Kオジサンの気の向くまま

日々のあれこれ・・・・・思いつくまま

9/7、先端最新技術を見てみよう  「あいち産業科学技術総合センター 産業技術センターを見学しました」

2016年09月07日 23時14分07秒 | 見学 ゆうゆうなごや

見学サークルの9月例会に参加しました。今回は刈谷市のあいち産業科学技術総合センターの産業技術センターを見学させて貰いました。産業技術センターは刈谷市に有りまして、自動車産業が盛んな地域の中に位置します。
あいち産業科学技術総合センターには繊維技術や食品工業技術、窯業技術な色々の研究分野が有りますが、今日、訪ねた産業技術センターは職員数が多く、あいち産業科学技術総合センターの中でも中心的な存在の場所です。

集合場所は名鉄の一ツ木駅です。駅に集合して産業技術センターへ向かいました。

名鉄一ツ木駅

集合場所は名鉄の一ツ木駅です。
一ツ木駅は無人駅でした。
誰かが言っていました。普通列車しか停まらない駅は、大抵は無人駅だと。




踏み切りの横に供養碑が建立して有りました。




裏側に廻りましたら、字が刻まれて居るのが判りました。
読み難くなっていますが、昭和33年11月24日の日付が判ります。
検索しましたら、このような事故を表すサイトに当たりました。
http://www.weblio.jp/wkpja/content/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%89%84%E9%81%93%E4%BA%8B%E6%95%85+(1950%E5%B9%B4%E3%81%8B%E3%82%891999%E5%B9%B4)_%E4%BA%8B%E6%95%85%E4%B8%80%E8%A6%A7

昭和の事故で年代順に書かれていますが、S33.11.24にシンナーを乗せたオート三輪が一旦停車せずに踏み切りに突っ込んで電車と衝突。炎上して、二人の職員が殉職したものでした。
大きな事故でした。
あの時代。戦後の混乱期を引きづっていたのか、大きな事故が繰り返されています。

興味本位で石碑の裏側に回って見ましたら、思わぬ発見が有りました。
石碑の表を眺めただけなら、こんな発見は生まれませんでした。
新しく知る事が面白いです。
石碑の裏側に廻りこむ事が出来たのは、時間に余裕があったからです。


産業技術センター

あいち産業科学技術総合センターの産業技術センターへ歩いて来ました。




産業技術センターに到着です。
職員の方が表に、迎えに出てくれていました。




第2研修室に通されました。
私たちがセンターに入ったのは2階からでしたが、階段を下りましたので、地下の階に降りた様な錯覚がしました。
センター長の挨拶です。
そして、産業技術センターの業務紹介ですが、パワーポイントを使っています。



パワーポイントを使って説明されたものと同じものです。
引用させて貰いました。
産業技術センターは愛知県産業労働部の一部だと紹介が有りました。





あいち産業科学技術総合センター全容です。
その中でも産業技術センターが最も大きな規模となっています。





製造品出荷額の都道府県での順位です。
愛知県は2位の神奈川県を大きく引き離しています。
レースに例えるなら、独走状態と言えるでしょう。




業種区分別の順位です。
殆どの分野で愛知県が独占と言う状態です。
ゆうゆうなごやでキューピーマヨネーズや大同特殊鋼、新日鉄を見学した事が有ります。
鉄鋼業で1位。食料品製造業で2位。あの時の企業の出荷額が含まれています。






産業技術センターの業務で無料の技術相談。有料の依頼試験を紹介しています。
有料の依頼試験が大きなウエイトを占めています。








センターから渡されたレジメです。
これからセンター内の見学に入ります。
所内見学で、廻る順序が書かれています。




最初に訪ねた、4階の科学材料室です。
燃料電池試験室です。
若い男性が説明してくれました。




燃料電池のしくみを説明してくれました。
窓の光が反射していて、上手く写っていません。
水の電気分解ですが、これは学校で習った原理です。
電極に白金を使っているのだそうです。
今、燃料電池車で話題となっているトヨタの「未来」。
白金を使用しているので高価となっているのだそうでした。




3階の環境材料室に来ました。
ここでは女性の担当者が説明してくれました。
セルロースを材料とした分野の説明です。
この分野の応用では、紙オムツや鉛筆の芯に生かされていると説明していました。



セルロースナノファイバー。
花粉除去フィルタで空気清浄に活用されています。




こちらは科学材料室です。
蛍光X線分析装置の説明です。
この機械でX線を照射して、どのような金属の成分を含んでいるか、測定できると言っていました。
合金の元素分析で、銅65パーセント。亜鉛35パーセント。などと分析できると話していました。




自動車・機械技術室です。
超精密測定・デジタイザーの分野ですが、この部屋に来る前に接触測定の部屋を見学しました。モノに接触する事でより精密な測定できるとのことでした。
こちらは、非接触測定で物体を3Dで図ります。モノにさわらない代わりに、測定精度は接触測定には及びません。





映し出されたモノです。
立体的なモノを測ります。





こちらは環境材料室で木材加工の分野の説明です。




木材を圧縮加工する説明が有りました。




展示して有ったキューピットの矢です。
小さな穴に大きな矢が射抜いています。
これを見た時は、不思議だと思いました。




センター内の廊下です。
案内され、センター内を移動していきました。




金属材料室です。
摩擦攪拌接合の機械のところへ来ました。
摩擦攪拌接合の頭文字を取って、FSWと言われています。
金属を接合する技術の紹介です。


こちらは、その摩擦攪拌接合を行う機械です。




摩擦攪拌接合の実演を見せてくれました。
アルミ板の接合でしたが、このような技術が自動車製造などの分野で生かされているのだろうと想像しました。



最後に来た所です。
グラスファイバーの応用などについてお話が有りました。




見学を終え、最後にお土産を頂きました。
先ほど、木材加工の場所で見かけたものと同じものです。



最後に
私たちの質問に丁寧に答えていただきまして、予定時間をオーバーしての見学となりました。
率直な感想は、この場所が愛知のもの造り産業を支えている。ここ、産業技術センターの周りにはデンソーとかアイシンと言う大きな企業が有ります。自動車産業全般をバックアップしているのだと感じました。また、大きな企業でなくても、製造業者が困ったときの駆け込み寺的な役目を果しているのではなかろうかと想像しました。
先端技術を支えている産業技術センター。有意義な見学をする事が出来ました。


えび善でランチ

見学を終えて、向かったのが、えび善です。
これから、えび善に入ります。

えび善
刈谷市恩田町154番地2
0566-23-4657
http://r.gnavi.co.jp/n713600/





ランチタイムのメニューです。
メニューを見ただけでも、お値打ちな品が並んでいます。




案内され、部屋に向かいます。




メンバーは、それぞれ好きなモノを注文しました。
殆どの人がエビフライランチを注文しました。
有頭エビが3匹乗っていますが、写真が上手く撮れていません。
このお料理にドリンクが付きました。
コーヒー、オレンジジュース、ウーロン茶の何れかが頼めました。

