Kオジサンの新・山歩きの記


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南飛騨の山  梁 谷 山  (1,213.6m)

2016-11-10 23:08:15 | 山遊すずらん会

山遊すずらん会の11月例会で下呂市金山町の梁谷山に登りました。
梁谷山は金山町の奥地で岩屋ダムの上流に位置します。全山が照葉樹に覆われた山です。梁谷山は中央分水嶺に近く、日本海側に多いブナ(シロブナ)と太平洋側に多いイヌブナ(クロブナ)が見れます。日本のように狭い国に2種類のブナが有るのは珍しく、しかも1つの山で2種類のブナを見れる山は非常に珍しいのだそうです。

今回は廣江先生に参加して貰えました。廣江先生に参加して貰えると色々と自然観察の話が聞けます。今回の山は、紅葉した山でした。色々のカエデが紅葉していまして、教えて貰いました。葉の写真を撮りましたが、色々のカエデが有り、ゴチャゴチャになってしまって、正確に覚える事が出来ませんでした。メモを取り、画像と一致させて学ばなければと思います。

登山口辺りは紅葉していましたが、高度が増すに連れて落葉しており、山頂辺りは幹と枝だけになっていました。あと、1週間もすると、落葉して冬の姿となってしまうでしょう。



マイクロバスが梁谷山林道を進んで行きます。
林道の周りは紅葉しています、




梁谷山の登山口です。
これから登りますが、コースの説明を聞いています。





登山口に設けられた梁谷山登山道案内図です。
今回は南尾根ルートから登りブナの木ルートで下山する周回をしました。





登り始めました。




左は南尾根コースを登り始めたところです。
右は南尾根コースとブナの木コースの分岐。指示標識です。




梁谷山を形成する岩体は濃飛流紋岩だと説明を受けました。
流紋岩と聞いて龍紋岩と想像してしまいました。蛇紋岩と言うのを耳にした事が有ったからです。




紅葉した林の中を登ります。





誰かが見つけて「先生、これ何ですか~」と質問が出ました。
これはケンポナシと言うモノだと、説明でした。
枝の先に甘味があるのだそうです。
昔、甘味に飢えていた時期、口にしたのだそうです。

ピンボケでスミマセン。




これはシロモジです。
葉にU字型の切れ込みが入っています。




山頂方面です。
落葉して視界が広がっています。





小鹿の涙に向かっていますが上ったのが、一旦下がってしまいます。





小鹿の涙へ来ました。
滝の上部が紅葉しています。




滝の水量が少なくなっていて、滝には見えません。





クネクネした道を登って来ましたが、この先。南尾根に出ます。





南尾根に出て、大きな木があります。
この木は、確かシロヤシオだったのでは、と言うことでした。
尾根に出るヘアピンカーブの場所です。春、シロヤシオの時期に来ると確認できます。





眺望が広がる場所に出ました。
噴煙を上げる御嶽山が見えます。
写真に撮ると、ハッキリ見えませんが、肉眼では御嶽の左に乗鞍岳。そして穂高岳。槍ヶ岳。笠ヶ岳が確認できました。
それに、アレが野口五郎岳ではないかと言っていました。





南尾根の指示標識が有ります。




山頂が近い所まで、あがって来ました。




今日のKオジサンの後ろ姿。





シロモジの黄色い落ち葉。
天然のジュウタンです。




かがみこんで撮影する廣江先生。
何を撮っているのでしょう。




ブナの落ち葉に変りました。




ブナの木コースと南尾根の分岐点です。
ここを左に折れれば山頂です。
もう、山頂が見えています。






山頂に到達です。
先に来ている人が居ましたが、同じグループの人で岳見岩に向かわなかった人達でした。





山頂へ到達しました。




岳見岩に寄ってきた本隊の到着です。




本体が到着して、ランチタイムとなりました。
三角点。方位盤と双眼鏡が設置して有ります。
設置してから歳月が経ち、土が流れ出て基礎が露出しています。
以前に来た時、双眼鏡にカバーが被せて有りました。今では双眼鏡が故障しています。



山頂から東方の眺望です。
先ほど見えた御嶽山が山頂に着た時には、見えなくなっています。




下山を始めました。
帰路はブナの木コースで下山します。




前方にブナの大木が見えます。





良い雰囲気の所を下って行きます。





頭上のシロモジ。
何の木か、シッカリ見ずに「先生、これ何の木」と聞いてしまいました。
良く見れば、何の木か判るものでした。





廣江先生が説明しています。





イヌブナの葉をとり、説明してくれました。
ブナの葉の特徴は、側脈の端が鋸状の凹部に入ることです。ブナは側脈の数が9本か10本で、イヌブナは14本から15本で、イヌブナの方が多いです。
話しを聞いて、葉の表面の凹凸が樋のような役目となって雨水を流しやすくしているのではと思いました。





サワグルミの大きな木が有りました。
これが実だと言って、前から見本のように廻ってきました。




大きな岩の陰。
木の実のようなものの殻が転がっています。
リスの巣だったのではと想像しました。



黄葉したモミジ。




下から見上げたヤマモミジです。少しピンボケでした。
右はヤマモミジの木ですが、モミジの中では巨木です。





バスが見える所まで下山して来ました。
朝、何台か居た車が居なくなっていして、バスが残って居るだけでした。



トイレ

飛騨金山の森キャンプ場のトイレです。
梁谷山の登山口にトイレが有りますが、工事現場に有るようなトイレで、お世辞にも綺麗なトイレとは言えません。それに、県道から梁谷山林道に入ってから少し進んだ所に、新しくログハウスタイプのトイレが設けられました。それでも人数が多い時は困ります。
私たちは、このトイレを往路と復路で使用させてもらいました。


岩屋ダム

復路に岩屋ダムに寄りました。
岩屋ダムは発電や利水に利用されて居ます。
この場所までは、滅多に来る事が無いので、バスに停まってもらいました。





巨大なダム湖ですが、東仙峡金山湖と名付けられています。




ダムの説明板です。
ボタンを押すと、ダムの説明がスピーカーから流れて来ました。




ダムの堰堤です。
湖側ですが、ロックフィルダムで大きな岩が見えます。




こちらは放水口側です。
左のコンクリートのスロープが放水路です。
下には変電設備なのか、そのような施設が見え高圧線の鉄塔も見えます。


感想
梁谷山に春と秋。合わせて5~6回は来ています。山と向き合って、山はその都度、違った顔を見せてくれます。今回は廣江先生から生の話を聞く事が出来ました。
ウリハダカエデ、エンコウカエデ、コミネカエデとミネカエデ。ウリハダカエデはその名の通り、幹の肌がウリのようなカエデです。エンコウカエデは援交と覚えました。色々と教えてもらいましたが、カエデの名とどのような葉だったか一致しませんでした。
知らない事を色々と知る。そこに面白さが有ると思います。
それに、御嶽山の眺望。途中で姿を見る事が出来ましたが、山頂に着いた時は隠れていました。ものは考えようです。途中で見れて良かったです。



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城跡の山  祐 向 山 (374.3m)  

2016-11-09 23:54:33 | 弐水会

弐水会の11月例会に参加しました。今月の山は本巣市の祐向山です。普通に読めば「ゆうこうやま」ですが、地元では「いこうやま」と呼んでいるようです。
この祐向山へは04年03月に文殊の森から登りました。あの時は文殊の森から登り、祐向山山頂へのピストンでした。もう、10年以上前の事であり記憶が薄くなっています。今回は南側の八幡神社から祐向山へ登り、文殊の森へ下山して来る馬蹄形のコースを逆時計回りに歩きました。前回に登ってから時間が経ち、初めて登る山のように新鮮に感じました。(実際、八幡神社から祐向山への箇所は初めて歩きました。)
祐向山は城跡です。その南には掛洞城址が有ります。文殊の森には山口城址が有り、その南に中ノ城址があります。この一帯が要塞のような場所だったのでしょう。それに城跡と言うより、砦跡の場所ではないかと思います。祐向山山頂の木に説明プレートが結び付けられていまして、斉藤道三が居住したと書かれています。戦国の時代。鎧姿の武者がこの道を上り下りしたのかと思うとロマンが膨らみます。

カメラ画像の記録タイムから行程したものです。
八幡神社(9:33) ― 監視哨跡(9:57~10:02) ― 大平山(10:16) ― №31鉄塔下(10:51) ― 
掛洞城址(11:22)  ― 祐向山頂(11:39~11:45) ― 望郷の展望台(12:07~12:42)  ― 
山口城址(13:11~13:15)  ― 鳥が鳴く展望台(13:22~13:27)  ― 四季の展望台(13:38)
  ― 文殊の森駐車場(14:10)  

前日は雨でした。塵が取り除かれて綺麗な空気となり、遠望が利きました。冠雪した中央アルプスや南アルプスが望めたのはラッキーでした。


大平山で、木に結び付けられていたコース図です。
下の八幡神社から登って来るコースを辿りました。



後方のお宮さんが八幡神社です。
文殊の森へ車をデポしに行った人が戻ってきました。
これから登ります。



神社の左横から登り始めました。
竹藪のような中を歩きます。
登り始めは道がキツいです。



少し進み、勾配が緩くなってきました。




しばらくして、着いたのが監視哨跡です。
説明には昭和7年に監視哨が出来たと書かれています。
電話が引かれ、麓と交信していましたと説明に有ります。
今日のような便利な電話でなく、クランクのレバーを廻し電話交換手を呼び出すような電話だと思います。耳に当てるのは朝顔形型の受話機。喋るのも朝顔型の送信機で2個のベルの見えるタイプ。そのような電話機だったのではと思います。

