Kオジサンの気の向くまま

日々のあれこれ・・・・・思いつくまま

石川県野々市市へ

2015年05月31日 23時59分35秒 | 旅行

5月30日から31日に掛けて、石川県野々市市に住む息子の所へ行って来ました。
30日は家族全員で焼き肉屋へ
そして、31日は孫息子が参加する輪投げ大会を見せて貰って来ました。
孫に会うのは4月以来で、久し振りに会う事が出来ました。

5月30日

全員で向かったのが焼き肉屋サンです。
トップで店に入っていく孫息子。



入った店は「じゅうじゅうカルビ 野々市店」
こちらの店。
食べ放題のメニューです。




運ばれてきたお肉と焼いている状態です。

5月31日

こちらは孫息子の通う小学校。
野々市市立菅原(スガハラ)小学校です。



これから輪投げ大会が始まります。
町内会ごとに列に並んで開始を待ちます。


輪投げ大会の組み合わせ表。
パソコンで打った活字では無いので、文字に温かみがあります。子供の多い町内会はA組~C組まで有ります。



左は記録をするお母さん方。
右は輪投げのプレートです。
平らでなく斜めになっていますので、投げ難いと言っていました。



輪投げをする孫息子。
良い表情を見せてくれました。



試合が終わって、成績発表を待ちます。



孫息子はこの4月に入学しました。
小学校に入学してから、初めて会いました。
また、一歩、成長していると感じました。


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富山・石川の旅  石川の巻

2015年05月31日 22時14分08秒 | 旅行

今日。午前中に孫息子の輪投げ大会の様子を見る事が出来ました。
午後は帰るだけです。
折角、石川に来たのだから、金沢駅に行ってみたいと思いました。
特に北陸新幹線が開通し、新しい姿になった金沢駅が見たかったのです。それに金沢駅へは記憶に無いほど昔に行ったままで、最近の金沢駅がどのようになっているのか、知りませんです。


チャンピオンカレーへ

石川に来たのだから、チャンピオンのカレーが食べたかったです。
寄った店は野々市の本店です。




こちらは店内です。
私たちは直ぐに座る事が出来ましたが、この後には満席になりました。




チャンピオンのLカツカレーのジャンボです。

久し振りにチャンピオンのカレーを食べました。


金沢駅へ

これから、金沢駅に向かいます。




地下道を通り金沢駅に向かいます。
地下道というより、地下広場と言った感じのするスペースです。
でも、地下広場と呼ぶには、暗い場所でした。
節電で照度を下げているのでしょうか。
あのエスカレータで上に出ます。



エスカレーターで上がれば、金沢駅の正面です。





金沢駅のコンコースです。
これから入場券を買い、プラットホームに上がります。




列車の時間を表示しています。




発車する列車の時間を表示して有ります。




入場券を買ってプラットホームに上がりました。
記念に入場券を貰って来ました。





13番線のプラットホーム。
冨山行きつるぎ710号が待っています。




ホームの転落防止柵にモニターが設置して有ります。
エスカレーターを駆け上って来る人が判ります。
安全のため、そのような行為は慎まなくてはなりません。




金沢駅の駅名表示。
下部が時刻表の表示となっています。
時刻表を見ると、「かがやき」や「つるぎ」は1時間に1本程度の割合となっています。




つるぎ710号の先頭車。




向こうのホームから撮影する人も居ます。




14番ホームへかがやき509号が入線してきました。




かがやき509号。




かがやき509号の最後部。




かがやき509号から降車した人たち。




かがやきの乗務員室への入口と客席。




つるぎ710号の行き先表示。
日本語表示と英語表示が交互に入れ替わります。



つるぎ710号の発車する時間が来ました。
まず、列車のドアが閉まり、そしてホームの安全柵が閉まります。




つるぎ710号が発車していきます。










つるぎ710号の最後部。




コンコースへ降りてきました。



西口に来てみました。
こちらは金沢港や石川県庁へ向かう降車口となりますが、東口に比べると落ち着いた雰囲気です。




正面入口。
東口です。
大きな屋根で覆われています。




この大きな屋根。
「もてなしドーム」と言うのですね。
説明盤が設置してありまして概要がわかります。
大量のガラスが使われています。
全体で3,019枚。そして屋根には1,234枚のガラスが使用されています。





