Kオジサンの気の向くまま

日々のあれこれ・・・・・思いつくまま

放置自転車を警察へ

2018年03月31日 23時01分21秒 | 日記

家庭菜園を遣っている場所の南側が公園になっています。
20日ほど前から自転車が乗り放しの状態になっていました。


警察に届けてきました。


この自転車。防犯登録のラベルが剥がされていました。それに籠が変形していました。盗難の自転車ではないかと想像しました。普通、拾得物は届け出て、半年か3ヶ月か経つと、拾い主が貰えると思ったのです。警官は、車体番号から持ち主を探すと言っていました。好い自転車でなかったから、それ程欲しいとは思わなかったのですが、良い自転車だったら欲しいと言う気持ちになっていたでしょう。

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青春18キップで静岡へ  静岡まつりに行ってきました

2018年03月30日 23時46分26秒 | 青春18切符の旅

3月30日から4月1日までが「静岡まつり」の日でした。30日から遣っているのならと思い、出かけました。
結果的には、30日から始まっているのでしたが、30日は「おいらん道中」が有ったようなのですが、前夜祭的なようでした。
折角、出かけたのですが、フライイングを起した。
そんな気がしました。



静岡まつりの公式案内書。
駅前の地下。観光案内所に有りました。




(08:32)
岐阜駅の1番ホームです。
8時32分発の豊橋行き快速です。





列車の車窓から。
蒲郡付近まで着ました。
山々が春めいて来ています。
ミカン畑があります。新幹線が走りぬけていきました。




(10:11)
豊橋で掛川行きの普通列車に乗り換えました。
豊橋駅から乗ってきた子供達。
ン。今は小学校が休みのハズだが。
小学生のグループで、引率している人に聞きましたら、学童保育の子供達でした。
豊橋の何処の学校か判らないのですが、学童保育の遠足で動物園へ行くと言っていました。
列車が二川駅に着き、下車していきました。
3人の先生で40人ほどの子供達を引率しているのでした。
カミさん曰く。先生も大変だね、でした。




(10:43)
浜松駅で乗り換えです。
10時51分発の興津行きが既に入線していました。。
掛川行きですので、掛川まで行って乗り換えても好いのですが、興津行きは浜松が始発ですので、浜松で乗り換えました。



(12:10)
列車は12時02分に静岡駅に着きました。
構内のトイレで済ませて外へ出てきました。
静岡まつりの表示を見て、寺島進と泉谷しげるが来るのを知りました。




駅前地下の観光案内所です。
静岡まつりのポスターが貼って有ります。





案内所の中に入りました。
大御所花見行列とか駿府登城行列が貼ってあります。




呉服町とおりを歩き、青葉会場へ向かいます。





(12:23)
青葉会場です。
まだ、始まっていなく、閑散としています。





こちらは青葉会場で、サッポロガーデンです。
飲食の場所です。
呼び込みを始めていましたが、客が居ないような場所でして、ここでと言う気にはなれませんでした。





駿府城会場へ向かいます。





(12:36)
ここが静岡県庁です。
県庁の前を通ってお城へ行きます。




駿府城会場に来ました。






駿府城会場の案内図です。





広島焼のお好み焼を買いました。





広島焼とカラアゲでビールをやりました。




駿府城会場の中を歩きました。
目に留まったのが塀に貼ってある、「のぞいてみよう」でした。





塀の向こう側。
発掘調査をやっているのでした。





巨石。
印が着いています。





会場内を歩きます。






家康の像に出会いました。
この家康像は写真で見た事が有りましたが、ここに有った。と言う事が判りました。




会場内。
桜の下で宴会が行われています。





駿府大演舞場です。





フラメンコギターの演奏が行われていました。





(13:55)
東御門・巽櫓へ入ります。





鉄砲狭間から撃っている姿を再現しています。






駿府城を築城した時にお手伝いした大名の名と刻印を現しています。





築城図屏風です。





屏風の一部。
巨岩を引っ張っている場面。
巨岩の上では踊っている人が居ます。
太鼓が見えます。
掛け声を掛け、太鼓を鳴らしみんなの力を合わせる。



駿府城の模型。
天守閣は焼失したと有ります。





巽櫓の復元が平成元年に完成し、東御門が平成8年に完成しています。
その工事の過程を紹介していました。
木造建築で材木を繋ぐ工法を紹介していました。




櫓から見た城内です。




(14:41)
外へ出てきました。
内部の建築が凄いと思いましたが、外へ出てきて、太い材木が使われており、外側の大きな材木も凄いと思いました。こんな大木。手に入れるだけでも大変でしよう。