B29は潮岬を目指して飛んで来たとか申します。そのまま北に飛び続け、琵琶湖で機首を東に向け伊吹山の上空を通過しました。この監視哨で姿を見た数分後には名古屋方面が真っ赤になったのではないかと想像します。



祐向山に向かう登山道です。
道はハッキリしていますが、手づくりプレートが下がっており、有り難いです。



祐向山への道。
この辺は起伏が無く、歩き易いです。




途中で、眺望が開けた所にきました。
あの山が山頂なのかは判りませんが、あの方向に向かっていきます。



こちらの眺望の開けた場所は西側のセメント工場が見下ろせる場所でした。
工場の向こう側には石灰岩を採掘している所も見えます。





尾根道を歩きます。
筆境になっていて、右は天然林。左は人工林です。




このコースは高圧線の巡視路でも有ります。




道にはコシダが生えていますが、登山道はハッキリしています。




眺望の利く所に出ました。
左の枝先。岐阜駅前の2本のタワービルが確認できます。
その枝の下。塀が有る建物は岐阜刑務所です。
中の枝先。名古屋駅前の高層ビル群です。この高層ビル群。ドンドン数が増えています。



祐向山への手づくりプレートが下がって居ます。




沢山のドングリが落ちています。
この場所以外でも、沢山のドングリを見かけました。
熊に与えたいと思うほど沢山のドングリが有りました。



歩いて来て、右は登っている所ですが、左側には自然の石を利用したような場所が有りました。
石垣のように見えました。
登った先に掛洞城址が有りました。
自然石を活用して砦にしたのではないかと思いました。



掛洞城址には、こんな表示がして有りました。




木に地図も貼り付けて有ります。



祐向山頂に到着です。
04年の時の記憶が薄くなって居ますが、あの時の山頂は、もう少し明るかったように思えます。
10年の歳月が経ち、木が生長してしまいました。




祐向山頂に有ったプレート。
このプレートが好いのは取り付けた人の名が書かれていないところです。



山頂は城址であり、こんな表示も有りました。



祐向山頂から歩いて来て、望郷の展望台へ来ました。
望郷の展望台は南側の眺望が開けています。
ここでお昼を取ることになりました。
周りの視界が利かない祐向山頂よりも、この場所の方が良いです。




望郷の展望台からの展望です。
画像ではハッキリしませんが、伊勢湾の海岸だろうと思えるような所まで見えました。




望郷の展望台を後にして山口城址へ向かいます。




季節はずれのスミレを見つけました。




山口城址へ向かう鞍部の場所。
ここからは眺望が広がります。




鞍部からの眺望です。
岐阜市のツインタワー。それに名古屋駅の高層群が見えます。
ツインビルの先に小高い丘が見えました。知多半島なのだろうか。渥美半島なのだろうかと言う事が話題になりました。




鞍部に柿の木が有り、実を着けていました。
食べれるかと言うことになり、誰かが食べてみて渋柿である事を確認しました。




鞍部を後にします。




これから山口城址に向かって階段を登ります。




この辺は緩い階段ですが、途中から急な階段に変りました。




山口城址に着きました。




山口城址。
説明板が設けて有ります。




山口城址は広場のような平らな場所でした。
城址を後にします。




城址から降りていく階段の道。
降りていくので好いですが、登るとなると息が切れそうな登り階段です。




展望台に上がりました。
この展望台。麓の案内地図には鳥が鳴く展望台と書かれています。近くに中ノ城跡広場が有り、ここ、祐向山を捉えたサイトには中ノ城展望台と表示したものもあります。




展望台からの眺望です。
画像では判り難いですが、中央や南アルプスが冠雪を被っているのが見えました。




展望台から下って行きます。






下った来る途中、山口城址の石柱が有りました。
ここから、四季の展望台を目指します。




四季の展望台からの眺望です。
眼下に流れる根尾川が見えます。




四季の展望台から降りてきて管理道路へ出ました。
あの頂が山口城址だと思います。




管理道路を下って行きます。
駐車場はもう直ぐです。




文殊の森の駐車所に下山して来ました。
ここには車が2台出歩して有りました。
八幡神社に残っている車を取りに行って貰いました。




今回は14名の参加者でした。女性が多いと華やいだ雰囲気になります。
04年は文殊の森からのピストンでして、今回こうして馬蹄形のコースを歩き、山の全体像をつかめました。点々とする城址を辿る事が出来ました。04年に登った時、祐向山が城址だという事を知っていました。しかし、今回は祐向山以外にも城址が有る事を知りました。このような事はあの手づくりプレートが有ったからです。八幡神社からの登山口が判り難かったです。文殊の森は生活環境保全林として整備されましたが、本巣市がこの一体を総合的に整備してくれたらと思います。

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中山道 往来(ウオーク)   石畳を歩けば、江戸時代の旅人気分

2016-11-05 23:38:14 | アウトドア

中山道の細久手宿から御嵩宿までを歩きました。キッカケは名鉄駅に置いてあったパンフレットです。瑞浪市と御嵩町が共催する中山道をウォークすると言うイベントです。瑞浪市の細久手宿はJRの駅から離れており、シャトルバスで駅と宿場町を結んでくれますので、助かります。
この機会に中山道を歩いてみようと思いました。


名鉄の駅に置いてあったパンフです。
名鉄が協力だから駅に置いてあったのでしょう。瑞浪まで、JRで出かけました。担当者がJRに協力を求めなかったのだろうか。細久手宿に近いのが瑞浪駅です。JRもタイアップで協力しても良さそうと思います。


瑞浪駅へ

JR那加駅です。
下呂行きの普通列車が入線してきました。




美濃太田駅です。
名古屋行きの特急が出て行き、その後に多治見行きの普通列車が入線してきました。




多治見駅です。
中津川行きの快速が入ってきました。
快速と言っても、多治見までで、ここからは各駅に停車します。




中央線の線路です。
新線と旧線で線路が着いたり離れたりします。
もうすぐ、土岐市駅です。




瑞浪駅に着きました。




瑞浪駅の南側です。
スタッフが居て、シャトルバスの乗り場が北側に有る事を案内していました。




駅前のパン屋。
サンエトワールと言う店です。
左側のフランスデニッシュを買いました。美味しい味でした。




女性の4人組。
この人達も中山道往来に参加する人達です。


細久手宿へ

バスが停まっていますが、スクールバスです。
ここで、シャトルバスの到着を待ちました。




しばらくして、現れたシャトルバス。
御嵩町のマイクロバスです。
役場の人が添乗していました。




細久手宿が近付いてきました。
既にウォークは始まっています。


細久手宿にて

細久手宿スタートの受付です。
ここで、チェックを受けました。




急いで出発する必要は無いので、ゆっくりとしたスタートにしました。
歩く前に、五平餅を買います。




列に並んで買い求めましたが、前の人が4個とか8個と大量に買い込み、少し待たされました。




買ったのは1個です。
この場で食べれるようにトレーに乗せてくれました。




細久手宿の説明板が設置して有ります。



細久手宿から御嵩宿までのコース図です。
中山道御嵩宿・細久手宿ウオーキング実行委員会作成のパンフから引用しました。


これからウオーキングを開始します。

細久手宿の大黒屋。
旅籠ですが、今も営んでいる宿屋です。




大黒屋の中にお邪魔しました。
現在も旧中山道をウオーキングしている人が泊まるようです。
中を見せて貰いましたが、京都の寺田屋と同じような印象がしました。
ここに泊まれば、江戸時代の旅人気分に浸れる事でしょう。




幼児も歩いています。
気分が高まって走り出しました。
家族、一緒に歩けるのが嬉しかったのでしょう。



民家の庭先のモミジ。
紅葉が始まっています。




民家の入口にカカシが立っています。
無料で豚汁がいただけます。





この人達もこれから歩く人達です。
先ほど買った五平餅を食べています。
それに、豚汁を戴いています。




豚汁のお接待。
私も戴きました。
美味しかったです。




おウチの中を拝見しました。
壁の芸術。伊勢型紙です。




細久手宿を出ました。
手作りのカカシが見送ってくれます。




前を歩く人達。
曲がった道が、旧街道らしい道です。





街道の所々に中山道往来の幟旗が立っています。




平岩地区へ来ました。
左に行くと松野湖。直進が旧中山道です。



平岩地区へ来ました。




平岩地区の小沢商店です。
この店は映画。「キツツキと雨」に登場した店です。
このキツツキと雨には役所広司や小栗瞬が出演していました。




街道沿いの民家。
軒に柿が吊るされています。
こんな所にも秋を感じます。




干し柿が有った民家の先。
アスファルト道から山道に変りました。
この辺りから登り坂となりました。




坂道を登って行きます。
アスファルトの道から地道で、旧街道らしい道に変りました。



今日のKオジサンの後ろ姿。




ボツボツと反対方向から歩いて来る人達と出会うようになりました。




スポーツ少年団の子供たちです。




ご夫婦が木の枝に触って居ました。
近寄って、見せて貰ったらムカゴを取っていたのです。




鴨ノ巣の一里塚です。
左右の塚が残っている一里塚は珍しいと思います。




鴨ノ巣一里塚の説明板です。





反対方向から歩く人が来ます。
路には一杯に朴葉が落ちています。




反対方向から来る人達。
坂を登ってきます。
このあたりの道は道に草が生えています。
伸びた芝生のような感触です。




中山道の遠景。
街道を歩く人達です。




津橋公民館です。
おもてなしの場所になっています。




お接待で、お茶をいただきました。





反対方向から人が歩いてきます。
街道を歩く気分が味わえる所です。



誰かが戯れた跡です。




竹やぶが美しい場所です。




反対方向から歩いて来た人達。
親子の組でした。
ファミリーでウォークです。



お休み処。
現代の茶店と言った所でしょうか。
たて笛を演奏していました。




こちらもお休み処です。



この場所は、木賃宿が有った場所なのでしょう。
表示が出ています。




これから、謡坂を下って行きます。
江戸時代の頃のモノと言うより、今の時期になって整備されたものだと思います。
それでも、石畳が江戸時代の旅人気分を高めてくれます。




