Kオジサンの気の向くまま

日々のあれこれ・・・・・思いつくまま

インドの印象

2018年11月23日 23時58分21秒 | 海外旅行

18年11月17日から11月23日までインドを旅しました。

11月17日 (第1日) ニューデリーへ
中部国際空港  ✈  上海浦東空港  ✈  デリー空港 - イビス  ニューデリー  アエロシティHotel
11月18日 (第2日) 国内線でバラナシへ  そして仏教発生の地 サルナートへ
イビス ニューデリー アエロシティHotel - デリー空港  ✈  バラナシ空港 - ROYAL(ファミリー レストラン) - 
ムルガンダ・クティー寺院 - ダメーク・ストウーパ - SILK Kbazana(シルクの店) - ジ゙・アマヤHotel - 
ガンジス河の「アルティ会場」 - ジ゙・アマヤHotel
11月19日 (第3日) 国内線でデリーへ戻ります。そしてアグラへ。
ジ゙・アマヤHotel - ガンジス河の「沐浴場所」 - ジ゙・アマヤHotel - バラナシ空港  ✈  デリー空港 - 
Pekoe  International(紅茶の店) - Waves(レストラン) - インド門 - 
Highway Masala(サービスエリア) - クリスタル サロバー プレミアHotel
11月20日 (第4日) タージ・マハルのアグラ。そしてアグラ城へ。
クリスタル サロバー プレミアHotel - タージ ビュー ポイント - クリスタル サロバー プレミアHotel -  
タージ・マハル -大理石細工の店 - The  Charcoal  Chimny(レストラン) - アグラ城 - 
クリスタル サロバー プレミアHotel
11月21日 (第5日) アグラからジャイプールへ
クリスタル サロバー プレミアHotel - インディアン・オイル - Rajputana Resort(サービスエリア) - 
Little  Italy (レストラン) - ジャンタル・マンタル天文台 - シティパレス - アンベール城 - 
インド料理を出すホテル - フォーポインツ・バイ・シェラトン シティスクエアHotel
11月22日 (第6日) ジャイプールからデリーへ
フォーポインツ・バイ・シェラトン シティスクエアHotel - ホテル マハラニ ミッドウエイ - ザ アジア キッチン - 
クトゥブ・ミナール - フマユーン廟 - インディラ・ガンジー国際空港(デリー空港)
11月23日 (第7日) 中部国際空港へ
インディラ・ガンジー国際空港  ✈  上海浦東国際空港  ✈  中部国際空港




インドの花々
今回の旅行中、色々の花を見かけました。花の名が判るのはブーゲンビリア位で、他の花は判りません。それにしても、多くの花々でした。
地球儀の緯度を見てみますと、インドはハワイと同じ位の緯度です。常夏のハワイとか申しますが、インドも比較的暖かいところだと知りました。
今回の旅行で色々の花を目にしました。ハワイと同じような緯度で花が多い。
それで、納得でした。


18.11.19。
花の名は判りませんが、アグラへ向う高速道路のサービスエリア、Highway Masalaでこんな花を見かけました。




上と同じ種類の花ですが、こちらは18.11.21にアグラからジャイプールへ向う高速道路のサービスエリアでも見かけた花です。




ブーゲンビリア。
この花も18.11.21.にアグラからジャイプールへ向う高速道路のサービスエリアで見かけました。






こちらもブーゲンビリア。
このブーゲンビリアはムルガンダ・クティー寺院で見たものです。




名の判らない花です。
18.11.18。イビス ニューデリー アエロシティHotelの庭で見かけました。
ガイドにこの花の名を聞いたら、ジャスミンの一種だと言っていました。




18.11.21。
Little  Italy (レストラン)へ入る前に見かけた花です。




18.11.22。
クトゥブ・ミナールで咲いていた花です。




18.11.20。
タージ・マハルの庭園に咲いていた花です。





バスから見えた城址
今回の旅行でアグラ城やアンベール城へ行きました。
それ以外でも、バスが走行する車窓から城址が見えました。
各地に城址が有るのだと感じました。


18.11.21。
アグラからジャイプールに向っているいる時、バスの中から見えた城址です。
何と言う城址か判りませんが、立派な石垣で、城址である事は明らかだと思いました。




こちらも同じ時にバスの車窓から見かけた城址と思われる所です。
シッカリした城壁が見えます。




18.11.19。
デリーからアグラへ向う時、デリー市内で見かけた城址です。



各地でリスを見かけました。
タージ・マハルの敷地内でリスを見かけました。その後、見学後に寄ったレストランの入口でもリスを見かけました。タージ・マハルのように公園みたいな所ならリスに会えても当たり前かもしれません。
しかし、町中のレストランや高速道路のサービスエリアでリスを見かけました。人を怖がらないとと言いますか、人に慣れている感じがしました。



18.11.20。
タージ・マハル廟の敷地に入った時に目にしました。
木からスルスルと下りて来たのです。




こちらは同じくタージ・マハル廟の敷地内でした。
タージ・マハル廟の見学を終えて出て来た時、現れました。




18.11.21。
アグラからジャ居プルへ向っていた時、Rajputana Resort(サービスエリア)で休憩しました。その時、見かけたリスです。
人を怖がる様子を見せませんでした。



18.11.20。
The Charcoal Chimney Restaurantで見かけたリスです。
この場所にはタージ・マハルを見学してきた後に寄りました。
田舎町でなく、アグラと言う大きな町の真ん中。
そんな所でもリスが現れました。


インドのドライバー
11月19日にデリーからアグラへ高速道路を走りました。そして、21日はアグラからジャイプールへ。22日はジャイプールからデリーへ戻りました。何れも高速道路を走りました。高速道路と言っても、日本のように高架や土盛りの無い平面道路でした。
平面な、高速道路ですから高速道路を横断する人を何回も見ました。
そんな高速道路や町の中をクラクションを鳴らし続けながら走りました。
こんな喧騒な運転。日本では有り得ない運転でした。


18.11.18。
バラナシの街の中です。
バラナシ空港からRoyalと言うファミリーレストランに向っていた時の様子です。
街の喧騒。
車がスピードを出して走ります。
そんな中でバスはスピードを落とさずクラクションを鳴らして走りました。



18.11.21。
アグラからジャイプールへ向う高速道路です。
料金所近くで車はスピードを落としていますが、そんな道を横断する人たちが居ました。
また、高速道路を自転車で走行する人も居ました。
日本の常識はインドでは通じないです。





18.11.22。
ジャイプールからデリーへ向っている高速道路です。
撮影した画像で、198kmの道路標識が最初に写っていました。
そのkmがデリーに近付くに連れて、段々減って行きました。
と言うことは、ジャイプールとデリーの間は200km以上有るのでしょう。
そんな高速道路ですが、クラクションを鳴らし続けて走りました。

クラクションを鳴らしながら走ると言うのは、このドライバーだけでなく、多くのドライバーがクラクションを鳴らして走っていました。ですから、インドの道は喧しい道だと感じました。


こども達
18.11.19。
バラナシの街の中のレストラン。WAVESと言うレストランから出て来たタイミングです。
子供たちが大道芸ののような事をして施しを貰おうとしたシーンです。店から出てきてOサンが女の子にナンをあげました。女の子は父親のところへナンを持って行ったのだそうです。私はその場面を見ていなかったのですが、父親は日陰で昼寝をしていたのだそうです。
Oサンは、店に入る前から店先に子供が居たのを見たのでしよう。そして、出店後子供にナンを渡したのでした。
あの後、どうなったのだろう。






18.11.19。
バラナシで、ガンジス川の沐浴のを見に来た時です。
少年が川に浮かべるローソクを売っていました。早朝とは言え、この子、学校へ行っていないのだろうかと思いました。
この少年の他に少女も居ました。
学校に行かず、仕事をしているようでした。




18.11.18。
ダメーク・ストウーパ の入口での事。
私たちが入園する際、赤ん坊を抱きかかえた男の子が現れました。赤ん坊は眠っていましたが、哀れみを誘う姿で現れ施しを求めるものでした。
こんな事。親がさせているのではなかろうか。
今もこの時の事が脳裏に浮かびます。



結婚式が始まりました。

18.11.19。19時39分。
ズラ~と並んだ調理人たち。




18.11.19。19時39分。
花の飾りも有ります。




18.11.19。19時39分。
ピンクのカーテン。
そして、赤い花の飾り。




18.11.19。19時39分。
花の飾り。
ピンクのカーテン。


寝ていたら、突然花火が・・・・・・。
華美な装い。何か有るのかな程度の感じで、さ程気に留めませんでした。
そして、部屋に行き寝てしまいました。
寝ていたら、夜中に花火が何発も打ち上げられたのです。
窓の外を眺めると、アチコチで花火が上がっていました。
この時は何事が起こったのかとビックリしました。
そして、エレベーターで階下へ降りました。
その時。隣室のご夫婦と一緒になりました。
夜中の結婚式が始まったのでした。
隣室のご夫婦は結婚式に列席されるのでした。
ズラ~と並んだ食べ物。エレベーターに一緒に乗って来た私に、一緒にどうかと勧めてくださいました。
新郎新婦の挙式が進んでいました。

後から、ガイドから説明を受けたのですが、ヒンズー教では11月19日まで結婚する事が禁止され、20日になると解禁となるのだそうでした。それが真夜中の花火で、開始を告げるものでした。





18.11.20。0時17分。
新郎新婦は外で結婚式を挙行していました。
主役が居ないうちに・・・・と言う訳で撮影しているのでしょう。



18.11.20。0時18分。
こちらは外で、庭です。
着飾った女性達。
美しいサリー。結婚式とか、よそ行きのサリーなのでしよう。


旅に出ていて、結婚式に遭遇しました。
コレはスリランカに行っていた時に次いで2回目です。
こんな、ハプニングが面白いです。


ガンジス河の「アルティ会場」

ガンジス川の夜のお祈り。
アルティー・プジャを見学。
アルティーと呼ばれ、その会場へたどり着くのに人、人、人。見渡す限り人、人、で凄い人でした。
人々の尊敬の念が最も込められた儀式です。生の演奏が会場に鳴り響き、バラモンの祭司たちが、音楽とともに火を振りかざして祈りを捧げます。