石垣の上の桜。
桜が御濠に枝を張っています。




こちらの桜は、先ほどの花見ひろばに比べると巨木の感じがします。




(15:03)
駅前地下。
観光案内所の隣です。
一茶と言う喫茶店。
お茶の葉を売っていましたので、買いました。



(15:13)
15時21分発の浜松行きです。


感想
静岡まつりには本番前のフライイング出したが、駿府城公園の花見は出来ました。それに、東御門・巽櫓へ入れて勉強になりました。



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測量が有りました

2018年03月29日 23時25分16秒 | 我家関係

市から依頼が有ったのだと思います。
業者の人。3人が測量に来ていました。



男性二人と女性が来ていました。
1人がポールを持ち、もう1人は測量器を覗き込んでいます。




測量器を覗き込んでいるのは女の人でした。
土木女子と言うのでしょうか。
今時、珍しい土木女子です。ガンバレと言う気がしました。
土木女子が珍しいのでなく、普通になれば好いのでしょう。


3月8日に市役所から現地調査に来てくれました。
https://blog.goo.ne.jp/gifu2212/e/694c4ddc19de32314540657a7ee1684c
そして、今日は、業者が来て測量していました。
事業が1歩づつ進んでいく。そんな気がします。
実は、浸水にはず~と前から悩んでいました。
でも、窮状は市に伝わっていなかったようです。
アル、キッカケで浸水の事が話題となり、前に進むようになったのです。


市役所から来てくれた。
業者が測量に来た。
1歩づつ、前に進んで行くのでしょう。



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花散歩 新境川 さくら散歩

2018年03月27日 23時30分34秒 | 花散歩

夕方、新境川のさくらを見に行って来ました。


各務原西高のサクラ。
もう、満開状態です。



新境川です。
那加中の東側です。
何時もだと、露店が並んでいるところですが、今年はまだ並んでいません。
桜まつりの日程が31日からとなっていて、今年はまだなのです。
何時もの景色が見られないと、オカシナ感じがします。





堤防の下に降りました。



サクラをアップで。





こちらは那加第二小の西側。



全国さくらの名所100選の石碑。
何時もだと、露店に隠れているのが、露天が無いので、こんな石碑が有ったのだと気づきました。




各務原市民公園。
シダレザクラ。





花見橋の上です。
沢山の人がカメラを構えていました。




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歴史街道を歩く会 3月例会 家康の城下町 岡崎の史蹟めぐり

2018年03月24日 23時59分50秒 | 歴史街道を歩く会

歴史街道を歩く会の3月例会は岡崎の史蹟めぐりでした。名鉄電車で東岡崎駅で下車し、バスと徒歩で岡崎市内を廻るというものでした。
家康の城下町の岡崎。桜が開き始めて春の兆しを感じさせる日でありました。

