Kオジサンの気の向くまま

日々のあれこれ・・・・・思いつくまま

彩美会  銀行ロビーで展覧会。前期から後期へ作品の模様替え

2016年05月31日 20時25分53秒 | 彩美会

今日は5月31日で、月末の日であります。
今月は、彩美会で、大垣共立銀行のロビーをお借りして絵を展示させて貰っていました。月が変わるので展示品替えの日でした。


大垣共立銀行の雄飛毛ケ丘出張所のカウンター。
出張所長以外は女性のようです。

ですから、柔らかい雰囲気があります。

絵の交換の為に15時前でしたが、伺いました。




5月に展示していた絵を撤去し、6月用の絵と取り替えます。
出張所長さんが、脚立に乗り、展示を手伝ってくれました。



こちらが6月の絵。
5点が出揃いました。


絵を見て貰えるという事は、制作するものにとって励みとなります。
女子行員が話していました。待っている時間、絵に見入っている客が居るそうです。
趣味としてやってきて、人様のお役に立っていると言って貰えた事が嬉しいです。

5月から銀行ロビーに展示していました。この銀行の出張所へ行ったのは、始まってからだいぶ立ってからでした。
その時のが、これです。
http://blog.goo.ne.jp/gifu2212/e/8ab124f550ccbe84aa3c403088dd7633


〒504-0834
各務原市那加昭南町101-1
大垣共立銀行雄飛ケ丘特別出張所
058-389-2911
http://shop.okb.co.jp/b/okb/info/51/

 

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海よりも まだ深く

2016年05月30日 23時09分34秒 | 映画


一度だけ、文学賞をとった男。その後は鳴かず゜飛ばす。
カミさんとはとは、離婚して今は独り身。
息子が居るが、元嫁が親権を握っていて、自由な会えない。探偵事務所で仕事をやっているがボーナスが貰えないような、貧しい男。分かれている息子と会うにも、金がなく、借金をして会うような状態。

母親、淑子が樹木希林。
嫁さんは、樹木希林のヒョウヒョウとした、中年女性の役を遣らせたら、右に出るものは居ないと言っていた。
私も、そう思います。

台風が接近して、元家族が同じ屋根の下で・・・・・・。

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歴史勉強会 ヒストリー各務野会    「各務野の大地に記録された自然災害と減災への心構え」

2016年05月27日 23時36分25秒 | ヒストリー各務野会

今日のタイトルは、各務野の大地に記録された自然災害と減災への心構え--2 です。
実は、前回は欠席しましたので、講師が鹿野さんと言う名前しか判りません。何か、ご様子では高校の先生をやっておられたようです。前回が講義でして、今回は現地学習です。
美濃市から現地に向かいましたが、遅刻でした。



現地見学の地図です。
2.3.5.6.の地点を現地見学しました。




2番の場所 山脇町

山脇町の現地に来ました。
もう、話は始まっていました。




各務原層の砂層が分布します。




先生が高い場所に上がって説明されます。




砂層です。
堆積して来た事が判ります。
黄色い線が横に横切っていますが、御嶽の軽石が入っているのだそうです。




実物を取ってみました。
もろい砂の塊です。


3番の場所 木曽川堤

木曽川の堤防に上がります。




この辺りが天正地震で決壊したところです。




今は家屋が並んでいますが、当時は勿論このような家々がない時代でした。
ここを濁流が流れました。




堤防道路です。

今でこそ、立派な堤防がありますが、当時はこのような堤防が有りませんでした。


5番の場所です

伊木山の中腹で北の方角を眺めます。




洪水の時に川の流れが大地を洗いました。
水が削り段丘崖が出来ました。
樹木が並ぶラインがそれです。




同じ伊木山ですが、こちらは不整合とくさり礫層の場所です。




説明する鹿野先生。




不整合の説明板です。




覆土が覆っていますが、除去すれば現れると話していました。




危ない場所まで指差して説明です。


番号6の場所です

鵜沼西町。
木曽川泥流堆積物の現地です。
御嶽山からの泥流を木曽川が運んできました。
何万トンもの膨大な量です。
狭い川幅で流れて来て大地が広がる場所へ来て、一機に広がった泥流。
溢れる泥流が堆積物として積もりました。





堆積物が積もった後です。


何万年もの時間の流れ。
そんな、何万年も前の時代に思いをはせます。
幾度と無く氾濫した木曽川。
今回、現地学習で、それらの現地を見学しました。
身近な所に研究に好材料の場所がある。
このような素晴らしい場所を保存していくと供に、子供たちへの教材用に生していかなければならないと話していました。