ガンジス河の「沐浴場所」

18.11.19。
朝、5時にホテルを出ました。
真っ暗の状態でガトーに着き、船に乗船しました。
船頭が操船してくれ、沐浴している所の沖へ付けてくれました。




世界文化遺産
タージ・マハル廟

18.11.20。
タージ・マハル廟を訪ねました。
白い大理石。
この建物を築くのに23年の歳月を要したそうです。


フマユーン廟

18.11.22。
インド旅行も終盤です。
フマユーン廟を見学した後、インディラ・ガンジー国際空港(デリー空港)へ向かいました。


ホテル

 11月17日 (第1日) イビス  ニューデリー  アエロシティHotel

空港の近くのホテルでした。
このホテルの周りにも何箇所もホテルが有りました。




イビス・ホテルのフロントです。




イビス・ホテルの客室です。




ホテル内のレストラン。
06時01分です。
国内線に搭乗するため早い出発です。
それに合せ、早い時間の朝食です。



11月18日 (第2日) ジ゙・アマヤHotel

ジ゙・アマヤHotel。
バラナシのホテルです。
バスがバラナシ市内を走った時、車内から撮影しました。




ジ゙・アマヤHotelのフロントです。




ジ゙・アマヤHotelの客室です。




ホテルのレストランです。




11月20日~21日 (第4日、5日) クリスタル サロバー プレミアHotel

18.11.19。19時27分。
クリスタル サロバー プレミアHotelに着きました。




クリスタル サロバー プレミアHotelの外観です。
左が玄関ですが、右の方はホテルの前に建物が塞いでいる感じがしました。




クリスタル サロバー プレミアHotelのフロントです。




ホテルの客室です。




クリスタル サロバー プレミアHotelのレストランです。
レストランのドアにLATTICEと言う名が書いてありました。



11月22日 (第6日) フォーポインツ・バイ・シェラトン シティスクエアHotel

バスへ荷物を運んで去るホテルの人たち。




フォーポインツ・バイ・シェラトン シティスクエアHotelの玄関です。




フォーポインツ・バイ・シェラトン シティスクエアHotelのフロントです。




ホテルの廊下です。




ホテルの客室です。




ホテルのレストランです。


最後に
この旅行。デリーに到着した翌日に、国内線でバラナシへ向かいました。搭乗時間が往路は1時間45分程で、復路は2時間程でした。デリーとバラナシの距離はどれ程なのだろう。時間から言ったら、羽田と札幌間位なのでしょう。
そして、アグラ。ジャイプール。そしてデリーへ。北インドの良い所だけを巡りました。
飛行機での移動。高速道路を走るバスに長時間の乗車。実感としてインドは広いと感じました。

名の判らない多くの花を目にしました。そして、街中でもリスを見かけました。
インドは自然が豊かな国だと思いました。

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聖地ガンジス河とゴールデントライアングル  北インドハイライト 7日間 (第7日)  上海から、帰国へ

2018年11月23日 23時20分01秒 | 海外旅行

第七日目はインディラガンジー国際空港から上海浦東空港へ向かっていて、機内で日付が変わりました。そして、上海空港でトランジットして中部国際空港へ向かいました。
搭乗した航空会社が中国東方航空でした。上海から中部までは古いタイプの機で座席の前にモニターが着いていませんでした。

インディラ・ガンジー国際空港 - 上海浦東国際空港 - 中部国際空港


機内のモニターです。
0時12分はデリー時間で、4時35分は上海時間です。
機内はまだ、照度を落としています。



(04:56)
上海空港が近付いてきました。





上海空港に着きました。
乗客が一斉に席を立ちました。



機からバスでターミナルに向かいます。



(05:14)
入国手続きのゲートへ来ました。




(07:59)
広い上海空港です。
まだ、朝が早いので、人が多くはいません。




(09:07)
出発機の表示です。
名古屋行きMU529便は9時30分で212ゲートから出発です。




(07:14)
212ゲートに来ました。
時間的にまだ、早すぎます。




(08:48)
投乗手続きが始まりました。
このゲートは1Fで、外に待っているバスが見えます。




機に向うので、バスに乗車します。





バスが停止しました。
バスの前を機が横切ります。
信号でバスが停まったのですが、バスとジェットの平面交差。
人がやる事なので、事故にならないか心配です。



(09:03)
これから搭乗する機。
エアーバスのA319です。
タラップを登り、搭乗します。



離陸しました。
雲海の上を飛行しています。





(10:32)
機内食の配布が始まりました。




(11:47)
エビピラフのような食事でした。




熊野灘の上を飛行してきました。
下に見える尾鷲市。
特徴ある煙突が見えます。




(12:32)
伊勢湾口の飛行です。
渥美半島が見えます。





中部空港に着陸しました。
浮かぶ船が見えます。
アレは形から言って自動車運搬船でしょう。



(12:57)
空港に着きました。
動く歩道を歩きます。



ターンテーブル。
まだ、スーツケースは出てきません。


7日館のインド旅行。
お読みいただきまして有難う御座いました。
今回、一緒したMotaさんのホームページ。
ご覧下さい。
http://www.katch.ne.jp/~mota/tabi31.html




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聖地ガンジス河とゴールデントライアングル  北インドハイライト 7日間 (第6日)  デリーへ、そして帰国へ

2018年11月22日 23時27分55秒 | 海外旅行

第六日目です。今日は、バスでデリーに向って高速道路を移動しました。そしてデリー市内に入って、中華料理の昼食でした。その後はデリーの市内観光で、クトゥブ・ミナールを訪ねました。次にフマユーン廟に寄りました。そして向かったのが、デリー空港です。ここでインドとお別れとなりました。最後、搭乗手続きまで、ガイドのラクシュミさんが世話してくれました。
デジカメのメモリーカードが一杯の状態となり、撮影して不要と思える画像を消去しては撮影しました。それにバッテリーの能力が低下してきて、心細い撮影環境でした。上手く撮影出来ていない画像も有ります。お許しください。

フォーポインツ・バイ・シェラトン シティスクエアH - ホテル マハラニ ミッドウエイ - ザ アジア キッチン - 
クトゥブ・ミナール - フマユーン廟 - インディラ・ガンジー国際空港

フォーポインツ・バイ・シェラトン シティスクエアH Four Points by Sheraton Jaipur, City Square

(06:30)
シェラトンホテルのレストランです。
早い出発に合せ、早い朝食。
ツアーの仲間で、一緒の食事となりました。





並んでいるお料理。




チョイスして来たお料理。
オムレツを焼いて貰いました。




(07:22)
ホテルのスタッフが荷物をバスに運んでくれました。






愛想の好いスタッフ達でした。




ホテルのロビー。
いよいよ、出発の時間となりました。




(07:38)
バスがホテルを出ます。
Googleには、この道路。
トンク ロードとなっています。




(08:44)
高速なのか、一般道なのか。
インドの道路は、日本のように立体交差になっていません。
デリーまで距離を写し損ないましたが、確か225キロと表示していたと思います。
恐らく、ジャイプール、デリー間は230キロ~240キロ位は有ると思います。




(08:55)
高速道路の料金所です。
Manoharpur Toll Plaza




デリーまでのキロ数。
シャッターを押すのが少し、遅くロードサインを撮影できなかった。





(09:18)
デリーまで195キロ。



(09:31)
登ってみたくなるような山が見えます。





(09:58)
デリーまで158キロ。
と言うことは37キロを40分で走ったことになります。



デリーまで137キロ。




ホテル マハラニ ミッドウエイ MAHARANI  MIDWAY  HOTEL

(10:29)
国道48号線。デリー、アジマー・エキスプレスウエイを走っています。

ホテルですが、ここでトイレ休憩。
それに土産物なども並んでいました。




料金所に差し掛かりました。
Shahjahanpur Toll Plazaです。




デリーまで49キロ。
大分、キロ数が減少してきました。





(12:07)
デリーが近付き、渋滞したりしました。
歩行者が高速道路を横断する。
日本では考えられない事です。立体交差でないためこう言う事が起こります。








(12:14)
またまた、料金所です。
Kherki Daula Toll Plaza



(12:54)
国道48号線を走ってきました。
デリー市の中心部に近付いてきました。
道路が混雑してきました。
前方のロードサイン。エア・ポートへの矢印が見えます。



ザ アジア キッチン

(13:20)
デリー市内に入ってきて、中華料理の店に寄りました。
中華料理と言うよりも店の名のように、アジア料理と言った方が正しいかも知れません。
遅い時間の昼食ですが、店内は混雑していました。




シャブシャブ。
それに揚げた肉の料理でした。


クトゥブ・ミナール複合建築群

(15:08)
クトゥブ・ミナール複合建築群に入りました。
この場所に入園するのに、地元の人達はチケットを買うため長い列を作っていましたが、ラクシュミさんが団体の窓口でチケット買ってくれ、スムースに入れました。
園内に入り、尖塔が見えます。この尖塔をミナレットと言うようです。




尖塔の基部。
入り口がありますが、鉄格子の戸が閉まっています。
ガイドの話では、この塔の中には螺旋階段があり、かつては登れたのだそうです。







尖塔の部分をアップしました。
模様が刻まれているようにしか見えませんが、アラビア語でコーランが刻まれているのだそうです。






(15:30)
クトゥブ・ミナール複合建築群。




上の写真に有る遺跡の場所でハート型を作っていた少女達です。
ハート型を作って貰い撮影させて貰いました。
お願いしたら、快く応じてくれました。
インド美人のお二人でした。





クトゥブ・ミナール複合建築群。




Tomb of Iltutmish
ガイドブックにはアラーウッディーン・ハルジーの墓所と有ります。




Tomb of Iltutmish
墓所となっていますが、石棺が安置して有るような状態です。





クトゥブ・ミナール複合建築群の中で尖塔を仰ぐ。





フマユーン廟

(16:22)
フマユーン廟の内部に入ってきました。
1つ目の門が見えます。
綺麗な色をしていますが、お化粧直しをしたみたいです。
Bu Haleema  Ggateway



2つ目の門からフマユーン廟を眺め下。
このフマユーン廟は、あのタージ・マハルにも影響を与えた建物とか言います。




歩いて来てフマユーン廟に近付きました。





更にフマユーン廟に近付きました。





階段があります。
上がってみます。




テラスのようになった場所から歩いて来た方角を眺めました。
二つ目の門が見えます。




2つ目の門に帰ってきました。
外国人が多く訪れています。
BU  HAlima  Ggateway。




2つ目の門の中からフマユーン廟を振返りました。




塀の向こうにモスクが見えます。





(17:01)
塀の向こうに見えたモスクです。
集合時間に時間が無く、サッと行って撮って来ました。


インディラ・ガンジー国際空港

(19:18)
空港の中です。
もう、スーツケースは預けてあり、搭乗口に行くだけです。



24ゲートです。
搭乗時間が来ました。




(20:08)
ボーディングブリッジの途中です。
これから、機内に入ります。




(上手く撮れていませんでした)
機に搭乗しました。
私のシートは71Gと、後ろの方でした。
右は機内食。
離陸して機が安定すると、
直ぐに出てきました。
機内食を食べ、直ぐに眠りに付きました。


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聖地ガンジス河とゴールデントライアングル  北インドハイライト 7日間 (第5日)  ジャイプールへ

2018年11月21日 23時06分29秒 | 海外旅行

第五日目です。今日は、一路ジャイプールに向ってバスで移動します。バスは高速道路をひたすら、走りました。ジャイプールしないに入って、昼食でした。その後はジャイプールの市内観光で、ジャンタル・マンタル天文台を訪ねました。そしてシティパレスに寄りました。次に向かったのが、アンベール城です。急な山道を登るため、バスからジープに乗り換えて古城へ向かいました。
夕食はインド名物のターリーを食べながらダンスを鑑賞しました。

クリスタル サロバー プレミアH - インディアン・オイル - Rajputana Resort(サービスエリア) - 
Little  Italy(レストラン)
 - ジャンタル・マンタル天文台 - シティパレス - アンベール城 - 
インド料理を出すホテル
 - フォーポインツ・バイ・シェラトン シティスクエアH

クリスタル サロバー プレミアH

(06:41)
ホテルのレストランで朝食を取ります。
このクリスタル サロバー プレミア ホテルに連泊しました。
19日の夕食、20日の朝食、20日の夕食。そして今日の朝食です。
同じ場所での食事が続き、いささか嫌になってきました。