誰かが言っていました。
これなら、お値打ちだと。


お土産はハートに刺さった矢です

お土産に戴いたハートと矢です。
ハートに矢を射って、お湯を注ぎます。
時間が経つと矢が大きくなりました。




これが完成した状態です。
矢に木材加工がして有りました。
自分でやってみて、秘密が判りました。


感想
集合場所が一ツ木駅でした。時間が有り、供養塔を眺めたりしました。
昭和33年の大事故。
オート三輪車。今も残っているメーカーではダイハツやマツダです。あの頃、三輪車を製造していた、くろがねと言う名のメーカーも有りました。初期のオート三輪車はバタバタと言う音でオートバイのようなハンドルでした。それが推移し、丸ハンドルの三輪車に変りました。
33年頃の名鉄電車。下がチョコレート色。上はクリーム色のツートンカラーでした。まだ、パノラマカーが登場する前の時代です。
そんな電車と三輪車が衝突した大事故。その場面をセピア色で想像できます。
たまたま、寄った駅の一隅。
事故史を垣間見た気がしました。


最初に表まで迎えに出てくださった職員の方。
真摯な対応でした。
時間をオーバーしての見学。
色々のセクションで丁寧な説明をして貰えました。
センター内の機器。家、1軒と同じくらいの値段のモノも有るとの事でした。
知らない事を知る。その面白さが有ります。
私は愛知県民では有りませんが、愛知県がこのように産業の支援をしている場面を見て、頼もしく思えました。


ミンナで揃っての昼食でした。
安価で美味しいエビフライを味わう事ができました。
このように、体験できたのも世話をしてくれる人が居るからこそです。
有り難いと思います。



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7/13. 初めての・・・化学工場   東亜合成名古屋工場を見学

2016年07月13日 23時41分20秒 | 見学 ゆうゆうなごや

「ゆうゆうなごや」の集まりが有りました。今回は化学工場を見学するというものです。あの瞬間接着剤「アロンアルファ」のメーカーです。
アロンアルファを製造しているのが東亜合成株式会社でして、東亜合成を知らなくても、アロンアルファは知っていると
言ったところではないでしょうか。アロンアルファを製造しているのは名古屋工場ではなく、高岡工場だと言う説明でした。それに、アロンアルファは会社の生産額の3パーセントなのだそうです。


集合場所は金山駅のバス停でした。
12時22分発のワイルドフラワーガーデン行きの市バスが来ました。



こちらは東亞合成名古屋工場の東工場です。
只今から入らせていただきます。




工場の表示看板。
ISOを認証取得した工場です。




これから入ります。
雨が少し、パラ付いていました。
この先は、撮影が禁止となる場所です。
カメラをバッグに入れました。


工場の概要
最初、講堂に案内されました。
説明に当たってくれたのは、高村さん。真野さん。伊藤さんです。
伊藤さんは髪の長い綺麗なお嬢さんでした。長い髪でしたが、ヘルメットを被るので、後ろで束ねていました。
室内ではDVDの試写が行われ、会社の概要が説明されました。
下の資料は配布された資料ですが、これと同じものがDVDで試写されました。


左は説明の表紙となる部分です。
右は名古屋工場の概要です。
工場敷地が73万平米です。73万平米と言っても、ピンと来ませんがナゴヤドーム7個分だそうです。
工業用水と電力使用量が載っています。想像ですが、愛知用水から工業用水として取水しているのかもしれません。それに電力ですが、以前愛知製鋼を見学した時、南側に火力発電所が有りましたので、アチラから電気が来ているのではと思いました。



左は名古屋工場の事業分野で、基礎化学品。アクリル製品。機能製品を製造しています。
右は一例として、原塩から化学品を製造しています。
海外から輸入した原塩を電気分解して、苛性ソーダや塩素を製造しています。製造工程で電気分解するのであり、その時に大量の電力を必要とします。



アクリル製品と機能製品の製造の説明です。

3つの実験
東亞合成で生産している製品の紹介です。
1.吸水ポリマーの特性。
吸水ポリマーは白い粉体です。ビーカーに粉体を入れ、底に水を注ぎ、どのようになるかを見極めました。
吸水ポリマーは紙おむつなどに使用されているものです。水を注ぎ、どれ程まで含水できるか確かめました。

これから実験をしようとしているところです。
この実験は、カメラ撮影が許されました。




吸水ポリマーに水を注ぎこんだ後のものです。


増粘剤の実験。

大きい容器と小さい容器が用意されていました。
大きい容器に小さい容器の液体を注ぎこむと、一瞬にして凝固しました。
粘着性の有る物体に変身しました。


大きい容器にまた、別の液体を注ぎこみます。




また、一瞬にしてシャビシャビの液体に代わりました。
魔法か、手品を見ているようなイメージです。
この時。頭に浮かんだのは「伝次郎の科学教室」(字が違っているかも知れません)。この時の様子からこのような事が浮かんだのです。
子供が居たら面白がるだろなと思いました。

増粘剤ですので、シャンプーに使ったりすると言っていました。

アロンアルファの強度。

真鍮の金具にアロンアルファを1滴垂らしました。
そして、接着です。



上のバーからロープを垂らし、そして、接着した真鍮部品が途中に入っています。
女性の体重は50キロ前後だと思います。
その重さに耐えました。
アロンアルファの特性として、上下の引張りには強いが、横からの衝撃には弱いそうです。それに湿度も影響するのだそうです。今のような梅雨の時期。湿度が高いので強度が発揮できません。


工場内の見学
2台の車に分乗して工場敷地内を案内して貰いました。保護眼鏡にヘルメットを被り万全の姿です。
広い敷地です。化学工場でプラントが見えます。高い設備が見えましたが精留塔と呼ぶのだそうでした。化学反応を行うので、高さが必要なのだそうでした。
案内されて、先に見たのは塩化カリの倉庫です。白い原料が山となっています。この原料はカナダ来ていると説明が有りました。
続いて向かったのが、塩化ナトリュウムが堆積している場所です。これは海水から製造した塩でメキシコやオーストラリアから輸入しているのだそうです。大量の塩で、白く雪が積もっているようなイメージでした。

敷地内にはレールが敷設して有りました。今は鉄道で輸送はしていないのだそうです。液化塩素や苛性ソーダのタンクローリーを何台か見かけました。次亜塩素酸ソーダも生産していました。現役時代に勤務していた所へ次亜塩素酸ソーダのローリーが着ていました。職場では略して次亜と呼んでいたのです。この言葉。懐かしい響きです。
係員からの説明に有りましたが、この工場は製品の原料を製造してタンクローリーで移送して居る事が判りました。製造過程で生じる水素は隣のイワタニへパイプで送っている言っていました。
また、電気分解を行っているので大量の電力を使っていることも判りました。

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6/14、 ファッショセンター見学  婦人服の製造工程を見学してきました

