Kオジサンの気の向くまま

日々のあれこれ・・・・・思いつくまま

Kオジサンの家庭菜園日記  夏野菜の植付け

2015年04月30日 22時38分02秒 | 家庭菜園日記

今日はトマトやピーマン。なす等の夏野菜を植えました。
ファーストトマト2本。接木トマト2本。ピーマン(東みどり)2本。なす(千両2号)2本。伏見甘長3本。鷹の爪2本。です。

JAはぐり。
夏野菜を植える時期とあって沢山の人が買いに来ていました。




こちらはトマトの苗です。



買ってきたのを並べてみました。



畑の畝に植えた状態です。


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龍三と七人の子分たち

2015年04月30日 22時29分32秒 | 映画

北野たけしの作品「龍三と七人の子分たち」を見てきました。
ヒッチコックの作品のように、たけしが出てきます。
龍三がクラブのママ(萬田久子)宅へ行っていて、男が訪ねて来ます。風呂に隠れるようにと云われ、隠れますが、男が風呂に入ると言い出し、何とか丸めて、龍三を逃がしました。
その逃がした時の姿が、ネグリジェにハイヒール姿。
あっ、これがテレビで話していたシーンだなと思ったのです。
このことは、たけし本人が体験して時の事を作品に織り込んだと話していました。

コメディでドタバタの作品でしたが、面白かったです。
城内でも、クスクスと笑い声が彼方此方から出ていました。

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第一回  岐阜の地酒で乾杯

2015年04月26日 23時13分17秒 | お出かけ

岐阜市の柳ヶ瀬のメーンストリートを使って第一回岐阜の地酒で乾杯が開かれました。
これまでに、岐阜駅下のハートフルスクエアーGを会場として「飛騨美濃酒蔵の集い」が地酒をテーマにしたイベントとして取り組まれてきました。屋内での開催となると、狭くて制限が掛かるので外に飛び出したのでしょうか。
300円の金券10枚分綴りがワンセット。事前に前売り券を買い求めておきました。前売り券にはグラスがついていますので、お得です。


岐阜の地酒で乾杯のチラシ。



当日。受付で渡された会場の配置図。これを見れば何処にどの酒蔵が配置されているのか判ります。



スタッフの女性が着ていた「岐阜の地酒で乾杯」のTシャツです。
呼び止めて撮らせてもらいました。



柳ヶ瀬通りの東側です。
通りに入ると既に始まっていて、沢山の人で賑わっています。
この先が受付になっていました。



慌ただしく受付を済ませてしまいました。
それで、受付の様子などを捉えることを忘れていました。
10枚の中から1枚を使い、カミさん用のグラスを受取りました。

まず、1杯目です。



テーブルの隅に割り込ませてもらいました。
男性の箸の下が、このイベントの近県で10枚綴りです。
男性が呑んでいたのはビールです。男性がビールも売れば好いのにと言っていたとカミさんは話していました。



このブースであなご3色ごはんをゲツトしました。



買ってきたあなご3色ごはんの蓋を取りました。
あなごの下にそぼろと玉子が敷いて有ります。




岐阜の酒。金華山をいただきます。
綺麗なオネーさんでした。



沢山の人で賑わっています。



色々の酒蔵のハツピ。



主催者の配慮でしょうか。岐阜の酒蔵と飛騨の酒蔵が一緒に並んでいます。
鬼ころしは飛騨の酒。美濃錦は岐阜の酒です。房島屋は岐阜の揖斐川の酒で、久寿玉は飛騨高山の酒です。





こちらのテーブルの一角を使わせてもらいました。
礼を述べてこの場を去りました。



3,000円で10枚の金券です。
1枚はカミさんのグラスに。
1枚はカミさんが美濃錦を呑みました。
3食あなごごはんで2枚使いました。
と言う事は、私が6杯飲んだ事になります。
色々のお酒を呑み比べる事が出来ました。どぶろくを呑んだりしましたが、何処の酒蔵の酒を呑んだのか、はっきりしません。
色々のお酒が美味しかったです。



こんなブログを見つけました。2010/04/25に 第18回美濃飛騨酒蔵の集いと有りますが、「飛騨美濃酒蔵の集い」がハートフルスクエアーGで何回、回を重ねたのでしようか。
普段、こんなに人が集まる事の無い柳ヶ瀬です。「飛騨美濃酒蔵の集い」がハートフルスクエアーGから飛び出して来ました。参加者も酒蔵も大幅に増えました。
色々の酒蔵の酒を楽しむ事が出来るようになりました。それに、参加料も高くなりました。3,000円の金券でしたが、1,500円の金券も有ればと思います。
屋外でお酒と肴が楽しめるのが好いですね。
このイベントを企画運営した、実行委員の方々。何度も打ち合わせを重ねてきたことと思います。お疲れ様でした。

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歴史街道を歩く会 4月例会  熊川宿 明通寺 若狭一宮 そして丹後街道

2015年04月25日 23時30分46秒 | 歴史街道を歩く会

「歴史街道を歩く会」の4月例会に参加しました。4月例会は年度が替わり、福井県方面に出掛けると言うモノです。小浜市の鯖街道や丹後街道を歩きました。
バスで現地に向かい、線であったり点であったりしますが、美味しい所だけ食べると言った形です。最初に歩いたのは鯖街道の熊川宿です。そして明通寺。神宮寺から若狭彦神社、若狭姫神社へ。その後は小浜市役所の前から鯖街道の起点いづみ町を通り、三丁町を経由して小浜公園まで歩きました。

