岐阜県海津市平田町に千代保稲荷が有ります。
千代保稲荷は、親しみを込めてお千代保さんと呼ばれています。
お千代保さんは商売繁盛にご利益が有るということから多くの人で賑わっていました。
そんなお千代保さんへお参りし、その後に日帰り温泉に入ってきました。
お千代保さんの東門です。
入口の近くの有料駐車場に停めました。
朱の鳥居をくぐり、参道を進みます。
晦日と有って、多くの参拝客で賑わっています。
一際、目立っていたのがここの店。
串カツの玉やデス。
店先に多くの人が立って串カツを食べていました。
お千代保さんの入口です。
ここでは、お供え用のアゲとロウソクを50円で売っていました。
アゲはワラで吊るしてあります。
ロウソクを灯す場所です
着いている火を貰い、ロウソクを点灯させて立てます。
境内には幟旗が立っています。
拝殿に向かってお参りします。
献上されたアゲが沢山貯まって来ました。
沢山のアゲがお供えしてあり、貯まってくると、別の場所に参拝客が持って帰れるよう袋に入れて、あります。
横に重軽さまが供えてあります。
持ち上げて軽かったら願いが叶う・・・・
お昼の時間でしたので、食事をしに店に入りました。
川魚で鰻の店でした。
うな丼を頼みました。
これで1350円です。
今、鰻が高くなった時期であり、1350円はおトクな感じですが、鰻の大きさが物足らない感じがしました。
ここに笑福亭鶴瓶が訪れた時のサインが残っていました。
次に向かったのが養老町の養老温泉「ゆせんの里」です。
1,700メートルの地底から温泉を汲み上げていました。
湯温は37度です。加温した方は42度となっていました。
湯の色が茶褐色で泥水みたいでした。
平日でしたが、お年寄りが多く来ていました。
お千代保さんでウチに草餅を買って来ました。
九州屋で2個だけ買ってきたのです。
夫婦だけですから2個で良いのです。
九州屋の前に、別の店で草餅を2個欲しいと言ったら、5個からでないと売らないと言われました。
売る方が威張っている。
殿様みたいな商売で、不愉快でした。
久し振りの草餅。美味しかったです。
先日。切干ダイコンを作りましたが、今度は切干ニンジンを作ってみました。
このニンジンは自分で作ったものでなく、買ってきたものです。
材料のニンジンです。
イオンで、1本18円で買えました。
おろしガネで下ろし易いような大きさにしました。
下ろしガネで下ろしたところです。
外に干してみました。冬の弱い日差しが当たっています。
思ったよりも、簡単に作る事が出来ました。
先日、作った切干ダイコン、シイタケと一緒に煮ようと思います。
どんな味になるのか、楽しみです。
朝、マーナーマイカルで「東京家族」を観てその後、床屋へ行って、名古屋の「日展」を鑑賞しました。夜にウエブサイト仲間と名古屋駅前で一杯。多忙な一日でした。
長男、長女、次男が東京で生活している。
そんなところへ広島から両親が上京してくる。
そんな場面からスタートしていきました。
上京してきても、多忙で東京見物をさせてやれない。
そうこう、しているうちに母親が亡くなってしまう。
なくなった妻の遺骨を持って広島へ戻りました。
広島県の大崎上島と言う場所が舞台でした。
昨年。今治から尾道まで、しまなみ海道を歩きましたが、その時の景色とこの映画の景色がダブりました。
午後から愛知県美術館に出かけて日展を観ました。
毎年出ている作品で、韓国の老人を描いている作品や黒人を描いた作品が出いませんでした。
選に漏れたのでしょうか。
母親を描き続けているのもありました。おばあさんは、車椅子に乗っていました。
2時間近く、時間をかけて館内を回りました。
時間が経過したため館内の人の数が少なくなっていました。
夜にサイト仲間と名古屋駅前で一杯でした。
沖縄料理の「うりずん」と言う店です。
店の人に売りずんの意味を聞きましたら初夏の頃のことだそうです。
まず、出てきたのが、鍋です。
周りに肉や野菜。トフやアゲが乗っていました。
仲間の中に一月生まれの人が何人かいて、バースデーケーキが出てきました。
ラフティーとトマトを煮たものです。
紅芋のコロッケ。
話しが盛り上がっています。
名古屋からバスで向かい、5回で浜名湖を一周するバスツアーに参加して、11年11月から12年3月にかけて浜名湖の湖岸を歩きました。
短い距離の時は11キロ。ロングコースの時は15.4キロもありました。
