第四回の徳川御三家附家老サミットが海津市文化センターで開かれました。
このサミットには茨城県の高萩市。和歌山県の田辺市と新宮市。そして愛知県の犬山市と岐阜県の海津市が参加しています。このサミットは高萩市が提唱し、スタートしたものです。徳川御三家で、水戸家。紀伊家。尾張家とそれぞれの徳川家を支えてきたのが附家老です。
単なる家老職でなく、家康からの命で水戸家を中山氏が。紀伊家を安藤氏と水野氏。尾張家を成瀬氏と竹腰氏がが支えてきました。
徳川御三家を附家老五家が支えてきたのです。お互いに徳川御三家の五附家老で、共通していると言う事から、サミットを開こうとスタートしました。
徳川美術館の原 史彦氏による記念講演が有りました。
「徳川尾張藩の動向と附家老」と言う演題でした。
尾張家は藩祖が徳川義直です。
江戸時代。若くして亡くなるケースが多々有り、この高須藩から後継者として養子を出していたのだそうです。
お家を断絶させないよう、色々と取り組んだことだと思います。
この「徳川御三家附家老サミット」ですが、開催場所を持ち回りで回しているようです。平成22年に第2回として、成瀬家との関係から犬山市が担当して開催した模様です。
犬山市の寂光院へ行ってきました。
平日でも、けっこう参拝客が訪れていました。クラブツーリズムの旗を持った添乗員がいましたので、どちらから来たのと、聞きましたら、神戸からと答えてくれました。
関西から訪れるとは、寂光院は有名なのだと思います。
この階段を登り切ると本堂です。
帰り。
紅葉した「モミジ」が頭上を覆います。
寂光院のモミジの葉は全般的に小さ目で可愛いです。
モミジの葉をアップで。
紅葉の時期。
最後のモミジを愛でて来ました。
離れた氷室の信号脇に車を停めて歩きました。
寂光院に駐車場が有りますが、駐車場に入る車が長い列を作っていました。
少し、離れた場所でしたが、歩いて正解だったと思いました。
ショウガを収穫しました。
このショウガはいわゆる種ショウガとして売られているモノでなく、普通の泥ショウガを植えたものです。3株、芽が出て今日、収穫しました。
3株掘り起こしました。
アップで。
食べ易い大きさに刻んで、甘酢と醤油に漬けました。
泥ショウガでしたが、何個入れたか忘れてしまいました。
1パックで5~6個だったと思いますが、3株でも収穫できて良かったです。
航空自衛隊岐阜基地の航空祭に行ってきました。
航空祭に出かけたのは、子供が小学生の頃に行った事が有るだけで、20年ぶり位になります。久し振りの航空祭でしたが、ファミリーで訪れるなど様子が違って来ていました。
航空祭のパンフです。
この柵の中が岐阜基地の基地内です。
沢山の人が入っています。
多くの大型観光バスが訪れていました。
トラピクスのシールを付けた人がいて、言葉を交わしましたが、大阪の梅田を6時半に出てきたのだそうです。
料金は6,980円だそうです。
また、別の人は奈良から来たそうです。
西大寺からは3台のバスが出たのだそうです。
関西各地から、何台もバスが出ているのでしょう。
これから基地の中に入ります。
岐阜基地の正門です。
飛行機を見るため沢山の人が陣取っています。
ブルーインパルスの展示飛行が始まります。
離陸しました。
煙幕を流して。
偶然ですが、上空を飛行する旅客機が写っていました。
垂直の飛行です。
滑走路の上を飛びます。
背面飛行です。
編隊で。
滑走路を低空で横切ります。
民家の上空も飛行します。
帰還します。
着陸してエプロンに向かいます。
凄くたくさんの人が訪れていました。
沢山の人とブルーインパルスの機。
ブルーインパルスの機。
正面から
正面から
救難訓練の展示が有りました。
発炎筒を炊いて助けを呼びます。
救難ヘリからパラシュートで落下しました。
救難隊員は3名でした。
ヘリから救命用具が垂らされて。
救助して吊り上げられます。
救難ヘリをアップで。
異業種機の編隊飛行です。
久し振りの航空祭でした。
各務原市民は飛行機が珍しく無く、いつもは航空祭の時に、非難と言いますか、他所に出かけていました。航空祭がこんなに混雑するものだとは思いませんでした。
それに、時代の流れなのか、電磁してある飛行機が違って来ていましたし、航空祭の雰囲気が変わったように感じました。
何万人もの人が訪れる航空祭です。
少しでも、市が潤うようになればと思いました。
バスで訪れた人は弁当を持っていました。
この弁当を市内の業者に注文して貰うという手も有るカモ知れません。
信州。飯田市郊外の喬木村ではりんごの樹のオーナー制度を実施しています。
1本のりんごの樹から何百個ものりんごが収穫できます。