2016年06月14日 22時58分41秒 | 見学 ゆうゆうなごや

ゆうゆうなごやの見学会が有りました。
今日は、海部郡蟹江町に有る、㈱ジュニアー蟹江ファッションセンターで、婦人服の生産ラインを見学しました。

説明をしてくれたのは、大澤さんさんと言う方でした。
まず、社の概要ですが、中村区黄金に本社があり、ここ、蟹江で多くを生産しているが、岐阜県の下呂市萩原町と高山市にも工場が有り、そちらの方でも生産していると言っていました。
婦人服の製造工程は、「裁断」「縫製」そして「プレス」が主な行程だそうでした。
東南アジアからの攻勢で日本のモノ造りが衰退してきて居ます。社としてはイレギュラーサイズのモノを製造し、高年層のミセスをターゲットにした自社製品。10の内8が百貨店で、2がイオンなどのスパーで販売していると話しました。
アパレルメーカーで自社工場を持っているというと、珍しがられると言っていました。



これから工場に向かいます。


裁断工場

まず、案内されたのがキャド室です。








パソコンと型紙の製造機が連結していて、自動で作成していきました。
S、M、L、のサイズ。型紙のサイズを拡大させるのをグレーディングと言うのだと説明が有りました。アッと言う間にサイズが大きくなりました。
みんなの見ているその前で、マシーンが型紙を作成しました。




こちらは円柱のように巻かれた反物を延ばします。
この作業を延反と言うのだそうです。




延反した生地を何枚も重ねます。




型紙に沿って、裁断されたものが並んでいます。
言うならば、婦人服のパーツです。



縫製工場へ来ました。

こちらは縫製の担当者の人が説明してくれました。





特殊ミシンを使って、見せてくれます。





こちらは女性。
細かい手仕事を黙々と遣っていました。




縫製の人がミシンで実演です。
アッと言う間に縫えて行きます。




今、製造しているものの、完成品です。
こんなのが何着もハンガーに架かっていました。




プラ箱に入っていたタグ。
近くに居た女性に写させてねと断って撮影しました。
「ジャパンメイド」のタグです。
百貨店で販売するというだけ有って、高級品です。



入口に貼られていた繊維新聞です。



感想
婦人服の製造現場を男性の目で見学させてもらいました。大沢さんが話していたように東南アジアなど諸外国からの攻勢が強まってきています。
そのような国々のモノと同じようなものを製造していては負けてします。高齢のミセスをターゲットにして、高級品の路線を走る。外国製品に負けないぞと言うプライド。良いものを製造する差別化。これらが、これからの進んでいく進路なのでしょう。

















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5/18、油脂の世界を覗いてみよみゃぁ~   太田油脂㈱を見学

2016年05月18日 21時52分00秒 | 見学 ゆうゆうなごや

今日は、「ゆうゆうなごや」で岡崎市の太田油脂を見学する計画になっていました。集合場所はJR岡崎駅でした。ところが、私は間違えて名鉄東岡崎駅に行ってしまいました。一旦、頭に誤ってインプットしてしまいますと、中々修正が利きません。集合場所に集合時刻になっても、誰も現れません。この段階で焦り出しました。リーダーと連絡を取りました。そして、資料を確認したら集合場所を間違えていたと気がつきました。それで、急遽、タクシーで太田油脂へ直行しました。
遅れて辿り着き、合流できました。合流ができたのですが、タクシードライバーが太田油脂の場所を明確に知っておらず、工場の方に車を付けてしまったので、社員の方に迎えに来て貰うハメになりました。
うかつでした。
遅れてでしたが、合流できてヤレヤレと言う気分。リーダーに迷惑をかけてしまって申し訳ないという気分。複雑な心境でした。

私が到着して、早速DVDの試写から進めてくれました。
担当してくれたのは柴田さんと言うお嬢さんでした。
太田油脂は明治35年に創業してから100年と言う社業を続けてきたという紹介から始まりました。
食用油の説明です。太田油脂は食用の油を製造している説明していました。油には「油」と「脂」があると言いました。この時、私はハットしました。脂と言う字は月(ニクズキ)に旨(シ)と書きます。旨(シ)と言うのは美味いという意味です。例えば、食レポーターが、豚肉で、甘味が有る美味しい脂の味がする等と言ってレポートしたりします。まさに、脂は「旨い」言う字が使われている事に、その時、気が着きました。



あぶら館と言う建物です。
見学者用の視聴覚室と売店が設けて有ります。
遅れて来た私を綺麗なお嬢サンが迎えに、出て来てくれました。



玄関のウエルカムボードに私たちの名を掲げて向かえて貰えました。



DVDの試写です。
エゴマの花です。エゴマと言うとゴマの仲間と思いがちですが、シソの仲間です。
オメガ9脂肪酸、オメガ6脂肪酸、オメガ3脂肪酸と、各種有りますが、オメガ3脂肪酸は体内で製造できないので、食品から摂取する必要が有ると話されました。
また、油を製造する工程ですが、1.搾油。2.脱酸。3.脱色。4.脱臭。と言う過程で製造していきます。原料から搾っていき、色や臭気を除くようにします。その行程は真空で行うと言っていました。



DVDを見た後に工場に向かいました。
こちらは原料を入れるサイロです。
トラックで運んで来た原料がこの中に貯蔵される訳ですが、運んで来る車はダンプカーのような車なのだそうです。有蓋のダンプを想像しました。車を傾斜させ原料を投入すると言っていました。



右が搾油工場で、脱酸、脱色工場へと続いていきます。
工場と工場は4~5本の鉄パイプで結ばれて居ます。このパイプで油を移送しています。
油でも、菜種油とかごま油と、色々の油が有りまして、ローテーションで製造していると話していました。
想像ですが、今週はサラダ油の週だとなる訳です。



こちらは包装工場です。
遅れて来た時に外から撮影しました。
案内された時、こちらの内部を小窓から見せて貰いました。
コンベアを油のボトルが流れて来て、箱に詰める作業をしていました。





あぶら館に戻り、ごま油を搾油する体験です。



ジャッキを使って、下から押し上げ圧力をかけます。
ジワ~とごま油が出てきました。
あの、ごま油の香ばしい臭いが漂って来ました。



ごま油を搾った後の状態です。




油の違いのテイスティングです。



一般的な、えごま油と同社製のえごま油を試してみました。
同社の油の方がさらっとした感じでした。
色が薄いのは精製すると色を除去できるからだそうです。

精製と言う言葉。
柴田さんと話していたのですが、例えば砂糖。
砂糖を精製すると、黒砂糖から白砂糖に変わて行きます。そのようなものですねと喋っていました。




最後に。
社屋の表に置れていた石。
この時、私はこの石を見て何とも思いませんでしたが、道祖神だという声が聞こえました。



感想。
蒲郡駅の南にごま油の工場が有ります。清水港でクルーズした時も製油工場を見かけました。何れも、海に近い場所です。原料の調達からどうしても、海に近い場所となるのでしょう。
今回は内陸地の製油工場を見学しました。DVDの中に昭和35年頃の旧工場の姿が写りました。それに「あぶら館」の中にも搾油の器具が展示して有りました。
前時代は手仕事的に進めていたのが、近代的な工場へと代わってきたのが判りました。特に包装工場は一昨年の秋に新工場が完成しました。最新鋭の設備となっていることと思います。
100年続けてきた製油業。そのようなものを感じました。