左は刻んだトマトやタマネギ。
コックにオムレツを作って貰います。




チョイスして来た朝食です。



ジャイプールに向って

(08:45)
バスの車窓から。
バスで、高速道路をジャイプールに向かいます。
8時過ぎに出発しました。




(09:13)
Agra-Jaipur Rdを走っています。
KORAI  Toll Plazaを通り抜けてきました。





(09:17)
バスの車窓から。
古城だと思える石垣が見えます。
この城も赤砂岩なのでしょう。
Lal darwaja wall Corner。(G00gleで探しましたので、この名称は不確実です。)

この場所。
形から言って城址であることには間違いないでしよう。





バスの車窓から。
LUDHAWAI  TOOL  PLAZA。
こちらはLUDHAWAI料金所です。
東へ向うレーンは1~5で、西へ向うレーンは6~9となっています。



G00gleから引用しました。
アグラとジャイプルを結ぶ道路。
地図には21の番号が付いていますので、国道21号線なのでしょう。


インディアン・オイル

(10:11)
トイレ休憩でガソリンスタンドに寄りました。
この場所。
マダーン・フィリング・ステーション・インディアン・オイル・ペトロール・パンプ と言う長い名が付いています。
バスが給油するのでなく、トイレだけの休憩でした。



バスの車窓から。
AMOLI  TOOL  PLAZA。
歩行者が高速道路を横断しています。
日本では考えられない事です。




バスの車窓から。
山に城址のようなものが見えます。
恐らく城址なのでしょうが、G00gleで該当地辺りを探しても、見つける事が出来ません。



Rajputana Resort(サービスエリア)

(10:45)
バスの車窓から。
高速道路のサービスエリアに付きました。
先客で大型バスが停まっています。
欧米人が乗ったバスでした。




サービスエリアの中に入りました。





お土産に出来る品々が並んでいます。




サービスエリアから外へ出ます。
外国人の乗ったバスは、先にスタートして行きました。



(12:19)
バスの車窓から。
RAJADHOK  TOOL  PLAZA。




(12:43)
バスの車窓から。
ジャイプルの街に入って来ました。
Sanganeri Gateです。




バスの車窓から。
Sawai Jai Singh Statueです。
ロータリーの中心に設置して有りました。





Little  Italy(レストラン)

(13:03)
昼食場所に来ました。
エレベーターで上階に上がりました。




Little  Italy(レストラン)の店内です。
欧米人の団体が来ていました。




ピザとパスタを中心にしたメニューです。
お替りが自由でした。




外に出てきて見上げたLittle  Italyです。
実は、この場所が判っていませんでして、バスが店を探してウロウロしました。

インドへ来て、インド料理の連続でして、今回のように目先の変わったお料理は嬉しかったです。
このような店は少ないのかもしれません。





バスの車窓から。
Albert Hall Museum。
ハトが沢山集まっていました。




バスの車窓から。
Sawai Man Singh Statue。
ロータリーの中心に設置して有りました。




バスの車窓から。
サリーの店。
Sindoori  sarees。






バスの車窓から。




バスが停まり、下車します。





降りたところが履物屋の近くでした。





山積みの履物。
100ルピーでした。
カミさん用の花柄の靴と私用に皮のサンダルを買いました。
ミンナは先へ歩いていってしまう。
それで、買ったサンダルは右左で模様もサイズも違っていました。




あの帽子が見えるところ。
皮のベルトを5ドルだと言っていました。
ドル紙幣を持っていたので、3ドルと言ったら即決で応じてくれました。
でも、このベルト。
穴の部分が大きいサイズ用についていましたので、新しく穴を開けなければなりません。




ゲートをくぐります。




この先にもゲートが有ります。





列が進んで行ってしまいますが、吊るしてあるの。
こんなのも、カミさん用に見てみたいと思いました。






リキシャの溜り場です。


ジャンタル・マンタル天文台

園内に入るのに、金属検知器を通らなければなりません。




ジャンタル・マンタル天文台の園内。
ガイドのラクシュミサンが説明してくれています。




(15:26)
日時計が並んでいるのですが、星座ごとの日時計が有る。
それで、自分の星座を探してみて、と言うことになりました。
自分の星座の日時計。発見できました。


シティパレス

(15:47)
シティパレスの中に入ります。





ゲートから眺めました。





中庭のような場所です。
沢山の人が来ています。



アンベール城へ

(15:53)
アンベール城に上がるよう、ここまでバスで来ましたが、ここからはジープに乗換えです。




ジープに分乗してアンベール城に向かいます。
ジープは頼もしく、坂道を快調に登りました。



アンベール城

(16:03)
アンベール城に到着です。




あの門から内部に入ります。




城内の中庭のようなところです。




中庭を見下ろせる場所に立ちました。
広い中庭です。
向こう側に山が見えますが、ガイドはインドの万里の長城だと説明していました。




引率されてきたのか、インドの女性達です。
階段に座り込んで、記念写真に納まっていました。
私達も、この階段から内部に入りました。
両側の壁に描かれた模様がとても綺麗です。



内部に入ってきて、ここにも中庭のような場所が有りました。




中庭から外側へ眼を転じると、遠くに山が見え、こちらも万里の長城が見えます。
防備のために長城を築いたのだろうか。




(17:52)
先ほどの中庭へ下りてきました。
暗くなり、ライトアップが始まりました。




バスの車窓から。
アンベール城を後にします。
ライトアップされたアンベール城が見えますが、バスの車内から撮影したもので、上手く撮れませんでした。




バスの車窓から。
バスが夕食の場所へ向かっています。
前方では「お祭り」のパレードが進行していまして、交通規制が掛ったいたのです。
パレードの列には車が入っていたりし、その車の屋根に人々が乗って旗を振っていました。


インド料理を出すホテル

小鉢に入ったカレーで、これがインド名物のターリー料理です。




(18:24)
若い娘が瓶を頭上に載せてダンスを踊ります。
ラジャスタンフォルクロアのダンスショーです。
男性二人が楽器と太鼓の演奏です。
軽快なリズムの曲に乗って、1回踊っては、瓶を重ね。1回踊っては、瓶を重ねと、瓶を重ねていきました。



大きな瓶から小さな瓶へ。
瓶を重ねるのは、私達、来客に手を出させました。
そして、最終的に5個のカラフルな瓶が頭上に乗りました。



フォーポインツ・バイ・シェラトン シティスクエアH

(20:30)
フォーポインツ・バイ・シェラトン シティスクエアHに到着しました。



私たちの部屋。
4433室です。


BIG  BAZAAR

(21:03)
ホテルからスーパーへ行きました。
このスーパー。
BIG  BAZAARと言う名で、ホテルの直ぐ隣でした。






こちらは1Fで、日用雑貨品が並んでいます。
そして、この奥には衣料品が有りました。
食料品の売り場はBFで、階段で降りました。
チョコレートなどを買ったのですが、製品の1つ1つにプライスシールが貼って有りませんでした。それに、棚にも値段が表示して有りません。
欲しいものを籠に入れて、レジで精算を済ませました。
スーパーからの出口にガードマンが立っていて、レシートを見せよと言われました。そして、レシートにスタンプ押しました。コレは万引き対策だなと思いました。




感想
8時過ぎにホテルを出発しました。そして、ジャイプールに着いたのが12時50分頃です。休憩時間を引いても、4時間半ほどはバスに乗っていたと思います。
高速の制限速度が100キロとしても、100キロでは走っていないと思います。仮に80キロとして80キロ×4.5時間=360キロとなります。東京、名古屋間を移動した距離に相当する位ではないかと思います。

こんなことを考えても、インドは広いと思いました。

ホテルの直ぐ隣にスーパーが有りました。明日は帰国すると言う段階になって買い物が出来て良かったです。
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聖地ガンジス河とゴールデントライアングル  北インドハイライト 7日間 (第4日)  タージ・マハルとアグラ城へ

2018年11月20日 23時31分13秒 | 海外旅行

第四日目です。今日も早朝に出かけました。朝焼けに染まるタージ・マハルを鑑賞すると言う事でしたが、残念ながら朝焼けのタージ・マハルを拝することは出来ませんでした。出かけた場所がヤムナー川の近くであり、霧が発生しやすい環境なのでしょう。
その後、ホテルへ戻ってからタージ・マハルを見学。そして、昼食の後にはアグラ城へ向かいました。

クリスタル サロバー プレミアH - タージ ビュー ポイント - クリスタル サロバー プレミアH -  
タージ・マハル -大理石細工の店 - The  Charcoal  Chimny(レストラン) - アグラ城 - 
クリスタル サロバー プレミアH



真夜中の花火

(00:03)
旅に出て体内時計が日本時間なのか、早めの時間に眠くなります。
10時頃には寝ました。
そして、ポ-ン。ポ-ン。と言う音が聞こえました。
眼を覚ましてしまいました。
窓の方へ行くと、花火が上がっているのが見えました。
その花火は、ホテルの直ぐ横から上がっていました。
何か、結婚式が始まったように感じました。(始めは、何事が起きたのか判らなかったのです)


結婚式場へ闖入

(00:11)
結婚式が始まったようなので、エレベーターで1階に下りました。
こちらのご夫婦、私と一緒にエレベーターに乗ってきました。
部屋の番号は判りませんが、私たちの隣の部屋の人たちでした。
結婚式の様子を撮影したいと思っていました。
ご夫婦の後ろの食材を撮らせて欲しいと言ったら、食べなさいと勧められました。

私は、何処の者か訳の判らない者ですが、来るものは拒まず精神が有るのでしょう。
この時の私の姿は、花火で起されたので、寝巻き姿のままでした。
ズボンに長袖のTシャツ。
とても、パーティーに参加できるような姿では有りませんでした。




撮らせて貰った食材です。
左はシロップ漬のダンゴのような物だと思いました。




儀式を執り行っているように見えました。




(00:12)
ズラ~と並んだコック達。




左の上。浅い鍋の中心部。熱い油が溜まっています。
ドーナツのような物だと想像します。
スイーツで客をもてなすのではないかと思いました。




インド人は写真に写るのが好きみたいです。
左下の男性二人には写真を撮ってと言われました。
左上は上でも述べましたが、エレベーターで一緒になったご夫婦です。奥様は綺麗な方でした。





着飾った女性達。
お喋りしながら、スイーツに舌鼓を打っています。




こちらは結婚式場だと思います。




(00:17)
ドアの内部です。
新郎新婦はまだ、外に居ます。
ステージ上で記念撮影をしています。
時間が来たら、新郎新婦がすわるのて゜しょう。

ヒンズー教の結婚式
11月20日は結婚式OKがスタートの日。
後から判った事なのですが、アノ真夜中の花火は結婚式のスタートの合図でした。
何でも、ヒンズー教で゛は、六月か七月からか、何ヶ月間は結婚式を挙げる事が出来ない期間だそうでした。
そして、11月20日が結婚式を挙げても良い時期がスタートする日だ、そうでした。
そう言えば、ホテルに来る途中。何箇所も入口をピンクに彩られたところを見かけました。
ここと同じように結婚式が始まったのでしょう。



タージ ビュー ポイントへ

(06:30)
ツアーの行程では、朝焼けに染まるタージ・マハルを見に出かけることになっていました。
ところが昨夜、希望者を募ったところ、私とMotaサンだけでした。
バスでビューポイントへ向かっています。