名鉄東岡崎駅 - 大樹寺 - 伊賀八幡宮 - 名鉄東岡崎駅 - 六所神社 - 名鉄東岡崎駅

名鉄東岡崎駅

東岡崎駅のコンコースです。
電車から降りてきて、バスセンターへ向かいます。




岡崎駅前のバスセンターです。
大樹寺行きのバスが入ってきました。



大樹寺のバス停で下車しました。
大樹寺に向かう前に大樹寺小学校に寄ります。




民家の庭に咲くユキヤナギ。


大樹寺小学校

大樹寺小学校に有る門です。
校門でなく、寺の門のようです。





小学校の門から大樹寺の門を望みました。


大樹寺

大樹寺に来ました。
立派な門です。




大樹寺の門から大樹寺小学校の門を望みました。
小学校の門の中に岡崎城が見えます。
と言う事は、大樹寺、小学校の門。そして、岡崎城が一直線になっています。



大樹寺の本堂に向かいます。




桜がチラホラと咲き始めています。



本堂に入りました。
この先は撮影禁止となっていました。




撮影禁止のところですが、松平・徳川氏譜系です。
許しを貰って撮影しました。
家康からの流れが良く判ります。




大樹寺を後にして、伊賀八幡宮へ向かっています。
この坂。井田坂と言う坂で、石碑が設けられています。


伊賀八幡宮

伊賀八幡宮へ来ました。




蓮池越しに望んだ伊賀八幡宮。




伊賀八幡宮を後にします。




八幡社前のバス停です。
東岡崎駅行きのバスが来ました。
東岡崎のバスセンターで下車して、六所神社へ向かいます。


六所神社

バスセンターから六所神社へ歩いてきました。




六所神社に着きました。
六所神社について説明しているMさん。




六所神社の石の会談を登ります。
この階段から立ち入る事ができたのは五万石以上の武士に限られていたと話してくれました。




楼門をくぐります。




楼門の彫刻。
極彩色です。




六所神社の本殿です。
この神社。お産に霊験があるようです。
出産前の祈願の絵馬、出産後のお礼の絵馬がかかっていました。




宮参りだったのだろうか。
本殿で御祓いを受けている人が居ました。



何と言う建物なのか判りませんが、この建物に算額が供えてありました。
算額は方程式に様なモノで、漢文調の問題を解くものです。
古い算額は取り下げられて社務所で保管しているようでした。
その代わりに、現代の算額が奉納してありました。




六所神社を後にします。
街道の待つような趣の有る松です。






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歴史勉強会 ヒストリー各務野会  美濃加茂地域の自然観察 -河岸段丘の地形と地名ー

2018年03月23日 23時04分40秒 | ヒストリー各務野会

ヒストリー各務野会の今回の学習は前回と同じ鹿野勘次さんによる学習です。学習のタイトルが美濃加茂地域の自然観察 -河岸段丘の地形と地名ーで、美濃加茂市の現地学習です。
現地集合で集まったのは坂祝町中央公民館で、その後は車に乗りあって現地へ向かいました。


今回の講義資料です。
観察地点の案内図に沿って1から8までを訪ねました。


1.坂祝町中央公民館

集合場所が坂祝町中央公民館でした。
開始に際し、挨拶してから始まります。
この場所。梅原断層が通っています。
この断層は根尾谷断層帯に続いています。



2.大針段丘崖下

大針の段丘崖です。
ここの形状は各務原の羽場から伊木山に掛けての段丘崖に似て居ると言う説明でした。



4.西町段丘崖

西町の段丘崖に来ました。





丁度、JRの普通列車が通過しました。
段丘崖の登り坂をエンジン音を挙げて走って行きます。




段丘崖に来ました。




段丘崖を前にして説明する鹿野先生。





草木に覆われていますが、川で流されてきた丸い石がゴロゴロと見えます。
木曽川が運んで来た土砂。
それを木曽川の流れが削る。
何年もの歳月。
そんな事の繰り返しでした。




車を停めた場所に戻ります。
右側は長く続く段丘崖です。
大部分がコンクリートで覆われました。


5.川合町木曽川沿

木曽川に来ました。
文字どおり、木曽川と飛騨川が合流する場所で、川合町です。




来た場所にムクの木の大木が有ります。




川合のムクノキ。



6.川合町木曽川合流西

ムクノキから少し上流へきました。
段丘崖で岩盤を流れてきた地下水が地表へ出ます。




資料を手元に説明する鹿野先生。




清水がコンコンと湧き出ています。
生活水源として利用されているのでしょう。
誰かが行っていました。
上は食べ物のところで、下が洗濯のところだろうと。




8.今、馬串山西の道路沿

下米田の今地区です。
ここからは飛騨川を挟んで、対岸の山之上地区が見渡せます。





見える山が幕引山と言うのだそうでした。
幕を引いたときの状況に似ているので、幕引山と呼ばれるようになったそうでした。

感想
現地を訪ねての講義でした。
湧水が湧き出ている場所やムクノキの大木。
現地を見れた事が良かったです。

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ボストン美術館の至宝展  東西の名品、珠玉のコレクション  (名古屋ボストン美術館)

2018年03月20日 23時58分37秒 | 絵画展

名城大学を後にしてから、金山のボストン美術館へ行って来ました。
もう直ぐ名古屋ボストン美術館が閉館となってしまいます。事前にこの展覧会の前売り券を購入していましたので、名古屋に来たついでに寄りました。


ボストン美術館の外観。




東西の名品、珠玉のコレクション。




美術館への階段。
アメリカの本館の前庭なのでしょう。



ボストン美術館の至宝展   東西の名品、珠玉のコレクションのチラシ。

感想
古代エジプト美術から現代美術までの広範囲に及ぶ美術展でした。見たくない部分も有りました。できる事なら、フランス絵画だけに絞って欲しかったです。
ボストン美術館の成り立ちは、美術館が作品を買い付けるのでなく、コレクターからの寄贈に寄るものでした。富豪が名画を購入し美術館に寄贈する。その精神性が素晴らしいと思いました。


