と腕の傷が痛々しいです。





塔が有り、階段を上がって見ました。





内部は真っ暗でしたが、そこに佛像がたたずんでいました。
信者が金箔を買って貼っていました。




塔から下を眺めます。





ずら~と並んだ石佛群。

この場所で、日本人の人にシャッターを押して貰いました。
日本人なのか現地の人なのか分かりませんでしたが、咄嗟に頼んでしまいました。
彼は即時に応じてくれました。
2つのポーズを撮ってくれました。
そして、別れ際に「どうぞ、良い旅行を!」と言ってくれました。

一期一会の出会いでしたが、異国へ来て、同じ日本人同士。
その言葉がとても、嬉しく思えました。




石佛の表情。
風雨の影響なのか、同じようでも少し違っています。




太い煉瓦の礎。
かつては、この礎と同じ太さの柱が建っていたのでしょう。
その柱からすると凄い規模の建物が建っていたことが想像できます。




別名をチャオプラヤー・タイ寺院です。
金色の佛様にタイの人々がお参りに訪れていました。




ワット・ヤイ・チャイ・モンコンの仏塔。
遠くからでも、大きく見えます。



タイ料理レストラン  Ruean  Rojjana

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン出て、バスに戻り昼食場所に向かいました。
タイ式レストランとなっていました。
看板にルアン・ロッジャナー レストランと描かれています。




レストランに入ると、先程、ワット・ヤイ・チャイ・モンコンでシャツターを押してくれた男性が居ました。
ツアーの旅行ですからこんな事が起こることは珍しくないのでしょう。
谷垣法務大臣似の素敵な男性です。
先程の礼を述べ、ブログに取上げる許しをいただき、写真を撮らせて貰いました。
写真はピンボケでしたが、逆にそれが良かったかも知れません。




レストランでの料理の数々。
中華料理の影響が有りまして、油を使って有ります。
ご飯の横はトムヤンクンです。




レストランの横に衣料品の店が有りました。
キュロットスカートですが、カミさん用に買いました。



ワット・プラ・マハタートへ

ワット・プラ・マハタートに来ました。
あの、石仏が木の根に包まれている有名な場所です。




向こうを向いているのがガイドさんです。
みんな、ガイドの説明に耳を傾けています。




有名な、菩提樹の根に包まれた佛頭。




ビルマ軍の侵攻に寄り、石佛が破壊されました。




石佛群。




石佛が無残な姿のまま、並んでいます。
丸太で叩いても、このように破壊は出来ません。
石同士なのか鉄の棒なのか、よほどの力を加えないとこのようには壊せません。
仏様に危害を加える。
当事者はどんな気持ちで破壊行為を行ったのでしょうか。




遺跡の一角にサルスベリが咲いていました。





今では煉瓦がむき出しになっていますが、かつてはこのように白い漆喰で綺麗な姿をしていたのでしょう。


ワット・プラシー・サンペットへ

ワット・プラシー・サンペットに来ましたが、入口で子供が物販をしていました。




遺跡の場所に入りました。




巨大な納骨堂が3基並んでいます。
歴代の国王のお骨が納められていたのだそうです。




風雨にさらされ、煉瓦の壁が傷んでいます。
倒れないように、補強して有りますが、何時までもこの状態で放置しておけ無いでしょう。




ワット・プラシー・サンペットの遺跡の模型。
大規模な敷地です。
凄い伽藍で、当時は栄華を誇ったことでしょう。


アユタヤ エレファントパレスに到着

お客さんを乗せる象が群れで待っています。




エレファントパレスでは、お客さんに演技を披露していました。




切符を貰いました。
象に乗る時、象使いに渡します。
これで、何人運んだか、カウントするのですね。




あの階段を登り、象に乗ります。




象が歩く専用のコースが設けられている訳でなく、道路を歩きます。
車は遠慮がちに走行していました。




おじさん。
二人。



こちらも、おじさん二人。
後ろにワット・プラシー・サンペットの塔が見えます。



エレファントパレスへ戻ってきました。
行って、戻って来る。
10分余りの象乗り体験でした。
乗っていて、とても揺れました。
まあ、滅多に出来ない体験です。象に乗れて良かったです。


