Kオジサンの気の向くまま

日々のあれこれ・・・・・思いつくまま

史蹟巡りウォーク  第3回 『蘇原の文化財と古代繁栄の痕跡を巡る」

2018年05月31日 23時49分14秒 | 史跡めぐりとウオーキング講座 等

今日は史蹟巡りウォークの第3回です。中央ライフデザインセンターに集合して、各務の金山禅寺を訪ねました。その後は蘇原地区を歩きました。「蘇原の文化財と古代繁栄の痕跡を巡る」となっていました。
市民会館 → 金山禅寺 → 行念寺 → 平蔵禅寺 → 中世の館 → 無染寺 → 旧山田寺 → 市民会館


今にも雨が降り出しそうな空模様。
そんな状況下。
市民会館を出発します。




前方に削りかけの山が見えます。
この辺りも山でしたが、高度成長期に山を削りました。
そして、山を繰り抜いて掩体壕が有りました。
そんな説明がありました。




金山禅寺が見えます。




金山寺の本堂です。




寺の中にお邪魔しました。
金山寺には円空仏が有ります。
既にテーブルの上に出ていました。




十一面観音です。
この円空仏。
市指定の文化財になっています。
写して良いかと聞き、ほとんどの人が撮影しました。
そして、私も。

 




行念寺に来ました。
そして裏側に廻って見ました。
太鼓楼です。
この太鼓楼。今でも、知らせるときに使われているのだそうです。



平蔵禅寺へ来ました。




半分に割れてしまった塔芯礎です。
三重の塔か五重の塔の芯礎だと思っていましたが、経堂の芯礎出そうでした。
これだけの大きさの芯礎。
立派な建物だったのだろう。



鉄条網が張ってあります。
右側は中世の館。安積家です。



正面に廻りました。



当時の創造図を元に説明しています。




次に来たのが無染寺です。
遂に雨が降り出しました。
これは旧山田寺の塔芯礎です。

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妻よ薔薇のように  (家族はつらいよⅢ)

2018年05月30日 22時42分31秒 | 映画

家族はつらいよの第3作。
夫は香港へ出張。老夫婦は広島へ墓参り。
そんな環境の中、2階で掃除をしていて、途中についウトウトとしてしまいました。
そのタイミングで空き巣が・・・・・。
盗まれたのは主婦のへそくり。
出張から帰ってきた夫。フッと喋った言葉で主婦が反乱。
そして、主婦抜きの生活が始まる。
日頃、主婦に世話になっている。そんな事を痛感。
家庭内の事をドタバタで紹介。

山田洋二の作品も第3作となりました。
老夫婦が墓参りで行った所が瀬戸内海の上大崎島。
主婦が雲隠れしてしまったのが実家で佐久市の茂田井宿。
綺麗な風景で描かれています。



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オジサンたちの遠足  下呂から帰りました。

2018年05月29日 23時33分12秒 | オジサン会

下呂から帰りました。
帰りも普通列車で戻ることを考えていました。出席者の一人が車で来ていましたので、便乗させて貰いました。
国道41号線を走りましたのですが、東海北陸自動車道が出来て通行する車が、大幅に減っていると思いました。


国道41号線。
この時は対向車が来ますが、対向車がまったく来ない時がありました。
確実に国道41号線を走る車が減っています。
41号線を走る車が減少している事が、下呂温泉が沈下しているイメージに結びつきます。



高山線の鉄橋。
このタイミングで列車が来ると好い写真が撮れるのですが、・・・。

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オジサンたちの遠足  職場の同期会の同窓会

2018年05月28日 23時45分30秒 | オジサン会

同じ年に就職した仲間同士。職場の同期会です。その仲間が退職して9年が経ちました。

私達は昭和42年に就職しました。そして平成21年に退職しました。そんな仲間同士です。途中には退職していく人も居ました。一緒に退職した仲間同士です。
Kオジサンが仲間に呼びかけ、再開する場を持つ事が出来ました。
集まった場所は下呂温泉。
現地集合で現地解散でした。