熊川宿 =====  明通寺  =====  神宮寺 ・・・・・  若狭彦神社 ・・・・・  若狭姫神社

  =====  小浜市役所 ・・・・・  いづみ町 ・・・・・  鯖街道資料館 ・・・・・   濱参道 

・・・・・  八幡神社前 ・・・・・  街並み保存資料館 ・・・・・  常高寺前 ・・・・・  蓬嶋楼  ・・・・・

庚申堂 ・・・・・  三丁町 ・・・・・  小浜公園

後半に歩いたコースは小浜西組と言う伝建群です。時間の制約が有り、常高寺へは寄ることが出来ませんでした。また、街並みと食の館は開館していませんでしたし、少し離れた場所の山川登美子記念館も訪ねることができませんでした。


何時もの日の丸の小型バス。
拾ってくれる場所にやって来ました。


熊川宿

熊川宿の掲示板の地図です。
右の下ノ町(シモンチョ)から中ノ町(ナカンチョ)、そして上ノ町(カミンチョ)へ歩きました。




西口公園駐車場へバスが停まりました。
ここから道の駅「若狭熊川宿」に向かって歩きます。




2年ほど前に熊川宿へ来た事が有ります。
その時は、今ほど綺麗に舗装がしてありませんでした。




店に入りました。
店主との会話。
その土地の人と触れ合えるのも、ウオーキングの楽しみです。




有名人が訪れています。
その時のサインでしょう。
店内に色紙が掲げて有ります。



松木神社です。
ブロンズ像は松木庄左衛門が重税の軽減を嘆願したときのものです。
横の説明板には、この行為に寄り磔の刑となったと書かれています。




宿場の中をゆっくりと歩きます。




いにしえのの様子を残す店。
何を販売しているのでしょうか、店内を覗き込んでいます。




熊川宿の説明板。
若狭街道は別名、鯖街道と呼ばれ若狭と京を結ぶ街道です。




道の脇に水路があり、綺麗な水が音を立てて流れています。




地元の人との触合い。
舗装がされた時は、もっと赤く、ケバケバしい色をしていたと話してくれました。
時間が経ち、落ち着いた色になってきました。




熊川番所の説明板。





役人が通行人を吟味したのでしょう。
番所と言っても、関所的な役割をしたのでしようか。




道の駅「若狭熊川宿」に着きました。
ここでバスが待機しています。
こう言うように、バスがゴールで待っているというのは助かります。


明通寺 

次に向かったのが明通寺です。




急な石段を登り、本堂に向かいます。




これから本堂に上がります。



三重の塔から見下ろした本道。
桧皮葺の工事が済み、綺麗な屋根となりました。
本堂内で住職から説明が有りましたが、屋根の葺き替えに2億円あまりの費用を要したとのことです。国費の補助が有ったが1割は自己負担をしなければならなかったと話していました。


 神宮寺

次に向かったのが神宮寺です。




ここ神宮寺でランチタイムを取り、寺の拝観は、自由拝観となりました。
自由拝観でしたが、時間の制約が有り、寺域には入りませんでした。




ここから若狭彦神社に向かいます。


若狭彦神社へ

若狭彦神社の前まで歩いてきました。




若狭彦神社に来ました。
無人で、管理が行き届いておらず、ご用の有る方は若狭姫神社へと書かれていました。



若狭姫神社へ

若狭姫神社へ向かいます。
道の横にトイレが設置して有ります。
綺麗なトイレでしたが、ウォーカー用に設けられたモノでしょうか。綺麗なトイレでした。
この近くで、若狭東高校の横を通過しました。
若狭東高校は福井県の中ではラグビーの強豪校です。歩いていて話題になりました。




若狭姫神社に到着しました。




本殿の横に千年杉が聳えています。


鯖街道起点へ

バスから小浜市役所の横で降り、歩き始めました。
この先が「いづみ町」で、鯖街道の起点です。
横の店では焼サバが店先で売られています。




路面に鯖街道の起点と表示して有ります。




こちらは別の魚屋。
アマダイが店先に並んでいます。100グラム350円の値が付いていますが、1匹にすると幾ら位の値段になるのでしょう。アマダイはグジと呼ばれる高級魚ですので高くても、しかたないでしょうか。



店先の横にサイン色紙が貼り出されています。
ここ小浜がNHKの朝の連ドラ、「ちりとてちん」の舞台となりました。
真ん中が貫地谷しほり。その上は和久井映見です。




整備された濱参道です。

小浜西組を歩く

小浜の街の西が西組です。




歩いていて、ガラスケースに入った箸が目に留まりました。
箸作りは小浜の重要な地場産業です。
誰かが言っていましたが、箸の製造で小浜が8割ほどを占めていると話していました。




これから丹後街道に沿って歩いていきます。
そのコースを確認しています。





八幡神社の参道です。
角に街道の指標が設けて有ります。




街並み保存資料館に寄りました。




こちらは常高寺。
石段の上にフェンスが設けて有りますが、そこは小浜線の線路でして先には進めません。
寺に向かうには左のトンネルを潜ります。



古い町並みの中を歩きます。




明治から昭和にかけて営まれていた蓬嶋楼(ホウトウロウ)。
中から三味線の音が聞こえた時代を想像します。




民家の横で咲いていたオダマキ。




庚申堂。
赤い身代わり申が吊るされています。




古い町並み。
家々の入口には身代わり申が吊るされています。




三丁町を歩いてきました。




ゴール。
小浜公園まで歩いてきました。




海辺。
この横は海水浴場となるところです。


行楽日和の好天に恵まれ小浜の街中を歩くことが出来ました。
小浜西組は古い町でレトロなテーマパーク的な雰囲気が残っています。伝建群に指定され、点々では有りますが、家屋が整備されつつあります。
時間的な制約が有り、今回は駆け足的に歩きました。訪ねる事ができませんでした場所を再度訪れたいと思いました。


