Kオジサンの気の向くまま

日々のあれこれ・・・・・思いつくまま

泥 棒 役 者

2017年11月30日 23時14分30秒 | 映画

泥棒役者を見てきました。
ある洋館へ泥棒に入った大貫はじめ(関ジャニ丸山隆平)それは絵本作家(市村正親)の家でした。泥棒に入りたくないのに脅されて盗みに入りました。脅したのは昔の仲間、畠山則男(宮川大輔)。その家の金庫を開けろと迫ります。絵本作家は童話も書きますが、すらんかぷに陥っていて、はじめに代筆をやらせようとします。そこに訪れた空気の読めないセールスマン(ユースケ・サンタマリア)。作家のところに来ている編集者。隣のクレーまーが現れたりするドタバタ劇でした。
始めから終りまで1軒の洋館の中での出来事でした。同じ場所で演じていまして舞台劇のように感じました。



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各務原ケ飛行場 100周年

2017年11月30日 23時05分28秒 | 絵画展・写真展等、各種展覧会

各務原ケ飛行場が大正6年に陸軍が飛行場として運用をはじめて100年を迎えます。それを記念して各務原市中央図書館の3階でパネル展が開かれています。


パネル展の開催のチラシです。
講演会が開かれました。




会場の全景です。




飛行場が今の姿になる前は第一飛行場と第二飛行場になっていました。




飛行場の歴史年表です。
左の部分には旗本坪内家が大砲の試射場として使っていて明治になって陸軍の練兵場となりました。大砲が進化して演習場の外へ弾が出てしまうようになり、演習場として使えなくなりました。それで飛行場となりました。それが、国内で2番目の飛行場となりました。第1番は埼玉県の所沢なのですが、所沢は今では飛行場が無くなりました。今では各務ケ原が日本最古の飛行場となります。



飛燕の車輪です。
戦闘機の車輪で脚が機体に折り込まれるのですが、そんな機体が無くなったのでしょう。そして車輪だけが残り、リヤカーか荷車の車輪に使われていたようです。




写真を見ている人たちから、メッサーシュッミットと言っているのが聞こえました。
他国の水冷エンジンの戦闘機と比較しているのでしょう。
メッサーシュッミットはドイツの戦闘機です。
この時期。イギリスにはスビットファイヤーが有りました。



飛燕のスピナーとカウリング。
スピナーはプロペラの先端軸を覆うカバーです。カウリングはエンジンカバーのようなものです。





終戦後、進駐軍が来ました。そして飛行場はキャンプ岐阜と呼ばれました。
キャンプの中は日本の中の外国で、リトルアメリカのようだったのでしょう。
キャンプに有ったボーリング場。恐らく、今のボーリング場のように機械が自動的にピンを立てるものでなく、人が立てていたのだと想像します。若い人のアルバイトではなかったか。


感想
各務原飛行場が開かれて100年を迎えました。高山本線が開通したのはそれより2年遅れてでした。飛行場がオープンするのに飛行機はどのように運んで来たのだろうと疑問に思っていました。この展示会を見て判ったのは、岐阜から馬車で機材を運んで来たと言う事です。東海道線は明治22年に全通しました。その後で、岐阜から馬車で運んだ。それにしても、大変な事だったろうと想像します。

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歴史ギャラリー  OPEN

2017年11月30日 23時01分33秒 | 絵画展・写真展等、各種展覧会

各務原市中央図書館の3階に歴史ギャラリーが11月18日にオープンしました。各務原ケ飛行場 100周年のパネル展を見に来たついでに寄りました。



ポスター



ギャラリーの全景です。








縄文時代の土器が展示して有ります。


各務原ケ飛行場 100周年のパネル展が主目的でギャラリーは、ざっと見ただけです。
またの機会。じっくり見たいと思います。

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一宮友歩会 第73回例会 ウオーキングコースの下下見

2017年11月29日 23時00分24秒 | 一宮友歩会下見

一宮友歩会では偶数月にウオーキングを開催しています。今日は来年4月に歩くコースの下下見で東海道線のJR穂積駅から瑞穂市の北部を歩き、穂積駅に戻って来ました。歩くコースは勿論ですが、出発式の場所やコンビ二の有無について確認します。コースの途中にはトイレや休憩場所。何処で昼食を取るかなどを検討します。
穂積駅から北に向かい、糸貫川沿いを北上しました。そして、中山道を経由して美江寺宿へ。その後は小簾紅園に寄ってから穂積駅へ向かって歩きました。
来年の4月7日に第73回として、本番を実施するのですが、今回の下下見、そして2月の下見を重ね、4月の本番の開催と成ります。