飛騨古川行きの普通列車。
急いで行く必要は無いので、下呂まで普通列車で向かいました。
私たち以外にも急がない人が居ました。



下呂駅に着きました。





下呂駅の駅名表示。





飛騨川の橋を渡ります。
上流方向です。
上りのワイドビューひだが鉄橋を渡っています。
私たちの乗ってきた普通列車は、この特急列車と下呂駅ですれ違います。
優等列車優先で、15時15分に着いて26分の出発でした。




橋の辺りから見える紫雲荘。





紫雲荘に着きました。




紫雲荘のフロントです。





こちらは廊下。
3階です。




部屋からの外の眺望です。
かつて有った旅館が無くなっています。




全員が揃いました。
生ビールで乾杯です。



久し振りの再開です。
色々と話は尽きませんでした。


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歴史街道を歩く会 5月例会 師崎街道シリーズPart②  東浦町 於大の方の里を歩く

2018年05月26日 23時22分31秒 | 歴史街道を歩く会

歴史街道を歩く会の5月例会に参加しました。JR緒川駅を出発して東浦町の町内を歩きJR緒川駅へ戻るコースを辿りました。
東浦町は家康の母、於大が出生した地であります。於大公園が有ったり於大のみちが有ったりと町全体が於大の方の里だと言う印象を受けました。

JR緒川駅(スタート)  ― 入海神社 ― 入海貝塚  ― 了願寺 ― 善導寺  ― 札木の辻跡  ― 地蔵院  ― 
緒川城址 ― 於大公園  ― 乾坤院 ― 於大のみち ― 東浦町郷土資料館 ― JR緒川駅(ゴール)

JR緒川駅(スタート)

JR緒川駅です。
これから東浦町緒川の街を歩きます。




古い街道筋の雰囲気が残る道。
師崎街道を歩きます。



入海神社

入海神社へ来ました。
小高い丘の場所となっています。




入海神社の本殿。
立派なお社です。



入海貝塚

入海貝塚です。
国指定の史跡であります。
説明には縄文早期の時代と有りました。
この場所は小高くなっていますが、ここの直ぐ近くまで海が来ていたのでしょう。




入海神社から戻る時、若い人たちの団体とすれ違いました。




了願寺へ向かっています。
了願寺も小高い丘の上の場所になっています。






ここでも若い人たちの団体が居ました。
聞きましたら、名城大学の都市情報学部の景観調査でした。


了願寺

両側の白い塀。
その間の石段を上ります。



石段を登り切ると鐘楼が有ります。
梯子段があり上に上がれます。



上がってみて、東方を見下ろしました。
東浦の町が広がります。






下へ下りてきました。
また、師崎街道を歩きます。




緒川城址

師崎街道から緒川城址へ上がってきました。





緒川城址です。
手入れが行き届いていなく草が伸びています。





於大公園の方に来ました。
ここは緒川城主、3代の墓です。




緒川城主、3代の墓の説明板と、水野家の系譜です。



於大公園

広い於大公園へ来て、昼食時間でした。
昼食を終え、園内を歩きます。
そして、於大の方の生涯を現すモニュメントが有りました。



於大の方の生涯を現すモニュメント。
4枚あり、誕生や婚姻などが並んでいます。



乾坤院

緒川城の初代城主水野貞守によって水野家の菩提寺として建立された寺です。
本殿の工事中でした。
Wikipediaに寄ると2016年3月に本殿が焼失したと有ります。
それで再建しているのでしょうか。



於大のみち

明徳寺川の左岸が於大のみちとなっています。




路面に陶板が埋められています。
32枚の陶板が於大の方の生涯を紹介しています。



於大のみちを逆に歩きました。
スタート地点では於大の方を出生から紹介しています。



東浦町郷土資料館

東浦町郷土資料館に来ました。
この資料館。
またの名をうのはな館といいます。





丁度、家康の母 於大の方のものがたり   -於大と周辺のひとびとー。
明日まで企画展が開かれていました。





於大の方のものがたりを開催する挨拶です。





於大の方の生涯を紹介しています。


 JR緒川駅(ゴール)