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2/4、特殊鋼ってどういうもの 「大同特殊鋼知多工場を見学しました」

2016年02月04日 23時32分44秒 | 見学 ゆうゆうなごや

ゆうゆうなごやの2月例会に参加しました。今月は東海市の大同特殊鋼知多工場を見学させて貰うものでした。集合場所は名鉄の太田川駅です。集合時間より、早めに現地に着きまして、駅の近くを歩きました。古い太田川駅の姿を見たことが有りませんので、想像できないのですが、今は新しい駅舎となり近代的な駅です。2階と3階がプラットホームになっていました。
駅前にはタクシーベイやバス乗降場が設けて有りまして、コミニティバスのステーションにも、なっていました。駅前は市の顔です。バス寄せや、公園的に整備された駅前広場。ゆうゆうなごやの見学イベントが無かったら、太田川の駅前に立つ機会も無かったでょう。このように、知らない初めての街を訪ねる事が出来るのも、ゆうゆうなごやの良い面です。



集合場所が名鉄電車の太田川駅でした。
2階と3階がプラットホームとなった新しい駅です。
駅前にはタクシーベイがあり、タクシーが待機しています。
この撮影した建物ですが、ソラト太田川と言う建物です。1階はスパーです。3階が東海市民プラザとなっていて、中に結婚相談所が有りました。


駅前からコミニティバスが出ます。
このバスには「へいしゅうくん」と言う愛称が付いています。



こちらはグリーンのコミバスです。
「くすのきくん」の愛称です。
東海市の市の木がクスノキなのかも知れません。



今日の集まり。
只今、12時54分です。
みなさん。定刻までには、お集まりでした。



駅前広場のバス乗降場へ大同特殊鋼の自社バスが迎えに来てくれました。




西知多産業道路へ来ました。
大同特殊鋼へのロードサインが出ています。




この橋を渡ると大同特殊鋼知多工場の敷地へと入ります。
渡っている川は太田川です。
岸にボートが係留され、ヨットハーバーみたいです。




バスは知多工場の本館の前に横付けとなりました。
大同特殊鋼の年表です。
大同特殊鋼は今年、創業100周年の節目の年を迎えます。原則的に撮影禁止となっていました。係りの人に、撮影して良いかお聞きして撮りました。自動車のエンジン部分に関連する部品を製造しているのが判りました。



眼に留まったのが、福沢桃介の写真です。福沢桃介は大同特殊鋼の創業者です。
「互改十則」が額に納めて有りました。





中山道をウオーキングした時に目にしたバンフです。電力王と呼ばれる福沢桃介が木曽川にダムを設け、電源開発を行いました。発電所を建設するのに当たり、桃介橋を架橋しました。この橋は国指定重要文化財の指定を受けていまして、南木曾町に現存しています。




左はバスの車窓から撮影した読書(ヨミカキ)発電所です。桃介は木曽川の電源開発を行いました。恵那峡の大井ダムも桃介が手がけた事業です。右は桃介橋に設置してあった説明で、大同電力となっています。
想像ですが、家々に電気が届き、便利な時代となりました。それでも各家庭には裸電球が数個の時代だったのでしょう。桃介は発電所から生じる電気を、より効率的に消費するため電気炉に結びつけたのでしょう。



本社屋に入り、3階の会議室に案内されました。
総務の西村さんから説明して貰えました。
DVDを見せていただき、大道特殊鋼の概要説明でした。
南北に600メートル。東西に2キロと、広大な工場敷地です。
1961年に海を埋め立てて工場用地の造成です。そして1962年から創業を開始したそうです。


大同製鋼のパンフレットより。
海岸を埋め立てて出来た工場用地です。その敷地の中に各工場が有ります。




大同製鋼のパンフレットより。
電気炉で出来た銑鉄が圧延工場で製品へとなって行きます。
説明で、製鋼のプロセスは「溶かす」「固める」「鍛える」「延ばす」だと話してくれました。
そして、説明後は工場の見学となりました。



見学に向かう準備をしています。
ヘルメット、軍手、防塵メガネ、白衣、それにイヤホンのレシーバーを装着して出発です。
先ほどのバスに乗って、現場に向かいました。

この先は撮影禁止です。
かつては、熟練工であったと思われるお二人の案内人、武井さん戸田さんから伝わって来ました。
コンピューター制御となっているのでしょう。設備が近代化して熟練技術が無くても良い製品が出来る時代となっても、安全第一で仕事をされているのが判りました。




製鋼工場の建物です。
太いパイプは集塵装置のパイプです。集塵装置は恐らく、電気集塵機なのでしょう。
電気炉を見学した時、大きな炎が立ち、黒煙が発生しました。集塵装置がしっかり作動するから煙が外へ漏れ出す事が有りません。



大同製鋼のパンフレットより。

製鋼工場の4階に案内され、二重ガラス越しに電解炉でスクラップを溶かす所は迫力がありました。連続鋳造・インラインプレス・圧延・鋼片検査へと歩き、目の前を赤い巨大な鋼の塊が流れていく様子で、顔面で暑さを体感しました。
冬の時期でこれだけの暑さを体感したので、夏季なら、もっと大変な仕事だと思いました。
圧延工場の長さが600メートル有ると説明してくれました。巨大な製造ラインを赤い鋼の坊が流れていく。そのスケールの大きさに感心しました。
電気炉と圧延工場の様子を見学しましたが、圧巻でした。
私の住む市の隣。関市では毎年、刀匠が新年に日本刀の鍛錬で打初めを行います。それがニュースで取上げられます。それが原点で、発展してきたのが圧延工場だと思います。電気炉でアークと言う言葉がありますが、その意味は雷だそうでした。雷で火花が散る。その原理で建築現場などで使う電気溶接が原点となり、延長線上に電気炉があります。初めは1.5トンの規模でスタートし、それが今では150トンと巨大な規模にまで発達しました。
電気炉の説明では75,000キロワットの規模で、炉内の温度が1600度にまで達すると、説明してくれました。
産業が躍進する。素晴らしいことだと思います。


バスで広大な工場を廻った後、先ほどの本館の3階へ戻りました。そして、説明を受け、質問の時間も取られました。同業者の愛知製鋼がピンチと成りました。しかし、大同特殊鋼は顧客が有り、急遽、愛知製鋼の納品先に代わって収める事が出来ないと話しました。




見学後、再びバスに乗りました。
太田川駅まで送ってもらいました。
バスの前方に見えた、1.5トンのアーク炉です。産業遺産のリストに載せられていますが、大同特殊鋼がスタートした時期のシンボル的な存在です。