この先、坂道を下ってあの場所まで下りていきます。




牛の鼻欠け坂。
この坂を牛が登り下りしたと思うと、ロマンが広がります。




歩いて来て、この辺たり。
前にも後ろにも、人が居ません。
このような状態になると心細くなります。



昔の道の雰囲気の有るところを歩きます。
それでも、前後には人が居ませんでした。




道端にコスモスが咲いています。




和泉式部廟所。
パンフに、彼女は旅の途中で病に倒れたと有ります。




柿が色付いています。




昔の街道的な道から、旧国道沿いの道に変りました。




さらに進むと、御嵩町の町に入ってきました。
直線の道路で無いので、休暇移動的ナ雰囲気か有ります。




御嵩宿に来ました。





こちらは商家竹屋と言う家屋です。
今で言う総合商社的な所です。




御嵩宿の町並みです。




中山道みたけ館です。




これから館内に入ります。
1階が図書館。2階が資料館となっています。




館内の2階が資料館で、「きちん宿」の部分を再現しています。
列車の時間の事が有り、見学はこれまでに留めました。




中山道のと折に出ると人だかりが有りました。
ここは御嵩宿わいわい館です。
乗って残そう名鉄広見線の幟旗が見えます。
広見線の廃止の声が出て来ているのでしょう。



名鉄御嶽駅に来ました。




御嶽駅の南側。
ゴールで、ゴールテープを切るようテープを張ってくれています。




ゴールして貰える完歩証が並んでいます。
いかにも、手づくりと言う感じがします。




御嶽駅の内部です。
乗車券の自動販売機が有りました。
普段は、駅員が居ないのでしょう。




これから乗るワンマンの電車。
1時間に2本の列車が有りました。




沿道の各所にカカシが立てて有りました。
手作りのカカシです。
このイベントを少しでも、盛り上げようとしている取り組みが感じられました。


感想
中山道往来。瑞浪市と御嵩町の共催でした。名鉄の駅でパンフを手に入れて、カミさんに一緒に行かないかと言いましたら、膝が痛いから辞めとくと言われました。
このイベント。誰かが言っていました。今回で5回目のようです。細久手宿から御嵩宿まで歩きました。距離にして、11.8キロとなっています。石畳の坂を通って、江戸時代の旅人はこのような旅の気分を味わったのだろうかと、旅人気分に浸りました。それでも、牛の鼻欠け坂を過ぎた辺りでは、前後に誰も居ない状態になりました。その時はイベントでありながら視界に人が居なくて心細くなりました。それを思うと、当時の旅人はさぞかし、心細い思いをしたことだと思います。
大黒屋の内部を見せてもらったり、お接待を受けたりしました。
昔の街道を歩き、往時を想像してのウオーキング。面白かったです。




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中山道 鳥居峠越え  (1,197m) 

2016-10-13 23:52:59 | 山遊すずらん会

山遊すずらん会の10月例会で中山道の鳥居峠を歩きました。薮原駅でバスから下車して中山道を辿り鳥居峠に向かいました。鳥居峠はその名の通り、峠に鳥居が有って鳥居峠と呼ばれています。御嶽山の遥拝所が有りました。峠からは鎮神社を目指して下りました。奈良井宿内は自由行動となりました。奈良井の宿場の中をブラブラと歩き、指定された定刻までに奈良井駅に到達すると言うものでした。
峠越えで昔の旅人気分を味わうことが出来、宿場町では土産物屋の中を覗き込んだり出来ました。昔の旅人気分を味わえたと書きましたが、現実、江戸時代の旅は峠越えで苦労したことだと想像します。



木祖村観光協会からいただきましたコースガイドです。
今回、下の薮原駅から上の奈良井駅まで歩きました。
途中、鳥居峠を越えました。
下へ向かうのが木曽川で太平洋へ流れます。上に向かうのが奈良井川で、その先が犀川になりそして千曲川となり、日本海へ注ぎます。
という事は、この峠は分水嶺だという事になります。



中央高速を北に向かって走っています。
前方の山々。南アルプスです。
バスは伊那インターで降り、薮原駅を目指します。




これから入るトンネルが権兵衛トンネルです。このトンネルが出来て木曽谷と伊那谷の行き来が便利になりました。
トンネルの長さが4キロ余り。少し長く感じる長さでした。




薮原駅に到着です。
歩く仕度をして、歩き始めます。
バスは、この後奈良井宿の駐車場に向かいました。



ウオーキングのスタートです。




中央線の線路の下をくぐりぬけ、中山道に出ました。




中山道を北に向かいます。




薮原宿の高札場跡です。
ここに標柱がなかったら高札場跡だとは判りません。




お六櫛の店と漆器の店です。
このような店が並んでいると宿場町らしさを感じますが、店の前を通る人がいません。
平日だから仕方がないのかもしれません。




薮原宿の中を通過します。




薮原宿のハズレまで来ました。
中央線の跨線橋を渡ります。




御鷹匠役所跡です。
この木曽地方は尾張藩の領地でした。ですから頭に尾州の文字がついています。




カラマツ林の中を歩きます。
葉の色が変わってきています。





真っ直ぐ進んで来なければならない道を右のアスファルト道で歩いてしまいました。
本来なら、右側の写真の中央に写っている石畳を歩いてこなければなりませんでした。
折角、石畳が有って旧街道らしい雰囲気のコースですが、外してしまいました。
何やら、損した気分です。



鳥居峠の説明板が設置して有りました。
これから先、いよいよ本格的な登り坂になるところです。
ここで小休止しました。
熊除けの鐘が有り、先に進むのに、鳴らしてから進みました。





秋の穏やかな光が差します。




九十九折れの登り坂を進んでいきます。




赤い木の実。
何の実か判りませんが、見つけました。




あずま屋の所まで上ってきました。
下に薮原の街が広がります。




円山公園に来ました。
ここで昼食にします。





義仲硯水です。
左側の石碑。中山道。義仲硯水と刻まれて居ますが、読み難いです。




石碑を読んでいます。
右は木祖村史跡鳥居峠と刻まれています。




昼食を終え、再び歩き始めました。




御嶽神社の鳥居です。
石の鳥居ですが、真ん中で折れていて、危険でして立ち入らないようにロープが張って有りました。
この鳥居から鳥居峠と言われるようになりました。





高度を稼ぎましたので、水平に歩くような感じがします。




ミンナが集まっています。
栃の木の群生地で栃の大木が並んでいます。
その内の1本。「子産の栃」と言う、栃の巨木が有ります。
栃に大きな穴が開いていて、その穴に捨て子が有り、連れて帰ったら幸福になったと書かれています。




峰の茶屋まで歩いてきました。




峠からは、下り坂と成りました。




坂道を下って行きます。





橋を渡るところも有りました。





光が差す良い雰囲気の所を進んでいきます。
足元は石畳になっています。




峠から下ってきました。




鎮神社まで来ました。
ここで全員写真を撮って、解散です。




神社で解散しました。
ここから自由歩行です。




宿場町の中を歩きます。




店の品。
チラッと目をやりました。




奈良井宿民芸会館。
麺類を食べる朱鷺うにヒノキの漆箸を買いました。





団体がガイドに引率されてやつて来ました。
今まで静かだった宿場町が賑やかになりました。




団体が居ませんと、落ち着いた雰囲気です。




吊るしモノ。
色々のモノが下がっています。
こう言うモノを眺めるだけでも面白いです。





こちらは笠です。
それに店先に並んでいた笠です。漢字が書いてありますが、日本製だろうか。




奈良井宿。




落ち着いた雰囲気です。




道がカーブしていきます。
この先は奈良井駅になります。




奈良井駅に着きました。




駅の改札口です。
次の列車は14時09分と表示しています。




普通列車しか停車しません。
1日に12本。
8時41分に乗り遅れると11時20分まで列車が有りません。
特急は何本も走っていますが、普通列車は極端に少ないです。




女性職員。
乗車券の販売から観光案内まで、いってに引き受けています。
向こう側に預かったスーツケースが見えます。
手荷物を預けて、街の散策に出かけたのでしょう。
普通列車しか停車しない駅ですが、朝1本。夕1本と言うように特急列車が停まれば観光客が少しは増加するかも知れません。




14時9分発の木曽福島行きが発車して行きました。
中津川へ普通列車で向かうとなると、15時19分まで待たなければなりません。
こうして、列車の運行状況を見ますと、とても不便です。




帰路は国道19号線を走りました。
後ろから「しなの16号」が抜いていきます。


今回、中山道を歩き鳥居峠を越えるというコースを歩きました。このコースはさわやかウオーキングで歩きましたし、木曽11宿ウォークでも歩きました。
何時歩いても、良いコースだと思います。




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旧北陸本線廃線跡 明治時代の近代化遺産めぐりウォーク

2016-10-09 23:54:37 | ウオーキング

「重連」とか「補機」、そして「スイッチバック」。こんな言葉の意味、判りますか。この言葉の意味が判る人は相当な鉄道マニアだと思います。
クラブツーリズムのウオーキングで、廃線となった北陸本線を歩くウオーキングツアーの募集が有りました。バスで向かうツアーの良いところはスタート地点で降ろして貰え、ゴール地点で拾って貰える事です。後になって知った事ですが、この企画は関西地区と共催でして大阪や京都。神戸からも来ていました。添乗員が話していましたが、全部で96台のバスで、総参加者が900人だと言っていました。
明治の時代のトンネルです。トンネルの建設に苦労しただろという思いと、完成してからの列車の運行ですが、急勾配を列車が走るのですが、列車の運行も相当苦労したのだろうと想像しました。