感想
象に乗れるのは、かつては高貴な人々だけでした。タイへ来て、珍しい象乗り体験が出来て良かったです。
象に乗っていて、相方の方は象使いにカメラを預け、記念撮影をして貰いましたので、チップを請求されました。シャツターを押して貰ったのだから、仕方が無いですが、私たちの象使いまでもチップを要求しました。
一緒に乗っていた人が渡しましたが、何もサービスを受けていないのに、チップを求められまして、不快に感じました。
日本人は金を持っているからと見ているのでしょうね。



朝、ホテルを出たバスは一路アユタヤへ向かいました。
途中、日本人村を車窓から観光し、バンパイン離宮では宮廷内を散策しました。
そして、向かったのがアユタヤの遺跡群です。
寄った寺はワット・ヤイチャイ・モンコン。ワット・プラマハート。ワット・プラシー・サンペットです。どの寺が、どの名か結びつきません。
寺と名がゴッチャになっています。
整理して覚えるには白い巨大な涅槃佛が有った寺がワット・ヤイチャイ・モンコン。
ビルマ軍よって破壊された石佛と木の根に巻きつかれた石仏の頭部の有る所がワット・プラマハート。
歴代国王の遺骨が祀られ、3基の佛塔が有った所がワット・プラシー・サンペットです。
ブログを上げる為に振り返ってみましたが、似た様な寺の名で、今でも、頭の中はゴチャゴチャです。

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天使の都バンコクと世界遺産アユタヤ 5日間   第2日 8月30日

2013年08月30日 23時03分38秒 | 海外旅行

第2日です。
この日から本格的にバンコクの本格的な観光が始まります。
バスでリバーシティに向かい、そこから船に乗ってチャオプラヤ川を水上遊覧します。
チャオプラヤー川は濁った水の川でしたが川幅が広く大きな船舶も運航していました。

まず、訪ねたのがワット・カンラヤナミツト。
そして暁の寺。その後、涅槃寺であるワット・ポーへ。
その後は王宮・エメラルド寺院に行きました。
お昼はホテルでビュッフェスタイルです。

午後はショッピングタイムです。
宝石店。民芸シルクの店。そしてラテックス寝具店を回りました。
言われるままに、店に入り中を眺めたりしました。
店内には女子店員が何人も居ましたが、中国人ほどしつっこくは勧めて来ません。

この後、夕食はタイ料理を食べながらタイの古典舞踊を楽しめるノパラットと言うレストランへ。
レストランと言ってもシアタースタイルになっています。
幸い。最前列に座る事が出来ました。

ノパラットの隣にはマンボキャバレーと言うニューハーフショーの場所が有りました。
ニューハーフショーはオプションでしたが、折角バンコクへ来たことでも有り、行って見ました。




バンコクの地図。
宿泊したロイヤルベンジャホテルは中心地の北東に位置に有りました。

ホテル。

泊ったホテルの表札です。
ロイヤル ベンジャ ホテルです。
中国語の併記であり、中国人の利用も多いのでしょう。

ホテル内でイスラム系の人を多く見かけました。
ホテルの周囲はイスラム人の居住地区になっていました。
イスラム系の人が多いのだが、何故、ホテルの中までイスラム人が多いのだろうと思ったのです。
ガイドが教えてくれました。
ホテルの周囲がスラム系の居住地区になっていて、イスラム人の家族や友人、親戚がここに来て、2週間ほど滞在していくのだそうです。
大きなホテルでは有りましたが、イスラム人が多く、決して良い雰囲気には思えませんでした。
http://www.tripadvisor.jp/Hotel_Review-g293916-d308981-Reviews-Royal_Benja_Hotel-Bangkok.html




ホテルは31階建ての高さです。
部屋は比較的広く、シングルベッドとダブルベッドでゆったりと使う事が出来ました。
4人組で隣同士の部屋となりましたが、隣部屋へ通じるドアが有り、自由に行き来が出来ました。
そんな、部屋にしてくれた事を、ガイドに礼を言ったらキョトンとした顔をしていたのです。
意図的にそのような部屋にしてくれた訳では無かったのです。