JR穂積駅から北に向かいます。




糸貫川の川べりを歩きます。
道路よりも、こう言う道の方が車が来ないので安全です。




カモが群れています。
私たち、人の気配で遠くへ行こうとします。




糸貫川の堤防を歩きます。
川が蛇行していて曲がった堤防です。
ついに雨が降り出しました。




街道らしい雰囲気。
中山道を歩いています。




美江寺宿の入口です。
石の道標が立っています。
この標柱から北へ向かうと谷汲山です。




美江寺宿の名所図です。
中仙道がクランク状になっています。




美江寺観音が有る場所に来ました。




神社の石垣に高札場跡の看板が掲げて有ります。




神社の境内に高札場を復元しています。




美江寺城址に来ました。
案内図に美江寺城址が乗っていましたが、何処に有るか探しました。
中小学校の片隅に有りました。
そして、小学校の事務室に寄り、何処から入れば良いか聞きました。
最近、学校敷地に入るのも制約を受けます。
事務室に事務職員が居ましたが、適切な応対が有りませんでした。




美江寺宿の南のはすれへ歩いてきました。
石の道標が立っています。
右は中山道で赤坂宿に向かいます。
左は南に向かうもので、墨俣宿に向かいます。
墨俣宿に向かえるという事は起宿を経て東海道に行けます。




観音堂が有りました。
堂内に石製の千手観音が祀って有りました。
この観音堂を見て、「てなもんや三度笠」に出て来たようなお堂だと思いました。




五六川の橋を渡ります。
橋の上から見えたのが川を泳ぐヌートリアです。




千躰寺に寄りました。
寺と言っても寺でなく、民家のような感じがする寺でした。




寺で休んでいると、ご婦人が前を通られました。
そして、キッカケは「中山道は、こちらに行けば良いですか」と女性が道を尋ねたのです。
この女性。中山道を歩いている人でした。
中山道を日本橋から繋ぎ繋ぎで歩いて来たのだそうです。
いわゆる街道歩きのオバチャンでした。中山道で碓氷峠、和田峠、鳥居峠と歩いて来たそうな。私も木曽路を歩いた事が有りますので、話が盛り上がりました。妻籠宿から馬籠宿に掛けては日本的な雰囲気が味わえる街道です。外国人が多かったでしょうと話し掛けると、外国人ばかりで日本人にはほとんど合わなかったと話しました。日本人より、外国人の方がそこの良さを知っています。
今日は岐阜から歩いて来て、赤坂宿に向かう。出来れば垂井宿まで行きたいと言っていました。
繋ぎ繋ぎとは言え、良く歩くなと感心します。彼女。静岡県の人でして東海道は踏破したのだそうです。それで次に中山道を歩き始めたと言っていました。



歩いて行く彼女。
旅の無事を祈り、見送りました。




中山道大月多目的広場です。
岐阜県区間の中山道の標柱が立っています。
向こうに見えるのは巣南中学校です。



揖斐川に架かる鷺田橋を渡ります。




天王神社に来ました。
大きなイチヨウが色付いて来ています。




小簾紅園に来ました。




和宮の歌碑が有ります。



小簾紅園の説明です。




小簾紅園のモミジが紅葉しています。




穂積駅に向かって歩いています。




路傍の柿。
葉が落ち、実が熟しています。



途中に寄ったのが樽見鉄道の十九条駅です。
本番の時に十九条駅をゴールとするのも選択肢の1つです。





五六川の堤防を南へ向かって歩いています。
前方にユニークな形をした建物が見えます。
瑞穂市の火葬場でした。

感想
黄色のイチョウ。紅葉したモミジ。色付いた柿。晩秋の雰囲気の中を歩きました。
本番は4月です。
その時は桜が満開になっていることと思います。



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史跡巡りとウオーキング   (第7回)  少林寺から歩く

2017年11月28日 23時43分40秒 | 史跡めぐりとウオーキング講座 等

今日は史蹟巡りとウオーキングの日です。今回は第7回で少林寺からスタートし、少林寺へ戻ってくると言うコースを歩きました。
少林寺から新加納宿の立場跡。日吉神社。浜見町墓場。そして善休寺を訪ねました。新加納宿は中山道の69次の宿場にはなっていません。東の鵜沼宿、西には加納宿が有りますが、宿場間の距離が長く、その間の宿場で間(アイ)の宿と言われて居ます。