尾張一宮からのツアーに参加しました。実は岐阜、穂積、大垣と言うコースを申し込みましたが、早々に催行中止が決定しました。仕方なく、尾張一宮で乗るコースに申し込みました。
バスには4番の番号が付いています。帰りに乗るバスで間違えないようにと言う印です。
他に豊橋や名古屋などから来ていました。



北陸自動車道の杉津パーキングエリアに着きました。
皆さん、ウオーキングの仕度をして歩き始めました。




杉津パーキングの展望台です。
急いで歩き出す必要は無いので、展望台から敦賀湾の眺を楽しみました。




北陸自動車道の下り線。杉津パーキングは高い場所にあります。
ウオーキングの始まりは、坂を下って行く所からの開始となります。



前方のガードは北陸自動車道の上り線です。
ここで、弁当の引換券を渡し、弁当を受け取りました。
車の停まっている所が弁当の引き換え場所でした。
雨が降っても、開催されたツアーですので、雨の場合を想定して、ここで配布するように企画したのでしょう。




鶴文と言う弁当屋さんです。




天気予報で福井県を紹介する場合に嶺南地方、嶺北地方という言い方をします。今日、歩く山々の場所が境界となっています。そういう言い方をする事は知っていましたが、男性から教えて貰ったのは敦賀は旧国名で言うと若狭で無く、越前なのだそうです。それで、敦賀市と南越前町との境界の山塊を境にして嶺北と嶺南の呼び方でした。
旧国名で区分できなく、山々を境にしている事が判りました。
弁当を受け取って歩き出します。弁当を受け取っただけなのですが、言葉をやり取りできる事が嬉しいです。
それに知識が1つ増えました。

左の写真。ロードサインが写っていますが、この道が旧北陸線の線路だった道です。
この辺りに旧杉津駅が有りました。
当時、列車に乗ろうと思うと、下から登り道を上って来なくてはなりませんでした。
苦労したことと思います。



線路跡の道です。
この辺りは、まだ勾配はキツく有りません。




野の花。
ツリフネソウが咲いています。
他にママコノシリヌグイではないかと思う花が咲いていました。




駿河湾の眺望です。
旧線路沿いには木が繫り、眺望は良く有りませんでしたが、この辺りだけは視界が広がりました。




いよいよ、連続するトンネルが始まります。
まず、1番目は第一観音寺隧道です。




トンネル内部。
下の側壁の部分は石・布積みで、上のアーチは煉瓦・長手積みです。
文化財のプレートが埋め込まれています。



トンネル内には、弱い照明が利ました。




第一観音寺隧道の外に出ます。




トンネルの外です。
先ほど貰った弁当を食べ始めている人が居ます。
荷として持つよりも、腹に収めてしまえばと言うつもりなのでしょう。
時間は11時49分です。昼食を食べても可笑しくない時間です。
私は、ここで弁当を食べるつもりは無かったので、眺望を気にしませんでしたが、海側を向いて食べて居ますので、海が臨めたのかも知れません。



2番目のトンネル。
第二観音寺隧道です。



今日のKオジサンの後ろ姿。
これからトンネルに入ります。




第二観音寺隧道からでます。
次のトンネル。曲谷隧道が見えます。




曲谷隧道に入ります。
アーチの上部に証明があり、トンネル内がカーブしている事が判ります





曲谷隧道の内部は第一観音寺隧道と同じように、下の側壁が石・布積みで、上のアーチは煉瓦・長手積みとなっています。





曲谷隧道の内から外を眺めます。
前方に次のトンネル。芦谷隧道が見えます。




曲谷隧道から出ます。



左側の視界が広がる場所に出ました。
敦賀湾が良く見えます。
下からか対岸からか。
「我は海の子~、しーら波の~、さーわぐ磯辺の松原に~・・・・・。
煙たなびく~・・・・・。」
正午のチャイムが聞こえました。
トンネルを出たときにチャイムが鳴ったのはラッキーでした。トンネル内でしたら判りませんでした。

歩いていて、左側の木が繫り眺望が良いとは言えない状況でした。
でもこの場所は眺望が利きました。
恐らく、当時の列車からもこの景色が望めた事と思います。




芦谷隧道に入ります。
トンネルの先に次の伊良谷隧道が見えます。



芦谷隧道の内部です。
こちらのトンネルは側壁がイギリス積み。アーチは長手積みになっています。




トンネルの内壁は傷んでいます。
雨が続いた影響からか、煉瓦の割れ目から水が滴り落ちています。
この水の落ち方。小便小僧のオシッコを想像してしまいました。




伊良谷隧道に入ります。
伊良谷隧道は中でカーブしていて、先が見通せません。そのため入口に信号がもうけて有ります。待ち時間は3分だそうです。




伊良谷隧道の内部です。
痛みが来ているのでしょう。
鉄板を巻き上げています。




最後のトンネル。
山中隧道に入ります。
この山中隧道は、歩いたウチで一番長いトンネルです。





山中隧道の内部です。
ケーブル線を架けたのでしょう。
壁にフックが残っています。




避難所ですが、大きな待避所です。
保線区で使う、あの自転車式の乗り物。
線路保守の時に、ここに待避させたのでしょう。歩いたトンネルの中で一番長いトンネルです。このような待避所が3箇所ほど有りました。




山中隧道の外に出てきました。
南越前町のキャラクター。
タッピーくん&はす坊が出口で待っていてくれます。




ここは山中信号所です。
スイッチバックで待避線となっています。




待避線のトンネルです。機関車が頭を突っ込んだ形で急行や準急の通過を待ったのでしょう。
行き止まりとなっています。
白い柱が立っていますが、信号のポールだと思います。




説明板が有りまして、その中に買っての写真が載っています。




山中信号所で昼食を取りました。
先ほど渡された弁当です。
着いているのは、今庄茶飯で豆が入っています。




山中信号所。
テーブルを出していますが、あの場所でそば茶1杯。そば煎餅を1枚いただきました。
沢山の人がいましたが、出発して行き少ない人となりました。
私もこれから出発します。




先へ進んでいきます。
明らかな下り坂です。




山中隧道を出たときから谷間に反響する汽笛が聞こえました。
姿は見えなかったのですが、汽車が有るのかと思ってしまいました。
実際は、トラックに汽笛を着けたものでした。
「ボー」と言う汽笛。
私も吹鳴を体験しました。
構造的にはコンプレッサーからエアーを送り、鳴らしているものでした。




待避線跡地です。
ここではボランティアガイドから説明を聞いています。




山中信号場の待避線跡地です。




トンネルの煉瓦は四日市から運んだのだそうです。今日のように物資を運ぶ事に恵まれた時代では有りません。煉瓦を下から背負ってあげたのだそうです。
蒸気機関車を運行するのですが、粗悪な石炭が多い時代でしたが、少しでも効率よくボイラーを焚く事を求められたそうです。機関車のパワーは求められるは、石炭は少量でと言う注文。しかも、釜焚では煙との苦闘です。
そんな、場面を想像できます。





信号所の説明板です。
スイッチバックの構造を説明しています。
ガイドが言っていましたのは、待避線は水平でないと列車が動いていってしまう。
だから水平にして有ったのだそうです。




信号所の説明板です。
スイッチバックで、かつての風景の写真が掲示してあります。




信号所から先に進みます。
左が待避線で水平な線路です。
右は本線で、下って行きます。




信号所から何百メートル来ただろうか。
右が本線で左が待避線です。




道はカーブを描いて下って行きます。
前方の建物は北陸新幹線の工事現場です。




北陸新幹線のトンネルを掘削していて、内部を覗かしてくれました。




進路が下って行く事が、ハッキリと判ります。
この旧北陸線の廃線跡は1000分の25の勾配です。
機関車が喘ぎ喘ぎ登ってく姿が想像できます。
車輪の空回り。砂を使ったのでしょう。




歩いていて、後ろを振り返りました。
カーブの坂道です。




先に進むと、平坦に近いようなところです。




道は左にカーブしていきます。
先にバスが見えます。
あの場所が旧大桐駅跡です。




旧大桐駅跡まで歩いてきました。
バスが待っています。




大桐駅のプラットホームが有った所です。
ここでも、ガイドボランティアが説明してくれています。



大桐駅の説明板です。
かつての姿。
列車が入線してきています。
DF50が先頭で、後ろのSLが白煙を上げているように見えます。




ここから今庄まではバスに乗ります。
自分たちが乗ってきたバスでなく、どのバスでも構いません。
次から次えと来たバスに乗車して今庄へ向かいます。




バスに乗りました。
右ですが、南今庄の駅が見えるトコに来ました。




今庄総合事務所の駐車場です。
ここへ96台のバスが結集します。
次々にバスが入って来ました。
バスの出発時間は16時となっています。
ここから、「宿の市」の所に向かいました。




クラブツーリズムから渡された地域振興券です。

今回のウオーキング。クラブツーリズムと南越路町がタイアップしていました。
ウオーキングを終えた後、「宿の市」をウォーカーが廻るように仕組まれていました。市で買い物をする訳ですが、200円だけの買い物でなく、200円を上回った金を使います。ウォーカーにお金を使わせる。
上手い企画だと思います。




総合事務所の一角にD51が保存展示して有ります。




この写真は綺麗に映っていますが、本体は埃を被り汚れていました。
それに、盗難除けか、ランプが取ってあります。
それに、ボイラー室を開ける丸いハンドル。盗られたのか、無くなっています。