おまけ

小浜港の突堤へ海釣りに出かけた事が有ります。その帰りに若狭小浜お魚センターに寄った事が有ります。
小浜漁港で水揚げされた魚が市場でせり売りされ、ここのお魚センターに並びます。お魚センターの横は市場で、その横が漁港です。遠洋の魚は別ですが、地魚は獲れたてのものが並びます。しかも、魚が安価です。好い魚は昼過ぎには売れてしまいます。
いづみ町の魚も好いですが、お魚センターに寄るのも好いでしょう。

 
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セントレア開港10周年記念 ミステリーツアー4日間 (第4日目)

2015年04月24日 23時01分01秒 | 旅行

今日は第4日目となりました。
最後の日で、ホテルから空港に向かいます。新千歳空港から中部国際空港へ飛行機に乗り、戻るだけの日です。

バスは下記の行程を走りました。
十勝川温泉第一ホテル ― トマムPA ― 新千歳空港 ― 中部国際空港 



朝の第一ホテルです。
朝食の前に散策しに外へでました。



玄関の車寄せに温度計が下がっています。
よーく見ると5℃です。



コンベンションホールが朝食の会場です。
2班が早く出発するから1班は時間をずらしてと言われていまして、ゆっくり来ました。





朝食をチョイスしてきます。



持って来た朝食です。



ホテルの出発は8時30分となっていました。
バスがホテルを出ましたが、霧の中です。
この辺りは、何時も朝に霧が出るようです。



交差点です。
どれ程先が見通せるかが判ります。
視界数十メートルと言うところでしょうか。



道東自動車道に乗りました。
車窓にトマムが見えます。



トマムPAでトイレ休憩です。
PAと言っても、自販機とトイレしかありません。



今日は4日目です。
今日の席は前から10番目の右側の席です。
空港へ行くだけですので、長時間、後部の席でなくて助かりました。

新千歳空港へ

空港に到着です。
バスのトランクからスーツケースやバッグを取り出します。



添乗員に誘導されターミナルに向かいます。



こちらはANAのカウンターです。
搭乗手続きをします。



飛行機の時間が12時25分で、時間に余裕が有ります。
空港で腹ごしらえをしてから機に乗ります。
何を食べるかとなり、ラーメンでもとなりました。



北海道ラーメン道場のシンボルです。
でっかい北海道の上にラーメン丼が乗って居いす。



入ったのは、カミさんの要望に寄り、えびそばの店に入りました。



ガラスの向こうで作っています。



出来上がったえびそばが運ばれてきました。
醤油味のものを頼みましたが、エビの濃厚な味がします。



キャビンアテンダントの女性。4人組が来店しました。
制服姿の彼女たち。
一遍に華やいだムードとなりました。
搭乗前に腹ごしらえと言うところでしょうか。







食べ終えて、一幻を出ました。
私たちが入った時はスンナリと座れましたが、今は列が出来ています。



左側はエアポート ヒストリー ミュージアムで北海道の空港の歴史が紹介して有ります。



ミュージアムの内部です。
制服や飛行場の歴史を表しています。



時間に余裕がありましたので、展望デッキに出ました。



降りてくる飛行機。
これから飛び立つ飛行機。
ずーと見ていて、見飽きません。



黒い服の女性にカメラのシャッターを押して貰いました。
カミさんがお礼を述べ、飛行機が好きなのですかと言葉を掛けると、好きだと応えてくれました。
飛行機好き。
空女」と呼んで良いと思いました。



手荷物検査場です。
これから関門を通過します。



こちらは6番登場口です。
搭乗の開始を待ちます。



ボーディングブリッジを渡り、機内に入ります。



機に搭乗しました。
21番の席で、一番後ろの座席です。



ここはどの辺りの上空でしょうか。
日本海を飛行してきて、陸地の上を飛行するようになります。



富士山が見えますとアナウンスが有りました。
手前が中央アルプスで向こう側は南アルプスです。
中央アルプスと南アルプスの間に伊那谷が見えます。

中部国際空港に着きました

中部空港に着きました。



外に出ます。



ターンテーブルに荷が出てくるのを待ちます。

4日間の足跡

今回のツアーでバスが走行した地図です。
4日間で1300キロ近い距離を走りました。


4日間のバスの座席。

4日間、おびうんのバス351に載りつづけました。
第1日は左側で前から9番目。
第2日は右側で前から4番目でした。
第3日が左側で最前列の次でした。
第4日は右側の前から10番目です。11列のバスですので、最後部に近い場所です。
毎日座席が変りましたが、2日目と3日目は長時間時容赦していた日でしたが、前部の席が指定されて良かったです。


北海道の自然
2日目に鶴居村に向かい丹頂を見ることが出来ました。この場所は鶴居村の字の如く、丹頂が居る場所です。国道244号でオホーツク海沿いで濤沸湖の横を走行中に丹頂鶴が居るのを見かけました。また、白鳥の残留組が小さく見えました。
同じ国道を走っていてバスの前を飛ぶオジロワシを瞬間的に見かけました。また、3日目にキタキツネがバスの前を横切るのを見ました。それにエゾジカが群れているのも見かけました。
オーバーな表現をするとサファリパークの中に居るような気分です。エゾジカの獣害問題も有りますが、北海道に自然が残っているのだと感じました。


ミステリーツアーの面白さ
ミステリーツアーの面白さはどのような場所へ行くのだろうと言うドキドキ感だと思います。今回は、残念ながら空港のカウンターで行程表を渡されてしまいました。自分だけ行程表を開かなければ済みましたが、いずれにせよ周囲の人が行程の話をしますので、何処に行くのかが判ってしまったことでしょう。
今回は3泊4日の格安ツアーでした。泊まったホテルはどのホテルも1泊が1万円以上すると思いますので、値打ちに旅行が出来たと