今回の資料です。



新加納の少林寺が集合場所です。
稲荷堂の前でキツネの狛犬です。


少林寺稲荷堂

稲荷堂の前で説明する大堀先生。
文化財の標柱の字が違っていると指摘しています。





稲荷堂です。
「少」の字で無ければならないのですが、「小」の字です。




ズームアップしました。
稲荷堂の彫刻。
緻密な彫刻が刻まれています。




少林寺境内の墓地

少林寺の墓地へ来ました。
坪内家の墓碑を説明しています。




新加納土地区画整理事業の看板。
かつて、少林寺の南側は竹藪でしたが、今は無くなっています。
そして、広大な土地が広がっています。


新加納高札場跡

新加納の道標。
右 京みち。
左 木曽みちと彫られています。
中山道が枡形になっています。


新加納 中山道間の宿の説明板

新加納は間の宿です。
説明している先生。




現在地の地図です。
この場所の東に一里塚がありました。
梅村屋は旅籠です。
これから向かう日吉神社も載っています。
かつての中山道はクランク状の道でしたが、通りやすくするため斜めの道が造られました。

日吉神社

日吉神社へ来ました。




神社の狛犬ならぬ狛蛙です。
左のカエルに子カエルが乗っていますのでメスなのでしょう。
かつて、日吉神社の境内に池が有り、そこにカエルがいました。
その事からこの神社にカエルに縁が有ります。



新加納駅前広場

名鉄の新加納駅近くまで歩いてきました。





新加納駅の東側。
広場が有ります。
この場所に、こんな広場有るとは知らなかったです。






広場に、カエルにまつわる話が掲示して有ります。





こちらは新加納の紹介です。


浜見町の墓場

浜見町のお墓に来ました。




石碑が設置して有ります。





七里の渡しの石碑です。





石碑の右側に額が設けられ、石碑にまつわる物語が解説して有りました。
今から1,800年ほど前はこの一帯は海でした。
犬山と大垣の赤坂を船で行き来したと言うものです。

この場所が浜見町と言う地名になっています。
かつては海がこの辺りまで来ていて、浜を見るということから名付けられたのではと言う事でした。




少林寺へ戻ります。
丁度、私たちの前を美濃太田行きの列車が通過しました。




踏切から西方を望みました。
遠くに見える高架が東海北陸自動車道です。
ここの場所は坂を下って来たところです。
各務原台地の西端に位置し、ここから西は田畑が続きます。




今度は逆に岐阜行きの列車が来ました。
シャッターが一瞬遅かったです。


善休寺

善休寺に来ました。




善休寺に入ります。





親鸞聖人像です。
ここへテレビチームが撮影で来ています。



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りんごの樹オーナー  りんごの収穫  in  喬木村  2017

2017年11月26日 23時53分33秒 | お出かけ

今年も南信州へリンゴの収穫に行って来ました。
目的地は喬木村のリンゴ園です。
カミさんの兄弟が一緒になってリンゴの木のオーナーになっています。
そして、集合場所が喬木村のJA前となっていました。



中央高速の飯田ICに向かって走ります。





飯田ICで下道に下りました。
そして、見かけたのがリンゴ。
インターチェンジを降りると直ぐに目にしました。



飯田城

集合時間に余裕が有ったので、お菓子の飯田城に寄りました。




丁度、団体がバスから降りて、入るタイミングでした。
試食をやっていました。






店に入りましたが、列に並んで行きました。




名物の赤飯まんじゅうです。


喬木村交流センター

センターで受付を済ませました。
リンゴ畑の地図です。
今年も、「こおろぎ」と言うところです。



こおろぎ リンゴ畑

こおろぎのリンゴ畑に到着です。





リンゴが赤く実っています。






リンゴを収穫する子供達。





リンゴを木からもぎ取ります。




みんな、一生懸命です。






チビちゃんはパパに肩車して貰って収穫です。






収穫したリンゴを運びます。




次々と収穫したりんごが運び込まれてきます。




リンゴを3家で分け合います。





分け合ったリンゴ。



阿島陣屋跡

リンゴを収穫した後、昼食場所に移動です。
移動の途中、目に入ったのが阿島陣屋跡です。





門と説明板が有りました。





説明板です。





松乃本店

昼食場所の松乃本店です。




わたくしが注文したバラ寿司です。



椋鳩十記念館

椋鳩十記念館のバンフ。
リンゴ狩りに来ていて、椋鳩十記念館の表示が在るのを見かけ、寄って見ました。
椋鳩十はこの喬木村で生まれ鹿児島県で教員や鹿児島県図書館の館長を勤めました。