「宿の市」の方へ歩いていきます。
「しらさぎ」なのか「サンダーバード」なのか、特急が通過して行きました。



左は今庄駅です。
右は石炭置き場と給水塔です。鉄道施設に興味の目を向けないと、知らずに過ぎ去ってしまいます。
この写真を撮った時、ある男性も気づいていましてカメラに収めていました。
朽ちるに任せるのでなく、鉄道遺産として、保護して貰いたいものです。




今庄宿のパンフです。



「宿の市」のポスターです。
ウォーカーで賑わいましたが、ウォーカーが居なかったら寂しいものになります。




幟旗が経っている所で「宿の市」が行われています。




テントの下で色々のモノが売られています。
皆さん、買い物しています。
地域振興券を使っているのでしょう。




昭和会館の外観と会館の3階内部です。
3階には北陸本線の廃線となったトンネルの紹介やかつての今庄、敦賀間の状況が紹介して有りました。



館内に何枚も、北陸線の旧線時代の写真が掲示した有りました。
左は客車を補機が後押しをしています。
右はディーゼル機関車の後ろに蒸気機関車が着いています。勾配のキツイ区間での運行。苦労したことと思います。




廃線跡のトンネル群を紹介しています。




「宿の市」の会場で打ち豆汁のお振舞いです。
打ち豆汁は郷土食だと書かれています。
味噌汁の中に大豆が入っていましたが、乾燥した大豆のように感じました。
素朴な味でした。




広場のような所で羽根曽踊りが踊られています。
今回の企画のために特別披露です。




バスが集結している所に戻ります。
戻る時間でも、到着して来るバスが有りました。

別の場所でご夫婦に聞きましたら、京都から来たと話してくれました。
来る時に渋滞に巻き込まれたのだそうです。
ご夫婦は12時頃から歩き初めたと言ってました。
名古屋組である、私たちは11時10分頃から歩き始めました。
京都組は50分遅れです。私がバスの集結場に戻る時に到着した組は、スタートがもっと遅かったのでしょう。「宿の市」での買い物時間がなくなってしまったのではないかと思いました。




感想
かつて北陸トンネル群の難所だった所を歩きました。6箇所の隧道を潜り抜けましたが、往時を想像しながら歩きました。急な勾配のトンネルです。列車の運行に難儀した事だろうと思えました。
ボランティアガイドの説明が良かったです。
まだ、鉄道が完成していない時期の事です。煉瓦を運ぶのに相当苦労しただろうと思いました。ボランティアが語ってくれたのは杉津駅などは下から背負って、高い線路の場所まで運び上げたとのことでした。釜焚きで、質の悪い石炭で列車を運行させる。蒸気のパワーは上がらないわ、石炭は沢山費やすわ。苦闘の連続だったのでしょうこのような、ナマの話しがボランティアから聞けた事が良かったです。
汽笛を鳴らす体験も、面白かったです。
鉄道史の一部を見た。そんな気がしました。
ウィッキ・ペディアに旧北陸トンネル群が紹介されて居ます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E5%8C%97%E9%99%B8%E7%B7%9A%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB%E7%BE%A4




余禄
北陸トンネルは昭和37年6月10日に開通しました。開通にあわせて、記念切手が発行されました。当時、中学生だった私は郵便局の入口の列に並んで切手を買いました。


この切手、乗務員用の扉が描かれていないとか、電化が完成したのに、何故ディーゼルカーなのだという声が有ったようです。
それに北陸トンネルでは大きな列車火災が発生しています。
昭和47年11月6日の事でした。

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一宮友歩会・第64回ウォーク例会 河川探訪シリーズ・新川編Part1

2016-10-01 23:54:57 | 一宮友歩会

一宮友歩会の10月例会に参加しました。
今回は河川探訪シリーズで新川を歩くものでした。近鉄伏屋駅を出て伏屋公園に向かいました。この公園で出発式です。初めは新川の堤防を歩き、その後に赤星神社や行雲寺を廻りました。一部、佐屋街道を歩きました。河川探訪シリーズです。庄内川の堤防を歩いたりする箇所も有りましたが、多くは新川沿いを歩きました。開削記念碑や新川堤防が決壊した場所の近くに有るあし原公園を廻り、最後は名鉄の上小田井駅にゴールしました。
川の開削で出来た新しい川で、新川と名付けられました。そんな川の歴史を学ぶ事が出来ました。
近鉄伏屋駅 → 伏屋公園 → 正明寺 → 嶋井公園 → 赤星神社 → 行運寺 → 自性院 → 
八屋孝女塚 → 庄内川河川敷グランド → 開削記念碑 → 清須市役所 →  宮前公園 → 
あし原公園 → 平田橋殉職記念碑 → 名鉄上小田井駅
この日の参加者は30名だったそうです。朝の内、生憎の空模様でしたので、参加を躊躇した人がいたのかもしれません。公式には15キロの距離となっていますが、恐らくそれ以上の距離が有ったと思います。全員が完歩しました。



第64回例会のコース地図です。
http://www.geocities.jp/jk2unj/datagazou/64map.pdf
名古屋市中川区から名古屋市西区まで新川沿いを歩きました。



伏屋公園です。
出発式。そして体操をしています。




歩き始めました。
前方に見えるのが新川の堤防です。



新川の上流に向かって歩き出しました。
堤防上で後ろを振り返ります。
近鉄の電車が鉄橋を渡っていきます。
この辺り、川幅が広いです。
前日までの雨で水量が多くなっています。




関西線の踏み切りに差し掛かりました。
踏切りの警報機が鳴り出したところです。
鉄道の写真を撮る人たちが居ました。



私たちの前を上りのワイドビュー南紀2号が通過して行きます。
速いスピードで走る特急列車。アッと言う間でした。
三脚を使って撮影している人達。この列車の姿を収めていましたす。



堤防のヒガンバナは今が盛りです。
前日の雨が花に露として乗っています。




新川を渡ります。
長松橋のプレートが着いていました。





最初に寄ったお寺は正明寺です。




国道302号線の歩道橋を渡ります。
道路の先には千音寺の名古屋西JCTが見えます。




嶋井公園まで来ました。
ここで休憩です。
下見の時。高齢者のグループが、ここでグランドゴルフをやっていました。





赤星神社に着きました。





赤星神社の由来について、Mさんから説明です。
赤星神社は星をお祀りしているのだそうです。
神社にお祀りしてあるご神体で、隕石の場合が多いそうですが、こちらの神社はそのような事はないそうでした。





赤星神社の横の千音寺スミレ保育園です。
運動会をやっていました。
親さんはカメラを構えて居ます。





千音寺地区を歩いていて、市場之割。南之割。それに中ノ割と言う自治会の掲示板を見かけました。その横にはお堂が有りました。この辺りは冨田荘であり、条里制の区割りからこのような地名が残っているのだそうです。




行運寺に来ました。
入口左側の掲示ケースの中に面白い事が書いて有りました。




閉籠門の額が有り、ミンナが見上げました。




名古屋市中川区と海部郡大治町の境界です。




佐屋街道を歩き始めました。
佐屋街道は東海道の七里の渡しのバイパス的な道です。
設置してから時間が経つのでしょう。路面のプレートが読み難くなっています。




こちらは街道に面した場所で高札場跡の標識が立っています。
街道らしい姿をした道です。





自性院に来ました。
ここからは佐屋街道から分かれて北に向かいます。





自性院でYさんから説明を聞きます。




新川の橋を渡ります。
右は下流を眺めました。




歩いていて、見かけた柑橘類。
民家の塀から枝が出て実がなっていました。
ザボンではないかと言う声が聞こえました。




稲が実り、穂が垂れています。





このあたりの家々。
石垣が出来ていて、高台に有ります。
新川を開削した時に出た土の上に家を構えたのかも知れません。
少しでも高い場所に家を構えようとしたのでしょう。




前の方で立ち止まって居ます。





八屋孝女塚です。
2人の娘が孝養を尽くして亡くなり、村人が碑を建立したものです。





庄内川の堤防に上がります。



庄内川の堤防を歩きます。
河川敷を使ったゴルフ練習場が有ります。




庄内川河口より1キロのプレートが立っています。
堤防の上を歩くのは、右左の視界が広がり気分の良いものです。





黄色い管は大治浄水場から名古屋市へ水道水を送っている送水管です。
犬山から鍋屋上野浄水場へ送水していますが、こちらの水も名古屋市民の命の水です。
庄内川の堤防の向こうに名古屋駅前のビル群が見えます。
以前より、ビルの数が多くなってきています。
まだまだ、増えるのでしょう。




堤防に腰を下ろし、昼食の時間です。
広いグランド。
ここでは野球の練習をしていました。
胸に中京何とかと描かれていました。
中学生くらいの年代だと思いましたが、リトルリーグかも知れません。
前方の高層ビル群を眺めながらの昼食です。





トイレのために堤防下へ降りました。
ここは、野球の練習場になっており、簡易的なトイレを使わせて貰いました。




昼食の時間を終え、再び歩き始めました。




堤防から降りて川沿いの遊歩道を歩きます。
前方に煙突の有る清掃工場のような建物が見えます。
地図で調べましたら、名古屋市の五条川工場です。
名古屋市だけでなく、清須市や北名古屋市など名古屋市の北西部の街のゴミをいってに引き受けています。新川に五条川流れ込んでいます。五条川は入鹿池から流れ出し、犬山市、扶桑町、岩倉市を流れて来てあの場所で合流しています。