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Kオジサンの家庭菜園日記  ニンニクの取り入れ

2016年05月26日 22時46分56秒 | 家庭菜園日記

ニンニクの葉が枯れて来ました。
ボツボツ、取り入れの時期を迎えました。
それで、取入れを行いました。


収穫できたのは10個ほどです。





こちらはアップで。
葉が小さかったので、ニンニクは大きくなっていないと思っていましたが、これだけの大きさなら、マズマズです。

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Kオジサンの家庭菜園日記  サツマイモの苗を植えました

2016年05月25日 22時24分38秒 | 家庭菜園日記

今シーズンのタマネギの出来具合は、良く有りませんでした。
育ち方が悪いので、邪道といわれるかも知れませんが、タマネギをそのままにして、そこにサツマイモの苗を入れました。買って来た苗。表示は20本となっていましたが、数は21本有りました。


買って来た苗です。




タマネギがあるところへサツマイモの苗を入れました。




こんな、状態です。




こちらはサトイモ。
4月13日に植えつけた種イモが、芽が出てきました。
全部で17です。


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オジサン達の遠足  高山線の旅 Part2 (第2日)

2016年05月23日 23時32分19秒 | オジサン会

昨年の2月にも、同じようにこの場所に泊まりました。
その時、翌日は高山へ向かいました。
それで、今回。第2日目は飛騨古川に向かいます。
飛騨古川へ行くのに、急がないので、普通列車で向かいます。

飛騨古川へ

朝、下呂駅で買った乗車券。
今日は飛騨古川へ向かいます。



下呂駅の駅舎内です。
名古屋行きのひだ4号が停車しています。
もう、間も無く発車です。




下呂駅の駅舎の中にこんな表示がして有りました。
「下呂駅今昔物語」と言うタイトルを付けて、下呂駅に纏わる事柄が貼られていました。
これを見ると、高山線の歴史がわかります。
右側の下呂駅開業ですが、線路の建設が南から進んできたのが判ります。
その下に写真を表示していますが、当時は列車が来るということで、凄い盛り上がりが成ったのでしよう。それこそ、汽車が来るということで近郷近在から汽車を見に来たのでしょう。
左側。富山から建設が進んできた飛越線。神岡町や数川高原を避けて宮川沿いになされた鉄道建設です。
トンネルが多く相当、難工事だったのでしよう。
昭和9年10月25日。高山線全通と有りました。
当時、飛騨の人にとって高山線が全通する事が悲願でした。そんな鉄道が完成しました。喜びは大きなものが有ったと想像しします。
その高山線が完成して80年余りが経ちました。
山間部は通常レールですが、直線部はロングレールに代わっています。枕木もPC枕木になっています。そして無煙化。あの頃からは隔絶の感があります。



8:54
普通列車の飛騨古川行きが入線してきました。




普通列車の車内。
高校生の通学時間帯が過ぎで、空席が有る車内になっています。




下呂駅をスタートした列車です。
列車は、直ぐに益田川を渡ります。
昨日、下呂大橋から見たのと、同じシーンです。
運転席の前方に益田川の鉄橋が見えます。
右側は渡っている益田川です。

この川の呼び方は、益田川が正しいようです。
飛騨川だと思っていました。
かつては益田郡。今は下呂市となりました。益田郡を流れていて益田川、同じ川が途中から飛騨川と言う呼び方に変わります。岐阜県人でも知りませんでした。





列車の車窓から。
間も無く、禅昌寺駅です。
益田川を渡り、国道41号線を越えます。
国道を走る車が少ないです。
東海北陸自動車道ができて走る車が減ってしまいました。



列車の車窓から。
41号を走るクラブツーリズムのバスが見えます。
この時間に、ここを走っているのなら、昨日は下呂温泉に泊まったのでしょう。
東海北陸自動車道が出来て、下呂温泉に訪れる観光客が減ってしまいました。




9:43
列車が久々野駅に停まりました。
特急列車の通過を待ちます。




9:53       9:52
左は下りの特急。ひだ7号です。
右は登りの特急で、ひだ6号が入線してきます。




9:54
普通列車の後ろから来たひだ7号が追い抜いていきます。




9:59
特急列車が通過しても、直ぐには信号が変わりませんでした。
信号が青に変わり、発車します。
時刻表には9時41分に着いて、56分の発車となっています。で、20分近い停車時間が有りました。