 
今まで知らなかった事
北方館で感じた事。北方四島の返還運動が在ることは知っていましたが、北海道と本州ではその運動に対する気持ちに温度差が在ると思います。
北方館のジオラマの中に安政元年に日露通好条約を締結して択捉以南を日本の領土としたと有りました。このような条約を破ってソ連が8月18日に侵攻してきたのです。ソ連の侵攻は旧満州でもありました。満州と北方4島とは条件的に異なるかも知れませんが、もっと歴史教育の中で条約が破られたことを教えるべきではないかと思いました。それに、条約が破られたことを世界にアピールすることも必要です。

3日目に道の駅に寄った時。復元された足寄駅を見かけました。建設した当時は国鉄であり、そしてJRとなって、銀河鉄道と言う第3セクターに変わっていきました。そして、廃線となってしまいました。
鉄道を建設した頃は、まず鉄道が出来ればその後に駅の周りに町が出来るという思いが有ったのでしょう。でも、人口の少ない北海道でそれは無理でした。
幸福駅から愛国へ。一時はブームになりました。その駅は交通公園となっているようです。
今回、足寄駅の復元駅舎を見かけた事により、北海道の鉄道を検索するきっかけとなりました。

バスが釧路辺りを走っていた時、バスガイドが釧路では、今でも石炭が掘られていると話してくれました。日本の炭鉱はすべてが閉山したものと思っていました。
ネットで検索してみましたら、太平洋炭礦が閉山して、釧路コールマインで再出発していました。それに中国やベトナムから研修生を受け入れているとあります。http://www.city.kushiro.lg.jp/sangyou/b_shien/sangyou/tankou/tankou/00001.html
もう、日本では炭鉱で石炭を生産していないと思っていましたが、ガイドが炭鉱の事を説明してくれ、唯一残っていたことを知る事が出来ました。

知らなかったことを知る。こう言うことが出来るのも旅の面白さです。

最後に
カミさんと北海道へ来たのは08.02に2泊3日で札幌雪祭りと旭山動物園。09.02に冬の北海道で旭山動物園と流氷。09.07には釧路空港から新千歳空港に掛けての2泊3日のコースを旅しました。
今回、ミステリーツアーでは有りましたが、道東方面を訪ねました。振り返ってみて、今までとは、また違った北海道の顔を見ることが出来て、面白かったです。

好い旅行が出来ました。次の北海道は、道北か道南に行ってみたいと思います。

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セントレア開港10周年記念 ミステリーツアー4日間 (第3日目)

2015年04月23日 23時51分17秒 | 旅行

今日は第3日目です。
ウトロを出発し、最初にオシンコシンの滝に寄ります。そして、オホーツク海沿いの国道244号線を走りますが、国道244号線はオホーツク海沿いの海岸線で風光明媚なところの国道です。小清水原生花園の横を通ります。まだ、花の時期ではありません。花の季節になると多くの人で賑わうことでしょう。
展望の良い網走天都山に向かいました。ここの展望台からオホーツク海や網走湖が見下ろせました。その後、244号を戻り入丸水産で昼食を取りました。昼食後は244号から391号を走り、摩周湖に寄った後 十津川温泉に向かいました。

バスは下の行程で進みました。
知床プリンスホテル風なみ季 ― オシンコシンの滝 ― 網走天都山 オホーツク流氷館 ― 

入丸水産 ― 摩周湖 ― 道の駅 あしょろ銀河ホール21 足寄駅 ― 十勝川温泉第一ホテル  

バスの座席は、毎日変更となります。
今日は左側の前から2番目の席です。
前方の視野が開け、良い場所です。


朝、ホテルの外に出てみましたら、冠雪した山が見えました。
ホテルの従業員に山の名を聞きましたら 知西別(チニシベツ)岳と言うのだそうです。


知床プリンスホテル風なみ季を出発

8時30分がホテルから出発する時間でしたが、定刻より早く揃いまして出発しました。
前を走るバスはナンバーが353で第3班のバスです。

オシンコシンの滝

オシンコシンの滝の駐車場に着きました。




バスが到着し、観光客が一斉に滝に向かいます。




雪解けの水を集めて流れるオシンコシンの滝です。
雪解け時期で水量が多くなっています。




オシンコシンの滝はオホーツク海のすぐ近くに有ります。
滝を眺めに、みんなが階段を登ります。




オシンコシンの滝の説明板が設置して有りました。




3台のバスの集結です。





バスの車窓から。
雪が残る海別岳です。




バスの車窓から。
険しい山。
こちらは斜里岳です。
春めいて来て、農作業が始まっています。




バスは、国道244号線を走ります。
左手に見える湖。濤沸湖です。
白い点は残留しているハクチョウです。もう、間も無く出発することでしょう。


釧網本線

前方からディーゼルカーが近付いて来ました。
今は10時06分です。
網走駅を10時01分に出た「快速しれとこ」です。
下の時刻表を見てみましたら、釧路まで行くのに、この列車に乗り遅れると次は16時15分まで有りません。

網走から釧路まで走る列車。機会があったら乗ってみたいと思います。


対向して来る列車をバスのフロントガラスから撮りました。
ほんの一瞬の事です。
道路標識の看板が邪魔になりました。


釧網本線のと言うパンフから引用しました。

網走から釧路に直接向かう列車は1日に5本しか有りません。
1両で走っていましたが、それだけ乗る人が少ないという事なのでしょう。

昭和40年代の北海道の鉄道網

1本の列車との出合いが、北海道の鉄道について調べてみようという気になりました。
これは昭和40年代の鉄道網です。その頃は縦横に鉄道が通っていましたが、赤字ローカル線で次々と廃止されていきました。一時、ブームとなった幸福から愛国へ。広尾線も運行していた時期です。この後、十津川温泉に向かう途中に寄った足寄駅の有る池北本も載っています
蒸気機関車なのかディーゼルカーなのか。帯広駅から北へ南へと列車が出て行きました。当時は賑わっていたのだろうと想像が膨らみます。