どこかのテレビ局が取材に来ています。





コンサートが開かれています。




三味線とバイオリン。それにドラムです。
チャリティーライブとなっています。
東日本大震災義援金と書かれています。




巨大な鼓門。
その下でライブに耳を傾ける人たち。




大きな木材を捻った形で表現しています。
木材の中心にも柱があります。





上部はこのようになっています。




全体はこのようになっています。
ライブの観客が周りを囲んでいます。




巨大な垂れ幕。
来週は「百万石まつり」が始まります。
毎回、有名タレントが訪れ、前田利家の姿で馬に乗って金沢の街をパレードします。
検索しましたら今年は内藤剛志が利家訳となっています。

http://100mangoku.net/know_hana.html



少し離れて鼓門、全体を眺めてみました。




鼓門から南に少し歩くと噴水の時計が有りました。
10秒ほどで表示が変化します。
この時は時間の表示ですが、「ようこそ金沢へ」とか「KANAZAWA」の表示に、変化していました。




金沢駅から出てきた富山行きの特急バスです。
この後、市内各所で乗客を乗せて金沢東インターに向かい富山へ行くのでしょう。
北陸新幹線が開通して関西や中京から来ていた特急は金沢停まりとなりました。
金沢駅で「つるぎ」に乗り換えて富山へ向かえますが、特急バスに乗り換えるのも選択肢の1つです。
1時間に1本程度で運行しています。
http://www.chitetsu.co.jp/?page_id=754
所要時間は1時間15分で930円です。

北陸新幹線は金沢富山間が23分で3,130円です。
第3セクターとなったIRいしかわ鉄道線・あいの風とやま鉄道線は、ほぼ1時間で1,220円です。
http://www.ishikawa-railway.jp/timetable/
速さを取るか料金を取るかと言ったところでしょう。旧北陸線はどれ程の割合で列車運行をしているのだろう。内情は調べてみないと判りませんが、北陸新幹線が開通して、しわ寄せが行く。そのようなことは無いのでしょうか。


初めて北陸新幹線を見る事が出来ました。「かがやき」「はくたか」「つるぎ」どれも同じ車両で、運行するときに名前を使い分けている事が判りました。立派な鼓門が見れて良かったです。

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富山・石川の旅  富山の巻

2015年05月30日 23時20分30秒 | 旅行

息子が石川県の野々市市に住んでいます。久し振りに孫たちの顔を見るために出掛けましたが、その前に寄り道をしてから向かいました。
ネットで見かけた氷見市のかわむら食堂に行きたかったのです。氷見には10時過ぎに着きましたので、昼食の前に氷見の街を散策しました。最初の目的地に向かったのが「道の駅 氷見」です。今の「道の駅 氷見」は氷見番屋街が道の駅となっています。ここを起点として氷見の町を歩きました。
氷見番屋街  →  まんがロード  →  光禅寺  →  まんがロード  →  氷見市潮風ギャラリー
  →  ひみ 漁業交流館 魚々座  →  比美乃江大橋  →  氷見番屋街

予備知識を持たないで、氷見の町を訪ねました。藤子不二雄Aの出身地が氷見だと言う程度の知識しか有りませんでした。街を歩いてみて藤子不二雄Aの作品が各所に有り、懐かしさが沸いてきて楽しむ事が出来ました。潮風ギャラリーや魚々座。色々と知る事が出来たのも面白かったです。



氷見市観光協会の地図です。



氷見番屋街へ向かいます。
信号待ちで停車しました。
青に変りましたので、比美乃江大橋を渡ります。


氷見番屋街のレイアウト地図。
氷見まちづくり株式会社 (製)


氷見番屋街へ来ました

氷見番屋街に着きました。
入口が何箇所か有ります。
始めはどのような配置になっているのか判りませんでした。
氷見番屋街の中に入って、西の番屋、南の番屋、東の番屋となっていて、歩きまわってみて、どのような店が入っているのか判ってきました。



東の番屋に来ました。
この場所は鮮魚関係の店が並んでいます。




魚屋さんのゾーンです。
右側の宗八カレイ。5匹乗っていて400円。アジはトレーに5匹乗って200円と、とても安いです。この後石川に向かうので、ダメでしたが、自宅に帰るのでしたら買いたかったです。




こちらは魚惣菜の店 魚廣です。
お寿司や焼き魚、煮魚を扱っています。





ばい貝の串フライを買ってみました。
美味しかったです。


氷見の街へ

氷見番屋街を出て、歩き始めました。
左手に見えたのが比美乃江大橋です。




上庄川の川岸を歩きます。
後ろから自転車が追い抜いて行きました。
喋っていた言葉から中国人だと思います。


まんがロードへ

大きな喪黒福造の壁画アート。
この先がまんがロードとなります。
折角の絵。
電柱が邪魔ですね。




こちらは喪黒福造像です。
バス停の横に有りました。




中央町のポケットパークまで歩いて来ました。
ブリに乗る、忍者ハットリ君。




ブロンズ像の元になった絵。
ブロンズ像のすぐ横に展示して有ります。



光禅寺

まんがロードを歩いてきました。
ロードから少し入った所のお寺。
何も予備知識無しに歩いて来ました。光禅寺ですが、藤子不二雄Aの実家とは知りませんでした。




門の外から境内をうかがうと、ハットリ君たちの石造が並んでいます。





石像をカメラに収める女子2人。
都会から来た。そんな感じのする女性二人組みでした。
この石像の身長。
大橋巨泉が170センチで、巨泉の身長にあわせて制作されたのだと、潮風ギャラリーのスタッフが説明してくれました。