新川に架かる新川橋を渡ります。
この道は美濃路の一部です。



新川橋の上から新川の下流を眺めました。




開削記念碑で休憩です。





新川開削の説明です。




東海豪雨に寄る新川の決壊。





美濃路の歴史。




開削記念碑の有る場所はポケットパークのような場所になっています。
3枚の解説板が有りました。
ここでは、Yさんから新川開削の歴史の説明です。

尾張名古屋の北側を庄内川が流れて居ます。上流の矢田川が木材の乱伐に寄って、たびたび氾濫しました。
それに伴って庄内川も氾濫を繰り返しました。そんな状況を打開するため新しい川の開削が計画されました。庄内川のバイパス的な役目を果たす河川です。
開削を命じたのが徳川宗睦です。宗睦の少し先の殿様が徳川宗春です。宗治は将軍吉宗から倹約するように言われた人です。開削工事が何時ごろか判らなくても吉宗の享保の改革より、少し後の時代であっただろうと想像できます。




清須市役所に来ました。
市役所の庭に新川開鑿頌徳碑がありました。




ふれあい小橋を渡り、振り返ると清須市役所が見えました。




車の通行が多い道路から下に降ります。




宮前公園まで歩いてきました。



宮前公園の横に小場塚弁才天が有ります。
説明板を読んでいます。




宮前公園から再び堤防に上がり、歩きます。
前方に見えるのは名古屋高速6号清須線です。




あし原公園に寄りました。
この辺りは東海豪雨で堤防が決壊した所です。




ここでは、Yさんから東海豪雨の説明です。
平成12年9月の集中豪雨です。
秋雨前線を台風が刺激して、時間当たり90ミリの豪雨とか、豪雨の合計が600ミリ近くに及んだと話されました。
この集中豪雨は、それ程古いことでは有りません。
参加者の口から色々の記憶が語られました。




また、堤防に上がります。




堤防の上からチクノ祭りが見えました。
中小田井四丁目とあります。
祭りが終わったタイミングのようです。
ミンナで一致協力してやったお祭なのでしょう。
お疲れ様でした。




堤防を歩きます。
道の隅に彼岸花が見えます。
前方の道路は名古屋環状自動車道です。




平田橋を渡り、平田橋事件殉職記念碑へ来ました。
この記念碑は自由民権運動に伴って起きた事件で殉職した警察官を悼んで建立された記念碑です。




記念碑の前からと裏側を眺めいてるところです。
字が読み難くなっています。
自由民権運動と言っても集団で蜂起し、略奪に走る輩もいたのだそうです。2人の巡査の殉職。そして、この事件をきっかけに20名あまりが検挙されました。この一連の事件を名古屋事件と呼んでいます。




上小田井駅の近くまで歩いてきました。
ここで解散式と体操です。




解散となり、上小田井駅まで歩いてきました。


今回、殆ど新川の近くを歩きました。新川が開削された歴史。それに東海豪雨などを勉強できました。
充実したウオーキングでした。

一緒に歩いたMさんのホームページです。
http://www.geocities.jp/jk2unj/no64.htm





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南飛騨の山  仏 ヶ 尾 山 (1,139.4m)

2016-09-14 23:51:11 | 弐水会

下呂市萩原町の仏ヶ尾山に行って来ました。この仏ヶ尾山。01.03.20に登りました。もう、15年も前の事です。登ってから時間が経ち、登山口がお墓の所だった。山頂は雪が有ったと言う記憶しか残っていません。一度登った山でも、印象が薄くなっていて、新鮮な感じを受けました。
弐水会の山行計画に入っていましたので、参加させて貰いました。
カメラ画像の記録タイムから行程したものです。
墓地(9:54) ― 登山口(9:57) ― あと1.0K標識(11:20) ―  穴岩(11:32~11:34)
 ― 1,045mP(11:48~11:50) ― 山頂(12:04~12:41)  ― 1,045mP(12:55)
― 穴岩(13:06~13:08)  ― あと1.0K標識(13:17)   ― 登山口(14:18)  ― 墓地(14:20)
上りが約2時間。下りが1時間半余りで登れる山でした。
登山道に指示標識が設置してあり、あと何キロとか表示して有りました。設置してから歳月が経って朽ちていたり、読めなくなったものが目立ちました。


登山口に有った登山道の案内標識です。
登山口に至るまでに2本ほどの標識を見かけました。補助金を活用して登山口を案内してくれる事は有り難い事です。




登山口に設置してあった地図です。
私たちは車で向かいましたが、JRで行く事も出来ます。
上呂駅で下車し、浅水大橋を渡って登山口に向かいます。



登山口の北にあるお墓。
ここに車を停めて、登る仕度をしています。
お墓から登ったと思っていましたが、登山口はこの墓地の南側で、橋を渡った所に登山口が有りました。
墓地には3~4台は停める事が出来ます。




山登りに供え、準備運動をしています。




墓地から登山口に向かっています。
前方に見えるのは萩原町の町です。




登山口に、山を表す地図が設けて有りました。




登山口辺りで見かけた草花。
上の左はゲンノショウコ。そして右はホトトギスです。
右はツリフネです。が、上手く撮れていませんでした。左の花の名は判りません。





イノシシかシカか、獣害対策の柵を開けて進みます。




歩き始め。
この辺りは植林して有りました。




この辺りも植林して有りました。




登り始めて、急な登山道となりました。
あえぎながら登りました。




今日のKオジサンの後ろ姿。
急登を登っていて、額から汗が流れ落ちました。




筆境を歩きます。
境界ですので、右側と左側では、植えてある木が異なります。




あと、1.0キロの標識まで登って来ました。




進行方向に向かって右側。
木々の間から見える山ですが、山頂だと思う方角です。




穴岩まで登って来ました。




1,045mピークに到着です。




ピークから下ります。
右は人工林で左は天然林です。
照葉樹林と針葉樹林というべきか。





下って、また登りとなります。
ここも天然林と人工林の境です。
人工林は紅葉しませんが、天然林は紅葉しますので、秋に登ると木々の紅葉を楽しめるでしょう。



筆境なので、杭が打って有りました。
高田と読めますが所有者の名でしょうか。




山頂に到達しました。




山頂から見える東方の眺望です。
東側に萩原御膳が聳えます。
生憎、御嶽山は見えませんでした。(12:06)




昼食を取っていると雲に動きが有りました。(12:27)
20分ほどの事で御岳山の顔が見えました。
チラッと見えただけです。
それでも山頂の南側で、白煙が立登っているのが確認できました。
全体の姿が見たいなどと注文は申しません。僅かな時間にチラッと見えた事が嬉しいです。これだけの事で、何か得したような気分になれました。




山頂を去る時間となりました。
左は山頂。
右はこれから下山する所です。




キノコのシーズンで、毒キノコを見かけました。
左はカエンタケだと教えて貰いました。猛毒が有るのだそうです。
これまでにもカエンダケを見た事が有ったかも知れませんが、名を覚えるまでには至っていません。
実物を見て、教えて貰い1つ勉強になりました。




登って来た道を下山します。




1,045mピークまで下山して来ました。
石碑が有り、鳥居も設けて有ります。




穴岩で小休止です。

登山道を下った行きました。
下り道で下の方から列車の通過音が聞こえたのです。
音は右から左に移って行きます。
右から左へ音が移って行くので、高山方面に向かう列車です。
あの、レールの繋ぎ目の音。ガタン、ガタン、ガタンと言う音が聞こえます。
高山線を走る列車は普通か特急列車です。大抵、普通列車は2両編成ですので、ガタン、ガタンの音が短いのです。特急列車は4両とか、6両連結して居ますので、繋ぎ目を通過する音が長くなります。
これはワイドビュー「ひだ」が通過して行くときの音です。

下呂市萩原町は、西側と東側に山が聳え、真中を飛騨川が流れています。
地形的には、摺り鉢の底のような場所です。

何も感じずに下山するより、五感を働かせて下った方が良いに決まっています。
今、特急列車が通過して行くと、ミンナに声を掛けました。



下山して来て、獣害対策の柵まで来ました。
通過して、閉めておきました。



下山して来て、登山口を振り返りました。
登山口の表示が設けて有ります。




橋を渡れば車を停めた所です。
お疲れ様でした。




古いアルバム
山に登ってきて、アルバムに写真と地図を貼り記録を残していた時代が有りました。
01.03.20の時のページです。

山頂。
4人で写った写真には扶桑町から来たご夫婦に撮って貰ったと書いてあります。
下界を見下ろすと、下の町並みが見えます。
木の枝が伸びて来ています。
それだけ歳月が流れたという事が言えます。



こちらはその時、踏破した時間の記録です。


感想
仏ヶ尾山の登山コースは筆境。所有者が異なる境界線です。大部分は、そこを歩きます。針葉樹林の箇所は見るものが有りませんが、照葉樹林の所は秋に歩くと、紅葉が楽しめるのではないかと思いました。
山頂から眺望が得られるか否かで、登った山の良さが左右されます。御嶽山の西に位置する山ですので、条件が良ければ望めます。頂上に着いた時は雲に隠れていましたが、顔を見せてくれたので、良かったです。この山は御嶽山が望めるのと望めないのでは、大きな違いが有ります。
急な登り道でした。下山中、左足を捻挫してしまいました。
登山道にあと何キロと言う標識が設置して有りましたが、年月が経って朽ちていたり読めなくなったりしていました。更新することも必要です。樹木の枝が伸びて来て居ますので、伐採して眺望を確保する事も必要でしょう。

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眺望抜群の鈴鹿の山    竜ヶ岳 (1,099.6m)