朝の食事。
1階のレストランです。

中国人を見ましたが、イスラム人は見かけませんでした。
食べるものが違うのか、経済的に済ませるのでしょうか。




レストラン内には、アルフォンス・ミュシャの絵が壁画として貼ってありました。





色々のパンが並んでいます。





今朝の食事。
野菜が少ないと指摘されました。
ソーセージは鶏肉のもので、普段食べる味とは違い、美味しくなかったです。
ハムも熱を加えて有ります。




部屋は29階です。
レストランから戻ってきました。




ホテルの窓から。
北側の眺めです。
高速道路が見えます。



ホテルの窓から。
南側の眺め。
バンコクの中心部の方角です。
横に長いラインはスカイトレインのスクワンビット線です。



タイの花。
プリメイラ。
ホテルの前の木に咲いていました。


バンコク市内へ観光に

バスのフロントガラスに貼られていたステッカー。
いよいよ、ツアーが始まります。




40人ほど乗れる大型バス。
今回のメンバーは27名で、座席に余裕が有ります。




到着したのはリバーシティ。

ここから乗船して観光ポイントに向かいます。
私たちが着くと帽子の売りが寄って来ました。
帽子の値段は100バーツ程で、邦貨にすると300円位です。


チャオプラヤー川を昇ります

この桟橋から乗船します。
昨年の水害。
この辺りは水が溢れ、大変だったのでしょう。




ボートの船内。
男性はアシスタントのチャイさんです。




ボートの後部。
むき出しのエンジンが爆音を上げて航行していました。




チャオプラヤー川。
大きな川で沢山の船が往来していました。
物流の重要な運搬ルートにもなっています。
ドでかい艀がボートに曳航されて下っていきました。
船底が川の中で、こすらないように平底になっています。


ワット・カンラヤナミツトへ

ワット・カンラヤナミツトへ来ました。
あの桟橋に上がります。




ワット・カンラヤナ・ミツトの内部。
大きな仏像が鎮座しています。

地元の人たちが参拝に来ていました。
敬虔な信者でして、額を床に付けるように祈っていました。




桟橋に戻り、次の観光スポットに向かいます。


桟橋から下流を望みます。
川幅が広く大河と言った感じがします。



暁の寺 ワット・アルンへ

暁の寺へ来ました。
ここの桟橋から上がります。



暁の寺を正面から。




タイの国旗です。
タイ国旗を色々の場所で見かけました。
みんなが国旗を掲げる。タイの国土の風景に「旗」がマッチしていました。




暁の寺の像をアップで。
暁の寺はヒンズー教の寺だそうです。




急な階段を登ってきました。
手すりに掴まってでないと登って来れません。




階段を登ったところには、こんな景色が待っていました。
眼前にチャオプラヤー川が広がります。




塔の一部。
陶器の皿が埋め込んで有ります。





その周囲には女神像が配して有りました。
少しづつ表情が異なります。




塔をアップで。
とてもカラフルです。



寺から桟橋へ戻ります。
桟橋の周りには多くの魚が群れていました。
観光客が餌を与えるから魚が寄ってきます。
顔を出した魚はナマズの仲間でしょう40~50センチ暗いリました。
餌はパンの切れ端です。箱に10バーツと書いてあリます。




船が桟橋から離れ、暁の寺に向かってカメラを向けました。



ワット・ポーへ

乗ってきた船です。
桟橋に着き、みんなが下船しました。
ここで船とはお別れとなりました。

船に乗り、遊覧船気分が味わえました。
乗船する時、乗合船でしょうか、多くの人が下船してくるのを見かけました。
私たちのような、観光客が利用するばかりでなく、市民の間に根づいた交通機関として親しまれているのでしょう。




下船してワット・ポーへ向かいます。
船着場にみやげ物屋があり、そしてここは塀沿いに店が並んでいます。






魚の干物を並べた店や飲料水の店。
水は10バーツですから約30円です。
このように値が表示してあると助かります。

ワット・ポー

前方がワット・ポーです。
タクシーはトゥクトゥクと呼ばれている小型の3輪車です。
2人乗りが原則でしょう。3人乗っているのも見かけました。




ワット・ポーの外観です。
ワット・ポーは涅槃寺とも呼ばれています。
1788年にラーマ1世によって建立されたバンコク最大で最古の王室寺院です。
金箔に覆われた輝かしい巨大な涅槃仏があり、涅槃仏の足裏にはバラモン教の真理が描かれています。



靴を脱いで寺院内に入ります。




大きな涅槃像。




横たわる涅槃像。
その身長は46メートルです。




涅槃像の足の裏。
釈迦の足の裏は偏平足です。
足の大きさは5メートル。巾3メートルです。



外には多くの塔が並んでいました。



王宮・エメラルド寺院へ

ワット・ポーを出て王宮に向かいます。
先に見えるのがワット・プラ・ケオです。
本堂にエメラルド色の仏像を祀ってることから、またの名を「エメラルド寺院」と呼ばれています。
タイ王室の守護寺院です。