バスの車窓から。
網走駅の前を通過します。



網走天都山 オホーツク流氷館

天都山に着きました。
オホーツク流氷館が見えます。
右側の建物は新館で6月にオープンするのだそうです。
新館が完成すると古い建物は取り壊すのでしょう。




これからオホーツク流氷館に入ります。




ガイドが流氷の出来るメカニズムを解説してくれます。




実物の流氷が展示して有る部屋です。
マイナス15℃の世界を体験します。
この部屋に入る前に濡れたハンドタオルを渡してくれましたが、部屋の中で振ると凍って真っ直ぐになりました。




クリオネの姿を画像で紹介しています。





展望台に上がってきました。




展望台からの眺望。
左が網走湖で向こうに見えるのが能取湖です。
360度の展望で、眼下に網走刑務所やオホーツク海が見下ろせました。




駐車場に戻りましたが、観光バスが7台も停まっています。



入丸水産で昼食

お昼の時間です。
昼食場所である入丸水産に入ります。



帆立貝の昼食です。
ご飯の上に帆立貝が1コだけと言うのは、少し寂しい気がします。



昼食の後。
駐車場に戻ってきました。
入丸水産はオホーツク海沿いの場所にあり、遠くに斜里岳が見えます。



斜里岳を望遠で見ます。



国道244号線を南に戻ります。
右側と左側に冠雪の山が見えます。




バスの車窓から。
国道244号線はは釧網本線と並行しています。
北浜駅と藻琴駅です。
列車の本数が少なく無人駅なのでしょう




バスが国道391号線を走ります。
道路の両側に雪が出てきました。




バスの車窓から。
摩周湖へ向かうので、国道から離れ道道に入りました。
この線路は釧網本線の線路です。


バスの車窓から
広い牧場が見えます。放牧して有る牛がのどかです。
この辺りも牧場地帯です。



バスが道道を走ります。

摩周湖へ

摩周湖に着きました。
まず、全員の集合写真を撮られました。
今回のツアーで始めての全員写真です。
写真の後は展望の良い場所に移動です。こ
こから摩周湖が一望できます。



摩周ブルーが何とも言えません。




摩周湖をズームで。
向こうに見えるのが斜里岳です。




展望台の下の売店に入りました。
牛乳を買って飲んで見ました。
摩周湖辺りは多く牧場が有る場所なので、出来立ての美味しい牛乳が飲めると思いましたが、普段口にする牛乳と代わらない味でした。期待したのに期待ハズレでした。しかも、普段、飲む牛乳に比べると、値段は高かったのです。




ソフトクリームを売っていたので、注文しました。




摩周湖を離れて阿寒湖方面に向かいます。




バスは国道241号線を走ります。
前方に雄阿寒岳が見えます。




北海道の形をした湖です。
ガイドがペンケトー湖と説明してくれました。




バスの車窓から。
キタキツネがサッとバスの前を横切りました。
危なかったとでも思っているのか。
フーと溜息で着いているのでしょう。雪の上でしばらくこちらを眺めていました。




バスの車窓から。
足寄峠を過ぎて国道241号線を下って行きます。
車窓に雌阿寒岳が見えます。


足寄駅

トイレ休憩で道の駅 あしょろ銀河ホール21に寄りました。
道の駅 あしょろ銀河ホール21の隣の建物で、こちらは足寄駅です。



足寄駅といっても、かつて使われていた駅を復元したものなのでしょう。
まだ、新しい感じのする建物です。

かつてはJR池北線と言う鉄道で池田と北見を結ぶ鉄道でしたが、北海道ちほく高原鉄道と言う第3セクターの鉄道会社に変わり、ふるさと銀河線となりましたが、2006年4月20日に廃止となりました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E3%81%A1%E3%81%BB%E3%81%8F%E9%AB%98%E5%8E%9F%E9%89%84%E9%81%93

http://members.jcom.home.ne.jp/t-jw/ginga.html
足寄駅はこのような姿をしていました。
http://members.jcom.home.ne.jp/strike/chihoku3.html
http://members.jcom.home.ne.jp/t-jw/konopezinitsuite.html
池北線が廃止になったことは、ガイドが説明してくれませんでした。
何故こんな所に駅舎が有るとの疑問から検索したら上記の事が判りました。
北海道を開拓していく上で不可欠だった鉄道ですが、時代が変わってしまったのでしよう。



再現された足寄駅の内部です。
女子高生が勉強していました。
バスを待っていたのでしょうか。



駅舎の前にバス停が有ります。
本数が少なく、便利とは言い難いですが、利用者が少ないので、本数が少なくなるのは仕方が無いかもしれません。




バスは道東自動車道に乗りました。
対向車が全く来ません。


十勝川温泉第一ホテル へ

十勝川温泉第一ホテルに到着です。




部屋に入りました。
部屋は414号室で、窓に十勝川が望める眺望の良い部屋でした。




十勝川白鳥大橋です。
ライブカメラが有りました。
http://kachimai.jp/video/index.php?vno=1411972473


十勝川温泉第一ホテル の外観です。





夕食の時間となりました。
コンベンションホールに来ました。




ホールの内部です。




今夜の食事は会席料理でした。




お料理を撮影してみましたが、少しピンボケでした。


今日のバスの走行距離は330キロとなっています。知床から網走へ。そして摩周湖に寄り十勝に来ました。今日も一日バスに揺られて来ました。
体力的にはまだ、余力があります。






 

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セントレア開港10周年記念 ミステリーツアー4日間 (第2日目)