藤子作品の4人のキャラクターと藤子不二雄Aの経歴が書かれています。
1934年生まれと有ります。今年が2015年ですから81歳となるのでしょう。




市内を巡回するバス。
ボディーに怪物君が描かれています。



まんがロードを歩きます

まんがロードを歩いて氷見番屋街へ戻ります。
街中を歩いている人が居ません。少し寂しいです。




まんがロードの柱にハットリ君のキャラクターが描かれています。




シャッターにもハットリ君が描かれています。




アーケードにこんなボックスが下がっています。
ボックスの下に「氷見のサカナ紳士録」のモニュメントが有り、人が近づくとセンサーが感知して音声が流れ出し始めました。




「氷見のサカナ紳士録」のモニュメントたち。




「氷見のサカナ紳士録」のキャラクターたち。
このキャラたちは潮風ギャラリーの2階に有りました。


氷見市潮風ギャラリー

氷見市潮風ギャラリーへ入ります。




氷見市潮風ギャラリーの館内は藤子不二雄Aの記念館的なギャラリーとなっています。
館内に複製画が展示されて居ますが、著作権の関係で撮影が禁止となっていました。
忍者ハットリ君や怪物君の綺麗なカラーが使われた複製画が下がっています。




背を向けている男性はスタッフの名札を首から提げていました。
ここ、潮風ギャラリーは銀行だった場所を改装して、オープンしたのだそうです。それで金庫室が有りました。藤子不二雄Aは寺の息子で幼少期に父親が亡くなって、寺を継がなければならなかったのだが・・・・・とか、藤子不二雄Aの経歴を話してくれました。




かつては銀行だったギャラリーです。
金庫室の跡にトキワ荘の14号室が復元して有りました。




左はトキワ荘の14号室に2人が住むようになった事が書かれています。
右は復元された14号室です。4畳半の広さでかつては手塚治虫の使っていた部屋を譲られたものでした。整然とした部屋で、復元してありますが、もっと汚い部屋を想像します。2畳の部屋に住んでいて4畳半に移ったらとても広く感じたと有ります。
14号室の向かいは寺田ヒロオの部屋と有ります。手塚治虫を訪ねても、手塚治虫が留守で寺田ヒロオの部屋に居た事が多かったと有ります。寺田ヒロオと言えばスポーツマン金太郎の作者です。この名に懐かしさを感じました。


2階のコミック図書室です。
藤子不二雄Aの作品が並んでいます。




アニメの上映では怪物君が写っていました。
それに、奥の部屋では怪物君のパネルで一緒に写る事が出来ました。




「まんが道」。
「まんが道」は藤子不二雄の自伝的漫画作品です。
漫画家を目指す2人の少年の成長を描いた漫画です。




潮風ギャラリーを出て、氷見番屋街へ向かいます。
前方に忍者ハットリ君の巨大壁画が見えます。


ひみ 漁業交流館 魚々座
氷見番屋街に向かう途中、魚々座に寄りました。
この魚々座は、かつて道の駅 氷見フィッシャーマンズワーフ海鮮館だったところです。道の駅を廃止し、漁業交流館としてこの4月21日にオープンしたばかりの施設です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E3%81%AE%E9%A7%85%E6%B0%B7%E8%A6%8B



魚々座の入口です。
地面に定置網の図が描かれ解説しています。




魚が網に沿って導かれるように、館内に導かれて進みます。




魚々座の受付。
ここで入館料を支払います。




大きな黒板に定置網の構造を解説しています。
魚が入って行く入口の網は垣網と書かれています。
魚の習性を利用し、魚を奥へ奥へと導きます。




入口付近には入館者が何処から来たのか、アンケートを求めています。
開館して日が浅く、来館者がどちら方面から来館しているのかを把握しているのでしょう。
入館したときには気が付きませんでしたが、床に導線として魚が書かれています。




広い館内。
定置網が下がっています。




こちらは床に置かれた漁業資料。




インタビューを受けました。
慶応大生と名乗っていました。
首から下がっている名札には松井となっていました。
若く初々しい男の子です。
何処から来たとか、滞在の予定この後は何処に向かうのかと聴かれました。
それに、話をしていて、展示品で傾けると音がするお銚子。
ホトトギス徳利だと、説明してくれました。