知多工場の南側に中部電力の火力発電所が有りました。その発電所の電気を使っていると説明が有りました。製造と消費が隣同士。手近な場所からの調達だと思いました。




昨春、佐布里池の梅を見に行きました。愛知用水で水が運ばれて来て、コンビナートの工場群に給水していました。関連付けて想像出来る事が面白いです。左は佐布里池の堰堤から見た工場群です。右は水の生活館内で解説していた、浄水場です。
昭和30年代。愛知用水の工事の進捗。知多半島の沿岸の工場用地の埋め立て。
日本が高度成長を進めていた時代を想像できます。



感想
初めの説明で東海市は鉄と蘭の町だと言う説明が有りました。海岸沿いに愛知製鋼。新日鉄住金。そして大同特殊鋼と鉄鋼メーカーが3社も並んでいるのはココだけだと言われました。鉄は国家成りと言う言葉が有ります。製鉄企業が繁栄して国が栄えるのではないかと思います。
上の佐布里池のところで述べましたが、愛知用水から供給された水がこのような工場群を動かしているのだと実感できました。
見学を終えて、社会科の勉強だという印象が残りました。滅多に見学できない場所を見る事が出来、面白かったです。

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12/2、大曽根駅前探訪 「巨大地下雨水調整池を見学する」

2015年12月02日 22時17分53秒 | 見学 ゆうゆうなごや

ゆうゆうなごやの12月例会に参加しました。今回は名古屋市北区大曽根で、大曽根駅前を訪ねるものです。
大抵の人なら、駅前の地中に巨大な地下の雨水調整池が有るとは知りません。そのような巨大雨水調整池が大曽根駅の駅前地下に有り、見学することができました。普通なら見学できないような施設の裏側を公開して貰えました。対応してくれたのは名古屋市上下水道局名城水処理センターの3人の職員です。普段は無人の施設ですが、私たちのためにわざわざ便宜を図って貰えました。


大曽根駅前。
この広い場所の地下に雨水調整池が有ります。
地下に有りますので、この状況からは、全く想像出来ません。




集合場所は大曽根駅となっていました。
水処理センターの澤山さんがわざわざ迎えに来てくれました。
案内されて大曽根雨水調整池の入口へ向かいます。





私たちを迎えに来てくれた人の他にも、名城水処理センターの職員の方が入口で迎えてくれました。
この場所。
普段は無人の場所です。





入口から入り、階段を下へ下へと降りて行きます。





配電盤の有るコントロールルームを通っていきます。





広い部屋に通され、コチラでレクチャーを受けます。





説明してくれるのは先程、迎えに来てくれた澤山さんです。





大曽根駅前の地図です。
調整池へは南側と北側から雨水が流れ込みます。
綺麗な雨水は堀川に流され、砂利や砂、落ち葉などを含んだ汚水は名城水処理センターへ送られます。
北と南の範囲は聞き漏らしましたが、東は砂田橋。西は平安通りまでの範囲で、300ヘクタールの面積をカバーしているそうです。




大曽根雨水調整池(地下施設)イメージ図。
大曽根駅前に駅前広場が広がり、その地下に地下通路、自転車駐車場、集客施設があります。B2は地下駐車場となっています。その下が雨水調整池です。地表からの深さが28.5メートルとなっています。

この雨水調整池は、通常は無人で、常時自動制御となっていて、雨の時は遠隔操作していると説明してくれました。調整池に雨水が入るのは、年間で7回から8回程だと言っていました。
今回、晴天でしたが、雨が降っていたりする天候の下では見学が断られる可能性が有りました。




調整池の構造概要です。
左側は北部幹線と北部第二幹線から流れ込みます。
右側は東部・西部幹線からの流入です。調整池にはA池、B池、C池となっていて、B池、C池は火核的綺麗な雨水で天候が回復してから徐々に堀川へ放流されます。A池は砂利や砂などを含む汚水で名城水処理センターにポンプで送られます。
Mさんがここの総工費を聞きました。391億円だそうです。地下駐車場を含めたりして膨大な金額なったのでしょう。
着工が平成8年で完成が平成18年だと説明が有りました。10年の歳月を要しました。単純に捉えても、毎年30億円余りの予算が使われたのでしょう。現地の測量、そして設計。その後に工事にかかります。場合によっては立ち退きが有ったのかも知れません。この工事のために起債し、進めてきたことと思います。大きな事業だったと言えます。




説明が終わり、白いヘルメットを着用して現場を見学します。




現場に入りました。
白いヘルメットが私たちです。見学者用に備えて有りました。
黄色いヘルメットが案内してくださった職員の方々です。




こちらは巨大な雨水の調整池です。
照明の必要無い場所ですので、照明が有りません。底が見え無いような深さです。
光源が無く、シャッターを切るのに苦労しました。
右は手摺が有り、更に深く降りて行く階段です。




深い調整池を覗き込みます。





ポンプ室に来ました。




巨大なモーターが見えます。
その下には大きなポンプが着いています。
このポンプで雨水を流します。




職員に詳しく、質問しています。




太い鉄管。
雨水排水管と汚水排水管です。




太いパイプです。
ポンプで外部に送出します。




下にモーターとポンプが見えます。





1号フラッシュバルブ。
送出する度合を計器がパーセントで表示します。
このようなフラッシュバルブがズラーと並んでいます。
全部で28基並んでいます。構造的には、調整池が28個の枡に分かれているのでしょう。



フラッシュバルブがズラーと並んでいます。
歩きながら職員に質問しています。




最後に。
先程、ヘルメットを借りた場所に戻ってきました。
そして、ここへ来場した時に見かけたコントロールルームのパネルです。





パネルをアップで写しました。
この施設内に、フラッシュバルブが28基並んでいることや、A池、B池、C池となっている事が良く判ります。




資料として頂きました。
大曽根雨水調整池の施設概要です。長さが150メートル。幅は50メートル。貯留池容量が34,000立方メートルとなっています。
大規模な雨水調整池。
駅前の地下の隠れた場所に有りました。



見学を終えて
誰かが言っていました。「床上浸水なら、床下浸水に。床下浸水なら・・・・無しに・・」。これまで浸水被害に有っていた地域が、この施設が活躍することで、少しでも浸水被害の軽減に繋がるという意味でした。
供え有れば憂い無しと申します。この施設が稼動するような場面が有って欲しくないですが、万が一の時には頼りになる存在です。
「都会の隠れた安心を見た」そんな印象がしました。
今回も、有意義な見学でした。

見学の関連性が面白いです。
ゆうゆうなごやで今年、6月18日に堀留水処理センターを見学しました。いわゆる汚水処理場です。
今回、説明を担当してくれたのは名城水処理センターの職員でした。組織は異なりますが、同じ名古屋市下水道局の組織内部となります。雨水調整池から名城水処理センターへ汚水を送っていました。
この施設から送った汚水が、以前に見学したと同様の施設に送られていると考察する事が面白いです。