2015年04月22日 23時56分19秒 | 旅行

今日は第2日目です。
ミステリーツアーですが、行程表を渡されていますので、どのようなコースを行くのか、判ってしまっています。
下の行程でバスは進みました。

あかん湖鶴雅ウイングス ― 鶴居村 ― 釧路フィッシャーマンズワーフMOO ― 

道の駅 厚岸グルメパーク  コンキリエ ― 道の駅 スワン44ねむろ ― 納沙布岬 

― 道の駅 おだいとう ― 知床プリンスホテル風なみ季 


今日は前から4番目の右側の席です。
今回の参加者は全員で44名でした。女性の4人組。6人グループで2組のご夫婦と女性が2人です。残りが34名で17組の夫婦です。
夫婦の組数にすると19組です。いずれも、子育てを終えた年代で、年金受給者だと思われる年齢の夫婦ばかりです。何れの夫婦も落ち着いた感じのするご夫婦です。不倫でもしているような組が加わったら、奇異に写ったことと思います。


あかん湖鶴雅ウイングスを7時45分に出発しました。
今日は400キロ余りを走行するので早い時間の出発でした。
真っ直ぐの道です。対向車は全く来ません。


鶴居村へ

最初に着いたのが鶴居村の鶴見台です。




柵沿いに並び、みんながシャッターを切ります。




柵の向こう側に鶴の群れが居ます。




鶴を望遠でズームしてみました。


幣舞橋へ

釧路フィッシャーマンズワーフMOO に寄りましたのですが、その前に幣舞橋(ヌサマイバシ)に向かいます。




フィッシャーマンズワーフの横に設けられていた釧路湿原の歌碑。
ご当地ソングの女王。水森かおりのものです。
https://www.youtube.com/watch?v=htpQMwOZs64




幣舞橋のたもとから眺めてみました。
この橋は、釧路の景色で紹介される橋です。霧の時に定点カメラに写る事が有ります。




橋に4体の裸婦のブロンズ像が設けて有ります。
季節を表し、春夏秋冬の構成となっています。

釧路フィッシャーマンズワーフMOO へ

釧路フィッシャーマンズワーフMOOの建物です。
左側は釧路川でもう、河口です。
漁船が停泊できる岩壁となっています。




釧路フィッシャーマンズワーフMOO の内部です。
水産物を販売していますが、旅行中であり、まだ買う事が出来ません。


道の駅 厚岸グルメパーク  コンキリエ へ

道の駅 厚岸グルメパーク  コンキリエが昼食場所です。
コンキリエはイタリア語で貝殻の形をしたと言う意味です。
そんな場所でのお昼です。




お昼は、カキの載ったカキ飯です。
厚岸はカキが多く取れる場所です。
それで、カキの料理のお昼となりました。カキの苦手な人はカツ丼にチェンジが出来ました。
右のは、焼カキです。オプションで注文しました。




厚岸グルメパークは高台に有ります。
遠くに厚岸大橋が望めます。
向こう側は半島になっていて、橋が完成する前は渡船で往来していたそうです。




厚岸湖の中ではカキの養殖をしています。
下側にトリミングしましたが、カキ筏で仕事をする人が判ります。




下に見えるのはJR厚岸駅です。
以前テレビで見ましたが、お昼に食べたカキ飯が駅弁として売られていました。
1日に10個ほどしか作らない駅弁です。
1日に何本も走らないような鉄道です。今でも駅弁が売れているのでしょうか。
駅弁の味は、今日食べたカキ飯と同じような味を想像します。




走行するバスの車窓から見えたJRの列車です。
カメラを構えるのが遅れ、小さな画像となってしまいました。


道の駅 スワン44ねむろ 

バスから降りて道の駅 スワン44ねむろ へ向かいます。
44は国道44号線の番号を取ったものです。




展望の良い場所にみんなが向かいます。




前面に広がる風連湖です。




バスの車窓から。
風が強く、波が有ります。


納沙布岬に来ました

バスを降りて、バスガイドに引率され納沙布岬へ来ました。




みんながガイドのの説明を聞きます。




こんな説明板が目に留まりました。
寛政の蜂起和人殉難墓碑
和人がアイヌ人に殺された事件です。和人が被害に遭ったというだけの表面的なことだけでなく、アイヌ人が蜂起した根底には、安い賃金で酷使されたのであろう事も考えなければならないのではなかろうか。

飛騨屋久兵衛を検索したらこんなサイトを見かけました。
http://www.geocities.jp/rekishi_chips/hoppou2.htm
芝居のようなオーバーな脚色が有るかもモ知れませんが、アイヌ人が奴隷のように扱われて虐待を受けたのではなかろうか。



納沙布岬の灯台が見えます。


北方館へ向かいます。



北方間の館内には動物の剥製が展示して有りますが、何と言っても、ここから見える北方の方に気が向きます。




館内に望遠鏡や双眼鏡が有り、北方を眺める事が出来ます。




館内の展示で地図のジオラマが有りました。
ジオラマには安政元年に日露通好条約を締結し択捉以南を日本の領土としたと有ります。

ガイドが話していました。
昭和20年8月15日に終戦となり、その後、8月18日にソ連が攻め込んできたのだそうです。言うならば、一方的に条約を破って侵入してきた訳です。
このような事が有ったことを知りませんでした。
今の教育では、終戦時の状況が教えられていません。戦後70年となります。先の大戦では、日本は加害者的な立場と被害者的な立場を共に持ちます。このような事実も教えていかなければならないのではないでしょうか。




次の団体が訪れました。
納沙布岬には
大きなモニュメントがあり、北方領土を4つのブロックにして、繋がりあって大きなかけ橋となっている様を表現したものです。アーチの右下内側には燃え続けている「祈りの火」があります。
右側の建物は北方館・望郷の家です。



バスの車窓から。
内湖でその向こうがオホーツク海です。
納沙布岬に向かうときの太平洋は荒れていましたが、オホーツク海は穏やかです。
半島を隔ててガラッと海の様子が変わります。小さく野鳥が見えます。
この辺りをバスが走行しているとき、大きなオジロワシが大きく羽根を広出て飛びました。