かわむら食堂で目にした、今朝の富山新聞です。
新聞に載っている名前が松井となっています。
先ほどの子だ!と思いました。
インタビューを受けてから行った食堂で目にしましたが、これが逆だったら、さっき食堂で読んだ新聞に載っていたね、と言う事になってたでしょう。
展示品のホトトギス徳利を説明してくれましたが、彼自身、ここに来るまでは知らなかったのではないだろうか。




巨大な定置網。
館内に舟も運び込まれています。




お料理の実習をしていました。
入口のプレートには「体験型食育ボランティアグループ キトキトごはん 氷見」と書かれていました。
受講しているのは子供たちです。
氷見市の広報誌には、キトキトごはん氷見は子供たちが五感で学ぶ体験型料理教室を開催すると書かれていました。
http://www.city.himi.toyama.jp/ct/other000012500/0120-150401-801.pdf
氷見市の広報誌です。
企画段階から市民の意見を募り、実行していく姿勢が良いと思いました。館の命名も、行政が一方的に名付けするのでなく、公募に寄りました。一歩一歩進んできた事が良く判ります。

氷見市が旧海鮮館を改装して整備してきた「ひみ漁業交流館 魚々座」が4月21日にオープンしました。市民から寄贈された漁具や民具が展示して有ります。〇〇家とか□□家と表示して床に並べてあります。家ごとに区分はして有りますが、無造作に並べて有ると言った印象がしました。
恐らく学芸員が不在なのでしょう。展示品の品々に名札を付けるとか解説板を添える事が必要だと思います。



ひみ漁業交流館 魚々座のパンフです。
館内には食事できるコーナーがあり、魚食メニューが味わえます。ここではレンタサイクルの貸し出しも遣っていました。1時間が100円と安い料金で利用できました。


比美乃江大橋

魚々座を出て、氷見番屋街に向かいます。



比美乃江大橋を渡ります。
大きな1本の橋脚の橋です。
左右対称では無い状態にワイヤーが張られた状態です。
漁場から氷見漁港へ戻る時にこの橋が見えることでしよう。
この比美乃江大橋は氷見漁港に出入りする漁師たちのシンボルに写るのではと想像します。





比美乃江大橋を渡っている時、沖に唐島が見えました。
この唐島は、潮風ギャラリーのスタッフから光禅寺の寺社地だと説明を聞きました。




海岸沿いの比美乃江公園。
海が望める展望台が設けられています。


再び、氷見番屋街へ

氷見番屋街へ戻ってきました。
こちらはフードコートの様子です。
左は12時19分。右は10時28分です。朝の時は空席が有りましたが、昼食時には満員になっています。




フードコートの店。ピアファイブ。
ここで氷見牛コロッケを買いました。




アツアツのコロッケ。
美味しかったです。
車でなかったら、このコロッケでビールが飲みたいと思いました。



かわむら食堂

川村食堂へ来ました。
ここが目的の食堂です。
こんなサイトを見て、来たいと思いました。
http://4travel.jp/travelogue/10659662





かわむら食堂の店内。
カウンターには焼いた魚やフライが乗っていました。




注文した刺身定食です。
このお料理で食後にコーヒーが着きました。それで1,000円です。
お刺身はマグロ。それにシャキシャキとした歯応えの白身の魚が乗っていました。どう言う魚か聞きましたら、スズキだと応えてくれました。すぐ近くに漁港が有り新鮮な魚が入る氷見。私たち海無し県の者にとっては、海の有る県の人が羨ましいです。




かわむら食堂は年季の入った店で、お世辞にも綺麗な店とは言えません。母親と娘で営んでいる、地元の常連が集まる店です。私たちは珍しい客で、どうしてこの店を知ったかと聞かれましたので、インターネットで知って来たと言いました。
この後、石川に向かうと言いましたら大学生の息子に会いに行くように思われました。短パン姿をしていたので、若く見られたのでしょう。石川に行き、孫に会うと話しましたらイイねーと、会話が進みました。


氷見市海浜植物園へ
かわむら食堂を出て海岸沿いの氷見市海浜植物園に向かいました。
海岸沿いの道を走りました。
冬なら、海越に立山連峰が見えるかも知れません。


これから氷見市海浜植物園に入ります。




ミッキーマウスの木をアップで。




温室内です。
前方に大きなブーゲンビリアが見えます。




ブーゲンビリアをアップで。




オレンジ色のブーゲンビリアも有りました。




氷見市海浜植物園の駐車場へ戻ると氷見線のディーゼルカーが通過して行くのが見えました。
列車の車体に忍者ハットリ君が描かれています。


氷見市海浜植物園。
何年頃の開園だろう。開園して歳月が流れたという感じがします。訪れる人が少ないという印象がしました。維持していくのに困難が伴いますが、魅力ある植物園にしていかなければ思いました。