目で見て、勾配が有る事が判る線路を登ります。




宮峠のトンネルに入ります。



列車がトンネルを出まして、前方に田園風景が広がります。




列車の車窓から。
勾配を下って行きます。
右側には田植えの終わった田が見えます。




列車の車窓から。
薫風に泳ぐ鯉のぼり。
飛騨地方では1ヶ月遅れで節句を行います。




まもなく、飛騨古川駅に着きます。
私たちは下呂から乗車しましたが、この列車は6時53分に岐阜駅を発車した列車です。
3時間半以上と成る長い距離を走ってきました。
お疲れ様でした。




10:39
飛騨古川駅のプラットホームです。


飛騨古川の街を散策

飛騨市の作成した古川の中心部の地図です。
これから古川の街を散策します。




飛騨古川駅です。
駅前は人が少なく、閑散とした感じです。
これから荷をロッカーに預け、街に出ます。





古川の街を歩き始めました。




古川まつり会館の表。
池で鯉を飼育しています。
人を見かけるエサが貰えると思って、寄ってきます。






起し太鼓の里の説明。



古川まつり会館です。
これから入館します。



館の内部は広く、まつり屋台が展示して有ります。




屋台で所作をするのと同じからくり人形。
アッという瞬間の所作。
一瞬の所作で面を被りました。



古川まつりを3Dで紹介するホール。



3D画像ですので、画像がボケて撮れます。
夜の祭り。
そして昼祭りです。



ホールの内部。
まつり屋台を展示換えしたりすると、係りの人が説明してくれました。
屋台を入れるためターンテーブルが備わっていますが、屋台を入れる時は相当な労力だろうと想像しました。




越し太鼓を小さい人形で表現しています。
大きな越し太鼓にに向かって、つけ太鼓が突進する。ソレを防ごうとする人々。
荒々しい男のまつりが繰り広げられます。




ヒモを引くと人形が動きます。
操作を試してみました。




こちらは絵馬の絵を描く女性です。
ウチの隣の日下部さんは高山の出身です。玄関に家に走りこむ馬の絵が飾って有ります。高山の絵馬は知っていましたが、古川の絵馬は知りませんでした。
高山まつりは有名ですが、古川まつりは余り、知られていません。高山の絵馬はニュースで取上げられていました。2,000円3,000円を二千両三千両と言って商いをやっていました。
祭りも絵馬も高山の影に隠れてしまっています。




帰宅してから、玄関にカミさんの伊勢型紙に並べて飛騨絵馬を掲げました。




買って来た飛騨絵馬。
額縁に入れました。
我が家で、外から運が舞い込んでくると良いですね~。
宝くじでも買って見ますか。

会館内で飛騨絵馬を描いていた作家を紹介します。
山口綏星さん。スイセイと詠むのだと思います。幼い頃から絵と星に興味を持ち色々の活動を続けてきたと有ります。ご自身で手づくり天文台を作るなど星にも深い造詣を持っておられます。

この絵馬を買い求める当たって思い浮かんだのは日本人の馬に寄せる思いです。モンゴル人は騎馬民族で馬とかかわりが有りますが、日本人は別の面で馬に対する思い入れがあります。
岩手県の家屋に南部曲屋と言う馬と一緒に寝起きする家屋があります。それにもうすぐ始まる、滝沢村のチャグチャグ馬っ子。滝沢村は滝沢市に変わって居ます。そして相馬の野馬追い。各地で行われる流鏑馬。
馬を飼う所が少なくなってきましたが、日本人の、馬に寄せる気持ちは長く続いています。




まつり会館から外に出ました。
まつりの太鼓の蔵です。
男性が太鼓を叩くと「ドン」と大きな音がしました。
みんながその音にビックリしました。




古川の街を散策します。




蒲酒造場。
杉玉が下がっています。




街を散策していて無人販売所を見かけました。
この時は無人でなく、人が居ました。
並ぶ品々。
ここで、朴葉を買いました。
10枚入って100円でした。
持って帰り、朴葉寿司を作ろうと思ったのです。





自宅で、カミさんに朴葉寿司を作って貰いました。
朴葉の香が寿司に移り、美味しかったです。


瀬戸川沿いを散策

瀬戸川です。
瀬戸川の横を散策します。




落ち着いた雰囲気がします。

クラブツーリズムのワッペンを付けた人の団体が来ました。何処から来たのか聞きましたら関東方面からでして、1泊だけの旅行だと話しました。松本から安房トンネル通ってくると簡単に来れます。
古川なら混雑する高山より、落ち着いた雰囲気が楽しめます。