JR緒川駅へ戻って来ました。

感想
東浦町は於大の方、一色の町だと思いました。
緒川駅から歩き出し、緒川商店街の幟旗が立っていました。「於大のふるさと緒川」となつていました。公園は於大公園。健康の道は於大のみちとなっています。信長公とか家康公と言うように、呼捨てでなく於大の方と呼ぶのが好いのではないかと思います。
於大の方は岡崎の松平広忠に嫁ぎましたが、兄の水野信元が織田側に着いたため、離縁され竹千代を残して刈谷へ帰されました。そして、久松俊勝と再婚しました。そんな状況でも竹千代の事を気に掛けていました。
時代の流れに翻弄された於大の方。東浦に来て、色々と勉強になりました。

昨日の岩村城のおつやの方と言い、今日の於大の方。
戦国時代の女性が、時代に翻弄され気の毒に思えます。




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歴史勉強会 ヒストリー各務野会  春のバス旅行 岩村城址と苗木城址を訪ねて 

2018年05月25日 23時11分53秒 | ヒストリー各務野会

ヒストリー各務野会では、年1回バス旅行に出かけています。例年、秋に実施していましたが、過ごしやすい春に出かけ様と言う事になり、今年は5月の実施でした。
目的地は恵那市の岩村町。岩村城址と中津川市の苗木城址でした。
廻る場所を何箇所もと、多くしなかったので、シッカリとした現地学習ができました。


27人乗りの中型バス。
各務原を出発し、一路、岩村町へ向かって中央高速を走っています。



岩村歴史資料館の前で待って居られた鈴木隆一先生。
鈴木先生は今井先生のご友人で、高校の先生や岩村町の教育長を勤められた方です。
これから説明を頂きます。




眼下に見える岩村の街。

岩村は佐藤一斎の出身地。
三学戒の石碑があり、説明されました。

少にして学べば、壮にして成すあり。壮にして学べば、老いて衰えず。老いて学べば、死して朽ちず。(佐藤一斎)




下に岩村の街が見え、家々の屋根が重なっています。
城下町の岩村。
この時、浮かんだのは梶光男の「青春の城下町」です。
流れる雲よ 城山に登れば見える・・・・・君の家。





下田歌子女子についての説明です。



女子の略伝です。
女官として勤め、短歌に優れていて、歌子と名乗るようになりました。
勉強したかったのに女と言う事で勉学が許されませんでした。
そんなことから女性の教育の必要性を強く感じ、実践女学校の設立に尽力しました。




下田歌子女子の胸像です。




下田歌子女子の勉学所。





岩村城へ向かいます。
延々と続く坂道。
登りが少しキツいです。




土岐門の場所に来ました。
城主が土岐氏を破って、その時に持って来たものだそうです。




天守への入口。
右に進むか左に進むか、迷うところです。
侵入者はここで撃退されます。



方位の銘盤です。
岩村城に関連がある所が彫られています。




城址を後にします。
この時、思ったのは三橋美智也の「古城」です。
松風騒ぐ  丘の上  古城よ独り 何偲ぶ・・・・・。

岩村城には天守閣が残っていませんが、苔のむした石垣。
古城の雰囲気、そのものです。



岩村の町へ下ってきました。
岩村町の中心の通りです。

下でバスが待っています。
バスに向かって歩きます。



ひっそりとした岩村の街。
後ろを振り返りました。
この時浮かんだのは小柳ルミ子の「わたしの城下町」です。
格子戸をくぐりぬけ  見上げる夕焼けの空に だれが歌うのか子守唄・・・。