タージ ビュー ポイント

バスの車窓から。
タージ ビュー ポイントの標識が立っていました。




(06:37)
バスが着き、降りました。
この場所がどの辺りなのか判りませんが、川の近くのようです。
ガイドと添乗員。それにMotaサンです。
Googlで調べたらヤムナー川という川でした。




私たち以外にもこの地に来た人たちが居ました。
関西からのツアーの人たちでした。
その人たちのコースにも、ここを訪れるようになっていたのでしょう。
太陽が昇って来ました。




(07:02)
東に向かって眺めていましたが、こちらは西側の景色です。
霧の中にアグラ城が見えます。


残念ながら、朝焼けに染まるタージ・マハルを見る事はできませんでした。
場所がヤムナー川の直ぐ近くですので、霧が発生し易い環境なのでしょう。
朝焼けのタージ・マハルは滅多に見れないのではと推測しました。





クリスタル サロバー プレミアH

(07:24)
ホテルに戻り朝食です。




コックがオムレツを作ってくれます。
私も列に並びました。
タマネギやコーンなど好きな物を入れてもらえます。





チョイスして来た朝食。
左のオムレツは先ほど作ってもらったものです。




タージ・マハルへ行きます

(09:08)
ホテルからバスで来ました。
タージ・マハルまでは直接バスでは行けません。
途中で電気自動車に乗り換えました。




タージマハルの敷地内に入るのに身体検査が有ります。
関門でチェックを受けます。


タージ・マハルの園内に入ってきました

タージ・マハルの敷地に入ってきました。




立派な前門。




(09:33)
ガイドのラクシュミサンが説明してくれています。
前門の上のマンジュウの形のモノ。
11個見えます。反対側にも11個並んでいました。
コレはタージ・マハルが建設に22年間掛ったと言う事を現しているのだと説明していました。


タージ・マハル

前門を潜るとタージ・マハルが見え出しました。






タージ・マハルの正面から。
多くの人が訪れています。




欧米人も多く訪れています。




(10:01)
インド軍の若い女性兵士たち。
団体で来ていました。
隊で引率されて来たのでしょう。


これからタージ・マハルの壇に上がります。
壇上では素足になるか靴カバーを着用するかです。




正面入口です。
列に付いて行きます。





ここが入口です。
大理石にレリーフの模様が刻まれています。




タージ・マハルの内部を通過して来て裏側に出ました。
大きな川。
ヤムナー川が流れています。




裏側に出てきて、振返りました。




(10:41)
タージ・マハルから出てきました。





タージ・マハルへ来る時に乗って来た電気自動車。
この車でバスの場所に戻ります。


妃の霊廟として作られたタージマハル。
建設に22年掛ったのだそうでした。
王は愛した妃のために立派な建物を建造したが、多くの民の汗や涙が流れたのではなかろうか。


大理石細工の店

(11:13)
大理石細工の店に寄りました。




左は大理石細工に取組む職人。
右は店内です。
貴石がはめ込まれた丸テーブルなどを売っていました。



The  Charcoal  Chimny(レストラン)

(11:44)
お昼の時間であり、レストランに寄りました。




出て来たお料理。



アグラ城

(13:08)
これからアグラ城に入ります。
赤砂岩で造られた立派なお城です。





こちらが入口です。





城の内部に入りました。




アクバル帝が建てたジャハーンギール殿へ来ました。




ジャハーンギール殿の全体を眺めました。
立派な建物でした。




中庭のような所です。




午前中、行ったタージ・マハルが遠くに見えます。





王様が幽閉された場所だそうでした。





(14:17)
アグラ城を後にします。




クリスタル サロバー プレミアH

ホテルに戻って来ました。





(08:11)  (15:16)
ホテルの3階の窓から見えるタージ・マハルの景色です。
左が朝。右が午後です。
朝、見えなかったタージ・マハルが午後には見えました。




ホテルの夕食です。




チョイスして来たお料理です。
何度も食べているこのホテルのお料理。
少し、嫌になってきました。
今夜もこのホテルに泊まりますので、明朝もこのレストランでの食事となります。



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聖地ガンジス河とゴールデントライアングル  北インドハイライト 7日間 (第3日)  デリーへ戻りアグラへ

2018年11月19日 23時03分45秒 | 海外旅行

第三日目です。今日は早朝に出かけ、ガンジス川の沐浴風景を見学しました。その後、ホテルへ戻って出発の準備をしてから空港に向かいました。国内線でヴァラナシ空港からデリー空港への移動です。その後はバスで高速道路をひたすら走り、アグラのホテルに着きました。

ジ゙・アマヤH - ガンジス河の「沐浴場所」 - ジ゙・アマヤH - バラナシ空港 ✈ デリー空港 - 
Pekoe  International(紅茶の店) - Waves(レストラン) - インド門 - 
Highway Masala(サービスエリア) - クリスタル サロバー プレミアH


ガンジス河の「沐浴場所」^

(05:18)
バスの最後部から。
朝、5時にホテルをバスで出発しました。
今朝はガンジス河で沐浴風景を見に行きます。
場所は昨夜のアルティー会場と同じ場所です。





バスで行けるところまで行き、途中から徒歩となりました。




(05:24)
女が礼拝に捧げる花を売っています。
こんな店が何軒も並んでいます。
その傍らで牛が寝そべっています。





ガンジス河の川岸に来ました。
VaranasiのShiv Satendra prajapati ghat。
バラナシーのシブ サテンドラ パラヤパティ ガ―トです。(読み方に誤りが有りましたらお許しください)
川港で階段状になっています。

ここからボートが係留されている場所に下りていきます。



ボートに乗船します

(05:34)
ボートに乗船します。
供物を少年少女が売りに来ています。




ボートの船上にまで売りに来た少女。




皿の上には花とローソクが乗っています。
コレを買いました。
値段は、確か10ルピーでした。




ミンナがボートに乗船しました。
船頭が操船します。
右手は紐を引っ張っています。
そして、左手は舵を取っています。

船頭が舟を動かしたのは手前の白い箱。
ここにエンジンが入っていて、クランクを回し起動させました。
音的には「ポンポンポン・・・」という音です。



(05:41)
船が岸から離れました。




光の輝く場所。



あの場所。
昨夜のアルティーの場所です。



まだ暗い中。
沐浴が始まっています。




(05:49)
沐浴風景を見る舟々。
沐浴の様子を撮影しています。



沐浴場所

(06:21)
時間が経ち、明るくなってきました。
人々が沐浴しています。
この場所。
後ろの壁にVijaynagram Ghatと描かれています。



沐浴の様子をアップで。





買って有ったローソクに点火して流しました。
明るくなる前に流せば良かったかもしれません。




船が出発地に戻ります。




(06:29)
こちらは火葬場で、煙が上がっています。



出発したところへ戻って来ました。




(06:35)
太陽が上がってきました。


バスに戻ります

(06:43)
バスに戻ります。




ジ゙・アマヤHでの朝食

(07:14)
ホテルに戻り、朝食を取ります。




チョイスして来た朝食です。


バラナシ空港へ

(08:48)
バスの最後部から。
トラックのような荷台を牽引するトラクター。
インドではこのようなトラクターを何回も見かけました。
左はスズキの車です。
インドではスズキの車が圧倒的に多かったです。




バラナシ空港

(09:48)
バラナシ空港へ来ました。
空港での手荷物検査と身体検査です。





(10:06)
前方に機が停まっています。




(10:11)
機内。
10時30分の離陸で、まだ出発していません。


デリー空港に着きました

(12:05)
デリー空港に着きました。
1時間30分ほどの空の時間でした。
タラップで降り、あのバスに乗車します。




ターミナルに向う車内です。





(12:25)
ターミナルから出て、あのバスに乗ります。


紅茶の店へ

空港を出てから最初に紅茶の店に寄ります。


Pekoe  International(紅茶の店)

紅茶の店。
そして、店内です。
紅茶を勧められました。




バスの最後部から。


Waves(レストラン)

(13:39)
遅めの昼食です。
Wavesというインド料理のレストランに入ります。



インドの代表的な銘柄。
キング フィッシャー ビール。





カレーの料理です。





左上はナンとタンドリーチキンです。
野菜カレーや豆カレーです。
インドのカレーといっても、辛過ぎず、普通に食べれました。




レストランの外へ出てきました。
レストランの外に居た兄弟。(だと思う)
兄が太鼓を叩き妹が横転して見せました。
小さい弟は頭を回して帽子に付いた紐を回転させていました。
物乞いなのです。
この姿を見て、美空ひばりの越後獅子の唄が重なって思えました。


インド門

(15:35)
インド門に来ました。






似顔絵を描く女性。
女性の周りに人々が近寄って来ていました。




インド門の上部です。
ガイドの説明によると、第一次大戦で亡くなった人を鎮魂するためもの門が立てられたと話していました。




バスの車窓から。
インド門を眺めました。




(16:15)
高速道路に入りました。
この道路。
G00gleの地図にはヤマナ・エキスプレスウエイと書かれています。
この場所。
料金所なのですが、「DND over Yamuna」と言う場所のようです。
Yamunaはヤムナ川なのでしょう。
料金所ならToll Plazaと言う言葉が付いているのですが、ここは付いて居ません。


Highway Masala(サービスエリア)

(17:08)
高速道路を走っていて、トイレ休憩となりました。
ここは、いわゆるサービスエリアです。



カミさんのお土産。




入口で販売していたアイスクリーム。
アノ、アイスクリーム取り出す奴ですくってくれました。
見たら、小さなサイズだったのです。
それでダブルを注文しました。
ダブルで160ルピーです。
300円近い金額となるのですが、外国人料金。そんな事は無いだろうか。




(19:21)
アグラの街に入って来ました。
所々に、入口をピンクでライトアップした場所が見えました。

ヤムナー料金所を通過したのが16時15分でした。それよりも早く高速に乗ったと仮定して、アグラの街に入って来たのが19時21分。高速を3時間ほどは乗ったことになります。
180キロから190キロほど移動しました。





クリスタル サロバー プレミアH

(19:27)
ホテルに到着です。




このホテルでも身体検査をやっています。
ゲートが見えますが、宿泊客に対してですので、厳しい取締りでは有りません。




ホテルのロビー。
パスポートを渡し、チェックインの手続きをして貰います。
そして、添乗員から部屋のカードキーを貰い、明日の出発時間が伝えられました。




私たちの部屋。
322室です。





(20:03)
レストランに下りてきました。
遅めの夕食です。






ホテルのレストラン。
下の段はサラダです。




チョイスして来たお料理です。




夕食の後、外に出てみました。
沢山の車が往来しています。
信号機も横断歩道も無い場所での横断をしました。




(20:12)
この店で缶ビールを買いました。
royal model shop fatehabad road agra


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聖地ガンジス河とゴールデントライアングル  北インドハイライト 7日間 (第2日)  ヴァラナシへ