瀬戸川で泳ぐ鯉たち。
ここの鯉は毎年、冬を迎える前に池に移されます。
そのようなシーンがテレビのニュースで流れます。
冬を迎えるのに鯉を池へ移送する。
そんな行為も冬を迎える古川の風物詩だと言えるでしょう。




瀬戸川と柳。




外国人が休んでいます。




このシーン。
ここからの風景が良く、ポスターにも使われる角度です。

雪の中の三寺参り。
この場所が良く使われる場所で、若い女性たちがロウソクに向かって手を合せます。


飛騨ともえホテル

お昼の時間であり、昼食とします。
駅前の宿。
飛騨ともえホテルに入ります。



飛騨ともえホテルのパンフです。




囲炉裏を囲んでの昼食です。
私が注文したのは、ざる蕎麦定食です。
ざる蕎麦。
少ないように見えますが、量は結構有りました。
煮物も美味しかったです。

宿のヒトと話をしました。
古川まつりは、毎年4月19日と20日です。
19日は3年先まで予約が入っているのだそうです。

私は古川まつりを見物した事が有ります。
もう、20年近く前の事となりました。
夜まつりで屋台の運行。そして起太鼓を見物しました。
その時は古川町内で泊まる事が出来ず、数河のペンションに宿泊しました。
古川まつりが見物できた良い機会でした。息子がラグビーをやっていて、父兄同士のお付き合いでした。お世話くださったのはOさんでした。
あの時。翌日、20日は荘川さくらを愛でに出かけました。
丁度、満開の時期でして良い思い出が残っています。

帰路へ

帰路は特急列車で戻ります。




ひだ14号が入線してきました。
3両編成で富山から来ました。



自由席の列車に乗車しましたが、満席に近い状態でした。
それでも私たちのグループは座る事が出来ました。
立っている外国人夫婦。
朝、私たちと同じ列車で古川駅に降り立った人達です。
私たちと同じように古川の街を散策して戻るところです。



富山から来たひだ14号ですが、3両編成で8号9号10号車でした。高山駅で3両増結しました。増結したのは1号2号3号車となっていました。富山からの列車は何故この号車番号なのだろうと思いました。
高山駅で増結した車両に、全部の人が乗り、こちらの車両には誰も乗って来ませんでした。

高山駅で乗客が下車した後の状態です。
ほとんどの人が下車しました。
それにしても、こんなに外国人が多いとは知りませんでした。
白人に中国人。沢山の人が高山駅で下車しました。
上でも述べましたが、二人の外国人が私たちと同じ列車で訪れ、同じ列車で古川を去りました。このように古川に目的の有る人とは訪れますが、高山の影に隠れて古川は注目されていません。
アレだけたくさんの外国人の内、半分でも古川を訪れてくれたら活性化に繋がることだと思います。

久々野駅で対向の特急列車とすれ違いました。
高山線は単線です。
ほとんどの特急が久々野駅ですれ違うようです。


感想
高山線を使って下呂温泉。そして飛騨古川への旅でした。
古川には僅かな時間しか、居ることができませんでした。過去に古川に訪れた事が有りましたが、まつり会館に入館したのは初めてです。ここでも飛騨絵馬が描かれているのを初めて知りました。絵馬作家と言葉を交わしましたが、良い思い出となりました。
自分へのお土産で、蒲酒造場の酒と渡辺酒造場のお酒を買ってきました。呑み比べが出来ます。
飛騨市と言うと、池ケ原湿原があります。この湿原に行った事が有ります。また、天生湿原へも出かけた事が有ります。この地方は好い山も多く、魅力的な土地です。
同じ岐阜県でありながら、飛騨は遠い場所です。
今回の古川散策は駆け足で廻りました。飛騨古川を旅し、楽しむ事が出来ました。またの機会にも出かけたいです。

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オジサン達の遠足  高山線の旅 Part2 (第1日)

2016年05月22日 23時42分31秒 | オジサン会

オジサン達5人で高山線の旅。
第1日目は下呂温泉で宿泊しました。
夕食の時間に間に合えば良いので、早くからは出かけませんでした。
急ぐ必要の無い旅。
それで、普通列車で出かけました。