岩村街は、こんな雰囲気の有る街です。

山菜園

お昼の時間です。
恵那市の山菜園へ来ました、





この山菜園。
団体客のための食事場所です。




牛肉の味噌焼と蕎麦うどんの定食です。
私たちが着いたら、既にコンロの簡易燃料には着火してありました。


苗木城址

苗木城址に着きました。
前方に見えるのは苗木遠山資料館です。




資料館へ入館する前に城址へ向かいます。

ガイドの勝さんが案内し説明をしてくれます。




これから向かう苗木城址。




苗木城址に上がりました。

眺望の良い場所です。
ガイドが教えてくれた苗木藩の参勤交代。
ここから南へ向かい木曽川を渡り、中山道に出る。
そして10日ほどで江戸に着いたのだそうです。
大体、1日に40キロくらい歩いたそうな。
凄いスピードです。



城址から木曽川を見下ろします。





下山して来て苗木遠山資料館に入館しました。




館長だろうか。
男性が説明してくれます。

感想
岩村城址と苗木城址を訪ねました。
岩村は女城主のところである程度の知識でした。信長の伯母に当たる人。
織田方と武田方との紛争に巻き込まれました。
女城主。おつやの方。武田軍の秋山虎繁に包囲され、婚姻することを条件に城を明け渡す。時が流れ、長篠の合戦が有ったりして織田の勢力が強くなり、信長の子、信忠に捉われの身となる。最後は磔の刑に処される。
織田と武田の勢力争いに巻き込まれた気の毒な人だと思いました。
苗木城址は苗木藩の城址です。苗木藩がどの範囲なのか判りました。今の中津川市の北部一帯です。
2箇所の城址を訪ねましたが、岩村城は今井先生のご友人による岩村城址の案内説明。苗木城址ではガイドボランティアの案内説明でして、2箇所では有りますが勉強と成る中身の濃いバス旅行でした。
岩村の街を歩きました。
上でも述べましたが、梶光男の「青春の城下町」。橋美智也の「古城」。それに小柳ルミ子の「わたしの城下町」。何れも昭和の名曲です。岩村の街はそんな名曲を思わせる街だと思いました。

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史蹟巡りウォーク  第2回  「おがせ池周辺の伝説」

2018年05月24日 23時51分29秒 | 史跡めぐりとウオーキング講座 等

今日は史蹟巡りウォークの第2回です。鵜沼サービスセンターの第2駐車場に集合しておがせ池の辺りを歩きました。
最初に訪れたのが農村歌舞伎の舞台である皆楽座。その後は愛宕神社、そして苧ヶ瀬池の周囲を廻り集合地点に戻りました。




集合場所である鵜沼サービスセンターの第2駐車場。
皆さん、集合時間よりもズット早くお集まりです。




皆楽座に向かって歩きます。
歩いている、この道路。
旧中山道です。




皆楽座へ来ました。
この皆楽座。津島神社の本殿と向き合う形で建てられています。
芝居を演じる。神様に奉納する。そう言う形となっています。
舞台は屋根が有りますが、客席は青天井となっています。




特別に公開して貰い、舞台に上がりました。
説明している女性の足元は廻り舞台です。




奈落へ降りてみました。


皆楽座。
皆が芝居を楽しむ芝居小屋で皆楽座と名付けられたのでしょう。
皆楽座は明治15年頃に完成しましたが、明治24年の濃尾地震で倒壊しましたが、明治31年に再建されました。娯楽の乏しい時代。稲の取入れが終わった頃、盛大に農村歌舞伎が演じられたのでしょう。
この皆楽座は四国の金丸座。明治村の呉羽座。そして各務原市の村国座に告ぐものだと説明が有りました。
間口が15m奥行きが10mです。
農村の舞台として演じられたのが昭和42年で最後だったそうです。建物が傷んでいましたが、改修されて今日に至っていまして、時々使われています。