喬木村の図書館に記念館が併設されています。




図書館内です。
椋 鳩十夕やけ祭 。椋 鳩十賞読書感想文コンクールの展示です。
ここに映っているのは23回、24回、25回。そして25回です。
今年は30回を迎えています。
椋 鳩十のホンを読んで読書感想文を書くものだと思います。
第1回は昭和63年となっていて、今日まで続いて着ています。
継続するという事が凄いと思います。





記念館の入口です。
この先は撮影禁止となっています。
内部には原稿や若き日の写真が展示してありました。





ネコの名誉館長です。





リンゴ園から見える風景。
風越山や飯田の眺めです。
幼年期を過ごした椋 鳩十。
家々が増えたりしてその姿が変わっても、飯田の風景は変わりません。


感想
3家で、共同のリンゴの木のオーナーとなっています。それで、3家で分け合いました。1軒当たりが70個ほどです。合計すれば200個を上回ります。孫達と一緒にリンゴを収穫できて良かったです。
3家で一緒に昼食を摂った後、解散となりました。
リンゴ園に向かう時、椋 鳩十記念館の表示を目にしました。それで、ここに来た機会であり、寄ってみようと思いました。椋 鳩十はモチモチの木を書いた人だと思っていましたが、違っていました。動物に関する童話が多いです。信州を離れ鹿児島で暮らしました。そして作家活動を続けたのですが、信州での幼年期が作風に影響したのだと思います。
椋 鳩十の読書感想文の大会が30年も続いています。凄いと思いました。






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歴史街道を歩く会 11月例会  湖南三山を訪ねる

2017年11月25日 23時47分28秒 | 歴史街道を歩く会

歴史街道を歩く会の11月例会に参加しました。11月例会は日帰りのバス旅行です。隣県である滋賀県の湖南三山を訪ねました。湖東三山は有名ですが、湖南三山は近年、注目を浴びだした寺々です。


湖南市観光協会 発行の湖南三山のパンフレットです。



湖南市観光協会 発行の国宝湖南三山のパンフレットです。
ゆるキャラは「こにゃん市観光大使こにゃん」。
長寿寺でお話しされた女性が、彦根城のひこにゃんに習って造った、ゆるキャラだと話していました。




名神高速道路を西に向かっています。


善水寺

最初に訪れたのが善水寺です。
左側の窓口で拝観券を買いました。




善水寺の本堂です。




善水寺本堂。




境内のモミジが色付いて来て居ます。




本堂に入ります。
この先は撮影禁止になっています。





湖南市観光協会 発行の国宝湖南三山のパンフレットの一部分です。
寺の名が善水とあるように、恒武天皇が病気の際に霊水を献上したところ治癒されたと言ういわれが有ります。


平和堂石部店

ここの場所で昼食にしました。



常楽寺

常楽寺へ向かいます。





拝観券を買い求め、境内に入りました。
先に本堂が見えます。




靴脱ぎ場で靴を脱ぎ上にあがりました。





本堂です。
これからお話しを聞きます。
この先は撮影禁止となっています。




湖南市観光協会 発行の国宝湖南三山のパンフレットの一部分です。




本堂から出て、境内に来ました。



立派な三重の塔が聳えています。



長寿寺

長寿寺にきました。
大きな石碑が見えます。





門から入りました。
参道で、後ろを振り返りました。
紅葉し、葉が落ちています。





本堂の前まで歩いてきました。





本堂に上がります。




湖南市観光協会 発行の国宝湖南三山のパンフレットの一部分です。




本堂の外へきました。





境内のモミジです。




長寿寺を去ります。


感想
湖南市は町が合併して出来た。湖東三山が有名だが、それに習って湖南三山として売り出したと。お庫裏さんなのか、女性が説明してくれました。それに、こんなことを話されました。長寿寺は秘仏で50年に一度、御開帳しているのだそうです。そして、先に開帳したのが平成24年だったと言われました。実は湖南三山。長寿寺へも来た事が有ります。でも、何時来たのか覚えていません。丁度、来た時が御開帳の時期でして境内に柱が建ち、五色の布が本堂の中とを結ばれていました。
あの時が24年の御開帳の時だったのだという気分です。

三山は何れも国宝に指定されているが、かつては無住職の時代も有ったと話していました。常楽寺の住職が無住職の頃には仏像が盗難にあったと言っていました。
紅葉の時期。三箇所の寺を訪ねる事が出来ました。

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ヒストリー各務野会  秋のバス旅行 治水神社、展望タワー、そして海津市歴史民俗資料館を訪ねる