2018年11月18日 23時03分28秒 | 海外旅行

第二日目です。今日はデリーのホテルからデリー空港へ。そしてインドの国内線でヴァラナシへ向かいました。ヴァラナシを別の呼び方でベナレスと言いますが、空港にはヴァラナシの名が着いていました。インターナショナルと着いていましたので、一応、国際空港となっています。
ヴァラナシ空港に着いてからベジタリアンメニューのレストランへ。その後、サルナートのムルガンダ・クティー寺院とダメーク・ストウーパへ行きました。サルナートは仏教徒にとって大切な巡礼地であります。遺跡公園の中に有るひときわ目立つ存在なのがダメーク・ストウーパです。仏陀は、ここサルナートまでやってきて、ここで初めて自分の覚りを修行者に伝えました。この最初の説法は「初転法輪」と呼ばれていますが、その「初転法輪」が行われた場所が、ダメーク・ストゥーパの建っている所だと言われています。
この後、一旦ホテルに戻り、オートリキシャーでガンジス河の「アルティ会場」に向かいました。

イビス ニューデリー アエロシティH - デリー空港 ✈ バラナシ空港 - ROYAL(ファミリー レストラン) - 
ムルガンダ・クティー寺院 - ダメーク・ストウーパ - SILK Kbazana(シルクの店) - ジ゙・アマヤH - 
ガンジス河の「アルティ会場」 - ジ゙・アマヤH

イビス ニューデリー アエロシティH

(06:01)
ホテルのレストランです。
朝食は6時から出来るとなっていました。
8時15分に出発となっていましたので、早めに食事を済ませます。




色々の食事です。




チョイスして来た朝食。
インドへ来て、初めての食事です。
何か、カレーの料理のような気がしましたが、朝からカレー。
チョッと手が出来ませんでした。




(06:35)
朝食の後、少し時間が有りましたのでホテルの外へ出てみました。
左はホテルに入って来るのに遮断機があり、番人が居ました。
昨夜、ホテルに着いた時、手荷物の検査が有りました。
セキリュティが厳しい。
そんな印象です。
右は待機するタクシーです。



ホテルの外へ出ました。
丁度、進入態勢のジェット機が見えました。
着陸態勢で高度を低くして進入して来ています。
こんな状態が何度も見えました。




イビスホテルの外側です。
この辺り。
ホテルが何箇所か有りました。


ハプニング
ホテルの外へ出て行って、戻って来ました。ホテルのエレベーターは上階へ上がるのにカードキーを照射しないと動かない仕組みでした。でも、カードキーは相棒のMotaサンが持って上がって行ってました。私と同じような立場の人が居ました。ツアー仲間のSサンも同じ状態でした。食事の後にタバコを吸いにホテルの外へ出たのでした。彼の場合、奥様がカードキーを持ち、上階へ上がっていました。
フロントから添乗員の部屋に電話を入れ、降りて来てもらって事なきを得ました。
デリーのホテルはセキュリティが厳しい事が判りました。



(07:59)
出発の時間です。
私たちの荷物は部屋の前に出して置きました。
台車に乗せて、運んで来ています。




スーツケースをバスのトランクに入れています。
日本のバスですとエンジンが最後部となっていますが、インドのバスのエンジンはドライバーの横で先頭部となっていました。



バスに乗車しました。
挨拶するラクシュミさん。
インドのバスは客席と運転席がガラスで隔絶していて、独立した運転室となっていました。
ドライバーに用件が有る時はドアを開けて話していました。




空港へ向かう道路です。
イギリスの植民地であった事も有り、左側通行です。
広い車線。それに中央に分離帯が有り、散策路も有りました。
広場があり若い人たちはボールで遊んでいました。


デリー空港

(08:18)
デリー空港に着きました。
朝の時間で車が殺到しています。




空港の入口を警備する警察官です。
ここで、Eチケットとパスポートの提示を求められました。
セキュリティで誰でも入れるわけでは有りません。
警官の右肩にはムキ出しの自動小銃が下がっていました。
普段、銃を見る事の無い日本人には異様に思えました。




エアー インディア。
航空会社のカウンターです。
ここで、搭乗のチェックインを済ませます。





荷物検査を通過し、身体検査です。
通過するゲートが男性と女性に分かれていて、女性はボックスの処でカーテンを引いて検査していました。




(09:31)
AI-406便は10時15分発で、32Bゲートからの搭乗です。
動く歩道で向かいます。




私たちが搭乗するAI-406便の機が見えます。
あの機種はエアバスA321です。



(09:48)
ボーディンブリッジから見えるAI-406便。




AI-406便の機内です。
この飛行機。先頭に向って左に3席右に3席となっています。
私のシートは7Aでした。





機内食を配ってきました。





配られた機内食です。
乗っている時間が1時間20分ほどです。
時間が短く、機内食は無しでも好いと思いました。


バラナシ空港

(11:33)
バラナシ空港に着きました。
ここでも、タラップで降りるようになっていました。
ここからターミナルは近かったです。

離陸をはじめたのが10時15分頃で、着陸したのが11時30分位でした。
正味、1時間15分程の搭乗時間でした。
どれ程の距離か判りませんが、中部空港-成田空港間程度だと思います。



ターテーブルでスーツケースを受け取り、バスの駐車場へ向かいます。




バスの駐車場からみたバラナシ空港のターミナルです。
正式な呼び名はLal Bahadur Shastri International Airportで、一応国際空港なのでしょう。 
インド国旗が掲揚して有りますが、風が無く垂れ下がっています。


ROYAL(ファミリー レストラン)

(12:35)
空港を出て、向かったのがROYALと言うファミリー レストランです。





私たちが店内に入った時、他の客は誰も居ませんでした。
その後、ファミリーが入ってきました。
店に入って、薄暗いと感じました。




カレーの料理。左から野菜カレー、チーズカレー、豆カレーです。
そして、スープが付いていました。



ムルガンダ・クティー寺院

(13:12)
サルナートのムルガンダ・クティー寺院に来ました。
この寺院、またの名を初転法輪寺と呼ばれています。





寺院の入口。
上から鐘が下がっていますが、撞木が見えません。
どうやって鐘を鳴らすのだろう。





寺院の内部です。
黄金色の仏像が見えます。




寺院の内壁には仏陀の生涯が描かれています。




寺院を出ました。
隣の遺跡公園へ向かいます。



遺跡公園

公園の入口です。
ガイドがチケットをまとめて買いました。
チケットを受け取り園内に入りました。



(14:55)
広い園内。
芝が刈られ綺麗になっています。



ダメーク・ストウーパ

大きなダメーク・ストゥーパ。
直ぐ近くまで来ました。





レリーフのように模様が刻まれています。




私もこの「塔」に向って合掌しました。



園内を廻った後、入口に戻るよう歩きます。
レンガが積み重ねられています。
これが基礎で、この上に壮大な建物が建っていたのではなかろうかと想像しました。



SILK Kbazana(シルクの店) 

シルクの店に寄りました。
SILK Kbazanaと言う店です。
実は、この店。
今夜泊まるホテルの直ぐ隣でした。



地下のような場所に案内されました。
男性が機を織っているのを見学しました。
そして、上階へ。
シルク製品のセールです。

ジ゙・アマヤH

(16:28)
ホテルに着きました。
このシーンは、バスがホテルの前を通った時に撮影したものです。




左はロビー。
右は私たちの部屋。502号室です。
自室に行く前に添乗員のTさんからアルティ会場へ17時に出発すると言われました。



(17:04)
3台のオートリキシャーに分乗して「アルティ会場」へ向かいます。




前のオートリキシャーに続いて走行して行きます。

ここでハプニング
私たちが乗っているオートリキシャーが前の2台に引き離されてしまいました。
それで、私たちのオートリキシャーは狭い街の中の道をアッチへ行ったり、コッチへ行ったりと右往左往しました。ドライバーは集結場所を判っていなかったようなのです。
街の中をさ迷う事、30分ほど。一箇所に留まる事も30分近く有ったりしました。この間、前のリキシゃーと連絡を取り合ったりはしていたのですが、上手く行かなかったのです。
一箇所に留まっていた時は、段々薄暗くなっていく。辺りを往来する車やリキシャーはひっきり無しにクラクションを鳴らすなど騒音の世界に置かれました。この時の心境は心細かったです。
車同士が擦れ違えないような細い道で、首を落とされ皮を剥かれたヤギが吊るされていました。こんなシーンを目にしたのは街中の生活路に入ったからでした。


ガンジス河の「アルティ会場」へ

(18:35)
集結場所にたどり着き、仲間と一緒にアルティ会場へ向かいます。



ガンジス河の「アルティ会場」

アルティ会場に来ました。
既に、凄く沢山の人が来ています。




アルティ・プージャ。
バラモン教の伝統にのっとったヤジュニャと呼ばれる祭火を捧げる儀式。
リンが吊るされ、紐が下へ伸びて来ています。
スピーカーから音楽が流れ、紐が引っ張られるのに合せてリンが音を発しています。

アルティの雰囲気を知っていただきたいと思い、Youtubeのサイトを貼りました。
https://www.youtube.com/watch?v=F6SEmwJ4Gb8



(18:46)
火を持って祈る儀式。
ダシャシュワメード・ガートでは、日没とともに始まる祈りの儀式が行われます。アルティーと呼ばれ、人々の尊敬の念が最も込められた儀式が毎晩行われます。



沢山の信者と観光客。
人々は川岸の階段状の場所に腰掛けて儀式が進んで行くのを見ています。



ホテルに戻って来ました。
ホテルの東側。
照明でライトアップされているVaranasi  TV  Towerが見えます。




(19:55)
ホテルへ戻ってきて遅めの夕食です。





カレーなどが並んでいました。




チョイスして来た夕食です。



感想
ガンジス河のアルティーを見ました。沢山の信者と観光客。崇高な宗教儀式を眼にする事が出来ました。
又と無い機会。眼に出来て良かったです。

朝と夜はホテルでの食事で、昼食もベジタブルメニューと言うものの、カレーの料理で、インドの食事が嫌になって来ていました。それにインド人が野菜中心の食事なのだからか、ホテルではハムとかソーセージ類が少なかったのです。
空港でチケットやパスポートを見せて入ったり、ホテルへ入るのに所持品の検査が有ったりしました。インドのセキュリティの厳しさを感じました。

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聖地ガンジス河とゴールデントライアングル  北インドハイライト 7日間 (第1日)  デリーへ

2018年11月17日 23時48分01秒 | 海外旅行

海外旅行をも申し込み、楽しみにしていました。向う国はインドで、デリーを中心とした北インドの地域です。一緒に旅をしたのが山友達のMotaサンです。

第一日目は早朝に中部国際空港から上海空港へ向かい、上海空港でトランジットしてデリーへ向かいました。
搭乗した航空会社が中国東方航空でした。中部から上海までは古いタイプの機で座席の前にモニターが着いていませんでした。上海からデリーに向う機は少し大型でエアバスA330でした。

中部国際空港 ✈ 上海浦東空港 ✈ デリー空港 - イビス  ニューデリー  アエロシティH



クラブツーリズムの「海外の旅」。
今回の旅行のページです。
最少催行人員が10名となっていますが、キャンセルが出て10名を割り、9名での実施でした。最大催行は16名となっています。少人数でゆったりと出来た旅でした。




クラブツーリズムの受付カウンターです。
ここから「旅」が始まります。
列に並びましたが、前うの人たち。
一緒のツアー仲間でした。

ここで、Eチケットを受け取りました。



航空会社の受付カウンターです。
チェックインの手続きをし、荷物を預けます。





手荷物検査。
そして出国の関門を通過し14番ゲートに向かいます。
出国の手続きで、コレまでは出入国管理官に対面し、パスポートへ「スタンプ」を押して貰っていたのですが、自動で行なえるように変わっていました。鏡のようなマシーンにパスポートの写真部分を押し当て、自分も鏡の中を覗く。
そなん手続きに変わっていました。コレが顔認証システムなのでしょう。
簡単になりましたが、パスポートに出国のスタンプが残らないのは残念に思いました。