道の駅 おだいとう 

道の駅 おだいとう に着きました。
時間的に17時少し前の時間です。
もう、閉館していて誰も居ませんでした。




四島への道 叫び のモニュメント。
バスの車内から撮影しましたので、陽が写ってしまいました。



4枚の写真を1枚にしました。
老婆が4島が戻るよう叫んでいる姿のブロンズ像。
4本のポールは北方4島を表しています。


根北峠辺り

バスは斜里の町に向かって走っていますが、根北峠に差し掛かりました。
峠で雪が深くなりました。
道が下って登ってとなります。
前方に山並みが見えますが、斜里岳です。
陽が傾いてきています。




バスの車窓から。
知床半島の海別岳です。


知床プリンスホテル風なみ季 

知床プリンスホテル風なみ季へ来ました。
この画像は翌朝に撮影したものです。




知床プリンスホテル風なみ季の館内です。
左は吹き抜きになった所で、右は売店が並ぶところです。




夕食会場です。
ここも、バイキングスタイルでした。




バイキングで、お料理をチョイスします。




持ってきた料理です。


阿寒湖を7時45分に出発してウトロへ着いたのが19時近い時間でした。途中には昼食を取ったり、トイレ休憩をしたりしましたが、9時間程をバスに揺られて来ました。
これだけの長距離。それだけ北海道が広いと言えます。

納沙布岬では望遠鏡で貝殻島の灯台が見えました。国道335号線を走ってきましたが、空気が澄んでいれば沖に国後島が見えたことだと思います。
すぐ近くに見える北方4島。
納沙布岬では、北方の返還の碑を目にしましたし、道の駅 おだいとうでは「叫び」のモニュメントが有りました。北海道の人と本州の人では、北方領土返還に対する熱意に温度差が有ると感じました。


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セントレア開港10周年記念 ミステリーツアー4日間 (第1日目)

2015年04月21日 23時52分19秒 | 旅行

中部国際空港が開港10周年を向かえる記念として企画された4日間のミステリーツアーに参加しました。このツアーの募集は3月11日から4月22日までが開催日です。
行き先のヒントに日本最〇端の岬へご案内と有ります。これは北海道に行くのだと読みました。早い時期なら、冬の遅い北海道なので、雪が残っているだろうと思い、終了日の1日前の日である4月21日の参加を1月7日に申し込みました。


阪急交通社から送られて来たチラシです。
開催日が無い日も有りますが、3月と4月。多くの日で開催されます。



中部国際空港へ

5時44分。名鉄電車の始発電車に乗車します。
セントレアへの集合時間は7時20分となっていました。この後の列車は7時20分に着きます。国内線ですので、その列車でも
良いのですが、余裕を持って着きたいと思い、始発に乗車しました。



トラピクスの受付です。
ここで旅行の行程表を渡されてしまいました。
北海道と予測していて、その通りでした。目的地が判ってしまいました。宿泊するホテルが書かれていてどのようなコースを辿るかが判りました。ミステリーツアーの目的地が的中しました。早い時期に参加していたら、ツアー中バスの車窓から道の両側に残雪が見え視界が真っ白だったと想像します。

ミステリーツアーの面白さは何処に向かうのだろという推理する面白さです。案内文書には暖かい服装でご参加くださいとなっていましたので北海道だと予想はしていましたが、面白さが半減しました。

今日の行程は下のルートです。
中部国際空港 ― 新千歳空港 ― 清水ドライブイン ― あしょろ庵 ― あかん湖 鶴雅ウイングス



新千歳行きに搭乗します

行き先を告げられ、ANAのカウンターに向かいました。
搭乗する飛行機が新千歳行きで、飛行機は北海道に向かいました。



保安検査場の入口です。
国内線ですので、国際線の事を思うとスムースに通過できます。





6番ゲートに向かいます。




6番搭乗口から入りました。
8時15分に出発する新千歳への便です。
ボーディングブリッジを渡り機内へ入ります。




御嶽山の近くを飛行します。
噴火口から煙が出ているのが見えます。




新千歳が近づき、着陸態勢に入りました。


新千歳に到着しました

新千歳に着き、ターンテーブルで荷物を受け取りました。
現地添乗員に案内されバスが待っている場所に来ました。



ツアーのステッカーです。

バスに乗って
阿寒湖温泉へ向かいます

バスの車内。
第1日目は左側で、前から9番目の席でした。

バスは道東自動車道を東へ走ります。
昼食の時間となり、一旦、十勝清水ICで降りて日勝峠に向かいました。
道東自動車道にはPAは有りますが、SAは有りません。本州のように走行する車が少なく経営が成り立たないからでしょう。



お昼の時間で、日勝峠の清水ドライブインに寄りました。
ここでは自由昼食でした。
このドライブインへは09.02に「冬の北海道」で訪れた事が有ります。その時はまだ、道東自動車道が全通していなく、バスが日勝峠を越えました。



昼食場所の「とかち亭」に入ります。





他の団体も訪れています。



私が注文したのはホエー豚丼です。
豚肉を網で焼いたような感じです。味はウナギの蒲焼のタレで味付けしたような味がしました。左側は山ワサビだと言っていましたが、余り、辛さは感じませんでした。