2016-09-10 23:32:59 | 岳友 タンネの会

岳友タンネの会で鈴鹿の竜ヶ岳に行って来ました。男性ばかり、5名。ジジィ登山隊です。
初めは北河内林道を歩き、その後は遠足尾根に出る急な登山道を登りました。遠足尾根を歩いて山頂に向かい、山頂からは石榑峠へのコースを下りました。
本隊は宇賀渓を下るコースを辿りましたが、私は単独で旧道を歩きました。遠足尾根に出る急登を辿り、ヘロヘロになっていました。それで、単独ですが旧道を歩くコースを選びました。結果的には、何箇所か渡渉箇所があり、疲れた体で川を渡ったりすると足を踏み外してずぶ濡れになったりしたかも知れません。後で本隊の人に懸命な判断だったと言われました。
コース:宇賀渓P 8:15 → 遠足尾根入口8:41 → 遠足尾根・大鉢蜂山分岐9:56 →  
ヤセ尾根10:42
 →  遠足尾根・金山尾根分岐11:32 → 11:36クラ部、昼食12:00 → 
12:20竜ヶ岳山頂12:40 → 
重ね岩13:10 → 石榑峠13:48 → 宇賀渓P 15:34


宇賀渓キャンプ場。宇賀渓観光協会より引用。




宇賀渓駐車場から見える竜ヶ岳。
あの頂まで登ります。





北河内林道を歩くジジィ登山隊。





途中に有った水場。
竜の雫と言う看板が出ています。
水が地表を流れるのでなく、地中を流れて来てから地表に現れると言うものですので、衛生的にも良いのではないかと思いました。豊富な水量で流れ出ていました。



しばらく進むと遠足尾根の入口となりました。私たちが丁度、入口に差し掛かった時、若い男性が抜いて行きました。足取りが軽く、いかにも若い人と言う歩き方で、スイスイと登っていきました。



急勾配の登山道です。
九十九折れの登山道から直登の登山道に変りました。




登山道から、これから向かう竜ヶ岳が見えます。




遠足尾根・新道分岐に到達です。
トリカブトが咲いていましたが、時期的には遅い感じがしました。




尾根に出て、歩き易い道に変りました。




竜ヶ岳が近付いてきました。




ヤセ尾根に差し掛かりました。
左側の画像は崩落した斜面です。右は進む道で、やっと通れる幅しか有りません。
ここでNサンが誤って滑り、転落したのです。
幸い、途中で停まり、事無きを得ました。

実は、このヤセ尾根。過去に登った時の苦い思い出があります。台風が去った後にここ、竜ヶ岳に登りました。その時。この場所が崩落していました。それで、一旦下に降りて横切り、斜面を登って登山道に戻りました。あの時は通れるような幅の道が有りませんでした。




前方に先を歩く人たちが見えます。




左は男性2人と女性の組が後ろから来ました。
伊勢平野の眺望が広がる場面です。
右は3人に抜かれたところです。
若い人達。スイスイと進んで行きました。



金山尾根分岐が見える所まで来ました。
拡大すると前を歩く人が見えます。




金山尾根分岐。
男女のパーティが休憩していました。
このパーティには、私たちが昼食を取っていた時に抜かれました。



今日のKオジサンの後ろ姿です。
休憩していたパーティの1人に撮って貰いました。




大きく見えるようになった竜ヶ岳。




クラと言うポイントのプレートが下がっていました。
このポイントを少し過ぎた場所で、ここでお昼にするか、山頂でお昼にするかとなりました。
相談の結果。山頂に行っても、陽を遮るものが無いので、ここでお昼にしようということになりました。




勾配が緩く、歩き易い登山道の部分です。




歩き易いところから暫く進みました。
県境の三叉路です。



益々、竜ヶ岳が大きく見えるようになりました。
草原に点々とする樹木。
シーズンになると草原の羊の群状態となります。



山頂に到達です。
沢山の人が登ってきています。誰かが山頂に居る人を数えて40人程だと言っていました。タマタマ、カウントした時点で40人位の人。今日、1日なら、100人程になるかも知れません。それにしても、沢山の人が登りに来ています。



KIZUNA KYOTOと背中に書かれたTシャツの男性が居ます。京都から来たのでしょう。石榑トンネルが出来て関西から竜ヶ岳へ来易くなりました。それに、この山。若い人が多いです。私たちは中高年登山隊ですが、私たちと同年輩の人は見かけませんでした。竜ヶ岳が若い人に、こんなに人気が有ることに驚きました。

山頂からの眺望は抜群でした。眼下に伊勢平野が広がり、その先に伊勢湾が見えて沖を航行するタンカーが確認できました。四日市のコンビナート。そして川越の火力発電所。木曽三川が見えて、その先にはナガシマスパーランド。遠くには林立する名古屋駅前のビル群も確認できました。







こちらは滋賀県側の眺望です。八日市方面ですが、島のように見える低山。その先に琵琶湖の湖岸が確認できました。カメラの画像ではハッキリしませんが、ヒトの目にはしっかりと見えました。山頂から眺望が利くのと利かないのでは大違いです。伊勢湾と琵琶湖が眺められて得した気分です。




山頂のプレート。
これから石榑峠へ下山します。




笹の茂る登山道を進みます。
笹が繫っていますが、登山道ははっきりしています。
この先に崩落地が有り、立ち入らないようにと、表示が有りました。



山頂から急な道を下山して来ました。こちらから登る人は居ないと思っていましたが、若い単独の女性とすれ違いました。言葉を交わしたら、朝寝坊をして出発が遅れてしまったと話しました。車で石榑峠まで来て、登ってきたようです。下は重ね岩です。遠くの景色を眺望しています。そして記念写真でした。





下山しています。
砂山に差し掛かりました。




石榑峠まで降りてきました。この後は旧道を歩きます。




石榑峠まで降りてきて、ご夫婦と言葉を交わしました
。ご夫婦は何度も竜ヶ岳を訪れているようで、5月にシロヤシオが咲き、白い羊の群れが居るような景色になると話してくれました。コンクリート塊の幅は昔と変わりませんが、鎖で塞がれて居ます。






旧道を歩きます。この後、私は本隊と分かれて単独行動で旧道を歩きました。山のセオリーで、単独で歩くことは許されませんが、旧道を歩くものであり、危険箇所も無いところを歩きます。
実は、私は石榑峠へ降りてくるときにはヘロへロになっていました。遠足尾根に出るまでの急登がキッかったのです。本隊は宇賀渓ルートを下って行くことになっていました。途中、渡渉箇所が有り、疲労した体で渡渉箇所を渡らない方が良いと判断しました。






宇賀渓を降りていきます。
後ろのパーティは先ほど、山頂で見かけた人達です。
彼らは本隊と同じコースを辿って来ました。




こちらは私がたどった旧道のコースです。
長いダラダラとした道でしたが、所々に滝が有りました。




長い道を下山して来て、もう少し進むと国道に出ると言う所まで来ました。
ゲートが閉まっています。
そこへ二輪車が来ていました。
ユーターンして戻って行きます。
わざわざ通過しようと言う気持ちは無いのだろうか。
降りて来る時、1台の二輪車とすれ違いました。
無理をすれば通り抜けが出来るようです。



旧道を歩いてきて、国道421号へ出ました。
返ると、歩いて来た方向を振り帰ると来た道。そして、新しいトンネルが見えます。
石榑峠のコンクリート塊の間をすり抜けたのが13時48分です。今の時間は15時12分です。旧道を延々と1時間半近く、歩いてきました。やっと、国道に出たのですが、宇賀渓駐車場まではまだまだ有ります。
この後、宇賀渓駐車場へ着いたのが15時34分です。石榑峠から2時間近く歩いてきました。距離にしたら7~8キロは有るでしょう。 
   


宇賀渓の駐車場まで下山してきましたが、本隊はまだ到着していませんでした。
本隊の到着は私よりも早いと思っていたのです。




ベンチにかけて本隊の下山を、待っていました。
16時14分本隊が降りてきました。
竜ヶ岳を歩いていて、隊長のNさんは下山したら、「氷を食べるゾー」と言っていました。この大衆食堂で氷に有りつけます。氷を食べるのを楽しみにして歩いてきました。みんなの視線が食堂内に向かって釘付けです。
後から、私が単独で降りてきて正解だといわれました。
渡渉で誤ると、ズブ濡れとなる箇所が有ったそうです。疲労していて、無理をすると事故に繋がります。単独で下山した判断が良かったようです。



感想
人の記憶は、初めは10ですが、時が経つにつれて、それが8になり5になり最後は2か1となります。上でも述べましたが、竜ヶ岳には苦い想い出があります。台風が去った後に竜ヶ岳に登ったのです。記憶が薄くなっても、台風の後に登って難儀したことだけは覚えています。ヤセ尾根が崩壊していました。それで、下に降りて横へ渡り、登山道へ登り直して通過しました。
今から思うと、あの行動は無謀でした。でも、あのほろ苦い思いだけはず~と残ります。記録を調べてみると、その時は98.10.03となっています。もう、18年も前の事でした。時間が経っても、あの場所を通過したことだけは忘れません。
前回に竜ヶ岳へ登ったのが18年も前の事でして、今回登っても初めて登る山のような印象がしました。それに、本編でも述べましたが、竜ヶ岳がこんなに若い人が来る山だと判ったことがビックリでした。有料駐車場で何台も関西ナンバーを見かけました。石榑トンネルができて、関西から来易い山に変わりました。
竜ヶ岳は三重県側、滋賀県側ともに眺望に恵まれた山です。琵琶湖と伊勢湾が望める山です。空気が澄んでいれば御嶽や乗鞍も見えるでしょう。
今回、大きく周回しましたが、竜ヶ岳は色々のコースを取ることが出来る好い山です。     