オジサン達5人。
平成〇〇年に、一緒の年に卒業(退職)した仲間同士です。
時々、一緒に呑んだりしています。
そして、タマに、このようにして、日帰りや1泊旅行で出かけています。下呂行きには、昨年2月にも出かけました。久し振りに顔を合わせ、色々の事を話す機会を持てました。



那加駅から下呂駅までの乗車券です。
那加駅は無人駅ですので、前日に名古屋へ行った際に買ってきました。




13:25
飛騨古川行きが入線してきました。




普通列車の車内です。
座席に、少し空席が有る状態です。


もう直ぐ、美濃太田です。
列車の最後部です。
スピードメーターの針は90キロを差しています。
右は線路。
PC枕木の線路で、ロングレールとなっています。




列車は飛騨川沿いを走行します。




列車は景色の良い所を走っています。
飛騨川の水をせき止めている上麻生ダムが見えます。
このダムの下手でバスが転落するという大事故が発生しました。
飛騨川を流れる濁流。
濁流に没した大型バス。
濁流が音を立てて流れていました。一時的にゲートを降ろして水の流れを止める。そして、バスの車体を現れさせる。そんな事が行われました。
昭和の頃の遠い記憶です。

ダムは満水状態の飛騨川。
反対側をトラックが走っています。
向こうからも川越しに、こちらの姿が見えたことだと思います。




普通列車同士が、飛水峡信号場で交換です。




こちらは駅での交換です。
登りの特急列車が通過します。
飛騨金山駅を通過する、ひだ12号。




清流、飛騨川の流れ。
右側から左側へ川が流れています。
列車は右手。
上流に向かって走っています。
荒々しい岩が見えます。




すっかり、田植えの準備が整った田。
もう、田植え本番を待つばかりの状態になっています。



下呂駅に着きました。




沢山の人が下りてきました。
列車の中は誰も居ないような状態になりました。



下車して、跨線橋を登り、改札口に向かいます。




改札口です。
何軒か旅館の人が迎えに来ています。
何人かの人が下車しました。
ミンナ、今夜はここで泊まる人達です。




まだ、時間が有りますので、宿へは歩いて向かいます。
下呂大橋を渡ります。
向こうの鉄橋。
先ほど乗ってきた列車が、鉄橋を走って行くのが見えます。




私たちが乗ってきた、飛騨古川行きをアップで。
2両編成のキハ25です。益田川の橋梁を渡っていきます。
列車時刻を調べてみると下呂着が15時14分で下呂発が15時25分となっています。




宿に向かって歩いて来て、温泉寺の前まで着ました。




宿に到着しました。
夕方で、従業員の人が出勤です。




宿の玄関です。




今夜のお料理のメニューです。




先付けや前菜です。
エビに乗っているのが自家製唐墨で、珍味でした。




こちらは刺身やローストビーフの皿です。




ゆっくりと歓談するオジサン達。
ビールが進みました。


久し振りに5人が顔を合わせました。
近況報告やら、かつての事。
話の種はつきません。



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5/18、油脂の世界を覗いてみよみゃぁ~   太田油脂㈱を見学

2016年05月18日 21時52分00秒 | 見学 ゆうゆうなごや

今日は、「ゆうゆうなごや」で岡崎市の太田油脂を見学する計画になっていました。集合場所はJR岡崎駅でした。ところが、私は間違えて名鉄東岡崎駅に行ってしまいました。一旦、頭に誤ってインプットしてしまいますと、中々修正が利きません。集合場所に集合時刻になっても、誰も現れません。この段階で焦り出しました。リーダーと連絡を取りました。そして、資料を確認したら集合場所を間違えていたと気がつきました。それで、急遽、タクシーで太田油脂へ直行しました。
遅れて辿り着き、合流できました。合流ができたのですが、タクシードライバーが太田油脂の場所を明確に知っておらず、工場の方に車を付けてしまったので、社員の方に迎えに来て貰うハメになりました。
うかつでした。
遅れてでしたが、合流できてヤレヤレと言う気分。リーダーに迷惑をかけてしまって申し訳ないという気分。複雑な心境でした。

私が到着して、早速DVDの試写から進めてくれました。
担当してくれたのは柴田さんと言うお嬢さんでした。
太田油脂は明治35年に創業してから100年と言う社業を続けてきたという紹介から始まりました。
食用油の説明です。太田油脂は食用の油を製造している説明していました。油には「油」と「脂」があると言いました。この時、私はハットしました。脂と言う字は月(ニクズキ)に旨(シ)と書きます。旨(シ)と言うのは美味いという意味です。例えば、食レポーターが、豚肉で、甘味が有る美味しい脂の味がする等と言ってレポートしたりします。まさに、脂は「旨い」言う字が使われている事に、その時、気が着きました。