もっぱら湖岸を歩くだけでして、沿線の旧跡に寄ることはありませんでした。時間の制約が有り、彼方此方を見学することは無理でしたので、改めて出かけ、じっくりと見て回りました。
ぐるり浜名湖一周ウオーク ② 「みかん街道を歩く」
http://blog.goo.ne.jp/nkataoka1948/d/20111223
ぐるり浜名湖一周ウオーク③ 「天浜線沿線を歩く」
http://blog.goo.ne.jp/nkataoka1948/d/20120122
天竜浜名湖鉄道佐久米駅
最初に訪ねた場所が佐久米駅です。
ここへは冬になるとユリカモメが訪れます。そんなユリカモメを目当てに観光客が訪れています。
天浜線の列車は1時間に1本しか有りませんので、駅を利用する乗客は少ないのですが、ユリカモメを見に駅へ訪れる人は多くいました。
私たちが訪ねた時は10人ほど人が来ていました。
この佐久米駅に来ると、ユリカモメを見れる事が定着してきたのでしよう。
天浜線の列車はこの駅で、2~3分臨時に長く停車する列車があるようです。
天龍浜名湖鉄道の佐久米駅です。
天龍浜名湖鉄道。天浜線の駅はほとんどが無人駅となっています。
この駅は「かとれあ」と言う喫茶店ですが、そば屋やパン屋の駅も有ります。
知波田駅は歯科医院の駅となっています。
天浜線の駅舎は古く、どの駅もレトロで映画のロケに使えそうな雰囲気を持っています。
佐久米駅のプラツトホーム。
ユリカモメが飛んでいますが、みんなのいるところへ中々寄って来ません。
腹が膨れているのか、人を怖がっているのか。
線路上にはパンくずが散乱していました。
おばあさんは、「餌を投げるからイカンのや」と言っていました。
群れで飛ぶユリカモメ。
手を差し伸べてユリカモメを誘いますが、中々食べに来てくれません。
佐久米駅では、浜松から自転車で走って来たと言う、初老の男性と言葉を交わしました。
浜名湖を大きく回り、80キロ走るのだそうでした。
男性は駅のトイレで用を済ませ、颯爽と走っていきました。
五味八珍
お昼に近い時間になりましたので、国道301号線沿いの五味八珍湖西店に入りました。
注文したのは旬の色々コース。2人前で1,869円で、これに浜松餃子を追加しました。
http://www.gomihattin.co.jp/menu/course.html#select01
五味八珍へ入ります。
上の左と右はコースに付いているサラダとギョーザです。
中の左はエビチリです。
一品料理で、野菜炒め。唐揚げ。エビチリの内、一品選べましたので、エビチリを注文しました。
中の右はホイコーロー炒飯です。炒飯は五目炒飯とホイコーロー炒飯を選ぶ事が出来ましたので、ホイコーロー炒飯を頼みました。
ラーメンは醤油。豚骨。味噌を選べました。
カミさんが醤油ラーメン。
私は味噌ラーメンを選びました。
豊田佐吉記念館
今日のトヨタの祖である豊田佐吉記念館を訪ねました。
古くて大きな旧家があり、その横には展示室があって佐吉翁が若かった頃に織機を発明し、飛躍させていった過程が解説してありました。
入館者名簿が備え付けられ、トヨタ関係者の名がありました。新入社員の研修に訪れたのでしょう。
母屋の裏側は小高い山になっていて,センリョウやマンリョウなどの季節の木々が植えられていました。
一番高い場所は展望台となっていて浜名湖を臨む事が出来ました。晴れていたら遠くに富士山が見えるようです。
休憩室には木製織機が備え付けてあり、体験操作が出来ました。カミさんは機織り機を操作してみました。
佐吉翁は母親が機織り繰っている姿を見ていたのですが、時間をかけ苦労して機織りをしても成果につながらない。そのような母を見てみて、少しでも楽をさせてあげたいとの思いから、発明に取り組んだのだと思います。
佐吉翁の父親は大工で、大工仕事を手伝っていましたのですから、木製織機を発明するのは難しいことではなかったのでしょう。
その木製織機から改良を続け、飛躍的に発展させました。
豊田佐吉記念館の駐車場です。
展示館の内部には、佐吉翁が発明を重ねた機種の解説がありました。
裏の山の頂上からは浜名湖が一望でき、視界が良ければ富士山が見えるのでしょう。
小山から降りて来て、生家を見学しました。
生家の中に機で織る女性像が置かれ、佐吉とその母の姿がありました。
休憩室では、女性に機織機の使い方を教えて貰いました。
シャトルが右へ、左へ。
機織機の構造が良く判ります。
新居関所
浜名湖ウォークで寄ってみたかった場所です。