(08:26)
14番ゲートです。
搭乗の受付が始まりました。
搭乗する機はMU292便です。



これから乗る機がガラス越しに見えます。
この機。エアバスのA320です。




ボーディングブリッジで機内に入ります。
この機。
8:55出発予定時間です。




離陸して30分余りが経ち、機内食が配布されだしました。






いただいた機内食です。
卵とじにしたカツがご飯の上に乗っていました。




後ろから見た機内です。
トイレへ行った時に撮りました。
ほぼ、満席でした。
この機。
上海空港に着いた後、西安へ向かいます。




(10:58)上海時間
上海浦東空港に着きました。
機からボーディングブリッジで降りるのでなく、タラップで降りるのでした。
先にバスが待っています。



送迎バスに乗りました。
このバスが走った距離が長く、上海空港が大きいと感じました。
ボーディングブリッジで機から降りるようにする工事をやっていました。




乗り継ぎでゲートを通過します。




(11:57)
上海空港の内部に入って来ました。
端が見えないほど広いです。




(13:41)上海時間
デリーに向うMU563便のゲートが213となっていました。
ここは1Fで、ゲートの向こう側にバスが待機しています。



送迎バスの車窓から。
これから搭乗するデリー行きのエアバスA330が見えます。
中部から上海まで乗ってきてタラップで機から降りました。
デリーに向うのもタラップで搭乗します。この機もボーディングブリッジで無く、タラップであり、こんな事有り?
と言う気分がしました。



タラップが2ヶ所並んでいます。
手前がビジネスクラス。
向こう側がエコノミークラスです。




機の窓から。
機外が見えますが、下は雲海になっています。
シートがJ38で翼の上です。



上海浦東空港を離陸したMU563便。
中国の深部へ向って行きます。
ヒマラヤ山脈を越えるのですので、機の下を気を付けていましたが、雲で見下ろせませんでした。。





MU563便で出された機内食です。
チキンの料理でした。




(20:31)インド時間
デリーの空港に到着です。

機に乗っていたのが7時間余りでした。
日中の時間帯のフライトでしたが、窓のブラインドを下ろし機内の照明を暗くしてくれました。
客が眠れるようにとの配慮だったのだと思います。





インドへの入国審査。
この先が関門ですが、インド人の入国審査ゲートです。




こちらが外国人の入国審査ゲートです。





お向かえが来ている場所です。
外へ出てきました。




スーツケースを引っ張ってバスが待っている処に向います。





バスに乗りました。
挨拶するガイドのラクシュミさんです。




(20:40)
ホテルに到着です。
空港から近いホテルでした。

IBIS  NEW  DELHI  AEROCITY





ホテルに入る前です。
荷物のX線検査。
建物のガラスの外からベルトコンベアに乗せ、通過させて検査を受けます。
こんなに厳しいのは初めてです。
テロ防止の観点からこのように厳しく検査がされるのですが、治安が良い日本に居る者にとっては異色に感じました。




ホテルへのチェックインです。
ガイドがパスポートを集め、カウンターへ向かいました。

その後、部屋のカードキーが渡されました。
私たちの部屋は453でした。

明日の出発時間。
そして枕銭は50ルピー。トイレのチップは10ルピーなどの話がありました。


感想
今日は一日、飛行機に載りっ放しの日でした。
上海空港に着いて機から下りるのがタラップを使ってでした。また、デリーへ向うのもタラップを使ってでした。大きな空港なのですが、タラップを使って搭乗したり降りたりするのが不思議に思えました。でも、機から降りてバスが建物に着くのに時間が掛りました。それだけ大きな空港と言えます。ボーディングブリッジを工事しているみたいでした。まだまだ、発展の余地のある空港でした。

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美しきロシアスペシャル 5日間  (旅の思い出 感想と考察編)

2017年06月25日 01時57分30秒 | 海外旅行

6月20日から24日までの5日間。ロシアに行ってきました。
20日はモスクワへ行く日でした。そして24日はサンクトぺテルブルグから帰って来る日でして、モスクワ1日。サンクトペテルブルグ2日の駆け足旅行でしたが、中身の濃い旅行でした。
旅行に行ってきて、ブログをアップさせました。
旅行を本番とすると、旅行後にプログに揚げるのは復習しているようなものでした。調べたり、旅の記憶を呼び起こしながら、漸くアップさせました。書いていて、何かと、色々の事を知る事が出来ました。それに、旅の思い出が甦ってきました。

ライラック
クレムリンの敷地内に入って、白っぽい花を見かけました。この花はライラックだろうと直感しました。ライラックを見るは初めてなのです。調べて、やはり、ライラックに間違いなかったです。
JR北海道に特急ライラックが有りますし、札幌ではライラックまつりが開かれるのを知っていました。
こうしてライラックの実物をシッカリと見るのは初めての事です。
ハイビスカスやブーゲンビリアは南国の花の代表選手です。ライラックは北国の花の代表選手の1つと言えるでしょう。長い冬から解き放たれて開花した花です。
ライラックから甘い香りが漂って来ていました。


クレムリンの敷地内で見かけました。
ライラックと母子。



こちらは22日に芸術広場で見かけたライラックです。
今の時期、広場などチョッとした場所でお目にかかれました。



5日間の天候
21日、22日、23日と3日続けて外へ朝の散歩に出掛けました。
3日間とも路面は濡れていました。夜のうちに雨が降ったのです。
それに21日に国内線でモスクワからサントペテルブルグへ向う時、搭乗する前の事でした。駐機している翼に激しく雨が当たっているのが見えました。
それが搭乗する時間には虹が姿を現していました。この辺りでは急に雨が降って来るような事が時々有るみたいです。でも、旅行中一度も傘の世話にはなりませんでした。
このようなことも、ラッキーだったと言えます。


モスクワのホテル。Hotel  ASTRUSのエレベーターの中に貼ってあった10日間の天気予報です。
上の部分がロシア語で下半分が英語の表記となっていました。
晴れ時々曇りのような天候が続きます。



21日の朝です。
早朝、ホテルから散歩に出ました。
歩道横の芝草を刈る作業員。
深夜に雨が降っていました。
その雨の名残。水溜りが有ります。




23日の朝。朝の散歩に出かけました。
水溜りが有ります。これも、前夜に雨が降ったのでしょう。
中国人2人が写真を撮り合っていました。トロイツキー大聖堂をバックにしてです。
シャッターを押しましょうかと声をかけたが、不要だとの返事。
中国人は2人の記念写真より、単独のポートレートを好むようである。
道路。1車線分は濡れています。これは散水車が通った跡なのです。何台かの散水車が運行しているのを見かけました。前夜に雨が降っても、道路が乾いていたら散水するようです。



24日の朝。
ホテルの窓からの眺望です。
前夜に雨が降ったのでしょう。
道路が濡れています。



21日の夕刻。
国内線でモスクワからサンクトペテルブルグへ向かうときの事です。
搭乗開始前。ジェット機に激しく雨が落ちていました。
こちらの画像は雨に打たれる前なのですが、遠方。尾翼の上に虹が見えました。


晴れ時々曇りのような天気予報でしたが、スコール的な雨が降ることがありました。5日間の旅行中、一度も傘をさす事は有りませんでした。
今から思うと、ラッキーだったと言えます。




白夜
ロシアへ行った時期が白夜の時期でした。
白夜と言うモノがどのようなモノなのか、知る事が出来ました。
薄暗い状況。
新聞が読める程の明るさと聞いていましたが、実際はもう少し暗いと感じました。でも、夜10時過ぎに太陽が没し、午前3時過ぎに日の出となります。太陽が早い時間に出てくる。コレが白夜なのだと体験できました。
緯度が更に高くなれば、太陽が沈まないのでしょう。


23日。0時15分です。
太陽が10時過ぎに沈み午前3時過ぎには上がって来ます。
22日にバスの中から橋の上に有った花火の打上げ装置から「白夜祭」が有る事を知りました。
ユーチューブの白夜祭の模様です。
https://www.youtube.com/watch?v=XevS-Nb9tk4
沢山の若者たち。
若者でないと会場へは入れないとガイドが話していました。
ガイドはこのイベントを卒業祭と言っていました。学校を卒業できた事の喜び。そう言った若者の感情が高まるのでしょう。あの宮殿広場が人で溢れています。


二人のガイド
モスクワではミハエルと言う鬚面の大男でした。
ミハエルには2人の娘があり日本へ留学して、自分よりも日本語が上手いと言っていました。
クレムリンのウスペンスキー寺院と武器庫の内部は撮影禁止となっていました。私たちに説明している最中でも横で、カメラで撮影している人を見かけると注意していました。ルールは守らなければならない事を、信念にしているように見えました。

クレムリンで説明するミハエル。


もう1人。
サンクトぺテルブルグの方はエリザベータと言うママさんガイドでした。男の子と双子の女の子の母親です。ロシアで子供3人と言うと、多いほうなのだと話していました。
ご主人は電車の製造関係の技術者です。
新婚旅行で日本へ来たと言っていました。

プルコヴォ空港(サンクト・ペテルブルク)に着きました。空港へ迎えに来ていたエリザベータ。
バスに乗り、車内で自己紹介を始めました。
車内の時刻表示が21時25分となっています。
このような時間でも暗くないです。



二つのホテル
モスクワのホテルはHotel  ASTRUS(アストルス)でした。33階建ての高層ホテルですが、建てられて時間が経っている。そんな感じのするホテルでした。
サンクトペテルブルグのホテルはAZIMUTO Hotel (アジムト)でした。こちらは19階建ての高さです。市の中心から離れているからこれだけの高さのホテルとなっています。中心地では高い建物が建設できないのだそうです。
いずれのホテルもミドルクラスだと思いました。バスタオルやフェイスタオルは有りましたが、それ以外のアメニティは何も無かったです。
余分な物を置かない。それを料金に反映させているのでしょう。
 AZIMUTOでは14階でした。眺望が良く、トロイツキー大聖堂が見えました。


モスクワのホテル Hotel  ASTRUS。
22日の朝、散歩に出た時に撮りました。



ホテルの部屋、19階の高さからの眺望です。
Hotel  ASTRUSはモスクワの中心から南東の位置に当たります。
こり画像では判り難いですが、中心地の高層ビル群が確認できました




サンクトペテルブルグのAZIMUTO Hotel 。
こちらは19階建ての高さです。



ホテルの窓からの眺望。
14階の部屋からは、トロイツキー大聖堂が見えました。





二都の比較 モスクワとサントペテルブルグの大河
モスクワ1日。サントペテルブルグ2日と短い期間でした。
モスクワにはモスクワ川が流れ、サントペテルブルグにはネヴァ川が流れています。サントペテルブルグのネヴァ川は河口近くで、海に注いでいます。
川の形状は異なっても、大河であることは共通していました。それに、大河であるので、何れの河も遊覧船が航行していました。
ネヴァ川は海に注ぐ寸前ですの川幅が広かったです。モスクワ川は、日本の川のように川原の石が見える川でなく、川岸からすぐに川になっていました。このような特徴の川を見るのも初めてでした。(ただ、日本では隅田川を見たことがあります)何れの川も大きな国の川と言うイメージがしました。
モスクワ川は市の中心部を蛇行する大きな川です。地図を見るとモスクワ川は蛇行している大きな川なのが判りました。
それから、ネヴァ川は河口近くとなっていて、もう直ぐ海に注ぎ出る大きな川です。
ガイドのエリザベータが説明してくれましたが、ネヴァ川に架かる大きな橋の殆どが跳ね橋だと言っていました。