最後に
予備知識が無くて氷見市に出かけました。かわむら食堂に寄りたい程度のつもりでした。実際、氷見に来て氷見番屋街は食事から土産物を買うなどが出来、凄い施設だと思いました。足湯や「総湯」が有り、時間をタップリ掛けて廻って見たい見たい場所でした。
ひみ 漁業交流館 魚々座へ入館しました。
入館した時は判らなかったのですが、後から魚々座はフィッシャーマンズワーフ海鮮館を改造した施設だと判りました。これからは氷見番屋街と魚々座が集客の中心となっていくのでしょう。

今回、氷見の街を廻って色々の人と話が出来ました。潮風ギャラリーでスタッフと書かれたのを首から提げた男性の方。魚々座では慶応大学の松井さん。そしてかわむら食堂の女将さん。僅かな時間に氷見を廻りましたが色々の人々と顔を合わせ、言葉を交わせました。こんな事が出来るのも旅に出て体験できることで、旅の面白さの1つです。好い体験ができました。
それに、朝日山公園や氷見昭和館など、氷見でもっと見たい所が残っています。また、行きたいと思っています。

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オジサンたちでビアガーデンへ

2015年05月28日 23時42分50秒 | オジサン会

オジサン4人グループでビアガーデンへ行って来ました。
飲み放題食べ放題で3800円です。
久し振りにオジサン達の集まり。

色々と話が出来ました。


向かった場所がこちら。
ホテル グランベール岐山です。



ビアガーデンのチケット。
前売り券で3800円です。



入場するのに少し待たされました。
これから向かいます。



色々の食材。
串カツは冷凍だと思いますです。
食べ放題ですが、あまり好いものは並んでいません。



開始。
まず、オジサン4人組で乾杯です。



メインは焼肉。



1杯目はウエイトレスが運んで来てくれました。
2杯目。
会場は混雑していませんでしたので、持って来てくれると言ってくれましたが、自分で遣ってみたかった。
ビールサーバーから、ジョッキに注ぎ込まれます。



一杯になったジョッキ。



平日でしたので、それ程混雑していませんでした。
3杯目まで位は覚えていましたが、後になって何杯飲んだのか勘定が出来なくなりました。


久し振りのビアガーデン。
楽しめました。


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Kオジサンの家庭菜園日記  タマネギの収穫

2015年05月28日 16時35分14秒 | 家庭菜園日記

昨年。11月4日にタマネギを植えつけました。
Kオジサンの家庭菜園日記 タマネギの植え付け

大きくなってきましたし、天候も良かったので収穫しました。



1畝だけのタマネギです。



引き抜きました。



一番大きいのは10センチを越えました。



プラケースに入れました。
数を勘定しましたら70個余りでした。
植えた数が100ほどで70個あまりの成果でした。


今年のたまねぎは例年に比べると大きくなっていました。
肥料が良かったのかも知れません。
11月4日の画像を見てみると、金額的には1,000円を越えています。
マア、これだけ収穫出来たので良しとしましょう。


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伯母さんの35日法要

2015年05月24日 22時19分05秒 | 葬儀など

先日、4月18日にオバさんが亡くなりました。
そのオバさんの35日法要が営まれました。


法要が行われる真龍寺です。
門から入ります。


正面が真龍寺です。



寺の本堂です。




寺を創建した時の書類が衝立に表装して有ります。




真龍寺を創建した時の証文です。
住職が話してくれましたが、寺を建てたのが若い大工だったそうで、そのため、証文をししため保証人が着きました。
時代は明治14年です。
男は髷を落としていましたが、女性は日本髪の時勢でした。
今は岐阜市長良ですが、この頃は方縣郡の時代でした。

ペンも鉛筆も無い時代。
達筆な字で書かれています。
見方を変えれば、こんな書類も文化財でしょう。



法要を終え、場所を変えて食事会となりました。
「つじや昇山」です。




精進落としが行われる部屋です。




お料理。
右側はお刺身などが乗っています。

一品一品運ばれてきました。
その都度シャッターを切るのは控えました。
最後に釜飯が出ました。


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歴史街道を歩く会 5月例会  越前街道  越前大野・越前勝山

2015年05月23日 23時31分29秒 | 歴史街道を歩く会

「歴史街道を歩く会」の5月例会に参加しました。岐阜の人は福井の道を越前街道と呼びます。福井の人は岐阜に通じる道なので美濃街道と呼びます。同じ道でも地域によって呼び名が異なります。呼び名は異なっても、美濃と越前を結ぶ道です。