この先が王宮への入口となります。




この先が王宮内部です。
ここでカメラのバッテリーがダウンしてしまいました。




王宮内の塔。
携帯で撮った画像です。




この後は、ホテルの一角でビュッフェスタイルのランチとなりました。
そして午後はショッピングとなり、宝石店。民芸シルク店。ラテックス寝具店を回りました。


夕食  ノパラット タイ舞踊の場所へ

夕食はノパラットと言うレストランでした。
上は夕食場所となったタイレストランのパンフです。
シアタースタイルになっていて、食事をしながらタイ舞踊を鑑賞出来ました。




ご飯がまだ、運ばれて来ていません。
左はカレースープ。
奥はタイ風のてんぷらです。そして右がトムヤンクンです。




楽団のすぐ前の席に着く事が出来ました。
両側の男性は木琴を叩きます。
中央の女性は鈴の様なもの。
スチール製のコマをあわせた合わせたような楽器です。



タイの舞踊。
政府の芸術部局が1960年代に古典舞踊を監修したものだそうです。




独演です。


マンボキャバレーに行きました。

ノパラットの隣がマンボキャバレーと言うニューハーフショーの場所です。
こちらはOPとなっていました。
キャバレーと言っても、階段状の客席が並び大きなホールのようです。
私たちのグループには最前列と2番目の席が割り当てとなっていました。
くじを引くと、Aシートで最前列でした。




タイ風のダンスです。




アップで。
男性はバストが大きくなっていませんでしたので、ニューハーフでは無いでしょう。




洋舞も有りました。




終わりが近づいてきました。





フィナーレで全員が出演してきました。


感想
朝、8時にホテルを出てから水上遊覧をして、その後は寺巡り。
午後はショッピング。
夜はシアターレストランでタイ古典舞踊を鑑賞しながらの食事をしました。
オプションですが隣のマンボキャバレーでニューハーフショーを楽しみました。
ショーは8時20分頃に終わりました。
7時15分が開始でしたので1時間余りのものでした。
ホテルに戻った時間を覚えていませんが、9時前後だったと思います。

8時に出て9時の帰着です。
体力的にタフで無いとツアー参加は務まりません。
寺めぐりとハーフショー。
丸でバンコクを圧縮したような一日でした。

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天使の都バンコクと世界遺産アユタヤ 5日間   第1日 8月29日

2013年08月29日 23時32分40秒 | 海外旅行

オジサンの4人グループでタイへ行ってきました。

第1日
出発時刻は17時25分。中部国際空港への集合が15時25分となっていましたが、定刻前に着きました。
午後の出発で有り、午前中のような混雑も無く、搭乗手続きと出国手続きはスムースに済ませることが出来ました。


国際線の出発口です。
動く歩道に乗り向かいます。
この先、左側が各旅行社の受付カウンターとなっています。
いよいよ、旅の始まりです。



タイ航空の受付カウンター。
ここで荷を預け、機内に乗り込みます。
平日の午後と有って、出かける人が少ないのでしょうか。
並ぶ人が少なく、慌てずに搭乗手続きを済ませる事が出来ました。



18Aの待合場所です。
タイ航空のクルーたち。
機内清掃が済むのを待っています。




搭乗できる時間となりました。
ゆっくりと並んで飛行機に乗り込みます。



ボーディングブリッジ。
いよいよ、機上の人となります。




機の窓から眺めた国際線のビル。

行ってきます。
しばらく日本とお別れとなります。
この先は、離陸のためカメラの使用を控えました。




機の窓から。
どの辺りを飛行しているのか分かりませんが、一面に雲海が広がります。

高い空を飛行しています。
台風15号が日本に近づいていました。
この雲の下が嵐になっているのでしょう。



夕食の機内食。
鶏か魚かと希望を聞いてくれましたので魚を頼みました。
ご飯の上にハマチのような魚とエビが乗っていました。
向こう側はうどんのようなものです。
小さい容器にツユが入っていたので、上からかけました。
一緒した人からは、うどんが美味かったと言っていました。
少量だから余計に美味しく感じるのでしょう。