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[第6回]  名城大学 「スペシャルホームカミングディ」

2018年03月20日 23時45分24秒 | 日記

名城大学から招待状が届きました。昭和45,46年度 ご卒業の皆様へ となっています。
大学を卒業して50年近い歳月が経ちました。卒業した大学がどのように変わったのか一目、見てみたい気が有りました。日頃なら大学祭の時に訪ねれる位です。
この機会に、大学に行って見たいと思い、出席の返信を出しました。


大学から届いた「スペシャルホームカミングディ」の招待状です。


今回が第6回で昭和45年と46年の卒業生が対象でした。第5回が43年と44年。第4回が41年と42年だろうかと思い、聞いてみましたら、その通りでした。と言う事は、第1回は昭和36年以前に卒業した人を対象にしたのでしょう。その年代となると亡くなっている人もいるのでしょう。
今回は昭和45年と46年の卒業生が対象となったのですが、来年は昭和47年と48年。複数年でやっているのですが、いずれは単数年の開催となるのでしよう。30年後に、この大学で会いましょうが合言葉になるかも知れません。
今日の出席数を聞きましたら、出席の返事が147人だったそうです。でも、今日は雨で出席を取り止めた人も居たようです。140人ほどの出席者でした。昭和45年と46年の卒業生となると何千人になるのでしょうが、150人弱では寂しい気がしました。




地下鉄鶴舞線の塩釜口駅の3番出口から地上へ出ました。
前の男性二人、それにこの女性もスペシャルホームカミングディの出席者でした。
一緒に向かおうとしたのですが、向かう方向が逆でした。
大学へ向かわず、反対方向に向かっていました。
私が地下鉄で大学へ来たのは始めてなのです。三人も一緒だったのでしょう。
案内状に1番出口が便利と書いて有りましたが、シッカリ読んでいませんでした。




大学へ向かう道にスペシャルホームカミングディの案内表示が出ています。




道路の桜。
蕾が膨らんでいます。
一輪だけ幹から花が出ています。




大学構内の案内図です。
校舎を表示しています。







こちらが共通講義棟北の建物です。




共通講義棟北の建物に入りました。
案内が有り、地下へと言われました。
エスカレーターで地下へ降ります。





こちらが受付です。
名を告げて名札を貰い、首から下げました。




こちらは懐かしい写真のコーナーです。
見覚えの有る建物が映っています。




会場の入口。
名城食堂です。




会場内に入りました。
広い食堂です。
普段なら、ここで学生が昼食を摂っているのでしょう。





法学部のテーブルです。
同様に学部ごとにテーブルが設置して有ります。
何人もの人が集まっていますが、知っている人の顔は見えませんでした。




「会」が始まります。
司会進行を勤めるのが東海ラジオのパーソナリティ。
青山憲子さんです。
始めに自己紹介がなく、後からミンナに名を聞かれ、後から改めて自己紹介をしていました。





主催者の挨拶で理事長の言葉ありました。
続いて、学長の吉久さんの挨拶です。
そして交友会長の乾杯の音頭でスタートしました。


名城大学の受験生が4万人をオーバーする。それに、受験生が愛知岐阜三重の人が多いと話されました。
学生の就職率は94.9%だとも言われました。
今日は午前中に愛知県体育館で卒業式が有ったと言うことでした。
3人が揃って列席。そして、こちらも3人揃ってとなったのでしょう。





乾杯が有りました。
みなさん、一斉にグラスへ口を持っていきます。




法学部のテーブル。
みなさん。飲み食いに一生懸命です。





左は日本酒とワイン。
ワインは春日井市に有る農学部の農場で収穫したブドウがワインに成ったのだそうです。
日本酒の麴も農学部が関係し、醸造していると言っていました。
それに塩釜口一丁目は名城大学の所在地です。
相生ユニビオと書かれています。そこに作らせたのでしよう。味醂屋さんに関係が有るのでしょうか。




アトラクションとしてチアリーディング部の女子学生が来てくれました。
3人ほどの女子は学生服姿で現れたりしました。
今では、男子の応援団は無くなってしまったのだそうです。