2017年11月24日 23時26分35秒 | ヒストリー各務野会

ヒストリ-各務野会の秋季バス旅行に参加しました。これまでのバス旅行で、一昨年は湖北の鶏足寺と竹生島。昨年は比叡山の延暦寺を訪ねました。今年は海津市の宝暦治水の旧蹟を訪ねるものでして、中西達治先生に講師としてお越しいただきました。中西先生は宝暦治水史蹟保存会の会長を務めておられ、宝暦治水に造詣の深い方です。
現地で、先生と落合いバスに乗っていただきました。それぞれの旧蹟での説明は勿論ですが、バスの車内でも説明して貰えまして『走る歴史教室』と言った感じがしました。

各務原 → 治水神社 → 展望タワー → 宝暦治水之碑 → 和風レストラン海津 → 海津市歴史民俗資料館
 → 薩摩義士役館跡 → さぼう遊学館 → 木曽三川公園センター → 各務原

 
木曽三川河口部の地図。
一般財団法人海津市観光情報センター発行
水と生きる 宝暦治水と明治大改修より出典。





治水神社・千本松原散歩マップ
監修/宝暦治水史蹟保存会より出典


治水神社

中西先生と落合う所が治水神社となっていました。
私達が治水神社について、程なくして先生がお見えになりました。




島津家と平田家の家紋の説明です。
島津家は丸に十。
平田家は丸に上(ツ)り二つ両引です。
今は右側と左側の幕の紋が異なりますが、古い写真には左右とも島津の紋となっています。



境内に有った宝暦治水のボードです。
紙芝居のようにストーリーが進んで行きます。




大野徳三郎の漢詩碑で、先生が説明しています。
南面と北面に漢詩が刻まれています。
今は北面を説明しています。




宝暦治水工事犠歿者の碑を説明する先生です。





宝暦治水工事犠歿者の碑をズームしました。
幕府方の内藤十左衛門や竹中傳六の名も刻まれています。
当時、下人は姓を名乗る事が許されなかった事が判ります。




胸像があり、その横に説明が彫られて居ます。
先生が説明しているのは菱田尚一という人物で岐阜県会議員や治水神社建設委員長を努めた人です。
この場所の下流で揖斐川と長良川に伊勢大橋が架橋されています。
その橋に口を明けて堤防へ通じる道を設けさせた人だと説明が有りました。




こちらは内藤十左衛門の顕彰碑です。
内藤十左衛門の自害した地が弥富市の証玄寺です。十左衛門は薩摩藩の人ではありません。彼は美濃国在住の水行奉行高木家の家来で幕府方のの切腹者です。彼が工事をしていた二の手工事の庄屋との折り合いが悪く工事の不備を指摘され、高木家に責任が及ぶのをおそれ、自らの責任として宝暦4年4月22日宿所であった弥富町百姓彦八方で自害しました。鐙玄寺の石碑には 「宝暦治水美濃義士 内藤十左衛門自刃之地」とあります。




展望タワーへ

木曽三川公園センターの展望タワーに向かいます。




高さ65mの展望タワーから木曽三川の雄大な流れとの水郷の景観が360度展望できます。
中西先生から眺望の説明が有ります。





タワーから見えた南方です。




南方をズームしました。
長良川河口堰。ナガシマスパーランド。伊勢湾岸自動車道が見えます。





タワーから見える西の方面です。
先生が西方を説明しています。
その先には油島大橋が見えます。

展望室の資料

タワーの展望室に何枚もの資料が置いて有りました。
この資料は、今から1400年前は伊勢湾が内陸に深く食い込んでいたと言うモノです。
一面が海となっています。
津島や枇杷島が島の状態ですが、周りは海です。
私達の住む各務原は各務原台地で半島のような状態で、西側は海となっています。




治水工事は宝暦の治水工事だけでは有りません。
明治の時期にも色々の工事が取組まれています。




木曽三川治水工事のbeforeとafterです
江戸時代までは、洪水の度に川の姿を変えて細い川となっていましたが、工事で大きな川え姿を変えました。




宝暦治水の説明です。
幕府の命によって、お手伝い普請と言う形で始まりました。
地図に一之手から四之手まで、表示しています。




水と緑の館の中に森繁久弥の墨跡がありました。
この館の名誉館長を勤めていたのでした。
森繁は「湖愁の岸」で伊集院十蔵を演じました。
平田靭負の役だと思い込んでいました。
どんな芝居なのか見てみたいが、それは、もう無理です。