今月は街道を歩くと言うより、好いトコ取りで福井県の大野市と勝山市を訪ねてきました。息子が石川県に住んでいます。石川へ向かう時に七間朝市へ寄ったりしていましたが、街中を歩いたり城に登ったりするのは初めてです。勝山市では白山平泉寺を訪ねました。広大な境内と遺跡発掘跡の大きな規模である事に感心しました。

道の駅 九頭竜
 
大野市に向かう途中。道の駅九頭竜で休憩しました。
福井県は恐竜の化石がアチコチで出ます。国道157号や158号は恐竜街道と呼ばれています。
2頭の巨大な恐竜がお出迎え。
この恐竜。オブジェと言うかモニュメントか。人形と言うか模型か、なんと呼べば良いのだろう。
時々、声を出して吼え迫力があります。




こちらはJR九頭竜線の九頭竜湖駅です。
かつては越美北線と呼ばれていましたが、九頭竜線と改称されました。



九頭竜湖駅の
プラットホームに入ってみました。
終点駅でトンネル方向に進むと福井に向かいます。
1日に5本の列車しか有りません。
JR西日本の管轄となっていますが、赤字路線でJR西日本は廃止したいばかりでしょう。
お年寄りや高校生の貴重な足となっているのでしょうが、1人も乗せずに発車するシーンも有るのでしょう。

越前大野

越前おおの地図です。
観光ボランティアガイド大野から出展しました。
「北陸の小京都」と呼ばれるように町が碁盤の目になっていて、東西の道がが六間通り、七間通り、八間通りとなっています。
南北は一番通り、二番通り、三番通りと、縦の軸になっています。



城下町東広場にバスが停まりました。これから大野の町を歩きます。




ボランティアガイドがバスの到着を待っていてくれました。
ここで、ボランティアの挨拶です。




ガイドは松島さんと自己紹介が有りました。
これから先導してもらい、大野の町を歩き始めます。




寺町通りを歩きます。
寺町通りの名の通り、多くの寺が並んでいます。
金森長近が越前大野の街を拓いた時、年数を掛けて寺々を並ぶようにさせたのだそうです。
住居表示は錦町となっていましたが、寺町通りと呼ばれています。
寺々が並び、落ち着いた雰囲気がします。




ボランティアを先頭に歩きます。
先の方に残雪の有る銀杏峰(ゲナンポ)が見えます。




七間通りに来ました。
左は今日の朝市の様子です。右は06.10.15の時の朝市の様子です。10年近い歳月が流れましたが、露店の数が減少しています。高齢者が多く、辞めてしまったのでしょう。
右側の画像の中に「三大朝市まつり」横断幕が見えます。輪島の朝市。高山の朝市は誰もが認める所ですが、3番目の朝市の場所。言ったモン勝ちでしょうか。佐賀県の呼子朝市へ行った時にも三大朝市を名乗っていました。
でも、今の状況なら呼子に三大朝市の「座」渡してしまった感がします。




道、一杯に広がって歩きます。
誰かが言っていました。
江戸時代の城下町の道にしては広すぎると。




そば処。
先日テレビで越前の「おろしそば」をやっていました。
きっと、この店でも食べれるでしょう。
次回来た時に入ってみたいです。




そば処の屋根にからくり人形が設けて有ります。
ハッキリした時間は、確かめませんでしたが、定時に動くようです。
ガラスの戸にワイヤーが掛かっています。時間になるとワイヤーが巻き上がり、戸が開いてからくりが出てきて演技をするのでしょう。




店の人との談笑。
その横に提灯が下がっていました。
この街道の事を福井県では美濃街道と呼ばれます。



お城に向かいます。
右上に小さく大野城が見えます。
ガイドが石碑の前で説明していますが、この場所の松。好い形をしています。
左側は駐車場ですが、明日の名水マラソンのゴールとなる所で、コーンが設置してあります。




これから門を通ってお城に向かいます。





途中に有った幕末の大野藩の偉業の説明板。
大野丸を建造し樺太との交易を図ったり各地に大野屋を開き、藩財政が潤うように勤めました。
洋学を取り入れたり種痘を始めるなど、先進的な取り組みを進めています。




眺望の良い場所に来ました。
ここからは大野の町が見下ろせます。
遠くには荒島岳が望めます。





お城の下まで来ました。




ガイドの案内に寄り、城内に入ります。
大野城は鉄筋のお城で復元されたものです。私たちと同じタイミングで、バス2台分の団体客が来ていました。
階段の上り下り、狭い階段での行き来でした。




天守閣からの眺望です。
遠くに残雪が有る荒島岳が望めます。
大野市に来る時に荒島岳の登山口を通過して来ましたが、沢山の車が停まっていました。多くの人が登っていたことだと思います。