下の写真は大曽根雨水調整池の施設入口で目にしたものです。フェンスの向こう側の壁に有りましたが、大きさが小規模で目立ちません。市民にこの施設を周知させるために、もっと目に触れる場所で大きなプレートを設置したらと思いました。
出来ることなら、補助金、起債、市費などの財源を明記し、構造の説明も有ると良いと思います。
税金がこのような施設に使われていることをPRするためにも。





ランチタイムで

見学が終了し、昼食で大曽根嘉文に向かいました。




左は私が注文したランチで、右はMさんが頼んだカツ丼です。カツ丼は510円とお値打ちでした。


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10/15、大型商業施設を支える後方部門見学

2015年10月15日 23時48分55秒 | 見学 ゆうゆうなごや

ゆうゆうなごやの10月例会に参加しました。
ゆうゆうなごやの世話をしてくれるのは、いちろーさんです。
大型店舗の施設管理や防災設備やはどのようになっているのだろうと思います。あちこちのイオンタウンに見学要請をして、応じて貰えたのが大垣のイオンタウンで、こちらの見学となったのだそうです。店舗内のセキュリティに関わる部分ですので、大部分の事業所は公開したがらないのでしょう。
今日の見学、イオンタウン大垣のお骨折に寄り、大型商業施設の裏側を見学させて貰う事が出来ました。


集合場所は大垣駅でした。
大垣駅を出て東に向かいます。
大垣は松尾芭蕉が「奥の細道」で結びの地としたところです。
市内を水門川が北から南に流れています。
イオンタウンへ向かう前。
水門川沿いに歩きます。
芭蕉の俳句が石碑に刻まれ、川沿いに展示して有ります。
歩いていて、自噴泉が有りました。
水都、大垣。
こんな一面も有ると紹介しました。


見学の前にランチです。
寄った店は「なかむら」と言う所でした。
旅館となっていますが、会席料理が得意なお店で、ランチで応じてもらいました。

なかむら
大垣市岐阜町65番地。
0584-78-2763



お刺身はコリコリッと歯触りのお魚。
煮物は薄味で上品な味です。
焼き物の魚ですが、「これ何の魚だろう」という声が有りました。

今日の会員は14名です。
向かい合いの席で色々と話が弾みました。

美味しくいただけました。


なかむらを出て、イオンタウンに向かいます。
途中で見かけたお宮さんです。
車山の蔵が有ります。
地元のEちゃんが色々と説明してくれます。大垣祭り車山です。
(文化財標柱や蔵に車山の字が使われていますが、パソコンで、外字のこの字は有りません。)
大垣祭の時に蔵から運び出されるのでしょう。



イオンタウン大垣に来ました。




駐車場から見た、イオンタウン大垣。
左がウエスト棟。右はイースト棟。中央はコロナ・ワールドで、シネコンやお風呂。ホーリングにカラオケと遊べます。



イオンタウンの配置図です。
そして、フロアー図です。
http://www.aeontown.co.jp/ogaki/floor



セントラルコートです。
私たちは、ここにバラバラで来たのですが、担当の米山さんが迎えてくれました。

ここから案内され、会議室に通されました。
こちらの概要のお話しです。
ここの店舗。
スタートした時はロックシティーと言う名でしたが、2011年にイオンタウンと言う名称に変わったそうです。



会議室で説明を聞いた後。店舗内に向かいました。
左は多目的トイレです。緊急呼び出しが付いていて、防災センターと直結しています。小さな便器が可愛いです。
右は2階の避難経路図です。
年に2回、避難訓練をしていると話していました。




店の中を案内して貰いました。
店舗内にAEDが設置して有ります。



駐車場の説明もしてくれました。
身体障害者用の駐車場が4台分設けられています。
「ハートゲート」と言うのだそうです。リモコンで開くようになっています。
健常者が身障者駐車場に停めて、身障者が使えないということが発生しますが、コチラの駐車場は身障者がリモコンを保持していて、自身で開閉を行うようになっていますので、占領されてしまうことは有りません。
身体障害者かどうかは、身障者手帳で確認していると言っていました。



古新聞・古雑誌の回収コーナーです。
ここに古雑誌や古新聞を持ち込み、ワオンカードにタッチするとワオンポイントが貰えます。




下は量りになっている部分で、上はワオンカードをタッチする部分です。
下の量りに古紙を載せて計量します。
このように古紙を持ち込んで、ワオンポイントとなります。
この設備は9月25日にスタートしたばかりです。
私の街にもマックスバリューが有り、古紙を持ち込む事が出来ますが、このような設備は整っていません。


店舗内に古新聞がワオンポイントになる。
パンフが設置して有りました。
1キロがワオン1ポイントと書いてあります。

この後に向かったのが、防災センターです。
防災センターはこちらの施設の中枢的な部署で撮影禁止となっています。
防災センターには警備員と防災設備の技術員が常駐しています。
警備員はそれこそ、専ら警備が任務で社員の入退出などの管理が仕事です。店舗が閉店する時はトイレに人が残っていないかとか、警備面を担当します。
技術員は消防の設備盤。照明の入切等の管理。エレベーターやエスカレーターの管理や空調の温度管理を担当します。室温が暑いとか寒いとか言ってきたらそれに対応するのでしょう。
トイレの中で気分が悪くなって押すボタンが、この部屋に直結しています。ブザーが鳴って飛んでいったら、誤って押したというケースが多いそうです。
店舗内の防犯カメラが6台有りました。店舗内で人の動きが分かります。店の中で万引きが発生する事が有りますが、この防犯カメラに頼るのでなく、私服の警備員が店舗を巡回し、店外へ出たら声を掛けると言っていました。




帰りには、このようなお土産までいただきました。
見学させて貰ったことだけでも有り難いのに、お土産まで戴き、恐縮です。



最後に
防災センターから最初の会議室に戻りました。
店長の上杉さんが少し、話をしてくれました。この場所は帝国繊維の工場跡地で、広大な土地に入る事が出来たそうです。
大垣市は16万人そこそこ。そんな土地にヤナゲンやアクアウォークなどの商業施設がひしめいていると言っていました。

店舗の裏側の通路を通ったとき、幅の広い通路でして、通路には障害物は何も置いてありませんでした。それだけ、管理が行き届いていると言えるのでしょう。防災センターに向かう通路には消防班が表示して有りました。米山さんもその一員となっていました。
先ほど、館内の時に避難訓練を年2回やっていると聞いたときに脳裏に浮かんでのは広島のメイド喫茶の事です。常日頃、避難訓練が行き届いていれば、あのような事故には至りません。
大型施設の後方部分を見せて貰えました。普通なら施設の中枢的な部署の公開ですので、嫌がられると思います。
店舗内がこのように安全になっていると、安心して買い物が出来ます。会社側としては別に、このように整っていると外に向かってPRなどする必要の無いことです。でも、ここのように安全に尽くしてもらっていると思うと、安心できます。
今日は、滅多には見られない大型商業施設の裏側を見学しました。個人では見せてもらえない場所を公開して貰えて、良かったです。