バスの車窓から。
バスで治水神社の南端に向かいます。
左側が長良川で右側に千本松原が続きます。



宝暦治水乃碑

近代治水百年記念碑です。





左が明治大改修のヨハネス・デ・レーケ。
右は宝暦治水の平田靭負を紹介しています。





こちらは宝暦治水之碑です。
この石碑の題字を書いたのが当時の総理大臣。山県有朋だそうです。
石碑の上部に「宝暦治水之碑」と刻まれています。
山県有朋の題字と言えば、琵琶湖と京都を結ぶ琵琶湖疏水のトンネルに扁額が掲げて有りましたが、その題字が山県の字に寄るものでした。
琵琶湖疏水の道を歩いた時に遍額を目にしました。そしてこの石碑。関連性が面白いです。





石碑の横の説明板です。
石碑の表側の解説は勿論で、裏には宝暦治水の犠牲者の名も書かれています。






治水神社の南端。
宝暦治水之碑の見学を終えてバスに戻ります。





バスの車窓から。
お昼の時間となりました。
昼食会場に向かっています。
広い畑。
今は枯れた状態ですが大豆畑だそうです。
遠くに養老山地が見えます。


和風レストラン海津

昼食の場所へ来ました。
和風れすとらん 海津と言う場所です。





ウナギの蒲焼。鯉のアライ。
川魚の定食です。



海津市歴史民俗資料館

海津市歴史民俗資料館のパンフです。




これから海津市歴史民俗資料館に入ります。






資料館の服部さんが説明してくれました。





服部さんの説明。
明治時代の輪中の様子です。



明治期に沢山の輪中がありました。
北の大垣輪中や加納輪中から南は長島輪中などと、多くの輪中が並んでいます。






三階は高須藩関係の資料が展示して有ります。
この写真は高須四兄弟。



金廻四間門樋

資料館から外へ出てきました。
外のテント式施設の中。
金廻四間門樋が復原して有ります。
木造の施設なのですが、マツやスギ。ヒノキを用いています。

日本人の木に対する造詣。
木の特質を良く知っていて、工事に使っています。



金廻四間門樋の説明です。





金廻四間門樋の全体図です。
この施設は左の一部を復原したものです。





巨大な金廻四間門樋が復原されています。
これだけの大きさが有っても、一部分です。




金廻四間門樋の中に入ってみました。




人の背と比べると門樋の扉の大きさが判ります。


輪中堤

バスの車窓から。
平田町と輪之内町との境界の輪中提です。
昭和51年9月。長良川の堤防が切れて大洪水が起きました。
その時、輪中堤を締め切ったので、南側に被害が及ばなかったのだそうです。
輪中提が明暗を分けました。



バスの車窓から。
大榑川の堤防ですが、桜が植えられて平田靭負の名が付いているようです。
今は葉が落ちた状態ですが、桜の時期。ソメイヨシノとサトザクラは開花時期が異なり、2度桜を楽しむことができます。



薩摩義士役館跡

バスの車窓から。
「大巻薩摩工事役館跡」には、平田靭負の銅像と「薩摩工事役館趾平田靱負翁終焉地」と刻まれた石碑が立っています。
バスの窓から見たので、シッカリは見えませんでした。


さぼう遊学館

さぼう遊学館に来ました。





表にはヨハネス・デ・レーケの胸像が有ります。





ヨハネス・デ・レーケの功績を紹介しています。




さぼう遊学館の館内です。
土砂災害に対する3DのDVDが流れていました。




さぼう遊学館の有る場所は羽根谷という谷です。
ここは羽根谷だんだん公園として整備されています。
後方は砂防堰堤です。




関連性の面白さ
治水神社に内藤十左衛門の顕彰碑が有りました。2016年4月に一宮友歩会で弥富市北部を歩きました。その時に寄った寺が証玄寺です。あの時に寄った寺に自刃之地の碑と今日、訪れた顕彰碑が結びつく関連性に面白さを感じます。
今年、5月に羽島市の竹鼻別院へ藤を見に行きました。その時、境内で目にしたのが竹中伝六の墓です。伝六も幕府方の役人です。あの墓と宝暦治水犠牲者の石碑に名を連ねています。関連付けて考察する事が出来ます。
また、宝暦治水乃碑が山県有朋の揮毫で彫られておりました。同じ時代に完成した琵琶湖疏水のトンネルの扁額も揮毫しています。同じ頃で、後世に残る場所に筆跡を無残しました。
2006年3月に大津市の鶏冠山に登りました。下山して来て、川に有るデ・レーケが指導して築造したオランダ堰堤を目にしました。その場所には胸像も有りました。そして、今日はさぼう遊学館でもデ・レーケの胸像を目にしました。改めてデ・レーケの功績が凄いと思いました。