バスの車窓から見えたモスクワ川。
遊覧船が航行しています。




バスの車窓から見えたモスクワ川。
高層のビルが見えますが、アパートだと説明していました。


サンクトペテルブルグの市内地図

ホテルに置いて有った中国語の地図です。自由に持って行く事が出来ました。
ネヴァ川の橋のほとんどが跳ね橋だとガイドが話していましたが、この地図でその事が判りました。
橋の開閉する時刻が書かれています。日中ですと渋滞が生じてしまいますので、深夜の時間帯に開閉するのでしょう。
機会が有ったら開いた跳ね橋を見てみたいです。



宮殿橋の上から眺めたネヴァ川。
長いボートのように見えるのは「白夜祭」の打上げ花火の設備です。




ネヴァ川を行く遊覧船。
乗客がデッキへ出てきています。




バスの車窓から見えたネヴァ川。
船員が船の掃除をしています。




二都の比較   トロリーバスと路面電車
モスクワとサントペテルブルグではトロリーバスと路面電車を度々、見かけました。
日本では珍しいトロリーバスです。路上に架線が張ってあり、どちらの都市でも、走行するバスを何度も見かけました。
また、路面電車を何度も見かけました。ぺテルゴフの夏の離宮へ向かう時には道路と路面電車が平行していました。
路面電車なのですが道路を走るのでなく、鉄道敷地となっていました。
モスクワでも空港に向かう道路と路面電車が平行していました。こちらも専用の鉄道敷をカラフルな電車が走っていました。
路線網が発達した両都市。環境に配慮した街だと言えるでしょう。

モスクワで見た路面電車とトロリーバスです。
色々のカラーの車体です。





こちらもモスクワのトロリーバスと路面電車です。


サンクトペテルブルグの市内電車の路線網

こちらもホテルに置いて有った持ち帰り自由の地図です。
上がロシア語。
下は英語の表記になっています。
市内電車の路線図で、裏面にはネヴァ川の遊覧船の運行図が載っていました。この地図を持参すると10パーセントオフになっていました。



こちらはサンクトペテルブルグのトロリーバスと路面電車です。
こちらの路面電車。女性運転士が運転しているのを見かけました。
男女比は判りませんが、かなりの女性が運転している事だと思います。



ホテル近くの電停です。
全部の扉を開けています。今は好いが、冬はどうなのだろうか。
右側通行となっています。
電車は右に向かって進行して行きます。




電停に停まる路面電車です。
こちらの電車は珍しい連接車です。
この道路、トロイツキー通りです。
右に進むとホテルへ戻れます。

サンクトペテルブルグのホテル近くに路面電車の電停が有りました。トロリーバスのバス停も有りました。電車とバスを探求するチャンスが少なかったので、しっかりと眺められなく、このような結果でした。
じっくりと電車を眺めれば、色々の電車と対面できるでしょう。
路面電車好きの人には堪らないでしょう。



二都   モスクワの教会。サンクトペテルブルグの教会
バスの車窓からモスクワの教会を何回も目にしました。また、サンクトペテルブルグでは朝に散歩に出かけてので、こちらも教会を見かけました。教会の建物を間近に見てその姿に荘厳さを感じました。
モスクワの教会

バスの車窓から。
21日にドモジェドモ空港に向かっている時に目にした教会です。
屋根のドームの色が綺麗です。




21日。
ホテルから見えた小さな教会です。
公園の中にあるようなイメージです。
右側。黄色の箱のようなもの。子供たちの遊具でしょう。

モスクワの中心地ではウスペンスキー大聖堂。イワン大帝の鐘楼。聖ワシリー寺院などを見かけました。名の判らない教会も目にしました。


サンクトペテルブルグの教会

セント・ニコラス聖堂です。
23日の朝、朝食の後に散歩で出かけました。
玉ねぎドームが金色です。



運河越しに見える教会。
GoogleではIsodoruskerkと表示している教会です。
工事中で全体が見えません。

 




トロイツキー大聖堂です。
正面から向き合いました。




バスの車窓から。
オブヴォノドヴォ・カナラ通りに面した教会。
Sunday school at the Church of the Resurrection。
日曜学校教会とでも呼ぶべきか。
ガイドは市民の浄財で工事して綺麗になったと話していました。
実際、この教会をGoogleで検索すると汚れた建物です。


二都の比較
大きな川。路面電車やトロリーバス。それに教会。
二都の似ている面を眺めました、
僅かな駆け足旅行でこれだけの類似点を見かけました。
じっくり見たら、もっと沢山似た箇所を見つけることでしょう



サントペテルブルグの街
サンクトペテルブルは教会と運河の町。そんな事も発見しました。運河が網のように縦横に発達していました。そのような状況から、北のベニスと呼ばれています。
ネギ坊主をした形の教会です。他の建物に比べて派手であり、余計に目立っていました。ホテルの窓から教会が見えました。教会が多い街。そんな印象も持ちました。
それに、この辺り。ロシアの大平原と言うか、全然、山が無い場所でした。兎に角、運河と教会の街と言う印象の街でした。
色々と知る事が出来ました。また、知る事が面白かったです。


23日の朝、散歩に出かけました。
その時、カヌーの準備をして漕ぎ出そうとする人達を見かけました。
右はカヌーを漕いでいるシーンです。
川の擁壁が高くなっていますが、川へ下りられる場所が設けてあります。このような場所があるからカヌーを楽しめます。
こんな場面に遭遇しなかったら、市民が水に親しんでいる事が判らなかったです。
そう言う意味では、こんなシーンを目に出来てラッキーでした。




聖イサアク広場から周回して歩きました。
青橋から眺めたモイカ川の上流方面です。
右側に見えるドームはカザン聖堂です。




モイカ川の下流方面です。
乗船場が有ります。




運河越しに見えるIsodoruskerkと言う教会。
只今、工事中です。

ここでも運河へ降りれるように低くなった場所が設けてあります。
この場所を日本に当てはめて思ったのです。土地の形状から無理かも知れませんが、日本ではこのような場所、皆無では無いでしょうか。水の都といわれる大阪。道頓堀などは高い擁壁になっています。東京のベイエリア。恐らくここでも水に親しめるような場所は無いと思います。
googleの画像では、この運河。冬は凍って氷が張ります。長い冬が終り、暖かくなると一気にアウトドアに繰り出すのでしよう。先ほどのカヌー。そしてこのように川に出れるよう低くなった場所を見て、このように思いました。
このような場所がある。国としての姿勢があるのでしょう。





朝の散歩で見かけた塔です。
ニコライ聖堂の西側に有りました。
橋の下の向こう。ボートを漕ぐ人たちが見えます。




上の画像をトリミングしてみました。
ボートでなくカヌーでした。
手近な場所で水に親しめる。そのように見えました。






ホテル近くに戻って来ました。
エジプト橋から眺めたフォンタンカ川。
この場所はホテルの近くです。
カフェーなのだろうか。台船が浮かんでいます。



エレべーター
エレベーターの中でイタリアから来たと言う男性と一緒になりました。言葉は通じませんが、単語を並べます。彼はローマから来たと話しました。ローマなら行った事が有ると応えたのです。
また、別の時の事です。
今度は中国人と一緒になりました。エレベータの箱に入った時、外に人が居ました。中国人はサッサとドアを閉めるのでなく、外の人に一緒に乗るか気を配っていました。集団の中国人はしかめっ面ものですが、個となるとこのように気配りが出来る人も居るのだなと思ったのです。





ロシアの食事
21日のモスクワでの昼食はCOPOKAと言う店でボルシチの食事でした。COPOKAとはカササギと言う鳥の意味で、英語読みでは「Kafe Soroka」と言うのでした。22日の夕食はサントペテルブルグのロシアン・レストラン「Masha and the Bear」で、ビーフストロガノフをメインにした食事でした。
23日。プーシキン市のESTATE(レストラン)でピロシキを中心にした昼食でした。ESTATEは英語読みなのですが、「Pomestye」で検索すると出てきました。夕食はサントペテルブルグへ戻り、AMAPAHT(レストラン)で壷焼きの食事でした。こちらはAMAPAHTでなく、AMARANTで検索すると出てきました。
5日間の旅行中、ボルシチにビーフストロガノフ。ピロシキ。つぼ焼きとロシア料理を満喫することができました。


21日。
モスクワのKafe Sorokaでの昼食です。
ボルシチを中心とした料理でした。



22日。
サントペテルブルグのMasha and the Bearでの夕食です。
ビーフストロガノフをメインにした食事でした。





23日。
プーシキン市のPomestyeでの昼食です。
ピロシキを中心にした食事でした。




23日の夕食。
サントペテルブルグへ戻り、AMARANTで夕食でした。
壷焼きの食事でした。骨付きの鶏肉が入っていて、ボリュウムが有りました。



ロシアは銅像の国
ヨーロッパの他国が銅像の多い国かどうか、知りませんが今回の旅行で多くの銅像を見かけました。

何れの銅像もバスの中から撮影したものです。
左上はレーニン像。右上は青銅の騎士です。
下2点は誰の像か判りません。



左の上はニコライ1世の騎馬像でその下は横から眺めたものです。
右の上は芸術広場のプーシキンの銅像。
右下はピヨートル大帝夏の離宮の庭園のピヨートル大帝の像です。



左の上は聖ワシリー寺院の前に有った像です。
左の下はアレキサンダー1世像。クレムリンから出て来たところにありました。
右側の上と下はバスの中から撮影したものです。誰の像なのか判りません。


旅の偶然の面白さ
今回、参加者は直前のキャンセルがあり、15名の参加者となりました。少ない人数ですので、バスの座席には好きな処へ座れました。これが指定席となると座った席によって車窓の景色が異なってきます。
ホテルの部屋割りによって外の景色が違ってきます。今回、2つのホテルとも比較的高い階でして眺望に恵まれていました。
ライトアップしたトロイツキー大聖堂が見えたのはラッキーでした。

部屋の窓の外。
ライトアップしたトロイツキー大聖堂が見えました。

 

戦争の歴史
今回の旅行で特に心に残ったのは「戦争」と言う事です。トロイツキー大聖堂、教会の高いオダリスクに何本もの砲身が貼り付けてありました。クレムリンの中でも沢山の砲身が並んでいました。
エルミタージュ美術館には将軍の間があり、ナポレオン時代に戦ったであろう様軍たちの肖像画が何点も展示してありました。
スェーデンと戦って凱旋門を造ったとか、トルコと戦争したとかと、ガイドが話してくれました。
日露戦争で日本とロシアが戦ったことは知っていましたが、レニングラード攻防戦でナチスドイツと戦いました。ガイドが3年間の攻防戦で150万人が凍死や餓死で亡くなったと話してくれたのが印象に残っています。
ぺテルゴフの夏の離宮で、ナチスの侵略から守るため石像を隠す写真が生々しく見えました。ずっと戦争の歴史だった事が判りました。