1軒で一度に大量で、何百個のりんごを手にしても、持て余してしまう。
それで、カミさんの兄弟で1本のりんごの樹のオーナーとなりました。
今日はその、りんごの収穫祭があり、喬木村へ行ってきました。
来シーズンのオーナー募集のパンフレットです。
収穫祭の会場はたかぎ農村交流研修センターです。
センター横のコープたかぎの駐車場には各地から訪れた車が溢れていました。
名古屋ナンバーや浜松ナンバーを見かけました。
都会から喬木村への距離は、ほど良い距離で、りんごの収穫に訪れ易いのでしょう。
りんごの樹のオーナーの横断幕が掲示して有りました。
収穫祭では、豚汁のお振る舞いが有りました。
女性3人が大鍋で作り、発泡容器に入れて渡してくれます。
豚汁を貰う長い列が出来て、列に並びました。
いただいた豚汁です。
収穫祭では餅投げが有りましたが、会場にいる人が多く、私が立っていた場所までは飛んで来ませんでした。
センターの内部は、オーナーの受付場所となっていて、りんご園の場所の案内をしていました。
4箇所のリンゴ園が有り、地図を渡してオナーの、りんごの樹の場所を案内していました。
また、来シーズンの受付もしていました。
私たちの樹の有る中原木林に来ました。
車の横がりんご園です。
前方には飯田の麗峰である風越山が望めます。
北の方角には新雪を被った仙丈ケ岳も見えました。
りんごの樹は想像したより、若い木でした。
オーナーのプレートが下げられていました。
樹の全体。
沢山、実っています。
枝のりんご。
りんごをアップで。
幼児も取り入れに参加です。
私も収穫に加わりました。
収穫したりんごをプラケースに。
これだけ収穫できました。
全部で150個余りでした。
これを3家族で分けたのです。
園のおばあさんが振る舞いしてくれました。
ここのりんごは「ふじ」だと教えて貰いました。
りんごに袋を掛けて育てたのが「サンふじ」で、無袋で育てたのが「ふじ」だそうです。
無袋で育ったりんごは雨風や虫の害を跳ね除けて育った。
言うならば、頑張り屋さんです。
りんごジュースの試飲とりんごの試食です。
食してみましたが、ほど良い酸っぱさ。それに甘味。
とても、美味しくお変わりをしました。
ジュースも美味でした。
私たちが帰る時、団体客が訪れて来ました。
駐車場には大型バスが2台停まっていたのですが、この人たちが乗って来たのでしょう。
団体の人たちがりんごの収穫を始める前に諸注意の説明が有りました。
それには、9月10月に襲来した台風の影響で大量に落果となったとの、お詫びの言葉が有りました。
自宅に戻り、りんごをテーブルに並べてみました。
左は正常な物で、右はキズが付いた物です。
小さな物から大きな物。全部で53個を収穫しました。
3家族で分けましたが、結果的には1本の樹から150個を上回るりんごが収穫できました。
オーナー制度の料金は20,000円でした。
大量の落果が有りましたが、損はしない程度の収穫が有りました。
昨年は300個ほどを収穫できたようです。
年によって収穫量が異なり、賭けのように感じます。
秋の一日。
信州へ行ってりんごを収穫し、楽しむ事が出来ました。
春に種を播いた綿に綿花が出来ました。
今日、全部、収穫しました。
綿の木です。
全部で7.8本有りました。
白い綿毛が結実しました。
収穫した綿花です。
前に収穫したものをAさんに上げましたところ、奥様がこんなリースを制作されました。
リースをアップで。
この、3月29日に山の辺の道を歩きました。
http://blog.goo.ne.jp/nkataoka1948/e/6ac1fbfe32533f4fcbf22a3e52f95711
その時に沿道で綿の種を無人販売していました。
帰ってから、根畑に種を播いたのです。
道端で綿の種を販売していました。
http://cat9171000.blog.fc2.com/blog-entry-256.html
「H.A.M.A 木綿庵(ゆうあん)」
所在地:奈良県天理市乙木町777番地
電話:0743-67-0072
沢山の綿花が収穫できました。
できる事なら綿糸で布を織ってみたいところです。
タマネギを植えました。
時期的には、遅いくらいなのです。
昨日、サトイモを収穫した跡に、植えました。
苗を1ワ買って来ました。
1畝、植えました。
植えて、数えてみましたら、102本有りました。
これからが楽しみです。
清須会議を見て来ました。
豪華なキャストでしたが、一部にドタバタ的な場面が有り、これはいただけませんでした。
何か。
清須会議を茶かしたように見えてしまいました。
でも、お市の方が勝家と婚姻を結んだのは夫の仇を取るためだと言うことを、改めて知りました。