感想
今回のバス旅行は中西先生に、現地で解説して貰えた生きた学習でした。単に話しを聞くのと、現地で話しを聞くのでは大きな違いが有ります。バスの中から輪中堤を教えて貰いました。今は無用の長物と云われがちな輪中提が役に立ったと言われ、ピンときました。
近代治水百年記念碑にヨハネス・デ・レーケと平田靭負を紹介していました。
宝暦治水と明治大改修は二人の功績です。改めて勉強する事が出来ました。


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史跡巡りとウオーキング   (第6回)  大安寺から歩く

2017年11月21日 23時04分54秒 | 史跡めぐりとウオーキング講座 等

今日は史蹟巡りとウオーキングが有った日です。今回は第6回で大安寺からスタートし、大安寺へ戻ってくると言うコースを歩きました。正しくは5回目なのですが、5回目の手力雄神社からのコースが雨で中止となり、1回飛ばして第6回の大安寺コースとなりました。



今回の資料です。
鵜沼の大安寺に集合して大安寺の周りを歩きました。



大安寺です。
みなさん、集合してきました。




大安寺の墓地です。
墓碑を眺めています。




お墓ではないのですが、珍しい石碑が有ります。
刻まれているのが大谷形(刑)部の名です。
関ケ原の合戦に出て来た歴史上の人物。大谷形(刑)部の碑です。
刑の字が形と刻まれています。石工が字を誤るのはチョクチョク有る事らしいのです。
それにしても、ここに有るのはドンナ関連なのだろう。




お墓の南側の一角。
土岐頼益と斉藤利永の墓です。




墓碑が2基並んでいますが、どちらがどちらか判りません。
でも、先生は土岐家が主で斉藤家が家臣なので小さい墓碑が斉藤家ではなかろうかと言う事でした。




次の場所に向かいます。




来た場所は新池の西側です。
ここには田宮如雲の石碑が建立して有ります。




田宮如雲の遺徳が刻まれています。
如雲は幕末から明治期に掛けて農兵隊である草薙隊を組織して各務野の開墾に従事しました。
各務野を開墾したのですがその1ツとして新池の築造に努力しました。新池の住民からは破堤したら大変だと、反対が上がりましたが、絶対に大丈夫だと言えるシッカリした堤を築くことにしました。

農兵隊と聞いて思い浮かんだのが農兵節です。富士山の麓。三島の方で唄われた歌で、富士山麓の開墾に結びつくのかと思いましたが関係、花柳界で唄われた歌でした。




新池に向かって歩きます。




新池の堰堤に来ました。
土が盛られた堤ですが、厚さのある堰堤になっています。
明治期から今日に至るまでの年月が有りますが、修理など手を加えてきたのでしょう。
池が満水となって水が滑り落ちる水路はコンクリートとなっています。




大安寺に戻って来ました。




先生が説明している足元。
安積清右エ門と書かれた碑が立っています。
ここは鵜沼です。鵜沼の地に蘇原の人物からの碑がある。珍しい事です。
安積家に百圓寄付する財力が有ったと言うことです。



大安寺の境内に来ました。





境内に有った塔芯礎。
宝蔵庵の塔芯礎です。





参道に並んでいた石柱の親玉。
それぞれの石柱は金壹百圓と刻まれて、その下に名前が付いています。
大正7年と有ります。大正のころの100円て、今の貨幣価値でどれくらいのモノだろう。
多少の前後は有るのでしょうが、1円が今の1万円くらいの貨幣価値みたいです。と言う事は100円は100万円と言う事になります。





安積門

安積門です。
鵜沼宿の町屋館の南側に安積門が有ります。
大安寺の帰りに寄ってみました。
この安積門は蘇原の安積家から移築したものです。





安積門は、これまでは加納城の門だと思われていました。
蘇原から解体移築した際に大垣城の門だった事が判りました。
鉄板が貼られている黒鉄門です。

この門が有ったのが蘇原の安積家です。
11月10日のヒストリー各務野会の現地学習会で安積家を訪ねました。
http://blog.goo.ne.jp/gifu2212/e/8bdd4fa26e008a2607efaa0f923eda59
歴史で関連付くのが面白いです。




コメント
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お出かけ  東山動植物園へ

2017年11月19日 23時36分26秒 | 近場へお出かけ

名古屋市の東山動植物園へ行って来ました。今日は岐阜基地の航空祭が有りました。航空祭が喧しいので、ウチに居るのは避けたかったのです。
ジジとババ。2人とも毎日が日曜日です。日曜日と有って動物園に多くの人が訪れていました。別にこんな日に動物園に行かなくてもと言う気がしましたが、行ってきました。