江戸時代の入り鉄砲。出女を取り締まる関所です。この関所の場所は、かつては湖の岸辺となっていましたが、東側は埋め立てられており、湖に接していたことが想像できません。
関所の東部分に船着場を設けて、当時の姿を再現していました。関所を通して貰い、船で舞阪へ渡ったのです。
関所の建物の南東に大きな松の木があります。この松の木は街道を往来する人々を見下ろしてきました。もしかしたら、清水の次郎長や森の石松の姿を見たかもしれません。
関所の横に資料館がありました。
館内の記録資料の中に、こんなものがありました。
安房の国(今の千葉県)の男が中間(チュウゲン)として使えていて、長崎から女と一緒に故郷へ戻る時、湖の北部で捉えられて牢にに入れられしまい、獄死しました。
遺骸を塩漬けにして運び、磔にしたと有りました。女が関所手形を持っていなかったことから関所破りをしたのでしょう。
幕府は磔にして、関所破りの見せしめとしたのです。磔になった男は百舌鳥の早ニエのように晒されたのでしょう。
塩漬けにして運んだのは樽でしょう。
死臭が漂う。そしてカラスが突っつく。骨になるまで、長期間遺骸が晒された。そんな残酷な場面が想像できます。
将軍家茂
将軍家茂が文久3年2月に上洛しました。江戸から京へ22日かけて上ったのです。
2月25日に浜松~吉田。26日に吉田~岡崎。27日に岡崎から熱田へ行列が通過しました。
その時の費用を今の金額に換算すると750億円となると説明がありました。何千人と言う家臣がお供で歩いたのですが、莫大な金が使われました。
徳川の威信を高めるために行われた上洛ですが、その結果、幕府の崩壊が早まったのかも知れません。
新居関所資料館には江戸時代の旅の資料が多く有り、時間をかけて見ると面白いです。
新井関所。
これから関所を見学します。
関所の内部にはマネキン人形を使って、当時を再現していました。
三体のマネキンの前に座り込んでみました。
人形なのですが、三体から睨まれている。
そんな気がしました。
当時なら、下のお白州でお調べを受けたわけです。
このような状態でも緊張してしまうのですから、当時、吟味を受けるとなると相当な物が有ったのでしょう。
関所の東南に大きな松が残っていました。
松の向こう側が関所の資料を展示している資料館です。
旅籠紀伊国屋
新居関所の前に旅籠紀伊国屋がありました。
江戸時代、東海道を旅した人達が泊まった旅籠です。
昭和の頃までは、実際に客を泊めて営業していました。
風呂場の一角に風呂桶があり、由美かおるさんが訪れた写真がありました。
紀伊国屋の入口。
紀伊国屋の説明板。
紀伊国屋の室内。
かつては多くの旅客がここに寝泊りしました。
由美かおるさんの写真とサイン。
由美かおるさんと言うと、水戸黄門で入浴シーンが話題となります。
テレビの入浴シーンは京都の太秦撮影所で撮影された物ですが、つい、お風呂と言うと彼女のイメージ結び付けてしまいます。
紀伊国屋の南側に芸妓置屋だった小松楼があります。
紀伊国屋のご主人が小松楼へ案内してくれました。
小松楼は芸妓置屋として栄え、多くの客で賑わいました。
建物は残っていて、住民、観光客とのふれあいの場や機会を造り出す「小松楼まちづくり交流館」となっています。
新居まちネットのパンフレット。
まちづくり交流館を紹介する新聞記事です。
往時をしのばせる写真の数々。
三味線も有り、太鼓の音で、賑わったことでしょう。
襖の下張り。
かけ帳が襖の下張りに使われていました。
田中助市と言う人が遊びに来て散財しました。
説明では、住所は必要が無く名だけで、何処のどの人かわかるのだそうです。
漁師で、乗組員を連れて遊びに来た時のものだそうです。
拾六円となっていますが、今のお金に直すと、相当な物でしょう。
船の上で苦労し、一晩でパット遣ったのでしょう。
小松楼の客。
旦那衆が各地に遊びに行った時の土産だそうです。
北は日光から南は九州までの土産が揃っているそうです。
角火鉢。
「お富さん」に出て来るような物でした。
この後、「まんじゅうや」へ寄って菓子を買い求めました。
新居は手筒花火の盛んなところです。
手筒と言う最中を買いました。
新居の街中を東海道が通っており、至る場所に史跡があります。
最後に
新居はかつては浜名郡新居町でしたが湖西市に合併して湖西市新居町となりました。
浜名湖を取り巻く自治体は浜松市と湖西市だけになりました。
これも時の流れなのでしょう。