おがせ池に向かって歩いています。
正面の山は愛宕山、双子山、そして八木山。
八木三山です。




愛宕神社に来ました。
神社は階段の上の方に有り、高い場所ですので寄りませんでした。



苧ヶ瀬池に来ました。
池の縁に有る提灯掛けの松。
龍女伝説にまつわる松ですが、三代目となっていました。

松の下に説明板が有りますが古くなり、字が消えかかっています。




史蹟巡りウォークの講師を勤める鵜沼宿ボランティアガイドです。




苧ヶ瀬池に来ました。




八大竜王の前です。
ここで、鵜沼宿ボランティアガイドの人たちに寄る紙芝居の上演です。




紙芝居の上演です。
タイトルは苧ヶ瀬池龍女伝説(龍神様が恋をした)です。
苧ヶ瀬池に伝わる龍女の伝説を手作り紙芝居にしたものでした。
今は農業用の池となっている苧ヶ瀬池ですが、日照りで水がなくなってしまうとか農民の苦労が伝えられています。それに古くから伝わるのが龍女の伝説です。
そんな伝説を取上げたものでした。



苧ヶ瀬池の東側。
苧ヶ瀬神社の横の場所です。
ここに掩体壕の跡が有ります。
各務原に飛行場が有り、飛行機を隠すために掩体壕が造られました。
その跡の場所ですが、今は木に覆われてその姿が判りません。



愛宕神社の参道まで来ました。
ここに常夜灯が有ります。



愛宕神社の参道で石柱が立っています。
中濃新四国第八十番で、その下が読み難くなっています。
愛宕神社を示しているのでしょう。
お寺と神社がゴチャゴチャです。
横に彫られた字は大正四年一月か二月ですが、こちらも読み難くなっています。
建てられて約100年経ちます。
文化財として、記録していかなければいけないと思います。

感想
時々、皆楽座の横を通りますが、皆楽座の中に入ったのは初めてです。滅多に入れない場所を見学できて良かったです。
上で述べたように、愛宕神社の石柱があるのを知りました。文化財として保護していかなければならない。



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2018 ツアー・オブ・ジャパン   美濃ステージ

2018年05月23日 23時42分59秒 | スポーツ観戦

美濃市でツアー・オブ・ジャパンの自転車ロードレースが開かれました。
今日の空模様。
今にも雨が降ってきそうでした。それで、スタートのシーンだけでもと思い、行って来ました。


ツアー・オブ・ジャパン   美濃ステージのチラシです。




終回コースマップです。
時計回りに約7周します。
1周を30分ほどで廻り、そのスピード時速40キロにもなります。




あの場所がスタート場所。





開会式が行われます。




ズラリと並んだ選手達。




パレードで、うだつの町並みを進みます。
その前にテレビカメラを持つ人を乗せたオートバイが発車していきました。
このバイクが実況を伝えます。




パレードで、ゆっくりとうだつの町並みを進みます。



先頭に続く選手達。
ゆっくりと走っています。




選手が走り去りました。
この時を待つかのように雨が降り出しました。


雨が降っていなかったら、観戦と思ったのですが、ここを区切りとして帰りました。



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Kオジサンの家庭菜園日記  ニンジン

2018年05月20日 23時58分17秒 | 家庭菜園日記

家庭菜園で少しだけニンジンを作っています。
葉は大きくなりますが、根が大きく育たなく、大きくするのが難しいです。


葉の方に栄養が行くようにせず、根の方に栄養がいくようにしなくてはならない。
根を育てるには、カリを与えなくてはと思います。

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町内の側溝清掃。

2018年05月20日 23時23分39秒 | 町内会・地域の行事

毎年、5月に町内の側溝清掃が有ります。
今日は、その町内の側溝清掃の日でした。
本来ならば、先週がその日でした。
しかし、朝、始めようとした時に雨が降り出したのです。それで、延期となり、今日の実施でした。



ホースで水を放水し、側溝の中を綺麗にします。




ホースを持ち、放水手の手助けをします。

最後に
町内の恒例行事です。
同じ町内に済んでいても、滅多に顔を合わせない人も居ます。そんな人と顔を合わせる。それが効果と言えるかも知れません。
久し振りに顔を合わせる人も居まして、顔を見て老けた顔に見える。
そんな事を感じる場面も有りました。

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