座席は横に3席、3席、3席の配置となっていました。
機内には、少し空席も有りました。
シートにゆとりが有り、空いている座席に移り、過ごす事が出来ました。




機内で喉と頭が痛くなったのです。
これでは、現地について・・・・・と思ったのです。
風邪をひいては、楽しい旅行も台無しです。

風邪薬が欲しかったのです。
折角、旅行に来て風邪を引いていては、と思い薬を貰おうと思ったのです。
風邪薬と検索したのですが、出ませんでしたので、風邪で検索してCold。
薬で検索したらMedicine。

メモにColdと書いて、翻訳機を見せ、頭と喉を差し、薬を貰いました。
ドラッグとかメディカルとか。単語を並べれば通じかも知れません。



感想
数々、海外旅行の経験が有るわけでは有りませんが、タイ航空の乗務員が多く、サービスが行き届いているような気がしました。
飛行中に眠り易いようにとの配慮からでしょう。機内の照明が落とされました。そんな中を水やジュースを盆に載せて回っていました。このような光景は初めて見ました。細かいところまで行き届いていると感じたのです。


バンコクと明石は2時間の時差が有ります。
夕刻に日本を発った飛行機は夜遅くにバンコク国際空港に着きました。7時間近い空の旅でした。
中部国際空港はボーディングブリッジから搭乗したのですが、バンコクのスワンナプーム国際空港ではタラップで機から降り、バスで離れた空港のビルに向かいました。
いよいよ、タイの地に到着しました。
タイランドの旅の始まりです。





 

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青春18切符で神戸へ  兵庫県立美術館へ  そして神戸南京町

2013年08月28日 23時13分57秒 | 青春18切符の旅

9月1日まで兵庫県立美術館で「ルノワールとフランス絵画の傑作」。サブタイトルが奇跡のクラーク・コレクションと言う展覧会が開かれています。
青春18キップを使って灘まで行き、絵を見た後は南京町をウロウロして来ました。

ロシアのプーシキン美術館やエルミタージュ美術館は皇帝や資産家がヨーロッパから絵画を調達し、多くを収蔵する結果となりました。
ボストン美術館なんかも、市民からの多くの絵の寄付があり、充実させて来たのだそうです。
こちらはアメリカのコレクターです。祖父がシンガーミシンの創業者の一員で、裕福な環境にあり、何度もフランスを訪れ印象派の絵を集めて美術館を設けるまでに至りました。



展覧会のパンフです。
これと同じ図柄のチケットになっていましたが、入場者数が多かったのでしょう。
会期の終わりが近づき、既製のチケットが足らなくなって、兵庫県立美術館のチケットとなっていました。
美術展のチケットをコレクションしていますが、味気ない兵庫県立美術館のチケットで、残念です。


兵庫県立美術館です。



屋上にカエルのバルーン作品が上がっていました。



これから館内に入ります。



10時少し前に着いたのですが、既に多くの人が並んでいました。



チケットを買い求めるのにも、長蛇の列でした。



展示場は3階で酢。
階段を上がりました。



ここから入場します。
この先はカメラ撮影が禁止となっていました。



館の外に出てきました。
作品が入口の大きな箱に貼って有りました。



今回の展覧会の一番のメイン。
ルノアールの鳥と少女です。
アルジェリアを旅行した時の物でしょうか。
同じような作品が有ります。
http://www.wikipaintings.org/en/pierre-auguste-renoir/algerian-girl-1881
何時、何処の展覧会だったか覚えていませんが、こんな絵を見ました。



モネの小川のガチョウです。
この絵では綺麗な水で水面の波紋が分かりますが、元の作品はこんなに、波紋がはっきりとは見えませんでした。



ジェロームのへび使いです。
老人の笛の音が聞こえて来そうです。
全裸の少年の尻がなまめかしいです。
元の作品は、とっても綺麗な色をしたタイルが描かれていました。



ドガの稽古場の踊り子たち。
横に長い作品でしたが、遠近感が上手く表現されていました。



元町駅に来ました。



南京町の西門です。



平日でもお昼の時間であり、多くの人が訪れていました。



こちらで・・・・、買いました。



ぶたまんと小籠包を買いました。



蒸篭の中には中華ちまきも有りました。



老祥記の前には多くの人が並んでいました。


林商店です。



コリアンダーやウコンなどが並んでいます。
ここでカレー粉を買いました。



南京町の東門です。


お肉屋さん。
神戸牛の店ですが、とんかつなどを揚げて売っています。
ここではコロッケを買いました。


18切符を使っての美術鑑賞でした。
岐阜県に住んでいます。我が家近くの駅から灘までは3,570円です。往復では7,000円余りとなりますが、2,300円で行って来る事が出来ました。
とても経済的です。
岐阜から関西方面に出かける場合、大垣から米原の間の列車が少ないですが、列車の連絡が、ワリと良く関西方面に出かけるには便利です。自宅近くの駅から灘まで3時間余りかかりましたが、列車に乗っている事が苦になりません。