城内の掲示で、各地の大野屋の紹介です。
東京の銀座や浅草に大野屋が有りました。
大坂や横浜にも有ります。相当活発に活動したのでしょう。




大野城から降りてきて結楽座に来ました。
ここには土産物を売る売店が有りましたし、無料休憩できる藩主隠居所を併設していました。ここで、各自が昼食となりました。



掲げられていた説明板。
大野屋や大野丸の事を説明しています。





こちらは金森長近に付いて説明しています。
ガイドの説明では、金森長近は織田信長に仕えたりした名君であったが、子孫が郡上八幡へ転封となって郡上一揆が起こり、取り潰しと成ったと話しました。創業者は優秀でも、末裔となると・・・・・。


インターネットで平成大野屋http://jigyo.h-onoya.co.jp/jigyo/というものが有ることは知っていました。全国各地の大野さんが支店主と成っている程度の知識でした。http://jigyo.h-onoya.co.jp/branch/
でも、大野市へ来て大野屋の本当の意味を知る事が出来ました。
大野姓のネットワーク。形は違えども、大野屋の精神が引き継がれていると思います。

幕末に大野丸を建造して樺太の開拓を始めました。当時の幕府の募集に乗ったという形ですが、良くやったと思います。大野城の有る亀山の麓に「学びの里 めいりん」が有ります。今は生涯学習施設となっていますが、この場所は大野高校が有った所ですとガイドが話しました。移転した跡地に設けられた、めいりんと言う名。藩校精神を生かそうと言う取り組みです。

大野へ来て、大野屋の事や大野丸について知る事が出来ました。このよう事を知る事が出来たのも、歴史を訪ねる面白さです。



越前勝山

越前大野を訪ねた後、バスで越前勝山に向かいました。





ガイドと待ち合わせることになっている「白山平泉寺歴史探訪館 まほろば」です。



こちら、勝山でもボランティアガイドに案内してもらいます。

観光ボランティアガイドの中村さんが「まほろば」へ来てくれました。
自己紹介があり、その後にガイドが始まりました。




「まほろば」を出て白山平泉寺に向かいます。
凄く大きな大杉です。



東尋坊の説明をしています。
東尋坊と言うと、福井県の海岸で、柱状節理の名所ですが、東尋坊はここ、白山平泉寺に居た暴れん坊の坊主で乱暴狼藉をはたらく荒くれ男だったのだそうです。
誘い出されて、九頭竜川を舟で下り三国に到達しました。
そして、あの海岸に行き後ろから突き落とされたのでした。その後には海が何日も荒れ狂ったという言い伝えが有ると話してくれました。
東尋坊の海岸。東尋坊と言う坊主。
1つ勉強になりました。


中村さんの背中を撮らせて貰いました。
勝山市観光ガイドボランティアとなっています。





中村さんの説明の声が良く聞こえました。
ハンディマイクと肩から下げたスピーカーから成っています。
これでしたら手が塞がる事が無いです。



この先の坂は精進坂です。
この坂より上は魚を持ち込む事は許されません。




拝殿まで上がって来ました。。





後半は発掘現場跡を歩きます。
1989年から発掘調査が進められ、石畳みや土塀跡が出てきました。





左は復元された土塀です。
発掘調査で瓦片が全く出なかったのだそうです。
塀の屋根は榑葺で再現しています。




若宮神社まで歩いてきました。
大きな杉が聳えています。





周回してきて「まほろば」まで戻ってきました。





「まほろば」の下の駐車場にバスが待っていました。
会員の多くの人がソフトクーリームを食べました。
私も一緒になってソフトを1個買い求めました。これは小さくミニサイズで、200円でした。



今月の例会は福井県の大野市と勝山市を訪ねました。街道を歩くと言うよりも、歴史を探訪するものでした。大野で、大野屋や大野丸の事を知る事が出来ました。それに、何度か訪れた大野なのですが、これ程お寺が並んでいる所とは知りませんでした。

白山平泉寺に付いては何も知識が有りませんでした。国道157号線で、石川へ向かう途中に法恩寺山有料道路と言う有料道路があります。その道路の奥に有るお寺くらいに考えていましたが、全くの思い違いでした。白山平泉寺を見学してみて、鬱蒼とした大杉の境内の広さに感心しました。今でこそ、この姿ですが、一向一揆で焼き払われる前は素晴らしい規模だったのだろうと想像しました。

今回。大野市は松島さん。勝山市は中村さんと言うボランティアガイドが案内してくれました。
松島さんは無償だったので手土産を持って来た。中村さんは有償で車代として1,000円渡したと、会長が喋っているのが聞こえました。お2人とも、ハンディスピーカーを使って聞こえ易くなっていました。
案内して貰え、多くの事が勉強になりました。