ウォーキングの時には見る事が出来なかった場所を見て回る事が出来ました。
色々の場所を眺めてみて、当時を思う事が面白いです。
今日は第3金曜日で絵の学習の日でした。
講師を中心にして、前回の作品の続きを評して貰います。
みんなが輪になって、
教室内。全景。
講師の作品。明治村。
私の愚作。
小学校の頃からの友人「K君」が15日に亡くなり、今日が告別式でした。
「K君」とは小学校1年2年と同じクラスでしたが、その後は同じクラスになることも無く、進学先も違っていましたが、交流は続いていました。
心不全で突然亡くなり、連絡がありました。
葬儀会場です。
この部屋で告別式が執り行われました。
白い霊柩車で旅立っていきました。
私と同じ、64歳でした。
結婚したのも早く、亡くなるのも早かった。
あっと言う間の人生を駆け抜けた。
そんな、感じがします。
無くなるのが早すぎて、残念です。
今日は一日中、雨の天気でした。
11日に切干大根を作りましたが、12日13日は晴れていて陽に当てる事が出来ましたが、冬の弱い日差しで切干大根作りは、いっこうに、はかどりません。
仕方なく、ファンヒーターの温風を当てて、強制的に乾燥させました。
ファンヒーターの温風を当てます。
乾燥が進んできました。
あんなに沢山有った物がこんなに少なくなってしまいました。
このザルの他に干物用のネットでやりましたが、そのネットは切干大根には向いていない事がわかりました。
部屋の中のヒーターで感想させました。部屋中に切り干し大根の匂いが充満し、カミさんには、いい顔をされませんでした。
愛知県江南市のフラワーパーク江南に行ってきました。
この場所は木曽川の南側に有り、広く整備された場所です。
メインの建物であるクリスタルフラワーに向かいます。
今日のイベントです。
アップで。
入口には、まゆ人形の工作が出来ると看板が表示してありました。
広い室内です。
ウッドバーニングや自然工作のコーナーがありました。
まゆ人形の作品です。
完成品を買う事が出来ますし、工作に取り組むことも出来ました。
カミさんは雛人形をやってみました。
これは見本で、完成品です。
雄雛と雌雛がパーツになって小袋に入っています。
インストラクターが作り方を指導してくれます。
まず、雌雛に挑戦です。
続いて雄雛に取り組みます。
冠やリボンのパーツを付けます。
パーツをボンドで貼ります。
ほぼ完成となりました。
後はペンで目や口を入れます。
完成品です。
見本のような作品が出来ました。
クリスタルフラワーの玄関脇にはこんな作品が飾ってありました。
正月らしい作品です。
広いフラワーパーク江南の園内です。
土曜日の午後。
夫婦二人で出かけてみました。
今日は左義長の日でしたので近くの神社へ出かけ、注連飾りを燃やして着ました。
自宅近くに有る八幡神社です。
ここで午前中。左義長が行われていました。
境内では、既に多くの人が訪れ、注連飾りを焼いていました。
その前に、本殿でお参りをしました。
火の中に注連縄を投じました。
左義長の炭を使って餅を焼く人がいました。
普通の餅でしたが、本来なら、鏡餅を焼くところです。
そんな餅を食べるのも風習の1つです。
関東ではドンド焼きと言うのかも知れませんが、私たちの地方では子供の頃から左義長と呼んでいました。
昨年の9月に種をまいたダイコンが成長してきました。
これまでに何本か収穫しましたが、今日は切干大根作りをやってみました。
畑に植わっている状態です。
これまでに何本か抜いて、食しました。
これまでに抜いた跡がそのまま、穴になっています。
抜いたのを並べてみました。
台所で洗いました。
細い根を取り、皮を適当に取りました。
千切り用のカンナと軍手です。
軍手は、昨年、やった時に指先を怪我したので、念のため用意し軍手をはめて切干作りに取り組みました。
カンナにかけてみたらこんな具合です。
切った物をザルに乗せました。
青首大根ですので、上の部分と下の部分では、出来上がった色が違っています。
外に出して干しましたが、弱い冬の日差しを受けています。
干物を作るネットにも入れて干しました。
昨年は全部を切り干し大根にしようとして、カンナで指先を怪我しました。
その教訓で、全部を切り干し大根にせずに、少し残せば好い事に気づきました。
その残りを切り、豚バラと一緒に鍋で煮ました。
赤味噌の味ですが、調味はカミさんがやってくれました。
鍋をストーブの上に乗せて煮たのですが、柔らかく煮る事が出来ました。