メインはルノアールの作品でしたが、コローなども並んでいて、見ごたえが有りました。
このクラークコレクションで公開された絵には日本初公開のものが何点も有りました。
神戸展の前は東京で開かれましたが、クラーク美術館が改装工事で、作品を世界巡回させている途中でした。これまでにフランスやイタリアで開かれ、神戸展の後は韓国や中国に行くとなっていました。


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こんな花 バジル

2013年08月26日 20時31分00秒 | こんな花

5月に、一緒に絵をやっている人からバジルの苗を貰いました。
植えてから、成長し花が咲きました。


全体です。


花の部分。


更にアップで。

ウィキぺディアでバジルを検索してみました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%B8%E3%83%AA%E3%82%B3
バジルとし言うのは英語の発音の仕方。イタリア語ではバジリコと呼ぶのでした。
こんなことを知りませんでした。
紫蘇の仲間と言う事は知っていました。
パスタやピザに乗せて食べましたが、良い風味でした。

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昭和日常博物館

2013年08月25日 22時55分14秒 | お出かけ

北名古屋市に北名古屋市歴史民俗資料館が有ります。
この場所は旧師勝町時代に出来た施設ですが、町が合併して北名古屋市となりました。
これまでも、昭和の頃を再現する企画展を何回も開催してきまして、20年程となりました。
今では、館の名に「昭和日常博物館」と付けるにまで至りました。

こちらの施設は撮影がOKです。他の来館者も、バシバシと撮っていました。



8月30日まで企画展が開かれています。


民俗資料館ですが、図書館と一緒になった建物です。



館に入ると入口にはミゼットが置かれ、駄菓子屋が再現されています。



丸い茶ぶ台のある部屋。
懐かしい感じがします。



棚の中に懐かしい品々が並んでいます。



今では、すっかり見なくなった殺虫器。
あの頃は、ハエも多かったです。



アイスキャンデーのボックス。
自転車の後ろに乗せ、村や町を売り歩いたのでしょう。
このボックスを後ろに乗せ、旗を立てて、鐘を鳴らしながらの自転車。
そんな、様子が想像できます。


これは、アイスキャンディーですが、子どもの頃に親戚へ行った時の事です。
このような箱を載せた自転車で売りに来ました。
アイスキャンデーではなく、氷売りでした。
固定したカンナで氷を削っていました。
右手は氷を削り、左手はその氷を受けているのです。
ブリキか銅製の物だったのでしょう。円形の容器で真ん中が蝶番になっていて、削った氷が貯まると両側から押さえました。
グッと圧縮して、切ったスイカのような形になりました。
それに、竹串を差し、密をかけた物でした。

記憶が薄くなり、どんな形でカンナが固定してあったか、覚えていません。
今の時代なら、余り衛生的では無いですが、そんなものを買って貰えた。
記憶が断片的になってしまいましたが、買って貰い、子ども心に喜んだのだと思います。



古いモデルのテレビや冷蔵庫が並んでいます。



お父さん。お母さん。そして子どもたち。
お父さんは自分が子どもの頃に、こんなジュースがあったのだよと説明していました。
渡辺のジュースの素です。
大人は懐かしく。子供は始めてみるもので、珍しく感じるのでしょう。



ケースの中には、子どもの学習のヒントになる物が展示して有りました。


昭和の時代が遠くなってしまいました。
ここには昭和が詰まっています。
昭和の頃の映画を製作するとき、ここへ拝借に来るのかも知れません。
大人にとっては懐かしく。子供にとっては珍しく感じる場所です。


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古地図にみる江戸時代の美濃

2013年08月24日 22時47分37秒 | 絵画展・写真展等、各種展覧会

今、岐阜市歴史博物館で、古地図にみる江戸時代の美濃が開かれています。


古地図にみる江戸時代の美濃。パンフレット。


岐阜市歴史博物館の正面です。


ここから入口となります。
この先は、館内で撮影を控えました。


今日は、「町の古地図を読む」の講座が有りました。
丁度、講座が終了した時間でして、受講生たちが館内に来て、何人かの人が古地図を撮影
していました。撮影禁止の表示が有るにもかかわらず、撮影するのは残念なことでした。