クレムリンで見かけた大量の大砲。
これらの大砲にはナポレオンが退却し、分捕ったものも有るようです。


 旅の値段の比較
 
今回、参加した旅行。6月20日のコースに参加しました。
このシリーズでは、約17万円。約18万円。約19万円。そして約20万円と1万円づつ増加していきました。季節が良くなるに連れてホテル代が高くなるのでしょう。
でも、最後の8月1日は催行中止となっていました。催行人員が15名に満たなかったからでしょう。



こちらは手元に届いたH社パンフです。
まだ、先の事で11月3日からの催行です。値段は約12万円と約13万円となっています。


私たちが行って来たのは約17万円で、H社のツアーとは、同じ5日間でも、5万円の差が有ります。H社のは、コース的にはぺテルゴフ 夏の離宮へは行きません。それにモスクワに到着してモスクワから帰ってくるコースで、移動が列車となっています。
泊まるホテルが違うなど、一概に比較は出来ませんが、好い季節に行くか、寒い季節に行くかと言う事になってきます。
エルミタージュの見学も6時間と3時間の差が有ります。
結論から言うと、少々高くても好い時期に行くか、安いが寒い時期に行くかと言う事でしょう。
白夜を体験するとかライラックを愛でるのは暖かい時期にしか味わえない体験です。
安くても、エルミタージュを見るとか、目的があれば話は別です。
目的に有ったツアーのコースを選ぶのがベストなのでしょう。



最後に
6月20日から24日に掛けての5日間の旅行でした。事前に旅行社からの連絡では16名の参加者と言っていました。それがキャンセルした人が有り15名となりました。催行人員が15名でしたのでギリギリの人数でした。
今回の旅行。普通の人が100パーセント楽しんだとすると、私は早朝の散歩に出かけたりホテル近くのスパーマーケットに行ったりして120パーセント、楽しんだと思います。
こうしてブログをアップさせるのに調べたりもしました。旅行に行った事を思い出し、色々と浮かんできました。丸で復習しているような気分でした。
良かったロシアの旅を思い出しました。

今回はMotaさんと一緒させていただきました。
Motaさんのサイトです。
http://www.katch.ne.jp/~mota/tabi29.html
また、このツアーに参加していた風のたよりさんのブログを紹介します。
http://blog.goo.ne.jp/f5kanekiyogoo555/e/4f1dbef7a41a4468b44c1854cc16b4f2

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美しきロシアスペシャル 5日間  (第5日) (復路編)

2017年06月24日 23時00分50秒 | 海外旅行

(第5日)
今日は5日目で、ロシアを去る日となりました。
まだ、24日になっていませんが、空港からの行程を帰国への節目と捉え、第5日としました。

AMARAHT(レストラン) ― プルコヴォ空港(サンクト・ペテルブルク)  ・・・・・・・  仁川空港  ・・・・・・・  中部空港



(19:44)
レストランのAMARAHTを出て高速道路に乗り、空港に向かっています。




(19:57)
空港に到着です。
バスからスーツケースを受け取り、航空会社のカウンターへ向かいます。





(20:04)
手荷物検査場です。
手荷物の検査は二段階となっていて、この検査場を通過する時は液体物を持っていても許されました。
ここは空港へ入るための検査場でした。




(20:15)
出発機を表示するボードです。
私たちが搭乗する機。
KE930便を右上に表示しています。




(20:15)
航空会社のカウンターの前です。
乗る飛行機が大韓航空の飛行機でほとんどが韓国人です。
韓国人が多いのですが、中国人ほどは喧しくありません。




(20:58)
次は私たちのチェックインとなります。
列に45分ほど並びました。

並んでいて、ようやくチェックインが始まったのです。
カウンター前に長い列が並んでいても、一向に気にしていません。
コレも国民性と言うのでしょうか。

カウンターでチェックインし、スーツケースを預けて身軽になりました。
でも、勝手に先に行くのでなく、ミンナが揃ってから次の行動に移しました。




(22:07)
珍しいアゼルバイジャンの機が見えます。
路面が濡れています。
建物の中であって気が付きませんでしたが、一雨降ったのでしょう。

コレは搭乗口に並んでいて見えた外の風景です。
搭乗の開始まで、またも列に並び、投じよう開始まで待ちました。





(22:42)
搭乗開始となり、機の中に入りました。





(23:05)
夕焼けのように見えるサントペテルブルグの空。
機が動き出したところです。




プルコヴォ サンクトペテルブルグ空港から離陸しました。





夜中でも真っ暗にならない空。
白夜の世界です。




離陸して、1時間ほどで1回目の機内食が出ました。
私が所望したのはビビンバの食事です。
このような食事が出るのは、韓国の航空会社ならではでしょう。
でも韓国の航空会社。サンクトペテルブルグで調理して積み込んできたのでしょう。



シベリアの大地。
雲の隙間から川が流れているのが見えます。
この後、機の窓のブラインドを下ろすように指示が有りました。
そして機内の照明が暗くなれました。

機内での睡眠
時差の関係で、正しい時間は判りませんが、前の画像の時刻が6時47分。次の画像の時刻は11時29分を示しています。ですから4時間半ほどはシッカリ眠れました。
機内でホテルに泊まる時に使う、簡易なスリッパが配られましたので靴を脱いでいました。それに短い毛布も渡されました。飛行機の中。場所に寄っては寒いところが有ります。行きの時は肌寒くジャンパーを羽織りましたが、帰りは寒さを感じませんでした。快適に眠る事が出来ました。
機内はほとんどが韓国人です。
大きな声で喋ったりする人が居なかったのも良かったです。

時間
コレまで、モスクワ時間で表示しました。
これからは仁川空港は日本と同じ日本時間であり、日本時間の表示となります。




シベリアを横切ってきました。





北京近くまで飛んで来ています。





目覚めにあわせ、CAが熱いおしぼりを配ってくれます。





中国の原野?
点在する湖が見えます。





2回目の機内食が配られました。
今度はオムレツをお願いしました。




仁川空港の直ぐ近くまで飛んできました。





機が高度を下げました。
下に島が見えます。
突出たのは灯台でしょう。





空港への進入体制に入りました。





仁川空港に着きました。
機から降ります。





乗ってきたKE930便の機です。
ビジネスクラスとエコノミークラスに分かれていて、ボーディングブリッジが両方に着きますので、機外へスムースに出れます。





機から降りてトランシットの方向へ向かっています。
今回、一緒した人達です。
機から降りたら、勝手に先へ歩いて行くのでなく、集まれる場所に留まるようにと言われていました。
全員が揃っているのを確認して、先に進みます。
このようにして貰えることで安心できます。





(14:36)
機の乗り換えの関門を通過してきました。
この後、乗るのは大韓航空のKE751便で19時05分の出発です。
出発までに4時間半ほどの時間が有ります。
出発ゲートは25番ゲートとなっていました。
一旦、解散して、再度25番ゲートに集まるように言われました。





空港内です。
この場所。
モスクワへ向かうときには室内楽の演奏をしていた場所です。
今日は、ロボットが電子的なミュージックにあわせてユーモラスにダンスをしていました。
空港へ来た人を楽しませようとしています。






仁川空港。4階の平面図です。
図面にはシャワー室が東西に有りますが、右側は工事中でした。
モスクワに向かう時に確認しておいたのです。




シャワールーム

シャワールームです。
無料で利用できます。
利用時間は30分程度で、タオル1本貸してくれました。





入口から入ると、右手にカウンターが有ります。
受付嬢が応対してくれます。
ここでタオルを借りました。
歯を磨く人には、チューブ入りの歯磨きを貸し出していました。





シャワールームの内部です。





お湯の出るシャワー。
それにシャンプーも整っています。





こちらは洗面器と便器。
個室の中ですので、ゆっくりと用を足す事が出来ます。


帰路にこのシャワールームを使うつもりをしていました。
それで、着替えの肌着を準備してきました。
旅の途中ですが、汗を流してサッパリする事が出来ました。
こう言う施設が有る事は、有り難いです。

この後、休憩スペースで寛ぎました。


フードコート

フードコートのレイアウトが、壁に貼ってありました。
PHOと言う、フォーのお店。右はPHOのメニューです。
一週間に満たない短い期間、海外に出ていました。
日本を離れて、そして食べたくなるのが日本食です。ラーメンが食べたくなりました。フードコートをウロウロして見つけた店です。ラーメンの店だと思ったのですが、違っていました。ベトナムの「フォー」米粉を使った麺でした。
貼ってあるメニューを見て、一番区切りの良い10,000ウオンの麺を注文しました。



フードコートの内部です。
夕方の時間で混雑していました。





出来上がった麺をカウンターへ取りに来ました。
注文したカウンターと麺を受け取るカウンターが異なっていました。
カウンターに載っているのが私たちの麺です。





カウンターから受け取ってきました。
麺の内容までをシッカリ吟味せずに注文してしまいました。
米の粉で造った麺です。
麺のメニューには「エビワンタンの米ククス」となっています。
貼られていたメニューに「サイゴン ヌードル」と表示していました。ベトナム風の米粉を使った麺ですモヤシ、パクチー、それにタマネギスライスが付いています。レモンの小片が付いていて搾りました。
ラーメンと思い込んで注文したのですが、違っていました。それで、ベトナム風のフォーのような麺。添えられた野菜がシャキシャキで良かったです。
エビワンタンが美味しかったです。
スープも好い味をしていました。




私たちのテーブルの隣。若いカップルでした。
私たちが座った席。その横でして、座らせて貰った形になりました。
横の席を空けたような形になったのです。謝意を申しましたら「ドウイタシマシテ」と日本語がかえって来ました。
次に「日本語、上手ですね」の言葉をかけました。
そうすると、彼は日本語を勉強したと話してくれました。
空港での一期一会の出合でした。
日本語の出来た彼。
もう少し話をすれば良かったと後から思いました。





(18:35)
25番登乗口の前です。
搭乗が始まりました。




25番搭乗口から1階に下りるのでした。
1階に大型のバスが用意されていました。
空港の連絡用の大型バスです。





バスに乗ると、機が駐機しているところに向かって走り出しました。





機の下まで来てタラップで機内に上がります。
このようにタラップで登るのは珍しいです。
他にも撮影している人がいました。





(18:46)
シートに座りました。
36Bの席です。




出発して、しばらくしてサンドイッチの軽食が出ました。





機は、朝鮮半島を横切り、日本海に出ました。




中部国際空港に到着です。




(20:55)
ターンテーブル。
スーツケースが現れるのを今か、今かと待っています。




入国審査のゲートです。
アノゲートを通過できれば電車に乗れます。




感想
サンクトぺテルブルグからの機内は寒くなく、快適に過ごす事が出来ました。それにシッカリと眠る事が出来ました。
仁川空港に着いて、シャワールームを利用する事が出来ました。休憩場所で寛ぐ事も出来ました。空港内で軽食を取れる場所を探しました。おかげてフォーの店を見つける事が出来ました。
5日間の最後で戻って来た日でしたが、順調に行動できました。

5日間。好い旅行を楽しめました。


宜しかったら、 (旅の思い出 感想と考察編)をご覧ください。
https://blog.goo.ne.jp/gifu2212/d/20170625

コメント
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