あぶら館と言う建物です。
見学者用の視聴覚室と売店が設けて有ります。
遅れて来た私を綺麗なお嬢サンが迎えに、出て来てくれました。



玄関のウエルカムボードに私たちの名を掲げて向かえて貰えました。



DVDの試写です。
エゴマの花です。エゴマと言うとゴマの仲間と思いがちですが、シソの仲間です。
オメガ9脂肪酸、オメガ6脂肪酸、オメガ3脂肪酸と、各種有りますが、オメガ3脂肪酸は体内で製造できないので、食品から摂取する必要が有ると話されました。
また、油を製造する工程ですが、1.搾油。2.脱酸。3.脱色。4.脱臭。と言う過程で製造していきます。原料から搾っていき、色や臭気を除くようにします。その行程は真空で行うと言っていました。



DVDを見た後に工場に向かいました。
こちらは原料を入れるサイロです。
トラックで運んで来た原料がこの中に貯蔵される訳ですが、運んで来る車はダンプカーのような車なのだそうです。有蓋のダンプを想像しました。車を傾斜させ原料を投入すると言っていました。



右が搾油工場で、脱酸、脱色工場へと続いていきます。
工場と工場は4~5本の鉄パイプで結ばれて居ます。このパイプで油を移送しています。
油でも、菜種油とかごま油と、色々の油が有りまして、ローテーションで製造していると話していました。
想像ですが、今週はサラダ油の週だとなる訳です。



こちらは包装工場です。
遅れて来た時に外から撮影しました。
案内された時、こちらの内部を小窓から見せて貰いました。
コンベアを油のボトルが流れて来て、箱に詰める作業をしていました。





あぶら館に戻り、ごま油を搾油する体験です。



ジャッキを使って、下から押し上げ圧力をかけます。
ジワ~とごま油が出てきました。
あの、ごま油の香ばしい臭いが漂って来ました。



ごま油を搾った後の状態です。




油の違いのテイスティングです。



一般的な、えごま油と同社製のえごま油を試してみました。
同社の油の方がさらっとした感じでした。
色が薄いのは精製すると色を除去できるからだそうです。

精製と言う言葉。
柴田さんと話していたのですが、例えば砂糖。
砂糖を精製すると、黒砂糖から白砂糖に変わて行きます。そのようなものですねと喋っていました。




最後に。
社屋の表に置れていた石。
この時、私はこの石を見て何とも思いませんでしたが、道祖神だという声が聞こえました。



感想。
蒲郡駅の南にごま油の工場が有ります。清水港でクルーズした時も製油工場を見かけました。何れも、海に近い場所です。原料の調達からどうしても、海に近い場所となるのでしょう。
今回は内陸地の製油工場を見学しました。DVDの中に昭和35年頃の旧工場の姿が写りました。それに「あぶら館」の中にも搾油の器具が展示して有りました。
前時代は手仕事的に進めていたのが、近代的な工場へと代わってきたのが判りました。特に包装工場は一昨年の秋に新工場が完成しました。最新鋭の設備となっていることと思います。
100年続けてきた製油業。そのようなものを感じました。

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彩美会  銀行ロビーで展覧会。

2016年05月17日 23時42分15秒 | 彩美会

今月の2日から大垣共立銀行の雄飛ケ丘特別出張所のロビーで絵の展覧会を始めました。私が参加している彩美会の人達に寄る展示会です。5月の展示と6月の展示となっていまして、私の作品は今、展示しています。

絵画展と言うとオーバーですが、銀行の一角に絵を展示しています。
前期が5月で後期が6月となっています。




大垣共立銀行の特別出張所でやっています。
利用者が少ないのか、支店で無く特別出張所です。




5月は6枚の作品を展示しています。



どうしても、蛍光灯の光が映ってしまいます。
小作品ですが、皆さんに見て貰えると思うと、意欲に繋がっていきます。


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64 ロクヨン  前編

2016年05月16日 21時35分42秒 | 映画

64を観て来ました。
昭和から平成に元号が変わった時期。
少女が誘拐され、遺体で戻ってきました。
そんな事件。
警察内部のドロドロとし動き。
主人公の三上。
三上の娘が失踪した事が並行して進んでいきます。


物凄い脇役陣でした。




後編も見たくなった結末でした。

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