動物園の入口で貰った園内地図です。



上池入口から入りました。
前方に見えるのが上池です。
それに、東山スカイタワーが見えます。


コアラ舎

最初に入るのはコアラ舎です。




コアラのマックス君。
他にミライちゃん。ココちゃん。ティリーちゃん。クレメンツちゃん。
コアラ舎の中。個室なのですが、女の子も居ました。
男の子のピース君も居ました。
ミンナ、お昼ね中でした。


白クマ舎

寝そべる白クマ。
大きなぬいぐるみみたいです。




目が覚めたのか頭を上げました。





眠そうです。
そして、再び寝てしまいました。


一期一会

お昼の時間になりました。
昼食時で、何処も混んでいました。
タマタマ見かけたのがこの席です。その時は空いていて、相席させて貰いました。
私達が退いたらオバアちゃん、2人がこの席に座ろうとしています。

お父さんと娘2人が食事をしていまして相席させてもらいました。
カミさんに向かって「岐阜」は雨だろうか・・・・。こんな言葉、言った覚えが有りません。デモ、お父さんは私達も岐阜なんですよと話しかけて来た気さくなお父さん。奥さんと下のお子さんは柳ヶ瀬へ。そして父娘は東山へ電車で来たと話しました。長良川の北。メモリアルの東に住んでいると言っていました。
私たちは各務原から来るまで来たとか、色々話をしました。
一期一会の事です。


ゾウ舎

ゾウ舎に来ました。
屋外で親子のゾウか。
鼻を伸ばし木の実を取ろうとしています。




こちらはゾウ舎で別のゾウです。




アヌラとコサラ。
今、飼われている2頭がスリランカから来たと紹介しています。




ゾウ舎内の展示施設です。
モニターで紙芝居式に表現しています。
先の大戦の時、ゾウが殺処分されそうになりました。
そして、終戦後ぞう列車で全国の子供達が東山に訪れたというストーリーです。





東山に居たゾウ。
それに今、居るゾウを紹介しています。
一番古いゾウは花子です。
1921年生まれとなっています。
東山動物園がウィキぺディアには1937年に開園したと有ります。
そして今年、80周年を迎えました。
ですから開園当時に居たのが花子です。


フクロテナガサル舎

フクロテナガサル舎の片隅。
2匹が固まっていました。

コスプレ大会が有ったのか、無かったのか。
コスプレ姿の人を何人ね見かけました。





動きだしたケイジくん。





フクロテナガザル。
喉の部分が袋状になっています。




キィー、ー、ー、ー、
文字で表現できない鳴き声を発しました。
そして、舎内をアチコチに移動です。




鳴き声を発した後にアカンーベーをしたのです。
でも、舌を出した顔は撮影できませんでした。

フクロテナガサル舎の周りに沢山の人が居ました。
一日、フクロテナガサル舎の前に居ても鳴き声を聞けないみたいです。
タマタマ、サル舎に来てケイジくんのパフォーマンスを目に出来たのはラッキーでした。



ゴリラ・チンパンジー舎

シャバー二、他のゴリラたち。
沢山の人がゴリラ舎に入っていますが、ゴリラたち。
見えるガラス窓の上に上がり隠れてしまっています。





ガラス窓の反対側にゴリラやチンパンジーの食事が並べて有りました。
白菜やリンゴが有りました。
そして、その横に有ったのが表彰状です。

右のものは・・・・・。『物』と言う物体として捉えています。
こんな表現に違和感を感じました。
相手がゴリラであっても、擬人化して、あなたは・・・・・。とならなかったのかと思います。



色付いてきた園内です。





クロオプレーリードッグ。






アメリカンビーバー。




カピバラ。



カバ舎

カバ舎へ来ました。
丁度、水に入るタイミングでした。





そのタイミング。
アップで。




カバ舎のプール。
ハイプから給水する水が落ちています。
その水を口で受け止めています。
気持ち好いのか、ウットリしています。


感想
車で出かけ、東山スカイタワーのところの駐車場へ来たらゲートの前に3台ほど停まっていました。みんな入園する車です。この列の後ろに並んでも、何時入れるか判りません。それでここの駐車を諦めました。
次に向かったのが上池入口の南の駐車場です。地図には橋下駐車場となっています。ここも満車でした。それでも駐車場入口に並びました。そうしたら、5分ほどで出る車があり、停めれました。比較的スンナリと停めれてラッキーでした。
ラッキーと言えば、ケイジ君が鳴き声を発するタイミングを見れたことです。
何年か前に来た時はオオカミ舎、アメリカンバッファロー舎を工事している時でした。今、ゴリラ舎を工事しています。東山が新しい姿に変わろうとしています。そんな中でも、歴代のゾウたちで東山の歴史を感じました。


コメント (2)
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