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岳友 タンネの会 9月定例会議

2016-09-02 23:51:36 | 岳友 タンネの会

今夜、岳友 タンネの会の9月定例会が開催されました。会場は各務原市中央ライフデザインセンターです。この場所は、かつては各務原市中央公民館だった場所です。昭和52年に開館しました。横文字好きの人に寄って、横文字の施設の名前に代わりました。
そんな施設が、この9月1日にリニューアルオープンしました。
丸で新館のような建物、リニューアルです。「そっくり」さんと言ったところでしょうか。
オープンし立ての施設を利用しました。

タンネの会では奇数月の第一金曜日。
行って来た山の山行報告。
そして今後の山行計画歩テーマに会議を持っています。


会議が始まる前の時間です。
新しい会議室。
新しいブラインド。それに床や天井が新しいです。
古い施設の時代を知らないと、新館だと思ってしまうほどの施設です。



パワーポイントを使っての山行報告です。



今回は7月8月に行ってきた山行の報告です。
北岳や間ノ岳に行って来た報告。
青春18切符を使って遠征で山陰の大山へ行って来た報告などが有りました。

岳友 タンネ会のブログです。
http://cosmoblue1.blog.fc2.com/



 

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比良山系の山   蓬 莱 山 (1173.9m) 

2016-08-23 23:21:54 | 山遊すずらん会

山遊すずらん会で比良山系の蓬莱山へ行ってきました。この蓬莱山は山遊すずらん会の前身である各務原歩こう会の時代に計画がありました。平成27年5月に計画していて、天候が悪かったので中止となりました。そして、2回目として同年9月にも計画したのですが、台風の接近で中止になった山です。
新しく山遊すずらん会が発足して年間計画に入っていました。今回、8月例会の実施日が23日で、予備日は25日となっていました。
週間天気予報と睨めっこでした。23日が、思わしく無い天候で、イライラしましたが、漸く実施する事が出来ました。

バスは24人乗りのバスです。この日の参加者は24名でして満席となりました。バスで向かう山行の魅力は登山口で降ろして貰い、下山口で拾って貰えることです。今回の蓬莱山は登山口と下山口が同じところとなりますので、それ程良さを感じていませんでした。しかし、実際に山行を実施してみてバスに迎えに来て貰うようなこととなり、有り難いと思いました。

今回の山は蓬莱山です。ロープウェイで山頂駅に上り、打見山そして蓬莱山を目指すだけでは、簡単すぎますし時間が早く済んでしまいますので、小女郎峠それに小女郎池へ行って戻るコースとしました。それでも、時間に余裕が有りますので、歩いて下山する事としました。


バスがびわこバレイロープウェイの山麓駅中小に着きました。
前方の建物が山麓駅です。
登山の仕度を整えて、駅に向かいます。




大きなゴンドラです。
既に沢山の人が乗っていました。
多くの人が乗るのに対応していて、つり革が下がっています。




満員電車の中のようなゴンドラ内です。
窓際でないと外の景色を見る事が出来ません。
このゴンドラ。
乗車定員が120人余りだと説明していました。




下りのゴンドラ。
アッと言う瞬間のすれ違いで撮る事が出来ました。





山頂駅に着きました。
あの頂を目指します。




歩き出す前に準備体操です。




歩き始めました。
地面にベルトのようなものが並べて有ります。
初めは、この品が何なのか判りませんでした。




打見山の展望台からの景色です。
琵琶湖です。
先ほど渡って来た琵琶湖大橋が見えます。
左側には近江富士も見えます。




打見山から一旦、下ります。




蓬莱山の山頂に向かって歩きます。
歩いている隊列の横をリフトが進んでいきます。





今日のKオジサンの後ろ姿です。
ゲレンデを登っています。




草原のゲレンデを登っています。
山頂の方角はガスに隠れています。
ゲレンデは草原状なのですが、おびただしい糞が散らばっており、踏まないで進むのが出来ないような状態でした。
大抵のゲレンデは勾配で登るのがキツイのですが、このゲレンデは、それ程キツサを感じませんでした。




鹿の糞です。
このような糞がゲレンデ全体を覆っていました。




蓬莱山の山頂に到達です。
ここ、ケルンの前で全員写真を撮りました。




山頂の方位盤と三角点です。
一等三角点と刻まれています。




山頂から小女郎峠に向かいます。




山頂からの眺望です。
これから向かう小女郎池が見えます。




登山道を下って行きます。
笹原がジュウタンを敷いたように見えます。



良いシーンが撮れました。
向こうの雲が夏山らしい雲だと、言う事が無いのですが、




まだまだ、下ります。




ヒョウモンチョウ(だと思います)が多く飛んでいるのを見かけました。
右の蝶は羽根が、かなり痛んでいます。
越冬した蝶も知れません。でも、ここは雪の深い場所です。そのような事が出来るのだろうかと言う気もします。
何匹も飛ぶ蝶を見かけ、ここは蝶の楽園だと思いました。




今度は登り坂に変りました。




ピークにきました。
次はまた、下だりとなります。
先方に登山道が見えますが、あの道の付け根が小女郎峠です。
京都の街が見えた写真を載せませんでしたが、この辺りで、遠くに京都の街が見えました。空気が澄んでいたら京都タワーが確認できたと思います。





私たちが歩いて来て、鹿の群を見かけました。
向こうの山の潅木に隠れたのです。
見かけた時は5~6頭居ました。
右は切り取って拡大しましたが見難いです。遠くに鹿を視認した時はハッキリ判りました。
人の気配で、サッと隠れました。この鹿たちがバッコしてるのであのような大量の糞があるのだと納得です。
下山して行く時、木の幹にテープが待ってあるのを見かけました。鹿対策です。
大量に繁殖している鹿。
駆除が必要かも知れません。




小女郎峠まで下りてきました。峠に標識が設置して有りました。
右は小女郎池に向かって進みます。



池に向かう途中、このような石碑を見かけました。
恐らく、この地で遭難したのでしょう。
息子を亡くしたのだろうか。
遺族の思い・・・・・。

隊列で進んでいて、このような石碑を見落としたヒトが居るかも知れません。



小女郎池に着きました。
小女郎池の説明看板が設置してあります。




池の周りには人が歩くので、自然に出来た道が有りました。
その道を歩き周回してみます。





道沿いにトリカブトが咲いています。
毒々しい色をしています。(毒が有るから・・・・)
トリカブトが咲く時期に移ってきています。




池の周りを歩いています。
対岸から案内看板の有る場所を眺めました。
池の周囲を歩かなかった人も居ました。




池から蓬莱山方面を見上げました。
この後は、あの場所まで戻ります。




池を出発し、歩いて来た道を戻ります。
キツイ登り坂になっています。




蓬莱山の山頂が見えます。
山頂への最後の登り坂です。あの場所に到達すれば、お昼の休憩に成ります。




蓬莱山の山頂で、お昼の休憩時間を取りました。
山頂の標識をカメラに収めます。



綺麗な色をした琵琶湖です。
対岸の伊吹山が見えます。
石灰岩の採取で岩肌が削られていて、伊吹山だと判ります。




お昼の休憩を終えて出発です。
ゲレンデを下りますので、楽チンです。




ゲレンデを下ります。遠くに見えるのが打見山でロープウェイの山頂駅が有ります。
左側の大砲のような筒。製雪マシーンと言うのか、ゲレンデの雪の製造機だと思います。
冬のシーズン。
沢山のポーターが滑降する事でしょう。



打見山の山頂駅方面です。
ロープウェイのゴンドラが発車したのが見えます。




打見山に戻ってきました。
右は打見山の山頂標識です。





下山を始めました。
平日なのに沢山の人がロープウェイで上がって来ていました。
左側はびわ湖アルプス山荘です。前面にびわ湖テラスが広がっていました。
この道を、このまま下って行きましたが、途中で進めなくなり、引き返しました。




引き返し、標識のあるところから下山して行きました。
途中に有った標識は明瞭でしたが、この場所の標識は判り難かったです。




下山道の上にワイヤーが張ってあり、滑走していく人が通過して行きます。
良い表情をしています。




下山道で、ロープウェイの下を通ります。




下山道で、展望の良い場所も有りました。
湖面を走るボートが見えますが、淡水ですので、海水ほど航跡が残りません。




クロトノハゲまで下りてきました。
標識が柱から外れています。
ここから木戸峠へ向かう道が有りましたが、荒れていて通行止めになっていました。柱はその時に外れたのだろうか。豪雨で道が痛んでいました。
この下山道がキタダカ道です。
右はクロトノハゲです。登ってみれば眺望が開けたかもしれません。



花の少ない時期ですが、タマガワホトトギスが咲いていました。
上手く撮れていません。



天狗杉まで下山して来て一服です。




九十九折れの道を下って行きます。
キタダカ道は人が通るだけにしては広すぎます。
かつては、馬が荷を乗せて往来したのだと想像します。
麓から木戸峠を越え、物資の交流が有ったのでしょう。




ようやく、指示標識の有る場所まで降りてくる事が出来ました。
先方組が矢印を表示してくれていました。



キタダカ道を下山して来ました。
思った以上に時間が掛かりました。
本来なら、ここからロープウェイの山麓駅まで上がらなければなりません。
バスが下へ迎えに来てくれたのです。
このような事が有りますので、バスは有り難いです。


バスが満席となることを想定していませんでした。
でも、結果的に満席となりました。
今回の費用はバス代、高速料金や有料道路と駐車料、ロープウェイ代、それに振込手数料。全てを合計して1人分が4,500円を下回る費用でしたので、参加者から4,500円を徴収しました。これだけ安価な料金で行って来ることができました。
バスでの山行を満席で行って来る。当然一人当たりの金額が安くなります。この様なことも、メリットです。















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