 

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さようならキハ11。そして40系  JR東海 高山線 美濃太田列車区

2015年05月22日 23時06分37秒 | 日記

富加町へ来たついでだと思い、美濃太田列車区に寄って見ました。
高山線の車両で、昨年12月に新型車が導入されました。そして3月のダイヤ改正では、武豊線が電化と成り余剰の車両が出てきたのでしょう。新しい車両になりつつあります。
古いキハ11はミャンマーに輸出され名古屋港から旅立って行きました。

ユーチューブで40系やキハ11が紹介されて居ます。
https://www.youtube.com/watch?v=xzU6Hmi-bFI
https://www.youtube.com/watch?v=F7d1RuZIVvI
https://www.youtube.com/watch?v=Cj0AC3nrTQY

先頭のディゼル機関車は名古屋臨海鉄道の機関車です。高山線は自走してきたのですが、臨港線では機関車に牽引されて居ます。何処からこんな列車情報が伝わるのでしょうか。何人かの鉄チャンが写っています。
高山線だけでなく参宮線や名松線を走っていた列車も輸出の対象でした。各、列車区から出て行ったのの、一部には日立那珂港で再び活躍する車両も有るようです。

美濃太田列車区にて

金網越しに撮影しました。
まだ、数編成の40系が残っています。
この列車たちも6月には姿を消すようです。


東に移ってきました。
多治見行きのキハ75。左にはキハ25の姿が見られます。



こちらは国道41号線から撮ったものです。
フェンスが邪魔ですね。



アピタの屋上へ上がってみました。
40系が少々残っています。
やがて、すべてが姿を消すのでしょう。

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歴史勉強会 ヒストリー各務野会  「富加町郷土資料館で学習、そして・・・・・ 」

2015年05月22日 22時46分05秒 | ヒストリー各務野会

ヒストリー各務野会は歴史に付いて学習しようと言う会で、定例的に、第2第4金曜日に勉強会を重ねています。
今回は各務原市を出て富加町の郷土資料館で学芸員の島田先生から夕田(ユウダ)茶臼山古墳の講義を受け、その後に少し離れた場所の茶臼山古墳に向かい、前方後円墳を実地見学してきました。



富加町郷土資料館の入口です。
今日は、ここで講義を受けます。




資料館の展示室です。


この資料館の特徴である半布里戸籍(ハニュウリコセキ)に付いて解説しています。
正倉院に残っていた最古の戸籍の解説です。



学芸員の島田先生から講義を受けます。
何れの人も第一線を退いたような人ですが、勉強熱心な人ばかりです。




古墳からの出土物を手に取って説明しています。

古墳から炭化物が出土しし、そのものから古墳の年代測定が出来るのだそうです。
この古墳は葺石や列石が出ていないそうです。弥生時代の終期。古墳時代の始期で、珍しい古墳だそうです。




講義を終えて展示室に移りました。
こちらは展示室の夕田(ユウダ)茶臼山古墳の模型です。
発掘調査の時の状況を説明しています。




こちらの館を支えるボランティアの人が描いた想像画です。
古墳を築く時が、このような様子だったのだろうというものです。




夕田(ユウダ)茶臼山古墳の解説板です。
古墳の墳頂部の土が一旦除けられ、その跡に土が盛られました。




資料館から少し離れた場所に古墳があります。
それぞれの車に乗り、古墳へ向かいました。




古墳に辿り着く道に解説板が設置して有ります。





古墳の上に上がってきました。




墳頂部に向かって、島田さんから説明を聞いています。




墳頂部に上がってみました。




資料を手に質問をしています。




島田先生。
このあたりに棺が納めて有りましたと、手振りを交えて説明しています。




みんなが去った後の古墳。
木の切株が残っています。




古墳から降りていきます。
補助金によって道が整備されたと表示して有りました。



各務原市から離れ、富加町に来て講義を聞きました。その後には現地学習です。このようなことは、自分ひとりでは出来ない事です。仲間に加えてもらい、このような機会が生まれました。
歴史で、知らない事を知る事が面白いです。
周りの人は何れも第一線を退いたような人たちです。老いて朽ちずでは有りませんが、学習しようとする意欲が凄いと思います。




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一宮友歩会 運営委員会

2015年05月21日 22時32分35秒 | 一宮友歩会関連

今日は一宮友歩会の運営委員会がありました。



めぞん・ド・グリエと言う店です。
一宮市森本5-31-7
0586-64-5579
どれと言ったことの無い、普通の店です。
ここで運営委員会が開かれます。



今夜の議題は来年に歩くコースに付いてでした。
来年。何処を歩くかの相談です。



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