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9/8、海山道・工場見学  「クノール食品株式会社 中部事業所」と「味の素株式会社 東海工場」を見学。

2015年09月08日 23時31分41秒 | 見学 ゆうゆうなごや

ゆうゆうなごやの9月例会に参加しました。今回は、四日市市のコンビナート地帯のド真ん中の工場です。近鉄海山道(ミヤマド)駅の近くの食品工場で、午前はクノール食品株式会社 中部事業所を見学し、午後は味の素株式会社 東海工場を見学しました。四日市市のコンビナートと言うと、火力発電所や石油化学コンビナートのイメージでした。でも、このような工業地帯の中に食品工場がある。
新しい発見です。
この日は生憎の雨模様でしたが、12名の参加者が有りました。


集合場所は近鉄の海山道(ミヤマド)駅です。
全員が定刻には集合しました。


クノール食品株式会社 中部事業所へ

クノール食品へ来ました。
横断歩道橋から前方にクノール食品の工場内が見えます。
食品工場で、原料をタンクローリーで運び込んでいます。
製造しているのがマヨネーズで、主原料は食用油と食用酢です。液体ですので、当然タンクローリーで運び込むこととなります。




クノールの社屋の中にお邪魔しました。
中に入ると、歓迎のプレートが有り、入口で従業員の方々が揃って出迎えてくださいました。




2階に案内され、ここで説明を受けます。
応対してくださったのは唯見さんと言う女性の方です。




DVDを写して説明が始まりました。
クノールの会社概要では1979年に会社が設立して今日に至っているそうです。クノールと言う横文字の名のように、ドイツ人が始めた会社です。それが日本に渡って来ました。始めは資本が日本と海外。半々だったものが、今では完全に日本資本となったのだそうです。
日本人の食事も欧米的なスタイルとなってきました。
それで、コチラの工場で生産するものを食するようになって来ました。




こちらは見学に際し、渡された資料です。
この工場で生産している、カップスープとマヨネーズの製造工程を解説しています。




DVDを試聴した後、工場の見学に向かいます。
食品を製造している工場と有って、完全防備の姿で向かいます。


工場へ向かいました。
先に、マヨネーズ工場を見学し、その後にカップスープの製造工場の見学でした。
工場へは職員の持っているカードキーで入ります。セキュリティから厳重になっています。
工場内への立入りは、入口が2重の扉となっている所から入ります。入場するのに、後ろのドアをキッチリと閉めないと前のドアは開かないようになっていました。
内部に入り、履物を履き替え、コロコロで服の埃を除去しての入場です。
衛生管理を徹底させているのが判りました。


工場内は撮影禁止となっています。
上の画像は味の素のホームページから引用しました。
http://www.ajinomoto.co.jp/pureselect/fun/factory.html
工場に入り、最初に見たのがマヨネーズをポリ容器に充填する現場です。
ベルトコンベアに乗ったポリ容器が流れ、充填する機械のところでは回転させてマヨネーズが注ぎ込まれます。ここでは、充填する直前にポリ容器の先端を切断していました。このような事柄も衛生面への配慮だと感じました。

案内された部屋での説明では、原料の鶏卵は愛知、岐阜、広島の契約農家に生産してもらっていて、出来てから3日以内の新鮮なものを使っていると話していました。
また、三交代制で工場が稼動していて、マヨネーズを日産150トン製造しているそうです。味の素ブランドのマヨーネーズは4種類ですが、全てこの工場で製造していると話していました。150トンですから10トントラックでも10台分となります。凄い量のマヨネーズを生産しています。


次に向かったのが別の場所で、カップスープの製造ラインです。


こちらはカップスープの製造工程です。
コチラも撮影禁止でしてクノールのホームページから引用しました。
http://www.ajinomoto.co.jp/knorr/?utm_source=knorrjp&utm_medium=aj
北海道で採取されたトウモロコシがパウダーの状態で運び込まれます。また、クルトンも北海道の工場でクルトン用に焼かれたパンから製造していると話していました。



マヨネーズと、カップスープの製造工程を見学した後、最初の部屋へ戻りました。
こちらは、お土産として用意されていた製品です。




工場にピッタリと、くっ付いたトラック。
出来た製品をこれから運び出す所でしょうか。




コチラのトラック。
私たちが見学を終えて社屋から出てきた時に出て行ったトラックです。
乗せているのはカップスープでしょうか、マヨネーズでしょうか。
車体に満載して消費者の元に運びます。


クノールはスタート当時、50対50の合弁会社でしたが、今では全てが日本側の出資割合と成り、味の素のグループ会社の中の1社として、味の素ブランドのマヨネーズを製造していました。味の素グループの会社になっています。


すたみな太郎 四日市店

昼食は、すたみな太郎四日市店に行きました。




こちらが入口。
アップで。




食べ放題のコースとなっています。
左はお肉。そして右はコロッケやフライのコーナーです。




お肉の場所を後ろから見たのとサラダのコーナーです。




お寿司やお肉をチョイスしてきました。
右はカレー。
そして揚げ物です。当然、冷凍食品を揚げたものです。欲張らずに1個だけ取りました。イカのフライは美味しいと思いました。



デザート。ケーキはスポンジ部分がおいしくありませんでした。アイスはパインと抹茶です。
コーヒーは想像していたよりも美味しいかったです。
綿菓子を製造するマシーンが有り、やって見ましたが上手に出来ませんでした。




ソロソロ、食事の終わるとなりました。
おナカが一杯に成りました。
この日の料金は1人前、1,214円でした。
モトは充分取れました。


味の素株式会社 東海工場へ

雨の中。
味の素株式会社 東海工場へ来ました。





味の素の工場へ来ました。玄関で、赤パンダが迎えてくれました。




まず、DVDが上映できる部屋に案内されました。




案内のおネーさんが説明してくれます。




DVDを上映しての説明です。
東海事業所は3箇所の向上のうちの1つで重要な生産拠点です。昭和37年からとなっていますが、高度成長が始まる頃の時期のスタートです。
右は広い敷地です。味の素が医薬品を生産しているとは知りませんでした。




スクリーンに映し出されたのは、バードサンクチュアリ。ライブカメラの映像です。
場内に設けられた実況状況を映しています。白く見えるのはシラサギですが、季節によって鳥が入れ替わり冬の時期にはカモの姿が眺めれるのだそうです。
ここへ寄る鳥は38種類に及び、先日はカワセミを見かけたと話していました。
このバードサンクチュアリ。エサを与えたりしていなく、自然の姿のままなのだそうです。工場地帯の中の鳥のコロニー。珍しい場所です。
残念ながら、今日は雨天です。晴れていたなら、野鳥の姿を目に出来たことだと思います。