遠方から駆けつけた人の表彰です。
島根県から来たと言う人がいました。




最後はお土産つきでした。





大学の構内。





ベンチが有り、並木も有ります。
丸で公園の一角のような雰囲気です。






大学を後にします。


感想
名城大学に行って来ました。
卒業してから校舎の姿が変わり、アノ頃の面影は残っていません。同じ場所なのですが、全く違う場所に来たみたいな感じがしました。浦島太郎的気分とは、このような心境を言うのだろうと思いました。
校舎内で地下へ降りるのにエスカレーターに乗りました。丸で、大学の中ではないような感じがしました。
このような好い環境で勉強できるのは・・・・今時の学生は恵まれている。
今日の出席者は同様に思ったことでしょう。
私は二部の出身です。
何でも、二部は募集をしなくなったのだそうな。何時頃からなのだろうか。
需要と供給の関係。応募者が少なければ、募集を止めざるを得ない。
苦労してでも勉強しようと言う若者が少なくなったのでしょう。寂しい気がします。

名城大学の構内に入る事が出来ました。
二部が廃止となったのを知りました。男子の応援団が無くなったのだそうでした。
大学の今日的な状況を垣間見た気分がします。15時から学内の見学となっていました。今時の大学内の様子を見てみたいと思っていましたが、この後、ボストン美術館に寄りたかったので、参加を断念しました。
今日の「スペシャルホームカミングディ」。このような場を設けて下さった大学に感謝です。


アノ頃
昭和42年に高校を卒業して、学資を蓄えて昭和43年に入学しました。
通ったのが法学部の二部でした。いわゆる夜間大学です。昼間に仕事をして夜の大学に通う。そんな生活でした。
通学は、地下鉄鶴舞線が出来る前の時代でした。新名古屋から名城大学は遠すぎるので、地下鉄で今池まで行き、そこから市バスで大学に通っていました。
昼は仕事で夜は学業。愛知県庁や名古屋市役所の職員。水道局や郵便局の職員と言う人、国の出先機関に勤務する人も居ました。そのような状況で通学が可能なのが公務員の分野です。色々の公務員の人が数多く居ました。
昼間の学生は同じ年齢の人で固まるのですが、夜間の学生は幅広い世代にわたっていました。10代から20代の若者が多い中、先の大戦に従軍したと言うSさんが居ました。離れた年代でみんなのお父さん的な存在で、若者に混じって勉学を志すという異色な人も居ました。
それに、アノ頃は昭和40年代で学園紛争が盛んな時期でした。大学が荒れていまして,校内にアジ看板が何枚も有りました。ですが、私たち二部の者にとっては、関係ないことでした。自衛官で制服姿で通学していた人も居ました。それがクレームの対象となりました。制服姿が目立ち、私服での通学に変わりしました。
あのような時代を懐かしく思いましたが、あの頃を回想させるものは何も残っていませんでした。

最後に
仕事と勉学の両立。仕事を終えて大学に通いました。自分自身、良く頑張ったなと思います。そして、この大学を卒業した事を誇りに思います。

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河川環境楽園  今日の木曽川水園  春の兆し

2018年03月18日 23時34分34秒 | 河川環境楽園

河川環境楽園へ行って来ました。
花が咲き出していて


河川環境楽園に向かう道路です。
アスファルトの隙間からスミレが出ていました。




木曽川水園の梅林です。




梅が満開になっていました。




こちらはヒュウガミズキ。




ヒュウガミズキを下から見上げました。




サンシュユです。




暖かくなり、水温むという感じ。
木船が進んで行きます。




ジンチョウゲが芳香を放っていました。




池のカモ。
前は沢山居たのですが、数が減っています。
北へ帰ったのでしょうか。





子供達の三輪車のレースが行われていました。


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一宮友歩会 協力員親睦ウォーク  今年は彦根市街地の史跡を訪ねました

2018年03月17日 23時54分12秒 | 一宮友歩会関連

一宮友歩会では、毎年今頃の時期に協力員の親睦ウォークを行っています。協力員と言うと「会」に協力している人のように思えますが、「会」の例会に参加している人なら、誰でもOKなのです。
今年の開催場所は滋賀県の彦根市でした。彦根駅に集合し、市の中心部を歩きました。多くの人は、名古屋発8時03分の快速で向いましたが、私たちは岐阜駅を7時56分に発車する列車に乗れてしまいました。
列車の接続が良かったのです。30分ほど彦根に早く着けてしまい、皆さんの到着を待ちました。