あしょろ庵

トイレ休憩とショッピングを兼ねて休憩します。



寄った場所はあしょろ庵です。
ここへは以前に来た事が有り、その時も松山千春と一緒に写りました。




バスに乗車します。






阿寒湖温泉に向かって走ります。
車窓に雌阿寒岳が見え出しました。



道路の雪は無くなっていますが、道路の横には残雪が有ります。



阿寒湖温泉の近くまで来ました。
道路の横の樹木が白樺に代わってきました。




阿寒湖温泉に着きました

今夜泊まる、あかん湖鶴雅ウイングスです。
翌日の朝に撮影したものです。



客室は7階でした。
部屋から阿寒湖が望めます。
湖面は決氷していて、氷を砕くため船が動き出したのだそうです。
沖の方を航行する遊覧船が見えます。



港に遊覧船が戻ってきました。

この遊覧船は22日から航行を開始しました。
同じホテルに泊まっていた別のツアーグループが翌朝乗船に向かっていました。


湖畔に雄阿寒岳が望めます。



夕食の前に一風呂浴びに出かけました。
向かう途中、ジャガイモを蒸していて、自由に試食できるコーナーが設けて有るのを見かけました。



こちらは売店が並ぶコーナーです。
前の女性の姿は館内着を着て風呂に向かう姿です。手に提げている袋はメッシュ状になったバッグで、風呂に向かうのに、バスタオルなどを入れて持ち歩きます。バッグには部屋番号の着いた札がついており、ルームナンバーを忘れても、この札を見れば判ります。

お風呂に向かいました。
私たちが泊まったのは、あかん湖鶴雅ウイングスですが、お風呂は隣のあかん悠久の里鶴雅に行かなければなりませんでした。時間によって男性は1階の豊雅殿。女性は8階の展望風呂となっていて交互の利用でした。
行ったのは豊雅殿ですが、露天風呂が有りましたし、屋内には色々の形をした風呂が楽しめました。



夕食はバイキングです。
会場の天河です。
列に並び、席に案内されるのを待ちました。



仲居さんが指定の席に案内してくれ、料理の説明が有りました。




上はお寿司のコーナーで、右側は焼きたてのステーキが貰えます。
下はお刺身のコーナーで右側は揚げたての天ぷらが食べれました。




上はイタリアンのコーナーです。
下は中華料理のコーナーでエビチリやエビマヨを戴きました。



チョイスしてきたお料理です。
お酒の肴になるお料理ばかりを取って来てしまいました。



ホールの風景です。
大部分がご夫婦です。





あかん湖鶴雅ウイングスと隣のあかん悠久の里鶴雅は連絡路で繋がっています。
木彫ギャラリーが設けられています。



このようなアイヌの衣装も展示して有ります。

夜の散歩に出かけました

夕食を終え、外に出ました。
ホテルの前には表札や木彫品などの土産物を扱う店が並んでいます。



阿寒湖アイヌコタンへ行きました。



夜で、ひっそりとしています。
この時は訪れている人が少なかったのですが、後から中国人が来ていました。




ホテルの前の土産物店街です。
店の前を歩く人が少ないです。



あかん湖鶴雅ウイングスに戻って来ました。


第1日目は阿寒湖畔での宿泊となりました。
泊まったホテルが「あかん湖鶴雅ウイングス」です。山側と湖側に客室があります。湖側の部屋で有って眺望が良く、良い部屋に泊まれたと思います。部屋の洗面所におかれていたコップは錫のコップで高級感が有りました。この部屋の難点は畳が擦れていたことです。ズボンに屑が着きました。
夕食はバイキングの食事でしたが、内容的に充実していて、造り立て物を口にする事が出来ました。


1泊目の「あかん湖鶴雅ウイングス」で思わぬ人に出合いました。山友のSさんです。こんな北海道の地へ来て思わぬ再会です。
Sさんは中部国際空港を11時20分発の飛行機で来たのだそうでした。私たちは8時15分発のANA便です。11時20分発のANA便で第2班が来ました。第3班まで有りましたので、3班はJALで来たのかも知れません。お昼の時間が何処の場所になるかで、アレンジします。私たちは清水ドライブインでのお昼でした。2班は空港で自由昼食を取り、一路ホテルに向かったのではないでしょうか。
私たち中部からのグループ以外にも、九州や関東からのグループも有りました。北海道内は同じコースを辿るのですが、違うのは飛んで来る飛行機が違うだけなのでしょう。



二つのキーホルダー

左側のキーホルダーは09年02月にここ、阿寒湖へ来た時にカミさんが買ってくれたものです。あの頃は、まだ携帯を持っていない時期でした。
そのキーホルダーがくたびれて来ました。
阿寒湖畔で買った事は覚えていても、どの店であったのか忘れています。
何軒か、店を廻っていて、その時に買った店を見つけ出す事が出来ました。当時、このようなモノを造る店が何軒かあったようです。最初に行った店で、これはウチで作ったヤツだと言われました。でも、このような品はもう店に並んでいませんでした。「えぞりす」と言う店に、有りました。あの時に買った店が「えぞりす」か否か判りませんでしたが、カミさんが同じような品を買ってプレゼントしてくれました。
帰宅して、アルバムで確認しましたら、その時に買った店、「えぞりす」の小袋が貼って有り、この店だったと確認できました。

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おばさんの告別式

2015年04月19日 22時41分52秒 | 葬儀など

昨日の朝、伯母さんが亡くなりました。
伯母さんは父の妹で大正5年10月生まれです。
数え年で100歳でした。

昨年、母の兄の奥様。こちらも伯母さんですが、亡くなりました。

これで、父と母の兄弟。そして配偶者が全て亡くなってしまいました。


斎場を表から見ました。



告別式の祭壇です。



伯母さんは施設に入っていました。
昨年10月に誕生日をお祝いして貰ったときのものです。


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今日は町内のお祭りでした。

2015年04月19日 22時34分16秒 | 町内会・地域の行事

今日は町内会のお祭りで、子供みこしが町内を練り歩きました。
子供みこしと言っても担ぐ、子供の数が減っています。


遠くから。



こちらへ近づいてきました。



自宅近くに来ました。


私の町内会は100世帯ほどです。
世間の情勢と同様に私の町内会も子供の数が減ってきました。
このようにお神輿を担ぐことは何時まで続けれるのでしょう。

町内会を廻ったみこし。
この後、雨に降られてしまいました。

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