味覚をテストしました。
上のコップは、単にお湯に味噌を溶いただけのものです。
下は味の素を1振り2振りしました。
味わってみて、味が変わったのがはっきり判りました。




次は鰹節削りの体験です。
おネーさんが説明してくれます。






鰹節を削ってみて、削りたての鰹節の香りを体感できました。




これから工場へ見学に向かいます。
その前に、味の素製品が展示してあるコーナーで説明を聞きました。
医薬品や香粧品を製造していると有ります。化粧品でなく香粧品となっています。香りを粧おう品と言う意味ですね。




このコーナーには「味の素」の歩みが貼られていました。説明係りのおネーさんが説明してくれたのでなく、壁に貼られているのを見かけました。
味の素の「源」となる旨味を見つけ出した池田菊苗博士。明治34年5月に池田菊苗博士がロンドンで夏目漱石と同宿とあります。それも、官費留学と有ります。青雲の志を抱いて渡欧したことと想像します。
詳細はわかりませんが、池田博士の特許を鈴木三郎助が商品化に結びつけたのでしょう。その成果を鈴木三郎助が今日の味の素に結び付けて居ます。二代目鈴木三郎助とか三代目鈴木三郎助とか書かれています。三郎助は世襲している名かと質問しましたら、受け継がれて今では11代目だそうでした。

池田博士が渡欧した頃は、キューピーマヨネーズの創業者中島董一郎がロンドンへマーマレードの技術を学びに行った頃より、少し前の時代です。中島は1912年に渡欧しています。

今回の味の素の見学で、一番面白いと思いましたのは、自社製品の横に貼ってった「味の素」の歩みに書かれていた事柄です。味の素で、味の素の歴史を知る機会が有って、良かったです。
こう言うことを知る事が出来るのが面白いです。


味の素の製品のビンが並んでいます。
⑤は覚えています。




案内された部屋から出て工場へ向かいます。消防車を見かけました。
敷地が広いのでこう言う特殊車も必要となるのでしょう。


工場内は撮影禁止となっています。

ほんだしのホームページから引用しました。
http://hondashi.jp/factory/



製造ライン。
顆粒状にします。

味の素株式会社 東海工場で「ほんだし」を製造していますが、原料のカツオは枕崎と焼津で水揚げされたものを鰹節に加工し、ここに持ち込まれていました。鰹節でも、3つのタイプがあり、浅く燻して作ったモノや深く燻して作ったモノをミックスしていました。



元の部屋に戻ってきました。
こちらは用意されていたお土産です。
スリムアップシュガーを見るのは初めてです。




味の素の見学を終えて場外に出ます。
3本の煙突を束ねた大煙突が聳えます。
遠くから見た時は、火力発電所くらいに思っていましたが、この大煙突は味の素の工場のモノでした。以前は重油を燃料としていたのだそうですが、今は都市ガスに変わったのだと説明してくれました。燃料が変わったので色の付いた煙が出ないので工場が休んでいるのかと言われた事が有るそうです。冬期は排気が白い蒸気として出るそうです。


海山道稲荷神社へ

帰路、海山道稲荷神社に向かいます。




朱色の大きな鳥居。
そして千本鳥居のように鳥居が続きます。



鳥居の下を通ります。



本殿に来ました。




広い境内です。




見学を終えて海山道駅へ戻ってきました。
海山道駅は普通列車しか停車しません。
普通列車の到着するのを待ちます。


出来立てのガソリン

列車を待っている時、ディーゼル機関車の重連がタンク車を引っ張っていきます。
ここ、四日市コンビナートは石油化学工場を抱えて居ます。
恐らく、出来立てのガソリンを運んでいるのでしょう。
出来立てのガソリンを乗せたタンク車が通過して行きます。どちらに向かうのだろうと思ってしまいました。

見学を終えて
雨の中。2箇所の食品工場の見学でした。
食品の工場でして、工場の内部を公開するのも、極、一部の部分でした。普段、口にする食品の工場です。クノールでは、厳重な衛生管理だと感じました。身近な食品が、どのように製造されているのかが判りました。
日頃、食している食品工場を見学させてもらって、帰りにはお土産をいただきました。見学させて貰えるだけでもありがたいのに、お土産まで戴き、申し訳なく思いました。











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8/25 見学後の懇親会

2015年08月25日 23時09分04秒 | 見学 ゆうゆうなごや

名古屋市衛生研究所の見学を終え、その後は懇親会の開催でした。
会場は千種区の浩養園。
バーベキューでビールです。


浩養園の送迎バスが鶴舞駅へ迎えに来ました。



浩養園に着きました。



お肉や野菜が皿に盛られて出てはました。



6人で乾杯です。



美味しい生ビール。
何杯飲んだか・・・・・。



ハプニング発生。
ハプニングと言うよりも、店側の混乱でした。
予約して有ったのは、ダブルポークバーベキューのコースです。ところが、皿に盛られて出てきたのはミックスバーベキューのコースでした。
誤りに気づき、店の人が謝りに来てくれました。
料金的には、モトモトの料金での請求でしたので、お客の側としては文句が有りませんでした。何か、トクしちゃたと言う気分です。

お世話いただき、有難うございました。




 

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8/25 「名古屋市衛生研究所」を見学

2015年08月25日 21時47分53秒 | 見学 ゆうゆうなごや

ゆうゆうなごやで、名古屋市衛生研究所を見学してきました。


集合場所は地下鉄の瑞穂区役所駅でした。
駅から徒歩で名古屋市衛生研究所に向かいました。



こちらが衛生研究所の建物です。
昭和41年に竣工した建物で、築50年となり、若干痛みが見えます。
でも、撮影した時は気が着きませんでしたが、ツタが絡まる建物。
見方に寄っては、好い雰囲気といえます。
それでも、耐震的に問題があり、平成31年を目標に、守山区志段味へ移転を計画しているのだそうです。



職員が、玄関で私たちの到着を待っていてくれれました。




ピンボケでした。
玄関で待っていてくれたのは、事務係長の柏原さん。
私たちのために、玄関でお待ちいただき、恐縮です。




所内に入り、案内されたのが、研修室です。




こちらは配布して貰った研究所の冊子です。

この後、研究所内は撮影禁止となっていまして、撮影を控えました。


研修室に通されて、ビデオを使って衛生研究所の組織や役割の説明が有りました。名古屋市衛生研究所は、市民の健康を守るための施設として、活動を続けていると言うお話しでした。
この研究所は、食品部。生活環境部。微生物部。疫学情報部からで組織されています。ビデオでの説明の後、研究所内を5階から下へ降りていくルートで見学しました。

この研究所を見学して思ったのは、各保健所の中核的な位置です。例えば、市民から、この食品。痛んでいるのではと、疑問を投げかけられたようなケース。ものに寄っては、時間をかけて検査をしているとの事でした。表には表れない、影の縁の下の力持ち的な仕事を続けています。

ここのような研究所があるから、食品や生活環境などの分野で安心した生活が送れるのだと思いました。





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