館内に入ると、いきなり大きな古地図が有りました。
美濃国絵図と言うものです。5メートルほどの大きさで上の方の字は読めません。
入口に利用者用に小型の双眼鏡が用意されていました。

美濃国の絵図でも、年代順に何枚も展示して有りました。
尾張・三河・美濃・飛騨・木曽谷一円之図と言う広大な地域を表した古絵図も有りました。
古地図を見て判った事は、今の県境の感覚とは、少し違っていることです。
絵図に美濃国、尾張国と、描かれていますが、美濃国の中に尾張藩の領地が有った事です。
尾張で熱田のすぐ南は海になっていました。桑名を結ぶ線には七里と描いてあったのも、面白いことです。
尾張藩は尾張国のみでなく、三河や木曽も領地としていました。
広大な領地。それが尾張藩の基盤になっていたのでしょう。
何枚かの古絵図の中には中山道や美濃路が描かれていました。

何枚もの古絵図。それぞれに面白さが隠されていました。
子ども向きに解説されていましたが、水争いが有り、絵図で評定したものも有りました。
土地の境界紛争の絵図。色々と展示されていました。

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散らし寿司

2013年08月24日 22時37分53秒 | グルメ

今夜は散らし寿司でした。
ミョウガを酢漬けにしていまして、漬かって来ましたので散らし寿司にしてみました。
材料は酢漬けのミョウガ。芽しょうが。キュウリです。
寿司飯に混ぜ、その上に錦糸玉子を散らしました。


玉子焼きを散らしたところです。


仕上げにカミさんが、海苔を切って、散らしてくれました。

ミョウガが主役でしたが、酢に漬けて日にちが経っていました。
それで、生のミョウガを加えて見ると、ミョウガの香りが良く、一層良くなりました。

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大垣ひまわりランド 2013

2013年08月22日 22時48分16秒 | 大垣ヒマワリ ・ その他のヒマワリ畑

毎年、大垣のひまわりを見に出かけています。
今年の会場は墨俣町です。
平日にもかかわらず、若い人が何人も訪れていました。


前方にひまわり畑が広がります。
左側は墨俣保育園です。保育園の北東にひまわり畑が広がります。


何人も、見物客が訪れていました。


茶色い鉄筋の建物は墨俣地域事務所です。
かつては役場だった所です。


ひまわりランド。
全てのひまわりが背を向けています。

ひまわりは、太陽に向かって咲くと言います。
この時は、太陽に向かっているのではありません。
何故、同じ方向に向くのでしょう。


ひまわり、1輪を捉えて見ました。


更に、クローズアップしました。


会場の全景です。

広い休耕田をひまわり畑にして開放されています。
大垣市のひまわり畑は有名で、多くの人が訪れるようになりました。
毎年、ひまわりを見に出かけていまして、今年は墨俣の会場に行ってきました。
一面のひまわり。
良い景色でした。


大垣市のホームページです。
http://www.city.ogaki.lg.jp/0000001283.html

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Kオジサンの家庭菜園日記  綿の花 

2013年08月20日 20時39分55秒 | 家庭菜園日記

綿の花が盛んに咲いています。
この綿の種は、この春奈良の山の辺の道を歩いた時に買ってきた種です。
道端の無人販売のコーナーが有り、1袋100円で買って来ました。
その近くに生産者宅が有りましたが、しっかり名を記憶していませんでした。
調べましたら、こちらでした。
http://blogs.yahoo.co.jp/asaoki_hataraki/folder/295548.html
木綿庵と書いてゆうあんと読むのですね。


朝の状態です。
蕾から、少し咲き始めました。


上から見た姿です。



これは別の日に撮影したものですが、日中は花が開きます。



花は一日で終わってしまいます。
終わった花が残骸となつて先に残っています。



その花の残骸が落ちると、こんな実が出ました。
4本の筋が入っています。
やがて筋が割れて綿が顔を出すのでしょう。


買って来た木綿庵のブログを上の欄に紹介しました。
綿には洋綿と和綿が有るようです。
買って来た綿がどちらなのか、判りません。
どう違うのでしょう。

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