彦根観光協会発行の「彦根お散歩まっぷ」から引用しました。




(08:54)
彦根駅に着きました。




彦根駅へ早く着きすぎましたので、駅前に出てみました。
初代藩主直政の銅像です。
呼び捨てにせず、敬愛の念を持ち、井伊直政公之像としています。




(09:40)
本体が到着し、これから出発です。
今日、案内してくださる女性の紹介が有りました。




駅前お城通りを歩きます。
左前方に彦根城が見えます。




護国神社の鳥居。
神社の境内へ進みます。
獻燈と彫られた石灯籠。
裏側に蒲生郡遺族会とか高島郡遺族会と彫られていました。県下一円から奉賛されているのでしょう。




(09:55)
お城に向かう道。ここを右に折れます。
左側に松の木が並木となっています。
「いろは松」と表示して有りました。




城の白壁と堀がマッチした場所です。
ここは、映画のロケにも使われた場所です。




埋木舎に来ました。




次に来たのが旧池田屋敷長谷門です。
説明板には身分に応じて門の格式が決められていたと有りました。
この門は中級武士の典型をなす門であると説明していました。





桜並木で、右側は運河のようなコースです。
流れが無くて良いのか、ボートを漕ぐ人たちが居ました。




広場に来ました。
金亀公園です。





この辺り。
グランドが何箇所も有ります。
お城が見える良い場所なのですが、照明灯が邪魔しています。




色が濃く、俯いて咲く桜です。
寒緋桜と言う説明板が設置してありました。
ようやく、咲き始めの時期を迎えていました。



(10:23)
内堀沿いの道を歩きます。






つがいの白鳥?
渡り鳥のハクチョウととはどう違うのだろう。





(10:31)
玄宮園に入りました。





お城が正面に見えます。
池を望む臨池閣と言う建物です。
屋根の茅が傷んだきています。



池越しに望む臨池閣。




(10:50)
玄宮縁から出てきました。
前が、お堀を屋形船で巡る船の乗船場です。
11時に舟が出るようですが乗船する人が居ません。



桜が咲き始めています。
立て札に「二季咲桜」と表示しています。
彦根市へ水戸市から寄贈されたものと有ります。
彦根と水戸の関係は幕末の騒動の内の1つです。それが友好都市となったのでしよう。桜を送られたのなら、返礼品は何だったのだろう。
水戸市を検索すると幕末の天狗党の関係で敦賀市が姉妹都市。彦根市は親善都市となっています。千波湖の白鳥と有ります。先ほどのような白鳥を贈ったのかも知れない。



内堀沿いを歩いています。
ここの左側に彦根東高校の体育館が有り、竹刀の迫り合う音が聞こえました。
先ほど、図書館の隣の弓道場では、弓を射る場面を見かけました。
彦根と言う城下町。そんな雰囲気を掻き立てられました。




(11:14)
北野寺に来ました。
門の両側に、仁王のような役ノ行者像が有りした。




北野寺の南側に北野天満宮です。
宮参りに来ている人がいました。




(11:38)
蓮成寺に来ました。
耐震工事で1年ほどかかったが、工事が終り、荷物を運び込んでいると住職が話していました。
重い瓦を除去して、軽い屋根にしたのだそうです。
この寺は彦根城の南に位置し、大坂方から攻撃に防御するため設けられたのだと説明してくれました。
引越し作業のところを手を止めさせて恐縮でした。




夢京橋キャッスルロードに来ました。





(12:04)
四番町スクエアに来ました。




四番町スクエアの北側がお寺の並ぶ場所に成っていました。




その場所に有った説明板。
藩政時代の町名。そして全時代の町名と現在の町名
こんな町名にも歴史が有ります。





(12:50)
夢京橋キャッスルロードを歩き、彦根城を目指します。




京橋まで来ました。
この先、城内に入ります。




(13:02)
彦根城城内への入口です。
この右側に彦根城博物館が有ります。
13時30分にひこにゃんが登場します。




ひこにゃんが登場してきました。





登場したひこにゃんが挨拶します。




ひこにゃんが博物館の縁側部分を行ったり来たりのパフォーマンスを見せます。




沢山の人が押し寄せていました。
皆が写真を撮ります。




(13:48)
彦根城を後にします。




彦根駅まで戻って来ました。
正面が彦根駅です。




(14:12)
米原行きの普通列車が入線して来ました。





感想
歩いていて、二季桜が咲き始めていました。横に木の表示板が有って、彦根と水戸が親善都市となっていることを知りました。彦根と水戸の曰く因縁の関係。こんな発見が面白いです。
飛び込みで行った蓮成寺の住職からお話が聞けました。地理的に彦根城の防御から何寺も寺が集められたとか、近頃は彦根の街中に住む若者が減ってきたなど、色々と聞けました。
博物館の前で30分ほど待ちましたが、ひこにゃんに合えて良かったです。

 

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